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第九話:清水サンパチ持ち逃げ事件

そんなに大きくない(実際小さいw)音響会社を営むPAエンジニアおじさんの、ほぼ実話を元にした小説です。フェスや様々なイベントに出かけられることがあると思いますが、そのフェスやイベントの運営には、実際に数多くの人たちが関わっています。その中で、ステージなどで必ず必要とされる音響という仕事に関する小説です。


後書きに『登場人物紹介』と『用語解説』を掲載しました。

 フェスは終盤戦へと差し掛かっていた。先ほどまで降っていた雨も上がり、雲間から青空がのぞき始めている。ステージ前の観客たちは、地面の水たまりを避けながらも、次の出し物に期待を寄せ、熱気は衰えを見せない。


 「ポップコーンズさん、ラベリアの調整終わりました!」


 袖で清水美奈が声をかける。お笑いコンビ・ポップコーンズの二人は、お揃いの蝶ネクタイにワイヤレスのラベリアマイクを仕込んでもらい、マイクテストに応じていた。


 「えー、テステス」


 「はい、こちらもテストテスト」


 上条からの無線の声が聞こえる。


 「ラベリアOKです」


 「お、これすげえな。お客さんからは全然見えねぇのにちゃんと拾ってるんだ!」


 「いいねえ、プロっぽい!」


 二人は互いに頷き合いながら、少し緊張した面持ちで出番を待っている。


 一方、会場の隅では、先ほどまで演奏していた太鼓サークルの片付けが進んでいた。その作業を手伝っていた丸川音弥が片付けを終え、ステージへと戻ってきた。


 「間に合いました」


 短く報告すると、そのまま舞台中央に向かい、サンパチ(SONY C-38)を手際よくセットする。


 「丸川、早かったな」


 上条が声をかけると、丸川は淡々と「慣れたもんです」と短く返す。余計な会話は交わさずとも、信頼感が漂う。


 やがて、MCの柚木がポップコーンズを紹介する。


 「それでは皆さん、お待たせしました! 次のステージは、爆笑必至の人気お笑いコンビ、ポップコーンズのお二人です!」


 その合図とともに、上条が出囃子を流す。軽快なリズムと共に、ポップコーンズの二人が満面の笑みでステージに飛び出した。


 「どーもどーもー! ポップコーンズでーす!」


 「雨も止んだし、みんな元気ー!? いや、今みんな濡れてるから元気も半分くらいかな?」


 「半分って何だよ! 俺たちの漫才で、元気120%にしてやりますよ!」


 「120%って中途半端やなあ。元気はつらつ200%や!」


 観客からどっと笑いが起こる。すっかり雰囲気が温まり、フェスの熱気は再び上昇していった。


 ステージ袖では、次の演目に向けた準備が始まっていた。The Rising Sunの機材が到着し、スタッフたちがステージ上に運び込む算段をしている。


 「ポップコーンズのネタが終わったら、ビンゴ大会だからな。その間にドラムとアンプを設置するからな。準備よろしく」


 上条がスタッフに指示を飛ばす。


 ポップコーンズの漫才はますます盛り上がり、会場は笑い声に包まれた。終盤に差し掛かると、二人は息ぴったりの掛け合いでオチへと向かう。


 「いやー、こんなに笑ってくれるとは思わなかったな!」


 「ほんとにね! それじゃ、また会いましょう! ポップコーンズでした!」


 大きな拍手がステージを包み込む。


 ポップコーンズの二人が最後の挨拶を終え、観客の拍手が続く中、MCの柚木がマイクを片手にステージに入ってきた。


 「いやー、ポップコーンズのお二人、さすがの話術ですね! 皆さん、もう一度大きな拍手を!」


 観客が再び盛り上がる。柚木は笑顔を浮かべながら続ける。


 「さて、この勢いのまま、次はビンゴ大会です!ポップコーンズのお二人には、そのままお手伝いをお願いしちゃいます!」


 「ええー!? 俺ら手伝うの?」


 会場は軽い笑いが起きる。


 「まあまあ、せっかく盛り上げたんだから、そのまま楽しくやりましょう!」


 ポップコーンズの二人は顔を見合わせてから、観客に向かってオーバーなジェスチャーで頷いた。


 「よし、やるか! じゃあ俺たちが進行役ってことで!」


 「みんな、当てて帰れよー!」


 その間に、スタッフが会議用テーブルを運び込み、ビンゴマシンをセットしていく。ステージ上に次の準備が進む中、上条が無線で清水に指示を出した。


 「ポップコーンズの二人、手にマイクを持っていないと喋りにくそうだ。ワイヤレスハンドマイクを持っていってくれ。そのまま、サンパチを回収な」


 「了解です!」


 清水がステージへ向かい、二人にワイヤレスマイクを手渡した。ポップコーンズはそれを受け取ると、再びトークを続けようとしたが、同時に清水がサンパチを回収するのを見てアドリブをかます。


 「お、おい……!?」


 「……あ〜〜〜〜俺たちのサンパチが〜〜〜!!!」


 突然のアドリブに観客がどっと沸いた。清水はサンパチとマイクスタンドを持ったままポップコーンズの二人に追いかけられながら真っ赤な顔でステージ袖に引っ込んだ。


 「びっくりした〜」


 とステージ袖で清水がはあはあと息を切らすと、丸川や他のスタッフたちも大爆笑をしていた。清水だけ、唇を尖らせてぷりぷりしている。


 笑い声に包まれたまま、ビンゴ大会の準備が整っていった。


 「さあ、それでは皆さん、お待ちかねのビンゴ大会です!」


 柚木の声が響く中、ステージ袖ではThe Rising Sunの機材設営が着々と進められていく。フェスはクライマックスへ向けて、さらに勢いを増していた。


 ビンゴ大会なので、時間はそこそこある。正味30分。その間にThe Rising Sunの機材セットが進められる。


 The Rising Sunは、ドラムス、ベース、ギター、ボーカルというロックバンドの基本構成のバンドだ。まずはドラマーとバンドのスタッフが手際よくドラムセットを組み、丸川と清水がマイクスタンドをセットする。


 「美奈ちゃん、さっきみたいなミスは無しね」


 「はい!締めるところはしっかり締めます!」


 清水は真剣な表情で、マイクスタンドのネジをしっかりと締める。彼女の手つきに迷いはなく、確実に仕事をこなしていく。丸川はちらりとその様子を確認し、納得したように頷いた。


 そんなに大きな会場ではなくとも、ドラムには一つ一つの機材に対し全てマイクを立てるのが上条の信条だ。バスドラム、スネア、ハイハット、フロアタム、ロータム、ミッドタム、ハイタム、そしてエアーマイクを2本。もちろん、セットアップの時間が許せば、という条件付きではあるが。ましてや、今回のフードフェスの規模のステージならなおさらマイキングにはこだわりたい。


 「良い音を作るためなら、マイクを立てる手間は惜しんじゃいかんよな。リハのデータは残っていても、どうせ組み直すのでEQはほぼやり直しなんだけどねえ」


 上条は笑いながらつぶやく。経験上、リハと本番では環境が微妙に変わる。湿度、気温、観客の数、それらすべてが音響に影響するため、結局は再調整が必要なのだ。


 丸川からの無線が飛ぶ。


 「ドラムとアンプ、マイキング全て完了、ベースアンプのダイレクトアウトもOK」


 その言葉を聞き、上条はPFL(後書きの用語解説を参照)をオンにし、ヘッドフォンでマイクの音をチェックする。低音がしっかりと拾えているか、ノイズはないか、一つ一つ確認していく。リハの時との音の違いを、だいたいではあるがこの時点で把握していく。


 そんな中、ステージではビンゴ大会が進んでいく。


 「続いての番号は……Nの38番!」


 「オレたちのサンパチや〜」


 「それ、会場の人に分かります?」


 会場ではわかる人たちだけが軽く笑った。


 「はずしとるやないか〜」


 「おーい、音響さん、サンパチ持って来て〜」


 丸川は上条とアイコンタクトを取りつつ、いわゆるシールドをベースアンプに挿し、その反対側の先端を指先で触ったり離したりしている。指先が触れるたびに、『ジー』『パチ』というわずかなノイズがヘッドフォンに伝わるのだ。


 上条は頭の上に腕を伸ばしマルを作る。


 「丸川さん、なに遊んでんですか?」


 「あとで教えるよ」


 これはホットタッチと呼ばれる手法で、シールドの先端(ホット端子)をタッチして、『ジー』『パチ』という音をヘッドフォンで聴くことで、回線がつながっていることを確認するのだ。もちろん、これをスピーカーで行うと観客に不快な思いをさせるので、PFLのヘッドフォンで行うことが重要である。


 「リーチ!」


 「こっちもリーチ!」


 「おー、リーチの人が増えて来ましたねえ。ということは、そろそろビンゴの人も出て来そうですね!」


 上条は、全体の音響チェックを進めながら、ふと観客席の反応を眺める。場の空気は依然として温かく、ポップコーンズと柚木のトークが絶妙なテンポで進行している。ビンゴ大会の当選番号が次々と読み上げられ、歓声と落胆の声が交互に響く。


 「よし、問題なしだな」


 上条はMD-CD1に表示されているBGMの残り再生時間を確認し、次の作業に移るため、無線でスタッフへと指示を出した。


 「ステージからの回線チェックは全てOK。ビンゴが終わったら柚木を残して、すぐに机を片付けよう。」


 これぐらいの規模の現場だと、PAエンジニアというよりも、ほぼ舞台監督の立場にもなったりすることはよくある。舞台スタッフ、大道具スタッフは現場のあちこちに行ってしまったりするが、PAエンジニアはミキサー卓にの前に常にいるので、もっとも全体をよく見ているのだ。


 「弱小PA屋を舐めんなよ〜」


そう、独り言を言ってニヤリとする上条だった。

実際に筆者が体験した出来事を題材にしていますが、物語に登場する企業名やイベント名は、全て架空のものです。登場人物もモデルは全て実在の人物がいますが、あくまでもフィクションとしてお読みください。


〜登場人物紹介〜


上条一郎かみじょういちろう:58歳。大学生の息子がいるが、遠方にいるため作品には滅多に登場しない。妻とは離婚していて、現在は独身。車好きで中古のCitroen Xmのブレーク(ステーションワゴン)に乗っている。小さめのイベントにはこのステーションワゴンに音響機材を積んで現場に入り、大きめのイベントの場合にはワンボックス車や2T〜4Tのアルミパネル車をレンタルしている。


丸川音弥まるかわおとや:上条一郎の大学の後輩。45歳。寡黙であるが時としてズバッと物をいう時があり、上条も一目置いている。上条と同じく、音響を生業としていて、人手が足りない時は上条の片腕として仕事をしている。妻・陽子(40歳)と長女で幼稚園児の陽菜(5歳)と3人ぐらい。イベント現場が近所だと、妻子2人で顔を出し、時にはお手伝いもしてくれる。


清水美奈しみずみな:同じく大学の後輩。21歳。経済学部に通う大学3年生。アルバイト先の仕事で音響に携わることがあり、現場で知り合った上条が大学の先輩だと知り、押しかけアルバイトをしている。上条一郎に恋心を抱いているそぶりがある。


田渕貴之たぶちたかゆき:イベント運営会社・DASエイジェンシーの代表取締役社長。56歳。主なイベントでは上条に音響を発注している。普段は厳しい眼差しながら、気心がわかるとよく笑う人情厚い人。小難しいクライアントからの仕様を切り盛りする。


吉田北斗よしだほくと:イベント運営会社・DASエイジェンシーの若手社員。30歳。入社5年目なので、ほとんどの業務をこなすことができるが、音響・映像・照明に関する知識が未だに皆無で、変な発注をしては関係業者を悩ませる。


今陽太郎こんようたろう:キッチンカー『Kon's Kitchen』のオーナー。通称Kon。東京都多摩地区を中心に関東一円のイベントやフェスに呼ばれる名物キッチンカー。様々な会場で顔を合わせるうちに上条や吉田らと顔見知りに。


柚木真由美ゆずきまゆみ:42歳。イベント司会やラジオのパーソナリティも務めるマルチタレント。上条とはお互いにイベントを手伝いあう中でもある。柚木主催のイベントでは上条が音響を務めることが多い。


大和やまと:The Rising Sunのボーカル。上条とは旧知の間柄。驚くほどの声量と表現力で歌うが、酒を飲みすぎてリハーサルに遅れることがある。


坂口さかぐち:Blue Wellsのキーボーディスト。音にこだわりがあり、何台ものキーボードを持ち込むことがメンバーには不評。だが、このバンドのカラーを決定づけているのは彼のこだわりの音である。


圭吾けいご:Blue Wellsのボーカル。とても素直な好青年。まだまだ荒削りだが、将来が楽しみなボーカリストである。


ポップコーンズ:レギュラー番組を何本も持つ売れっ子であるが、こう言ったフェスへの出演や司会なども精力的にこなす若手お笑いタレント。アドリブが得意で、今回もスタッフの清水をいじる。


〜用語解説〜


ラベリア:ラベリアマイク。ピンマイクともいう。上条が通常使うのはワイヤレスタイプのラベリアマイクである。


TASCAM:ティアック株式会社が持つ業務用機のブランド。


MD-CD1:TASCAMがかつて販売していたMDとCDを一体型にした3Uのダブルデッキ。この舞台になっているようなフェスの場合、今でも編集したBGMをMDで持参する出演者がいるため重宝するアイテムの一つ。


サンパチ:ソニーが販売しているC-38Bというマイク。漫才用ステージマイクの定番。NHKの紅白歌合戦や紅白歌合戦の古い映像でも見ることが多い。大瀧詠一さんが自身の曲のレコーディングに好んで使っていたのは有名な話。今では、ラベリアマイクを使用することが多いのだが、漫才をやる人たちにとっては、そこにサンパチがあることが重要なのである。


EQ:イコライザー。この場合はパラメトリック・イコライザーを指している。High、Mid-High、Mid-Low、Lowのレベルを調整する。


PFL:プリ・フェーダー・レベル。ミキサーは通常、最初にプリアンプ(ゲイン)を通る。この次にフェーダーに行くのだが、このフェーダーの影響を受ける前の音をヘッドホンやモニタースピーカーで確認できる機能。反意語はAFLアフター・フェーダー・レベルである。

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