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思想も強けりゃ邪教に至る  作者: 北村 陽
プロローグ
1/23

その手は春を摘み取った

 はは、つまらん。

 今のお前を主人公とした小説があるのなら、陰鬱な地の文で埋め尽くされて読む気が起きない。ぺらぺらと、孤独なやつが自虐的で偏ったことを自慢げに語っているだけ。会話文なんて一切ありゃしない。そんな物語、一体誰が読むっていうんだ?はやくヒロインを出せこの野郎。


「……はぁ」


 ――そうだよなぁ。えぇ、はい。まったくその通りでございます、俺。

 いつも通りの自虐を済まして、自身を主人公とした小説の作成を阻止する。この偉業を、俺はここ数日で何度も達成していた。

 まだ眠る気はなかったが、自室の明かりを消していた。日中あれだけ日光を浴びているのだから、夜は夜らしく闇を浴びるべきだ。

 机に置かれた古いノートPCを閉じると、明かりは窓辺から差し込む青白い月明りのみ。

 ふと、部屋の隅に置かれたものに目がいった。段ボール箱に入れられた十数枚のスケッチブック、もう増えることのないシリーズものの小説や漫画、そしてカメラやマイクの形をした異形の被り物そして衣装の数々。全て、過去の俺そのものだった。

 ――俺はもう高校生になったんだ。生きてく楽しさくらい、自分で見つけ出すべき。

 孤独を正当化することに関して、俺は極めて前向きだった。だがそれは、俺が望む『青春』という言葉がもつ晴れやかなイメージとはかけ離れた場所へと自分を追いやることになっていた。

 ――だから俺は、この高校生活で新たな青春を手に入れてやる。

 具体的な方法は考えていないが、決意だけはすこぶる漲っていた。

 いつまで起きていようが、この部屋に青春は訪れない。だから俺は明日への期待を胸に、いつもより早めにベッドへと倒れ込んだ。


※ ※ ※


 ――翌日。

 やっとのことで、今日の授業は全て終わった。


「……はぁ」


 昨日からこの二文字しか口に出していない。誰とも話さないのだから、そりゃ当然だ。

 ――今、この世の中で勉学に励む明確な理由がある学生は、どれほどいるのだろうか。そもそも勉強する理由とは何なのだろうか?

このまま俺を放っておくと、いつか哲学者になってしまうので誰か止めてほしい。

 さっきは現代文の時間だった。

 高校受験が終わり物書きをするようになってからというもの、俺は誰かが書いた文章を読む気になれなくなっていた。自分が知らない言葉に出会うたびに、著者と自身の語彙力の差を感じてしまって嫌なのだ。自分がやっていることが、まるで幼稚な遊びのように思えてしまうから。

 昔から、現代文に馴染むためには、誰かが書いた文章を読み解くのではなく、自分自身で文章を書く方がよいのではないかと思っていた。銃の取扱説明書に目を通しただけでは、実戦ではなんの役にも立たない。だから俺は、ノートの隅にいくつか言葉を書きなぐった。


 人生における『春』、それが学生である今であり、人はそれを青春と呼ぶ。種が芽吹き、出会いがあり、始まりがある。きっと、青春という言葉を生み出した人の学生時代を見た俺は、青臭いと言うのだろう。

 心の底から、俺は『夏』が嫌いだ。群馬は山々に囲まれた盆地だから、湿気と熱気が逃げない。最悪の季節だ。この先の長い人生、学生でなくなれば夏空の炎天下をひたすら無心に歩くことになるのだろう。

 人生は、いつになったら『秋』が訪れるのだろう。もしかしたら俺は、秋を知らぬまま息絶えてしまうのかもしれない。果実が実らなければ、種を残せない。自分一人のためだけに生きていれば、いずれ俺は秋を知る間もなく枯れ果てるだろう。

 人生の終わりを『冬』とするならば、俺は短くあれと切に願う。きっと、そのころの俺は小さく惨めな塵に等しい。意地汚く生きながらえるには、冬の寒さは厳しいものだろう。


 自己満足の塊を閉じると、ノートの表紙に書かれた文字が目に映る。

 俺の名字は『春夏秋冬(ひととせ)』という非常に珍しいものだった。もともと『一年』と書いて『ひととせ』と読むのだが、何を思ったのか俺の先祖は字面のおしゃれさを優先して機能性を捨ててしまった。

 ――明らかに、一般人よりも生涯における名前を書く時間が長い。名前の記入時、俺は毎度天にいる先祖に向けて心の眼差しを向けている。もちろん、ぎゅっと眉をひそめて。

 だがこれは些細な問題だ。一番の問題は、フルネームで書いたときだった。

 ――『春夏秋冬朝夜(あさや)』と、十六年見続けても違和感のある名前を、入部届に記入するだけしておく。

 どの部活に所属するかは決めていない。だが、ただ一つだけ、どうしても選べない部活があった。――漫画研究部。ここだけは、所属してはいけない明確な理由があった。


「……はぁ」


 名前だけが記入された入部届を持ちながら、教室を出る。

 放課後になると、校舎内は新入部員の勧誘で活気のある声であふれかえっていた。

 入学当初より、自ら探して部活に参加する気はなかった。だが、予期せぬ出会いが訪れないかと期待していた。気持ちが矛盾していることに気付いてはいたものの、儚い期待を胸に俺はあてもなく校舎内を練り歩く。

 ――あぁ、物語の世界なら、そろそろ俺に出会いが訪れるはず。ラブコメかな?学園ミステリかな?はは、案外バトルファンタジーだったりして。

 相変わらず、いくつになっても妄想はいつだって絶好調だった。

 しかし現実は、ここが物語の世界ではないと言わんばかりに無味無臭を貫く。特別感がない。勧誘のため、上級生が新入生に向けて無差別にかけている声は俺だけのためじゃない。もっとこう、俺じゃなきゃダメなんだと思わせるものはないのか。

 贅沢で自己中心的でひねくれた考えがあるせいで、次々とかけられる勧誘の声をはねのけているのだから、何も起きなくて当然だ。如何せん背が高いものだから、運動部からの勧誘が後を絶たない。俺は生存以外の目的で汗を流すことだけは勘弁だ。

 ――あぁ、結局何一つしっくりくるものがなかった。

 ほぼ全ての部活を見て回った感想がこれだった。軽音部があればすぐにでも入部していたが、この学校にはなかった。

 現実味のない考えと願望に脳を支配されていたが、それも終わりにするときがきた。そう諦めをつけて、帰宅しよう。その一心で、昇降口に向かう最中だった。――出会いは、曲がり角から突然俺にぶつかってきた。


「うわっ」


「ひゃっ」


 下腹部あたりから、衝撃と共に柔らかな花の香りがした。出会いの塊らしきものに視線を向けると、背の低い女子生徒が落とした数枚の記入済みの入部届が散乱していた。上靴の色を見るに、同じ一年生だ。


「あぁ、すまん。前を見てなくて。拾うよ」


 俺はかがんで入部届を拾い上げた。


「こちらこそ、すみませんでした」


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます。その、お怪我はありませんでした……か……」


「ん?」


 俺が手渡した入部届を受け取った女子生徒は、顔を上げるとおぼろげに俺の目を見つめた。そして俺は気付くこととなる。その少女が、非常に俺好みの顔つきをしていることに。和菓子に例えるのならそう、彼女の頬はすあまのようだった。


「どうか、したのか?」


 俺は挙動不審にならないように、あえてゆっくりと言葉を口にする。


「あぁ、いえ。――ふふっ、とても背が高いなぁと思いまして」


 俺の背が高いことは事実であるが、女子生徒の背が低いことも相まっての言葉のように思えた。


「まぁ、こればかりは両親に感謝、かな」


「そうですか、羨ましいです。あっ、その紙は入部届ですよね?部活はどこかに所属する予定ですか?」


 俺の手に握られている入部届を見た女子生徒が尋ねる。だが俺に入部する予定の部活はないため、首を横に振った。


「あぁ、いや。特に考えてなくて」


「そうなのですね、それならちょうどよかったです。部員が少なかったので」


 ――おや?この流れはもしかして……。

 突然舞い降りてきた青春の兆しに、かつてない勢いで鼓動が加速する。この流れはつまり、これから俺は偶然出会った女子から部活の勧誘を受けるのだ。きっとそうに違いない。

 ――ひょんなことから部員が少ない部活に参加する。あぁ、王道で素晴らしい展開じゃないか。

 俺はようやく巡り合えた出会いに歓喜と感謝を表し、こぶしを握り締めた。


「部員が少ないって、今は何人なんだ?」


「今は私を含めて、入部予定の一年生が四人だけでして。これも何かの縁ということで、もしよろしければ見学だけでもいいので、来てみませんか?」


 その陽だまりのような笑みによって、荒んだ俺の心は清く正しい形へと変貌を遂げつつあった。

 ――俺の青春物語は、この美少女と共に幕を開けるんだ。

 素晴らしき物語の始まりに浮き立つ心を何とかして静めつつ、返事をする。


「あぁ、いいよ。ちなみに、どこの部活なんだ?古典部とか、茶道部とかか?」


「漫画研究部です」


「……――えっ、漫研?」


「はい、漫研です」


 漫画研究部という言葉を聞いた瞬間、胸の高鳴りが動悸へと切り替わるまでそう時間はかからなかった。よりにもよって、この女子生徒が所属している部活は、俺が唯一所属しないと決めていた部活だった。


「いかがですか?」


 俺に向けられる視線が、(いかり)のように心を引き留めようとする。――入りたい、是非ともこの子がいる部活に入りたい、と。

 しかし、漫研に所属できない理由と青春物語の始まりを天秤にかけたとき、どちらに傾くかは明らかだった。――彼女が手にしていた入部届には、俺の妹と、かつての友人の名前が記入されていた。


「その、えーと。俺、そもそも絵とか、描けないし……」


 嘘だ。俺は嘘をついた。本当は絵を描くことが大好きだ。


「漫画とかも、あまり読まないし……」


 これも嘘。誰よりも漫画といった物語の世界に夢中になっていた。


「だからその、――ごめんっ」


 相手の返事を聞く間もなく俺は一方的に言葉を吐き出して、昇降口から逃げ出すように出ていった。最低なことをしたと自責の念に胸を締め付けられるが、それ以上に過去の出来事から目を背けることの方が重要であった。

 俺は自らの手で、出会いの芽を摘んでしまった。あれほど期待していた展開が訪れたのにもかかわらず。

 ――誰かの居場所を汚すくらいなら、俺がいなくなればいい。

 これが漫研に所属できない最大の理由だった。過去から得たその答えは、自己犠牲に満ちていた。しかし、現状これ以上の答えが見つからなかった。

 この日を境に、俺は放課後になると誰よりも先に帰宅するようになった。そして後日、俺は知ることとなった。俺を勧誘してきた生徒は、この一学年で一番の学力を有した天才であることに。

 結局俺はどの部活にも所属することはなく、誰とも親しい関係を築けないまま春を終えた。――その結果、俺は無気力な状態が平常の学校生活を送り、何も成し得ないまま空虚な一年を過ごすこととなった。

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