第16話
再びスマホのカメラを起動し、広場の周囲の様子を何枚か記録し始める。
すると画面の端、撮った写真のほとんどに在実がわざと割り込むように顔を覗かせている。体を傾けたり、ピースサインをしてみせたり、お嬢様らしいポーズをしてみたりと。
いつの間にか顔の赤みは消え失せ、在実は普段の調子を完全に取り戻していることがわかる。いや、普段よりも少しテンションが高い気がする。俺の言葉の影響が在実をこのようにさせたことは確かなのだが、ここまでの効果があるとは思いもしなかった。
しかしここで一つ、ささやかな問題が生じてしまった。ちょろちょろと忙しなく動く在実の様子に笑いを堪えることができず、俺は撮影を一度中断せざるを得なかった。
「どうしたんサ、急にはしゃぎだして」
「へへ、どうせ朝夜くんの物語に出るんなら、面白いキャラの方がいいなぁって」
「なんだそれ」
少しずつだが、在実が普段と違った様子を見せ始めたような気がした。思考と言動の同調具合が増していると言うべきだろうか。在実は普段から静かに軽くパタパタと動くが、この瞬間に関しては自分の体があることを忘れて意のままに動いているようにも思えた。
そんな在実に導かれるように石段を上がると、城の目の前にたどり着く。高所から眺めていた時はあまり大きいとは思わなかったが、いざ目の前にすると木々で隠れていた部分が見えたり、石材で作られた外壁の重厚感を目の当たりにすることとなった。
「この建物を遠くからここまで移築してきたって考えると、凄まじい労力だよねぇ」
「そうだな。まさかこの城も、海を越えて群馬に移されるだなんて思いもしなかっただろうな」
「人生、いや、城生何が起こるかわからない。ふふっ、でもその場でじっとしてるよりもずっと、こっちの方が面白い一生になりそう」
「はは、同感だ」
まさか、この城と今の自分を重ねることになるだなんて思いもしなかった。もしこの城が元あったスコットランドに残されたままだったら、今この場にいる人全員は名前も姿も知らないまま一生を終えていたはずだ。そして俺も、浪川の働きかけがなければ、大したこともせずに虚無感に苛まれながら平凡な一生を終えていたかもしれない。
動けない城を動かした人々と、動けなかった俺の心を動かした浪川。一生を物語と考えると結局、自分じゃない誰かがいなければ面白さが生まれることはない。そんなことをこの大きな大先輩が俺に身をもって示してくれたと言ってもいいだろう。
「へへ、今は何を考えてるの?朝夜くん」
いつもながら、俺が思案タイムに耽っていると在実が声をかけてくる。
「ん?あぁ、この大先輩と俺は似てるところがあるなぁって」
「えぇ、そうかなぁ?朝夜くんと違って、気品があって堂々としてて頼りがいがありそうだけど」
「――っ!? その、見た目の話じゃなくてサ!もっとこう、生き様というか、目に見えないところっていうか」
「ふふっ、わかってるよ。ねぇ、早く中に行ってみようよ」
「はぁ。そうだな」
気品がなくて堂々としてなくて頼りがいのない男と在実にからかわれながら、開かれた扉から城内へと足を踏み入れる。大屋敷のような外観とは打って変わり、内装は白を基調とした高級感と気品のある仕上がりとなっており、吹き抜けが特徴のエントランスは解放感があった。
城内は写真撮影が禁止されていないため、手当たり次第に写真に収めていく。一階には実際にティーパーティーを体験できる客間のような場所や、様々な装飾品や記念品が置かれた広間が。二階には小物やお土産が売られた売店、三階には部屋中に飾られたサンタクロースの人形部屋があった。
特別な会話を一切挟むことなく、見たものに対する感想を言い合いながら俺と在実は城内を見回っていく。
「この城にいた人たちは、どんな生活をしてたんだろう。そういう資料はここにはなさそう」
エントランスを上から一望できる、三階の手すりのそば。俺は煌びやかに輝くシャンデリアを眺めながらそう言った。
「どうなんだろうねぇ。人が全員、自分の人生を物語として一つの本に書き起こしてくれればわかるのに」
「はは、そうしてくれれば面白そうだな。――いや、結構面白いな。それ」
何気なく口に出した俺の考えに対して在実が言った、何気ない言葉。だが俺の中では、その短い言葉をもとに様々な展開が繰り広げられることとなった。
「それじゃあ俺は、その本たちを保管する図書館の館長になりたいな。普段は本の管理をしたり、いろんな人に自分の人生を本にしませんか?って声をかけたり。そして空いた時間でいろんな人の人生を読んでみる。なかなかいいアイデアじゃないか?」
「――……」
「えーと、在実?」
在実は口を半開きにさせたまま、俺のことを真っ直ぐ見上げていた。しばらく反応がなかったので、不思議に思っていると、
「朝夜くんっ」
「えっ、あぁ、うん。どうしたんだ?いきなり」
「お願い、その物語を書いて!」
「……えっ?」
念を押すように、在実は人の目を気にすることなく俺の片手を両手で強く握って言い放った。その目に宿った輝きは鮮烈で、憧れの存在を目の当たりにした子供のような純粋さを帯びていた。
突然の出来事のあまり俺はすぐに言葉を返すことができず、在実に手を握られたまま目だけを泳がせていた。
「きっと、誰かが似たようなストーリーの作品を書いてるかもしれないけど。でも、朝夜くんの言葉で、朝夜くんが見てる世界で表現してほしい。絶対、絶対に面白い作品になるはずだから。だから……」
「……」
徐々に在実の言葉から勢いが消え、同時に握られた手が解放されていく。届かぬ、叶わぬ願いだと思って遠慮しているのか。あるいは俺の手を握ってしまったことに対して思うところがあったのか。いずれにせよ、在実は俺の目を見つめたまま棒のように立っていた。
「はは。その場の思い付きで言ったことなのに、まさか在実がここまで面白いと思ってくれただなんて。――いいよ。俺でよければ、その話を書き上げてみせる」
この言葉は在実の期待に応えるためだけに言った言葉ではなかった。俺自身が、面白いものが書き上げられそうだと確信したからこそ言った言葉でもあった。
ほんの一瞬のうちにインスピレーションが何重にも積み重なり、莫大なで重厚なストーリーが脳内で展開される。だがその間にも現実の時間はいつもと変わらぬ速度で流れるため、在実が嬉しそうに目じりを細めた。
「本当に、書いてくれるんだ」
「あぁ。確かに在実が言った通り、誰かが同じような作品を作っているかもしれない。でも、主人公が出会う誰かの人生というものは、必ずしも同じとは限らない。だから俺がこの物語を書く理由がしっかりとあるし、何より在実が楽しみにしてくれるなら、それだけで十分サ」
今まで俺は描いた作品を誰にも見せることがないまま、書いては消してを繰り返してきた。――だけど、今は違う。
たった一人だけだが、俺の書く物語を楽しみだと言ってくれている人がいる。俺の書く物語がどのようなものかも知らないのに、絶対に面白いと言ってくれている人がいる。
――あぁ、そうか。そういうことか。
もしかしたら、今までの俺に足りなかったものは在実のような存在なのかもしれない。誰かが見てくれないと、作品を作る面白さというものは感じられないのかもしれない。
「……よかったぁ。あのね、朝夜くん」
「うん」
「私ね、朝夜くんが思い付きで言ってくれたような物語が大好きな理由があるんだぁ。それでちょっとだけ、そのことについて話してもいいかな?へへ、ちょっと変な話かもしれないけど」
「……うん」
手すりに肘をかけ、正面のシャンデリアの方を向きながら在実は口を開く。予想外の出来事が再び生じたことで、俺の心は過剰に冷静になろうと心拍数の上がった心臓を落ち着かせんと、深い息をする。
――間違いない。これは在実が抱える思想を引き出せるまたとないチャンスかもしれない。
意識を最大限に隣に傾け、余計なことをしないようにと俺は在実の言葉を静かに待った。
「さっき、朝夜くんは私との過去を物語にする価値があるって言ってくれたでしょ?」
「あぁ」
「実は私、一人だけで作っている作品があるんだ」
その言葉を聞いて、昨日の浪川の言葉が頭をよぎった。在実は俺との過去を題材にした作品を作っていると浪川は言っていた。おそらくそのことだろう。だが俺はその存在を知らないていで話を進めることとした。
「そうなんだ。ところで、その内容ってのはもしかして」
「うん。私視点から見た、朝夜くんとの思い出。へへ、だから朝夜くんに見せるのはちょっとだけ恥ずかしいんだよねぇ」
在実にとっては恥ずかしいことなのだろうが、俺にとっては見ることすら怖くてたまらないものだ。当時の俺は、在実から告白されて浮きあがった心のまま、恋人になったらできるようになることを在実にしようとしていた。そんな俺は、在実にはどのように映っていたのだろうか。滑稽だったか、気味悪かったか、不格好だったか。
ほんの一瞬、俺自身の感情が過去に引っ張られそうになる。だが、俺の思考が進行する余地を与えぬまま在実は話を続けた。
「今までずっと、心のモヤモヤをどうにかしたくって、おかしな考えを本気で信じようと思ってた。【――現実での出来事は全部、物語を作るための題材にすぎないんだ】って。でも、そう思いながら文章を書いてると、一時的だけど少しだけ気持ちが軽くなって、楽になれた」
『おかしな考え』と、在実はそう言って自身が抱える思想をためらいもなく言葉にした。だがそれはその後に続く言葉からわかる通り、現実での出来事に対する認識を歪めさせることによって気持ちを楽にしようとする、その場しのぎの思い込みでもあった。
「そっか。でも、楽になれたのは一時的だったんだな」
俺がそう言うと、在実は一瞬俺の方を向いてぎこちなく笑ってみせた。
「うん、結局ね。気持ちを整理したところで、後悔がきれいに並んだだけだった。だから途中で書くことが嫌になって、遠ざけてた。でも、今は違う」
すると在実は体を少しだけ俺の方に向けて、真っ直ぐ俺の目を見上げた。だがその視線は不安定で、時々零れ落ちることがあった。
「もし、今みたいに朝夜くんと話すことができないまま卒業しちゃってたら、きっと私はこの作品を形にする気すら起きなかったと思う。だけど、今ここに朝夜くんがいて、朝夜くんが価値のある思い出だって言ってくれたおかげで、決心することができたんだ。――私は、一生をかけてでも作り上げてみせるって」
「――……」
――あぁ、やっぱり。誰かが見てくれてるってことが、今までの俺に足りなかったこと、なんだ。
決意を表明するように、在実の言葉と表情には自信にも似た凛々しさが込められていた。そしてそれを目の当たりにした瞬間、俺は今まで惰性で書いてきた文章が自身からすり抜けていってしまうことの原因が、明確にわかった気がした。
俺の創作に対する姿勢は、所詮その場しのぎの現実逃避にすぎなかったのだ。作品を作る目的も信念もなければ、突然の虚無に襲われるのは当然だ。
そして何より、自分の作品を楽しみにしている誰かがいることが重要であることに気付かされた。誰かが見てくれて、感想を抱いてくれて、伝えてくれなければ作品を作る意味はない。当たり前のことであるからこそ気付かずにいたという、ありきたりなことだった。
作品作りを続けていくことにおいて、リアリティを追い求めたり、表現を突き詰めるよりもずっと、誰かが見てくれていることが大切である。少なくとも、俺にとっては。
思案タイムに一区切りがついたところで、ようやく俺は思いついた言葉を口にしようとする。
「はは、なんとなくの思い付きで言った言葉が、在実をここまで突き動かすことになるなんて。でも、在実らしいと思う」
「えへへ。昔から、私を突き動かす原動力は朝夜くんだったんだもの。物語を書いたのも、絵を描き始めたのも、朝夜くんが楽しみだって言ってくれたからこそ、続いたことなんだから。……でも、だけどね。だからこそこれからは、活動の原動力を朝夜くんだけから見出すのはやめようと思ったんだ」
少しだけ、意識せずとも空気が張り替わった気がした。
「それは、どうして――」
俺が問いかけようとすると、在実は一呼吸を置いて俺の方を向きなおした。そしてショルダーバッグの紐を握りしめ、
「朝夜くん。私たち、別れよう」
「……」
言い放った言葉の内容とは裏腹に、在実はカラッとした清々しい表情をしていた。そのせいで、俺は在実にどのような顔を向ければいいのかわからず、口を開けたまま在実の姿を瞳に映すことしかできずにいた。
――あぁ、俺は今、在実にフラれたんだ。
それが事実であるとわかっているが、受け入れがたいことではないとわかっているが、それでも言葉に含まれた意味がもたらす作用を無視することができない。
そのことを察したのか、在実は場の雰囲気を和らげるように小さく笑った。
「へへっ。私たち、別れの言葉もなしだったでしょ?」
「あぁ、まぁ、そうだったよな」
別れの言葉がなかったのは、俺たちにとって適当でなかった関係の着地点がわからず、互いに見て見ぬふりをすることしかできなかったから。自然消滅していったと思っていた関係だったのに、いざ終わりを目の前で宣告されると、言葉にしがたい複雑な感覚が内臓に重くのしかかってくる。
「私と朝夜くんは、元の関係に戻った。――私にとって、誰よりも私の人生に影響を与えてくれた、大切な人。それ以下でも、それ以外でもない。だから朝夜くん、そんな顔しないで」
「……わかってるって」
在実に言われて気付いた。いや、気付いていたけど認めたくなかった。きっと、俺の目は少し赤く腫れているはずだ。口元には余計な力が入って、気を落ち着かせようと何度も深い息をゆっくりと吸って吐いている。気を落ち着かせるために自分を客観視するも、自分の状態がおおよそわかるだけ。それ以上何も変わることはなかった。
在実の慰めるような優しい笑顔を見てると胸が苦しくて、かつての関係が消滅したことを正面から突き付けられたことがつらくて、でも男として無様をさらしたくなくて。
「いつまでも、私にとって朝夜くんは特別で、大切で。だから大丈夫。別れたとしても、私は朝夜くんとこれからも仲良くしたいと思ってるから」
「……うん」
――あぁ、情けない声だ。
自分でもそう思ってしまうくらいのか細い声で返事をした。これ以上体に刺激を与えると、辛うじて保っている何かが崩れそうで嫌だった。
まさか、ここまで在実と話をしてもなお、自分の中で在実との関係についてまだ消化しきれていなかったとは。苦しい気持ちになることはわかっていたが、ここまでのことになるとは自分でも思ってもいなかった。
「それに、まだまだ私と朝夜くんの物語は終わってない」
「……そうなのか?」
「うん。だって、この後二人はどうなっていくのかについて、まだわからないままでしょ?私だけじゃなくて、朝夜くんも主人公なんだから。朝夜くんがどう思って、どうなっていくのかについても知ってなくちゃ」
「……」
そう言われて、俺は思わず顔をあげてしまった。
まだ物語の結末は描かれていない。今もまだ、物語は現在進行中であると、実に在実の思想らしい不思議な言葉だった。だが、不安定な今の俺にとってそれはどんな言葉よりも心を鎮めてくれるものだった。
浪川から在実の思想についてのヒントを得たとき、在実にとって俺は所詮、在実を主軸とした物語の登場人物にすぎないと思っていた。だが実際は少しだけ違うものだということがわかった。――自分視点の物語であっても、俺の内側も大切にしようとしてくれている。
このようなことを言ってくれるだけでも、俺にとっては嬉しいことに代わりなかった。
気付けば俺は、気恥ずかしさを誤魔化すように小さく笑うことができていた。
「そっか。――ははっ、そうなのか。でもよかった。これでようやく在実の作品で、二人の初恋は無事きれいな形で終わりを迎えることができましたって書ける」
おおよそ在実に聞かせるつもりのない声量で、俺は手すりに触れながら言葉をこぼした。この時ばかりは思考と口が直結していて、言葉にするつもりのないものが出てしまっていた。
だが、その弊害はすぐに表れることとなった。
「えっ、待って。二人の初恋がって、…………えっ?朝夜くん、本当は私のことが好きだったの?」
動揺と困惑混じりの声が、正面から途切れ途切れに聞こえてくる。
「……えーと、まぁ、そうだけど」
「私のことが好きだったっていうのは、ライクじゃなくって、ラブの方で?」
「その、ラブの方だったけど……」
すると在実は少し落ち着きのない様子で目を泳がせ、上ずった声で何度も聞いてきた。その様子が珍しく、面白かったせいで俺は思わず笑い声を抑えることができなかった。
「ふっ、ふふっ。でも、どうしてそんなに驚くんサ?」
「……その、てっきり、朝夜くんは私の無茶な告白を断れなくて、仕方なく彼氏になってくれたのかと思ってて」
「いやいや、そんなことない」
むしろ在実視点だと、俺の彼氏としてのムーブは相当ぎこちないものだったことがわかって複雑な気分なんだが。結構ショックで体がのけぞりそうになる。
「っていうか、こうなると俺は在実に嘘をついてたな」
「嘘?どんなの?」
「ほら、塔の頂上で話しただろ?接触みたいな物的なことでは満たされないみたいなことをサ。でも本当のことを言うと、俺はそうじゃない」
「は、はえぇ~。そうだったんだぁ。えっ、それじゃあハグでもする?」
「はは、それはもうできないな。俺たちもう別れただろ?」
「えーと、そうだったよねぇ。……あはは」
俺はここまで冷静さを失った在実を見たことがなかった。在実は微かに紅潮した自分の頬に片手をあてて、視線を一度俺からぐいっと外して何かを考えるように視線を落とした。
もしかして、俺と別れたことについて何か考えているのだろうか。今更だが余計なことを言ってしまったと後悔し始めたが、時間は巻き戻ってくれないためソワソワ動く在実の姿を見ることしかできなかった。
「まぁでもさっき言った通り、俺と在実は友達程度の距離間の方がちょうどいい気がする」
「……うん、そうだよね。そんな気がするのは、私も一緒だよ」
在実は落ち着きを取り戻したように顔を上げて、同意を示した。
今の俺の判断は、在実が俺だけから創作の活力を見出すことをやめようとしたことに対するものだった。多分、これからの在実に必要なのは、俺以外の誰かから作品を見てもらうことだ。それはきっと、在実もわかっているはず。
いつまでも俺ばかりを視野に入れないで、もっと広い場所に出て、いろんな経験をした方が刺激があると思う。そう思うと、余計なことを考えずに済む関係を続けることが、俺が在実にできる最善だと考えられる。
なにより、互いの関係をもう一度適切な状態に戻せるのならば、俺もそれに越したことはない。またもう一度、目の前で在実が生み出す世界に触れていたい。その方がきっと、楽しいはずだから。
「それにしても、びっくりしたぁ。でも、朝夜くんだけずるい」
わざとらしく不満を露わにするように在実は見上げていた。
「ずるいって、何が?」
「だって、普通なんだもん。私、普通の人のことが羨ましくって。私が普通の子だったら、朝夜くんに気まずい思いをさせずに済んだかもって」
在実が言わんとしていることはよくわかる。言ってしまえば、気まずさが生まれてしまった原因は在実の特殊な感性によるものだ。だから普通の感性を持つ人間が羨ましく思えるのは当然だ。
「でも、在実が普通の人だったら多分、俺は仲良くなれなかったと思うけどな」
「……そうなの?」
「まぁ、多分。その、俺って友達少ないだろ。……自分で言うのもなんだけどサ」
俺は関りを持とうとは思わない他人のことを、普通でつまらない人間と見下しているつもりはない。ただ、俺と波長が合わなくて気まずい時間を過ごすだけだと、勝手に決めつけているだけ。
「在実と仲良くなれたのは、俺だって普通じゃない部分があるからに決まってる。普通じゃない者同士だからこそ、一緒にいられるって。そういうのは、在実とか秀樹が一番よく知ってるだろ?」
「確かに……。ふふっ、そっかぁ。それじゃあ気まずい思いをしちゃったのは、たまたま私と朝夜くんの普通じゃないところが一致しなかっただけなんだね」
自分の中で納得のいく何かが見つかった様子で、在実は手すりにもたれかかった。
恋愛観に対する、互いにとっての普通の不一致。気まずさというものはそれによって引き起こされたと在実は結論付けたのだろう。まるで作品の登場人物の人物像が明確になるように、情報が整理されていく。
「でもサ、別に俺は普通じゃなけりゃ誰でもいいってわけじゃないからな。ただ、在実特有の面白さってものに、俺は毒されただけだから」
誰も思いつきもしない遊びに、考え。現実ですら作品作りのための題材にすぎないという在実の思想は、普通に生きていれば思いつくことのないものだ。その思想が生まれた過程に俺が関与していたという事実に、俺は誇りにも似た嬉しさを感じている。こういうことを感じさせてくれるからこそ、俺は在実みたいな人と仲良くしたいと思っている。
「ってことで、満足か?」
「うん、満足。ふふっ、要するに、私じゃないと満足できないから朝夜くんは友達が少ないんだぁ」
「そっ、その言い方はなんかちょっと違くないか!? ほら、浪川とか、新しい友達できただろって。……はぁ。お前らのせいだからな、俺の友達が少ないのは」
やけくそ気味にそう言うと、在実はいたずら混じりの満足げな表情で小さく笑っていた。
在実も、秀樹も、眩昼も、俺も、総じて変なやつだ。ここに浪川も加わって、漫研は全員変人で構成された素晴らしい組織だ。俺が変わり者だということが浮き立たないくらい、濃密な変わり者の空気で満ちている。だからこそ俺は、全員が居心地よくいられる場にしたい。
この漫研という、既に形作られていたコミュニティの中に途中から混ざってきた異分子である俺がするべきことは、何も活動だけでないと思う。互いに余計な気を張る必要のない状態にすることこそが、最重要事項なんだ。
今、俺を前に浮かべている在実の笑顔は、俺のすべきことが正常に機能していることを示している何よりの証拠のはずだ。
「ふふっ、やっぱり朝夜くんは面白いね」
「一度たりとも面白い人間であろうとしたことはない」
「その作り物じゃない面白さが面白いんだよぉ」
「なんだそれ」
俺は素で面白人間ができている気はしない。在実といった外部からの刺激に反応して、面白くなっているだけだと思う。だから俺は皆からからかわれるんだ、きっと。
言葉にするつもりのない考えを引っ提げて、俺は在実にそろそろ行こうと目配せした。
頷いた在実は歩き始め、階段を下ろうと動き出す。その横顔からは気まずさといった負の感情が見られず、むしろ清々しさがにじみ出ていた。
そのまま俺たちは階段を下りて、二階にあるお土産コーナーでクッキーを買った。じゃんけんに負けた俺はお土産の入った袋を持ちながら城を出た。
「……ふぅ」
直上から差す昼光に目を細め、気を取り直すように一度深い息と伸びをする。まだこの場所に来てから一時間程度しか経過していないが、目的を全て達成できたと言ってよいだろう。その達成感と、緊張からの解放感から、気を抜くと立ち眩みがして倒れてしまいそうだ。
隣の在実も俺を真似するように伸びをして、脱力するように腕を下す。
「はは、俺たち城の中から出てきただけなのに、まるでマッサージでも受けてきたみたいだな」
「えへへ、もう身も心もすっきり。でも、そしたらおなかがすいてきちゃったね」
在実にそう言われると、今まで俺の中で息をひそめていた空腹感が途端に存在感を露わにしだした。時間にして、昼ご飯を食べるにちょうどいい時間だ。
「確かに、そろそろ昼ごはんでも食べるか。それで、先生は……。って、別に探さなくても大丈夫か。こういうとき、大体近くにいたりするからサ」
俺はそう期待しながら後ろを振り向く。きっと、振り向けばそこにいる。そんな予感がしたのだ。在実も同じことを考えていたのか、同じタイミングで振り向いた。
するとそこには、
「――うわっ、本当にいた」
「おや、気付いていたのかね」
俺の予想は見事に的中し、城の出入り口からちょうど先生が姿を現した。
思えば先生と知り合ってから一年くらいが経つ。気配を察知できないことは相変わらずだけど、いてほしいと思った時にはいつも現れてくれる。やっぱり、先生は超能力者なのかもしれない。いや、むしろそうであった方が逆に安心できる。
「ふっ、どうやら朝夜君にも私を察知する能力が備わってきたようだ」
「いやいや、察知できるわけないじゃないですか。っていうか、もしかしてずっと俺たちのあとをついてきてましたか?」
「いや、偶然タイミングが重なっただけだ。安心したまえ、この私に生徒を尾行するような悪趣味はない」
「……ほんとですか?」
細めた目から疑いを込めた視線を先生に向ける。先生はそういったことはしないだろうとわかってはいるものの、今までの不気味な出来事を考えると素直に信じることはできない。意識しなくなると途端に消えて、意識すると途端に姿を現す。もはや妖怪か怪人といった人ならざる者の芸当でしかない。
「ただ、どうやら君たち二人に何かしらの良いことがあったのは確かであるな」
先生は俺たちを視界に収めると、腕を組んでそう言った。
「えーと、まぁ。そうですね」
「先生、私朝夜くんと別れたんですよぉ」
「あー、そうなんですよ。……って、在実!?」
勢いよく隣の方を振り向くと、在実は晴れやかな表情でとんでもないことを言っていた。しかし、そのことを聞いた先生は特にこれといって驚いた様子も見せずに頷いていた。
「別れた、と。なるほど、ついに過去の出来事と向き合うことができたのだね」
「はい。これでやっと、朝夜くんとの関係を元に戻すことができました」
「うむ。それはよかった」
俺のことなど気にも留めない様子で、在実と先生は今日の出来事について言葉を交わしていた。会話から察するに、在実は俺との過去について先生に相談でもしていたのだろう。
「……その、先生は知っていたんですか?俺と在実が、付き合っていたってことを」
「あぁ。以前、在実君からそれとなく相談を受けたことがあったもので」
「はぁ、そうだったんですね」
浪川と先生は俺と在実の過去について知っていて、だからこそ先生は浪川の要望を聞き入れて俺と在実をここまで連れてきてくれたのかもしれない。そのように考えた方が自然だ。
この人に相談したくなる気持ちはよくわかる。先生だからこそ、出所のよくわからない期待を抱いてしまう。授業といった勉強を教えてくれる意味の先生ではない、生きてきたことから学んだことを教えてくれる貴重な存在だ。そうなると、もしかしたら――
「あの。もしかして、秀樹とか、眩昼からも……」
「君についての相談かね?それなら受けたことはある。具体的にどのようなことがあったのかは聞いていないがね」
「あぁ、やっぱり。はは、そうですよね」
この人はきっと、この部活にいる人間の事情をおおよそ知っているのだろう。どんな相談を受けて、どんな返答をしたのか。気になることが次から次へと湧き出てしまって、次の言葉が出てこない。
「だが安心したまえ。誰一人として、君のことを悪く思っている人はいない」
「え、そうなんですか?」
「あぁ。本人と直接話せばわかることだ。そのことについては、実際に在実君と話してわかっただろう?」
先生にそう言われたので、俺は在実の方を振り向く。すると在実は先生の言葉に同意するように頷いた。
「昔、お兄ちゃんとけんかしちゃったんでしょ?」
「あぁ、まぁ」
「へへ。ああ見えてお兄ちゃん、今でもずっとそのことを引きずっているんだよ」
「えっ、そうなのか?」
想定外の情報を耳にして、思わず視線が在実に釘付けになってしまい、思考もそのまま張り付けられたように止まる。何とかして視線だけでも動かそうとすると、先生は在実の言葉を肯定するように頷いた。
「だから今度は、お兄ちゃんと話をしてあげて。何事もなかったように振舞ってるけど、朝夜くんがどう思っているか気にしてるから」
「……あぁ、わかった」
――意外だ。
このシンプルな感想が今の俺の頭に強く焼き付いている。
あれだけ楽観的という言葉が似合う秀樹が、今でも思い悩んでいただなんて。でも、少しだけ嬉しかった。まだ、秀樹の中で俺は忘れられていないんだって、そう思えるだけで十分だった。
「では話はまとまったところで、お昼にしよう」
「あぁ、そうですね。ちょうどお腹がすいたところでした」
つい先ほどまで過ごしてきた空腹すら感じないほど濃密な時間から解放された今、俺の心は胃を満たすことでいっぱいだ。それは在実も同じようで、頷くとここにあるレストランにはどのようなメニューがあるのかと話を切り出した。
三人揃って、広場の方へと歩みを進めていく。その途中、俺は後ろを振り返って城の全体を視界に収めた。
「……」
頭の中では、今日の出来事を踏まえた様々な感想が渦巻いている。でも、全てを言語化するのは不可能であり、今はする必要もないことだと判断した。目的を達成した今、この場を楽しむことこそが最も優先度の高いことだ。
俺は少しあいてしまった二人との距離を詰めるように速足で歩き、昼食についての作戦会議に参加した。




