第14話
「んぅ、ついたー」
到着早々、車から降りた在実は身を反らしながら息を目一杯吸い込んだ。
一時間強のドライブの末、ついに目的地であるロックハート城へと着いた。想像よりも山奥にあるものだと、緑と起伏のある道中の景色を見ながらそう思っていた。
休日ともあってか、駐車場の空きはほとんど見られず、家族連れやカップルといった様々な人々が場内へと続く入口へと向かっていた。
俺も目一杯空気を吸い込んで、伸びをする。
「先生、ありがとうございました」
「うむ。では行こう」
普段先生の姿は見慣れているはずなのに、身なりが違うだけで印象が大きく違っていた。後ろで束ねられた白銀色の髪、外人特有の長身に高潔さを感じさせる衣装。作品の中でしか見たことがない要素を、先生はその身にまとっている。
「ふふっ、朝夜君、こういう恰好が大好きだもんねぇ」
「うん。ちょっと羨ましい」
凝視の末、パシャリと。気付けば俺は先生の後姿を写真に収めていた。しかしどういうことか、先生は一番前を歩いているというのに、俺がスマホのカメラを向けた瞬間にさりげなくピースサインをしてみせた。
――この人は足音がしないだけじゃなくて、後ろにも目がついているのだろうか?気味が悪い。
ついでに在実も撮ってほしそうな仕草をしていたので、入り口の前で内側のカメラを使って一緒に写真を撮った。自撮りは中学生の頃に散々研究していたので、お手の物だ。
石畳の道を行くと、すぐに入場券の販売所へとたどり着いた。少しずつ、景観が西洋風なものへと移り変わっている。
入場料を確認して、俺と在実は財布から現金を取り出そうとする。すると、
「大人一人、高校生二人でお願いします」
そう言った先生は俺たちの分の料金をまとめて払って、受け取ったパンフレットと一緒に入場券を手にしていた。俺たちは互いに顔を見合わせて、先生のもとへと近づいていく。
「あの、先生。入場料は……」
「――おや、これはこれは。私としたことがいけません。ついうっかり余分な入場券を買ってしまいました。一体どうしたものでしょうか」
「……えっと?」
容姿は普段の先生であるはずなのに、いつもと違った言葉遣いと朗らかな表情と声音、それらと執事服が組み合わさって別人のような雰囲気を漂わせていた。それはまるで、昨日の部室での浪川のよう。先生は、自分じゃない誰かを違和感なくその身に宿していた。しかし、浪川と同様に違和感がないことがかえって奇妙さを引き出している、そのようにも感じられた。
俺が突然のことに戸惑い言葉を失っている中、隣にいた在実が前に出る。
「ふふっ。――アリステア、丁度ここに一人いるではありませんか」
「……えっ、俺のこと?」
「はい。よろしければ、こちらを受け取っていただけますか?」
そう言って在実は先生から入場券を受け取ると、その片方を俺に渡してきた。俺が次の行動を考えている最中に、在実は先生を執事としたロールプレイを即座に実行していたのだ。その振舞い方は見事に先生の即興劇と同調し、遊びの天才と呼ばれていただけの頭の回転の速さが窺える。
俺だけがこの状況に適応できずにいるため、今はただ呆然と立ち尽くしてしまっているのが悔しかった。
「えーと、どうもありがとう。……その、名前を伺っても?」
「はい。私のことは『アル』とお呼びください、朝夜さん」
と、絵に描いたような笑みを浮かべて在実は、いや、アルは俺を見ていた。これまた同じく、違和感がないことによる奇妙さがにじみ出ている。しかし、この場においては今の状況に適応できていない俺が一番浮いていると言えるだろう。そもそもの格好からして二人と系統が違うのだから。
「アル、か。わかった。あ、そうだ、アリステアさん。入場券ありがとうございます」
俺が先生に軽く頭を下げると、この時ばかりは在実も一緒に頭を下げて感謝の意を口にした。
「いえいえ。こちらも丁度困っていたところでしたので助かりました。では、私は先に場内へと行ってまいります。それではお二人とも、どうぞゆっくりとお楽しみください」
滑らかな動作でお辞儀をすると、先生は一人先に入場ゲートを通過して場内へと歩いて行った。結局、先生は最後までロールプレイを続けたままだった。その余韻に浸っていたところで、ふと在実と目が合った。
「……ふっ、ふふ。なんだよ先生、急に別人みたいに振舞ってサ」
「ふふっ、私もびっくりしたよ。まさか、先生があんなことができるだなんて」
即興劇が終わり、現実に戻ってきたことで俺たちは思わず笑ってしまった。先生がああいったことができる人だと知らないのは、どうやら在実も同じらしい。
普段、俺は先生と皮肉の言い合いをよくするものだから、優しさに満ちた振る舞いをした先生を見ると、じわじわと腹の底から面白おかしさがこみ上げてきりがない。
「それにしても、在実はよくあの場で先生の演技に合わせられたよな」
「えへへ。だって、車内でずっといろんなシチュエーションを考えてたからね。私はお嬢様、先生は執事、そして朝夜くんは……、そこらへんの一般人かな」
「そこらへんの、一般人……」
在実は本心で嫌味を言っている訳ではないのだろうが、駅前で普通の格好をしている俺に残念そうな表情を見せていたことがあったせいで、尋常じゃないいたたまれなさが胸を締め付け始めた。
「それじゃあ私たちも行こうか」
「あ、あぁ。そうだな」
俺の気などつゆ知らず、そんな様子で在実は軽快な足音を鳴らしながら入場ゲートを通過していった。その後姿を追いかけながら、俺も場内へと足を踏み入れる。そして、ここに来た目的をもう一度頭の中に浮かべて考えを巡らせる。
――さて、いよいよ取材をするときがやってきた。
まずは作品の制作に向けた舞台設定のためのイメージ作り。これは場内を見て回っている間にできそうだ。だが、もう一つの目的である『在実の内側に潜む思想を見つけ出す』というものは、慎重に行わなければいけない。もし仮に探っていることを悟られてしまうと、在実は心の内を見せないようにしてしまうかもしれないからだ。これだけは何としてでも回避しなければならない。
ある程度、昨日の時点で作戦は考えてある。あとはそれを実行するだけ。
途端に覚えた緊張感を手に、俺は在実と共に場内に満ちた異境の空気に触れていった。
スマホを片手に、風景を写真に収める。特別捉えておくべき場所でなくとも、何気ない一枚から連想できるものがあるかもしれない。たとえば、このロックハート城が復元されるまでの概要が書かれた看板を見つめる在実の後ろ姿。一応在実から写真を断りなしに撮っていいと言われているため、遠慮なく収める。
写真に写るは現代的な光景の一間に過ぎないが、俺の妄想力の前ではいかようにも捉えることができる。今の俺には在実の姿が、市場で品物を見定める村娘のように見えている。
カメラを起動したスマホの画面を見ていると、画面越しに在実と目が合った。
「私ばっかり撮ってていいのぉ?」
「うん。在実が写っている方が写真が引き締まるっていうか、絵になるから」
「ふーん。ふふっ」
実際に、ただ風景を撮るよりも誰かを被写体として撮った写真の方が見栄えがいい気がした。いや、西洋風な風景と調和した格好をしている在実だからこそだと思う。
場内で誰かが英語の歌をギターの演奏をしながら歌っている。聞き馴染みのあるメロディなのに、曲名を知らないものばかり。在実は曲のリズムに合わせるように歩調を変えて、小さな子供のように大げさに歩く。俺はカメラモードからビデオモードへと変えて、緩やかな坂に併設された店の前を通っていった。
――記憶をなくした少年が、名も知らない少女に導かれるまま街中を歩いていく。今はそのような状況を想像している。見えてる実際の景色に上乗せするように、透明感のある空想が現実に覆いかぶさっている。現代文明を感じるものは全て排除され、想像力が実物を侵食していく。
吊り下げられた灯りにかかる電線は消え、スロープに書かれた「←のぼり|くだり→」の文字は消え、一眼レフを構えた来場者の姿も消える。そして、春夏秋冬朝夜という存在はやがて消えて、映し出された光景の視点としての役割に徹していた。
「そういえば朝夜くん。翠黛祭の案はもう決まったの?」
しかし、薄っすらと見えていた世界は、所詮は俺の想像の世界に過ぎなかった。在実の一声によって、俺は自分を思い出したかのように目の焦点を現実に合わせた。
「あぁ。おもちゃの列車に荷台を付けて走らせて、その上に円形状の薄い木の板を載せて、その枚数を競い合う。昔バラエティ番組で見たやつを再現してみようってものサ」
発案したものを提出するまでの期日が思いのほか短かったが、思案することが趣味の俺にとってひらめきの機会は他人の何倍もあると言っていいだろう。文化祭の予算と規模を頭の中で何度もすり合わせた結果、今の俺の中ではこれが一番だと結論付いた。
「あー、多分あれのことかな?ふーん、朝夜くんにしてはなかなか面白い発想だね」
「えーと、まぁ、どうも」
俺にしては面白い、という言葉が気がかりで素直に喜べない。相手は遊びの天才と呼ばれていたのだから、当然要求してくる合格点が高いのだろう。自分の中でそう解釈して、痛みを訴え始めた心を慰める。
「そういや在実はどんな案を提出したんだ?」
「ふふっ。朝夜くんがどうしても知りたいっていうのなら、試練を与えよう。あっ、これとかちょうどいいかもぉ」
すると在実は頭上にかかるアーチ状の通路を支える建物のところへと向かった。建物の中には小さな空間があり、そこにはファンタジーの世界でよく見かける西洋風の甲冑が置かれていた。在実はまじまじと中に誰も入っていない甲冑を眺めると、俺の方を向いた。
「この甲冑がどうかしたのか?」
「それじゃあ今から朝夜くんに一つお題をあげるから、その回答が面白かったら教えてあげる」
と、突然在実から試練のようなものを与えられることとなった。何をするのかわからないが、在実が面白いと思える返答ができるか不安で仕方がない。そんな俺の心を見透かすように、在実は小悪魔を連想させるような笑みを薄っすらと浮かべていた。
「その、わかった。なんでもどうぞ」
「では。――ある時、村の騎士が巡回をしていたところ、中に誰も入っていない主なき甲冑が泣いているのを発見しました。一体、何故甲冑は泣いていたのでしょうか?」
「……なるほど」
言い渡されたお題はファンタジーな世界観のものだった。何度も頭の中で想像を繰り返しながら、目の前の甲冑を眺める。
中身なき甲冑は一人で泣いている。何らかの理由で甲冑の主がいなくなってしまったのだから、まずは様々なパターンを想定してみる。一番最初に思いついたのは、主が戦死したか、退役したかのどちらかだった。だがこれはありきたりで、在実が言う面白い回答ではないはず。
では、主側に原因があるのではなく、甲冑側に原因がある場合はどうなるだろうか。
「制限時間、残り三十秒~」
「えっ、ちょっ、マジかよ」
まずいまずい。途中でいきなり制限時間を設けられたせいで、思考に集中することができない。もう一度考え直せ。原因が甲冑側にあるとしたら、それはどのようなことがあるのか。甲冑が動きにくかったか、サイズが合っていなかったからか、視界が悪かったからか、中が臭かったからか、重たかったからか。本来泣くはずのない甲冑が泣いているということは、人間らしい何かがあることが原因で主がいなくなっているはずだ。動きにくい、サイズがきつい、重たい……。
――重たい。
この言葉にたどり着いた瞬間、ひらめきが俺の顔を上げさせる。
「残り五秒~、よーん、さーん、にー、いーち――」
「――思いついた」
「おぉ、時間ギリギリだね。では果たして、朝夜くんは私を満足させられるのかなぁ?ふふっ」
「あぁ、そこそこのやつを思いついた」
俺を試すような在実の視線。しかし導き出した答えがある今、向けられた圧力をひしひしと感じるものの容易く潰れることはない。俺は腕を組んで、片手の人差し指をあげて考えを言葉にした。
「その甲冑が主に捨てられたときのセリフはきっと、こんな感じかな。――主は俺にこう言った。『私、あなたみたいな重い人は嫌い』と」
「重い人は嫌い。つまり、甲冑は重かったから主に逃げられたってこと?」
「あぁ。甲冑は金属でできているから、当然着こむと重たい。だけど、重たいのは何も重さだけじゃない。その甲冑が泣いてたことから、人間のような感情があると考えられる。――つまりは、その甲冑は主に対して向ける感情が重すぎたんだ。だから逃げられた」
重さが重いと、想いが重い。通常の物体だけでは重さのみに意味がかかるが、状況設定がファンタジー寄りであるため、このような意味合いを見出すことができる。短い時間の中で思いついたにしては、なかなかのものではないだろうか。
俺は在実の反応を窺うように、じっと言葉を待った。
「……ふーん」
「……えーと、それで俺の答えは……」
「朝夜くんにしてはなかなかやるなぁって、面白いから残念だなぁーって思ってた」
「なんだそれ」
在実は心底つまらなそうな顔をしながら、面白いと言っていた。何とも言い難い空気に満ちたこの空間を、甲冑が他人事のように眺めている。とりあえず俺は合格をもらえたということでいいのだろうか。それすらもわからない俺をよそに、在実は再び歩き始めた。
「それじゃあ約束通り、教えてあげる。私が提出したのは、今やってたみたいな大喜利をすることぉ」
「大喜利か。でも、ただ大喜利をするってわけじゃないんだろ?」
この問いかけには、遊びの天才である在実に寄せた期待が込められていた。昔から、在実は既存の遊びにひと手間を加えることが得意だった。だからきっと、この大喜利にも何かが加わっているはずだ。
すると俺の予想は当たっていたようで、在実は少し得意げそうな表情を浮かべていた。
「ふふっ、普通の大喜利じゃないことをわかってくれるだなんて、さすが私の――。いや、さすが朝夜くんだねぇ」
「ははは……」
一度言葉を詰まらせて、在実は俺に小さな拍手を送った。在実は特に気にする素振りを見せなかったが、俺の中で在実が詰まらせた言葉が気管をふさぐように残っていた。もう、俺は在実のものじゃなくなったんだと。でも、苦しいながらも心が少し軽くなったような気がして嫌だった。在実との過去という重さが消えたような、そんな気がしていた。
「大喜利は普通、さっきの朝夜くんみたいに与えられた時間の中で考えなくちゃいけないでしょ?だからいろんな人が参加するには少しハードルが高いんだぁ」
「確かにそうだな。周りの人に自分の回答を聞かれてるっていうのもプレッシャーになるし」
「うん。だから私は、室内にたくさんの写真とお題を掲示して、そこに付箋で回答をしてもらうことにしたんだぁ。そうすればみんなじっくり考えられるし、誰が書いたかもわからないから参加しやすいでしょ?それに、常に誰かが接客対応をする必要もないし、準備にかかる費用も抑えられる。浮いた費用で景品を充実させれば、それだけ人も来てくれるはず」
と、在実は熱が入ったようにスラスラと言葉を口にした。聞けば聞くほど、在実が提出した案の完成度に驚かされる。
この学校の生徒は頭を巡らすことが得意であったり好きな人が多いため、大喜利は受けがいいだろう。それに加え、接客対応をしなくていいという点と準備費用が大してかからないことが、何より素晴らしいと思った。俺の案では、常に教室内に接客担当がいなくてはならないだけでなく、準備するものの数が多い。
なるほど、在実は翠黛祭が始まる前、始まった後のことをすべて考えている。目の前の面白さだけを追い求めるのではないという、その視野の広さに感服だ。
「……はぁ。やっぱ在実は一味違うな。昔っから、いつも想像以上のことを思いつくし、なんだって楽しむことができて」
先頭を行く在実について行き、見張り塔の入り口をくぐりながら、スマホのカメラを構える。
塔の中にはらせん状の階段があり、中央の底には水が張られていた。このらせん階段が珍しく、のぼり用とくだり用が上下に重なるようにあるため、俺の身長だと姿勢を低くしなければ頭をぶつけてしまいそうだ。
「ふふっ。でもね、今だから言えることがあるんだ」
「どんなこと?」
「私が遊びの天才って言われるようになったのは、全部朝夜くんの気を引くためなんだって」
「…………いてっ」
在実の言葉に気を取られて、俺はさっそく頭をぶつけた。過去について、話をしようとしてくれていたところなのに、きまりの悪いことをしてしまった。間抜けな声をあげた俺を見た在実は、クスリと愉快そうに笑っていた。
「へへ、大丈夫?」
「うん、なんとか」
「それならよかったぁ。ふふっ、朝夜くんは昔からすぐ何かに夢中になって、周りが見えなくなって、ぶつかったり転んだりしてばかり」
「……はは」
羅列された言葉が間抜けな人間像に当てはまりすぎて、心が痛かった。が、正面を向きながら先を行く在実の声音に、軽蔑の意は込められていなかった。
しばらくの間、互いに言葉をかけなかった。いや、会話のキャッチボールを考えると、今は俺がボールを持ったままの状態でいる。投げようにも、距離が遠すぎてためらってしまっている。
気付けば塔の頂上が見えるところまで登ってきていた。塔の壁の所々に開いた穴から見える景色は、高所恐怖症の人であれば肝が冷えるほどのものだ。
カメラはもう構えていない。今はただ、在実を意識することで精いっぱいだった。
「でも、そうやって、朝夜くんは私が考えた遊びに夢中になってくれたから。誰よりも一番、遊ぶことに本気でいてくれたから、私は楽しかった。――そんな朝夜くんが、大好きだった」
「…………」
吐き捨てるような声だった。
塔を登りきった在実の最後の言葉には、ある種の軽蔑にも似た冷やかさが確かにあった。冷たい金属製の手すりに触れる手から、内臓に宿った熱が奪われていくような感覚が確かにあった。




