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思想も強けりゃ邪教に至る  作者: 北村 陽
異質の章 第一幕――初夏、取材を前にして
12/23

第11話

あいつらのいる日常は、普段に増して時間が過ぎ去る感覚が早い気がした。気付けばもう金曜日。浪川に声をかけられたのが月曜日だから、そう考えるとあっという間だ。

取材についての話に進展があった。

 具体的な日時や場所が決まったため、俺は昨日の晩に在実を取材に誘った。承諾の返事を在実から受け取ったため、あとは当日に向けての準備をするだけとなった。

 どうすれば在実の思想を引き出せるのか。言葉にすれば単純なものだが、霧を掴もうとするようなものだった。いくら考えてみても、具体的かつ有効的な方法が思いつかない。

 なるべくひとりで完結したいと思っていたが、さすがに浪川の手を借りなければいけない状況だ。あとでこっそりと連絡をとらなければ。

 今日の授業の内容は、いつにも増して頭に入ってこなかった。

 放課後。第二校舎の三階の廊下を一人で歩きながら、いつものように考えを巡らせてみる。

 俺が距離を置いていた一年で、秀樹たちは知らぬ間に変わっていた。当然、人間としての根幹に変わりはないが、創作活動に対して熱心に取り組むようになっていた。俺も物書きをしているが、始めた動機や続けている理由があまりきれいなものじゃない。

 ――まぁ、そんなことどうでもいっか。

 思案タイムに一区切りをつけ、俺は部室の扉を開けた。


「……失礼しまーす」


「あら、朝夜くん」


 入室早々に声をかけてくれたのは、浪川だった。テーブルの上には数学の問題集とノートが広げられ、学年一位の学力の所以(ゆえん)たるものが窺える。


「やぁ、どうも。それよりあいつらは?」


 互いに会釈を済ませざっと室内を見渡すと、今は俺と浪川の二人だけで秀樹たちはいなかった。

「皆さんでしたら、今頃帰宅していると思います。金曜日は各自が最も集中できる環境で作業を行う日と決めていますので」


「なるほど」


 俺は一言返事をしながら席に着いた。各自が最も集中できる環境ということは、浪川にとってここが最も集中できる場所なのだろう。会話が一区切りつくと、浪川は真剣な面持ちで問題を解き進めていた。

 ――せっかく二人きりの状況だけど、さすがに話しかけるのは悪いか。

 相談事をするには絶好のチャンスであったが、浪川の集中を乱さぬために俺は黙って手を動かすことにした。

俺はバッグから紙を一枚取り出して、浪川に悟られない程度に視線を傾けた。そして線を重ねるように、シャーペンの先を紙面にこすりつける。今から俺は、勉強をしている浪川の姿を模写するのだ。

 髪の流れや質感、光沢といったものを描き込む前に、まずは全体のシルエットから描き始める。重ねる線は荒く薄くも、バランスが崩れぬように丁寧に。そして幾重にも重なる線(候補)から納得のいく一本を見出し、今度は力強く濃い線を引いていく。

 手慣れた作業工程だが、この基盤となる形を作っていく工程こそが模写の要と言っても過言ではない。形が崩れていては、いくら上手に描き込みができたとしても納得できない仕上がりになってしまうからだ。

 何度も描いては消してを繰り返し、浪川と認識できる線の集まりになるように芯を擦り減らす。気付けば手の側面は黒鉛によって薄黒く汚れていた。

 髪よし、手先よし、ほっぺた、よし。浪川を描く時のこだわりポイントは全て押さえた。

 ――さて、なかなかにいい感じではないだろうか。

 ある程度形が整ったところで、いよいよ描き込みだ。光の当たる箇所や影、部位ごとの質感、それらを丁寧に表現していく。

 髪の流れは線で表し、頬の柔肌に差す影は黒鉛がのった紙面を指でこすることのよって滑らかに。実物と何度も見比べて、その都度加筆して質感を高めていく。この繰り返しを続けていると、自覚がないままあっという間に時間が過ぎていった。


「……ふぅ」


 継続していた集中状態を解除し、その解放感から俺は伸びをする。模写がひと段落つくと、俺の右手の側面は黒鉛によって更に黒ずんでいた。そしてその手にあるのは、紛れもなく浪川と呼べる存在が描き込まれた一枚の紙だ。

 我ながら、独学にしてはなかなかの腕前だと思う。しかし誰かに見せるつもりはないため、俺は一人満足しながら紙をバッグにしまった。

 視線を浪川の方に向ける。依然として、浪川は集中を途切れさせることなく問題を解いていた。俺だったら、誰かがそばにいるとそっちの方に気が向いてしまって集中できたものじゃない。

 俺は席を立って、秀樹の席側にある水道で汚れた手を洗った。


「満足のいくまで、私を描けましたか?」


 後ろを振り返ると、浪川がこちらを見ていた。この言い方から察するに、俺が浪川のことをチラチラ見ていたことはばれていたのだろう。


「あー、もしかして視線が煩わしかったか?すまん、一声かければよかった」


「いいえ、むしろ熱心に描いてくれているなと感心してました。ふふっ、朝夜くんはほっぺがお気に入りなんですよね。以前からよく見ているなと思っていましたので」


 そう言って浪川は自身の頬を指で突いた。


「えっ、あぁ、いや。別にそういう訳じゃないんだけどサ……。ただ、柔らかくてあったかそうっていうかサ……あぁっ、なんでもない」


 ――余計に気持ちの悪くて変なことを言ってどうするんだ。何の言い訳にもなってない。

 だが、相手が浪川の時点でどこか見透かされていそうな気がしていた。今更取り繕おうとしたって無駄なんだろう。それと恐らく俺がほっぺ好きという情報は、在実から伝わっていることだろうし。

 いたたまれなさから俺はそそくさと席に戻り、ペンケースをバッグにしまって帰り支度を早急に済ませた。


「あら、もう帰るのですか?」


 席の近くから離れようとしたところで、浪川から声を掛けられる。


「まぁ、やることは特にないし、明日の取材のことを考えようかなーって」


「あら、ふふっ。早速取材に行ってくれるのですね。それで、どちらに取材をしに行くのですか?」


「えっと、群馬にスコットランドから移築された城があるらしいから、それを見に行くんサ。えーと、確か名前は……」


「ロックハート城、ですね。一度訪れたことがあります」


「なんだ、知ってたんだ」


 ファンタジーの舞台設定でよくあるものとして、中世から近世のヨーロッパを題材としたものがある。それは石造りの街並みに、茶色や金色といった髪色の人々、馬車が往来する賑やかな通りといった、ファンタジー要素を示すものとして非常にわかりやすいものが詰め込まれているからだ。

 今回俺が取材をしに訪れる場所は、日本にはないヨーロッパの雰囲気を感じられる景観があるらしい。物語の設定を考える前に、まずは舞台となる場所の雰囲気を考えた方がよさそうだ。そう考えて、俺はロックハート城を訪れることにした。


「浪川は行ったことがあるのか?」


「はい。小説の舞台となる場所の候補を考えるために、去年訪れました」


「なるほど」


 確かに、浪川が描いている漫画の舞台はファンタジーであり、雰囲気の取材にはぴったりな場所と言えるだろう。


「私にとっては作品作りのために訪れたとも言えるでしょう。ですが、朝夜くんにとっては違った目的もあるのではないですか?」


「……例えば?」


「例えば、そうですね……。誰かを誘って取材をしてみる。とか」


 心を見通すかのような眼差しで、浪川は俺のことを見ていた。もしかしたら、浪川は俺が在実を誘ったことを知っているのだろうか。

 俺は離れかけた席に腰を掛けた。


「もしかして、在実から聞いたのか?俺が一緒に行かないかって誘ったことを」


「いいえ。ただ、朝夜くんが一番最初に取材をするとしたら、在実さんかなと思っただけです。過去について、二人きりでゆっくり話せる場所というのは、この学校ではあまりありませんからね」


 まるで浪川は俺と在実の過去を知っているような様子だった。


「……その口ぶりってのはサ、浪川は俺と在実がどんな関係だったのかを知ってるんか」


 俺がこう言ったのには理由がある。――俺と在実が付き合っていたということは、秀樹や眩昼ですら知らないことだからだ。そんな情報を在実が浪川に話すとは到底思えないが、意味ありげなことを言った時点でかつての関係を知っていることはほぼ確実だ。

 すると浪川は首を少し傾けながら、


「知っている、と言うべきでしょうか。直接在実さんから聞いたわけではないので、何とも言えないのですが……」


「ん?どういうことだ?」


「そうですね。在実さんが以前書いていた小説の原稿に、朝夜くんに似た人が登場していたんです。背が高く、交友関係が少なく、不愛想だけど無責任な性格じゃない。そして彼との結末は、自身の恋心が普通のものと違ったせいで、関係が自然消滅していった、というものでした」


「……」


 浪川の言葉を聞いた瞬間、全てを理解した。これは紛れもなく、かつての俺と在実の実体験をもとにした物語だ。そして俺が在実といるのが気まずくなり、距離を置くようになった最大の原因でもある。

 思い出さないように、触れないようにしていた過去だった。だが、いずれただの過去の出来事として顧みることができるように、もう一度在実と話しておきたい。その一心で俺は在実を取材に誘った。


「はぁ、そういうことだったのか。ってことはサ、秀樹や眩昼もその原稿を見て、なんとなく俺と在実の関係を察してるってこと?」


「いいえ、そうではないはずです。その原稿は、私にしか見せていないと言っていましたので」


「……ふーん」


 ――あぁ、その原稿にどんなことが書かれているのかすげーに気になる。

俺は非情な男として描かれているのだろうか、それとも魅力のない石ころのように描かれているのだろうか。知りたくないという気持ちが大半だが、同時に自分がどういう人間なのかを他者目線から知ってみたいという興味もあった。


「でも、よかったですね」


 すると突然浪川は訳の分からないことを言い出した。


「よかったって、何が?」


「在実さんが、朝夜くんとの思い出をどう捉えているかについてです」


「……浪川にはわかるのか?」


「はい。朝夜くんにとっては思い返したくもない過去かもしれませんが、在実さんにとっては作品にしたいと思える出来事だった、ということです」


「…………」


 言葉が詰まる。

 物は言いようだと言いたいところだが、浪川の言葉が理解できないこともなかった。確かに物語の題材として、俺と在実の過去の関係は十分なものと言えるだろう。どのような過程を経て付き合う関係になり、どのような経緯で関係が静かに消滅していったか。これは実際に体験したことのある人でなければ、事細かく心理描写を書くことは容易でないはずだ。

 俺は思わず言葉を失ってしまったが、同時に新たな視点を得ることができた。これだけで少し、明日の取材に対する準備ができるようになった気がした。


「やっぱ、浪川はいろんな視点をもっててすげーな。なんだかちょっとだけ、気が紛れたかも」


「ふふっ、私はいずれ邪教の教祖になる人間ですもの。人に新たな視点を植え付けることくらい、容易いことです」


「はは、邪教の教祖か。そういえばそうだもんな」


 得意げな表情に声音、浪川は怪しい言葉を言うときは決まっていつもこうだ。単純に冗談を言っているだけなのか。それとも、心の裏側に潜む言葉にすべきでない本音が漏れ出てしまったことを誤魔化しているだけなのか。先日の出来事で、浪川は普通の人間と比べて精神構造にかなりの違いがあることがわかったので、余計にそのようなことを考えてしまう。


「……あっ、そうだ。あのサ」


 ここでようやく俺は本題に切り出した。


「はい」


「こうして今の在実たちと話すようになったけど、正直言って昔と何も変わっていないような気がするっていうかサ。その、思想というか、内面がわかりやすく変わったなと思わなかったんだけど……」


 この数日間、俺はあいつらに対して常に探りを入れ続けたが、浪川の言う俺とあいつらの間にある違いというものを見つけることができなかった。その違いのヒントとなるものが『思想』だが、思想の片鱗すら見つけられないままだった。


「ふむ、そうですね……」


 浪川は考え込むように一度斜め上の方を見上げると、「少しだけ、お話をしましょうか」と言って視線を再びこちらに戻した。そしておもむろに立ち上がり、カーテンを閉め、部屋の明かりを消した。


「どうして明かりを消したんだ?」


「ふふっ、ただの雰囲気づくりです。こういった秘密の会話は、薄暗い場所でする方がいいと思いませんか?」


「まぁ確かに、そうだな」


 ――なぜだろう、心のどこかが疼いて仕方ない。

 久しく味わうことのなかった感覚に、思わず胸が高鳴る。誰も知らない、秘密の会話を美少女と二人きりで。昔の俺であればこの状況だけで数時間物語を妄想することができただろう。

 浪川は再び自分の席に着いた。

 まるで劇場のセットにいるような感覚に、俺は少しばかり気分が高揚していた。


「今、こうして朝夜くんと話している私と、普段の教室での私。実はかなり違いがあるんです」


「違い?それってどんなのサ」


「考えてみてください。当たり前のことですが、声音や表情、態度といったものは、相手やその人数といった状況によって変わるものです」


 すると暗がりの中、浪川の柔らかで自然な表情に不気味さが混じり始めた。内側に潜む何かを、敵意を与えない笑みによって隠している。そんな印象だ。


「何を心の内に秘め、何を相手に伝え、何を相手に求めるのか。もし、こういった段取りを適切にしなかった場合、どうなると思いますか?――もし私が普段からこのように不気味さを帯びていたら、教室でどうなってしまうでしょうか?……ふふっ」


 と、愉悦を帯び細んだ目じりが問いかける。俺の視線が完全に浪川に固定されてしまったのは、妖しさが混じった声音と口ぶり、そしてそれらを完全に調和させた笑みを向けられていたから。一瞬にして、浪川の精神世界の境界に足を踏み入れることとなった。


「それは、その……」


 浪川は一例としてこのような演技をしている。しているとわかっているが、あまりにも本物に近い。作り物を見せようというつもりでは再現できない、紛れもない不気味さが憑依していた。


「ふふっ、お手本のような戸惑いの反応をありがとうございます。どうでしたか?先ほどの私は」


 と、気付けばいつもの浪川に戻っていた。


「……えーと。まぁ、正直不気味だけど、いつもの浪川らしいというか。でも、普段はこんな感じじゃないだろうなとは思う」


「そうですか。では、このことを踏まえて、どうして表面上の在実さんらに変化がないかを考えてみましょう」


 浪川は机の上に広げられた問題集やノートを片付けながら続けた。


「人は皆、それぞれの意識、あるいは精神があって、それらを相手のものとすり合わせることで意思疎通をしています。今の私がこうして朝夜くんと話をしているのも、心のすり合わせを全身を使って行っていると言うことができるでしょう」


「……なるほど。すり合わせかぁ」


 浪川はおもむろに立ち上がってゆっくりと室内を歩き出す。その様子を目で追いながら、俺は恒例の思案タイムに没入する。

 意識や精神をすり合わせるための行為、つまりはコミュニケーションの一つの手段として会話というものがある。浪川はそう言っているのだろう。

 精神というものは人間が勝手に作り出した概念に過ぎないが、実体のないものにしては形があるように思える。その大まかな理由として、体は精神と同調して表情や態度などをを作り出すからだ。

 このように考えると、俺の目の前にいる浪川という実体も所詮はただの器であるが、今の精神状態を記号のように他者にわかりやすく伝えるための装置とも言える。


「先ほど言ったように、このすり合わせというものは人数や誰が相手なのかといった状況によって変化していきます。例えば在実さんの場合、この部室ですり合わせる相手は親しい相手になると思います。昔からよく知っている、馴染みのある相手です」


 うろうろと練り歩いたところで、浪川は在実がいつも座っている席に腰を掛けた。――そしてサイドテールの髪留めをほどき、手慣れた様子でポニーテールへとヘアスタイルを変化させた。

 そう、それは見覚えのある姿。俺の目には、薄暗さも相まって浪川と在実の姿が重なって見えていた。

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