第七話:フェスと天気とPAと
そんなに大きくない(実際小さいw)音響会社を営むPAエンジニアおじさんの、ほぼ実話を元にした小説です。フェスや様々なイベントに出かけられることがあると思いますが、そのフェスやイベントの運営には、実際に数多くの人たちが関わっています。その中で、ステージなどで必ず必要とされる音響という仕事に関する小説です。
後書きに『登場人物紹介』を掲載しました。
Blue Wellsの演奏が終わり、会場は大きな拍手に包まれた。メンバーは少し息を切らしながらも、充実感のある笑顔を浮かべている。
「それでは、今の演奏を終えたばかりのBlue Wellsの皆さんにインタビューをしてみたいと思います!」
司会の柚木真由美はマイクを片手に、Blue Wellsのメンバーに歩み寄る。
「まずは、お疲れさまでした! すごく盛り上がってましたね!」
ボーカルの圭吾がマイクを受け取り、少し照れたように答える。
「ありがとうございます! いやあ、こんなに盛り上がるとは思わなかったので、すごく嬉しいです!」
観客席からも「カッコよかった!」「最高!」と声が飛び、圭吾が照れくさそうに笑う。
ステージでは次の舞台への転換を行いながら、柚木は圭吾へのインタビューを続けている。上条と清水は他のスタッフと共に坂口の機材を片付けている。
「機材が多すぎますよね」
「まあ、あの音を出してくれるんなら納得だがな」
ステージ上の機材がステージ袖へとはけると、マイク類の片付けを清水に任せ、上条はPAブースに走って戻る。
柚木はBlue Wellsのインタビューを終え、次の演目を紹介するためにマイクを持ち直した。
「それでは、次のプログラムに参りましょう! ダンスサークル『Groove Groove』の皆さんです!」
彼女の声が響くと、ステージ袖から小さな子供たちが元気よく駆け出してきた。観客席からは「かわいい!」という声が上がり、温かい拍手が送られる。
こういった地域密着型のイベントの場合、地元のダンス教室の発表会や和太鼓の演奏なども行われることが多い。
最近はPCが一般的になっているので、あらかじめ舞踏の内容に合わせて楽曲を編集した状態のCDをPA卓に持ってきてくれることが増えている。
数多くのCDを持ってきて、「3曲目の2版のサビ前で止めてください。つづいてこっちのCDの2曲目を・・・」などと注文されるよりは遥かにありがたいのだが、その持ち込みCDの大半は、音質が非常に悪いのも事実。
受け取ったCDをかける準備をしながら、小さいうちからもっと良い音を聴かせてあげたいものだ、上条は強く思うのであった。
ダンスサークルの舞踏はつつがなく終わったが、先ほどのピーカンとは打って変わり、いつの間にか雲行きが怪しくなってきていた。
勇ましい掛け声とともに和太鼓サークル『天地神明』の演奏がはじまる。
和太鼓は地響きがするほどの大きな音を出すが、篳篥や笙などには、上条の判断でマイクを立てることにした。
ステージ袖では、清水が他のスタッフの力を借りながらマイクやケーブルなどを必死になって片付けている。
ロック系のフェスに慣れていると違和感があるかもしれないが、和太鼓の演奏はこの手のイベントには欠かせない出演者の一つだ。
一糸乱れぬバチ捌き、揃った動きから生まれる力強いリズム。和太鼓の胴を打つたびに、筋肉が躍動し、汗が飛び散る。演者たちの掛け声が響き渡り、観客を鼓舞するように空気を震わせた。
大太鼓の重厚な響きがステージ全体を包み、小太鼓が鋭く刻むリズムが疾走感を生む。その圧倒的な迫力に、思わず観客は息を呑む。
大太鼓と小太鼓の共演が佳境に入った頃、フェスの会場にはポツリと雨が降り出した。
まだ小降りである。
田渕と上条が恐れていたのはこれである。ゴールデンウィークに薫風が吹く素晴らしい状況が続けば良いのだが、緩やかに吹いていた北風はいつの間にか南風に変わりつつあり、湿度も徐々に上がってきていた。
初夏から秋口にかけ、ある一定の気圧配置になると、相模湾から吹き込む風と九十九里海岸方面から入り込む風が東京上空でぶつかり、いわゆるゲリラ豪雨を引き起こすことがあるのだ。
田渕や上条のような数多くのイベントに携わってきた人間の場合、天気予報以上に天候を当てることも少なくない。
和太鼓の演奏はステージの前で行われていたため多くの観客は気が付かなかったが、この間に田淵・吉田・丸川はスピーカーの雨養生を行い、和太鼓が演奏後に移動する予定の場所に大きなブルーシートを用意して、和太鼓などの楽器が濡れないように対策をしている。
「どうして雨が降るとわかったんですか?」
清水には理解不能だったようだ。
「気圧配置が頭に入っていれば、気温と風向きの変化を感じ取るだけで、あとどれぐらいで雨になるかはだいたい予測できるもんさ」
「それって、PAに必要な知識なんですか?」
「PA云々ではなくて……そうだな、野外イベントをやる人間なら、みんな持っているべき知識というかスキルだな。生きる知恵みたいなものさ。ほら、お店の方を見ていると、食材を雨に濡らしてしまっているテントと、雨対策をして食材を待避させているテントがあるだろ?あれが経験の差だよ。Konちゃんのところなんて、さっきまで出していた木のテーブルが、いつの間にかアルミのテーブルに変わってるだろ?」
「すごい。なんか、みんなすごい・・・」
「ま、今は東京アメッシュやYahoo!天気でリアルタイムの雨情報が簡単に分かるしな」
そう上条は笑いつつ、iPhoneの画面を清水に見せた。
「なんだ、文明の力を使ってんじゃないですか〜」
「そうふくれるな。使えるもんは使う。それだけだ。おい、和太鼓の演奏が終わるぞ。マイクを柚木に渡してこい」
「いっけない!」
そういうと、霧雨が降る中、清水はステージ袖へと走って行った。
野外イベントで最も怖いのは落雷である。積乱雲が発達しているかどうかは、真下から見ていてもわからないことがある。
今はまだ、気象庁や気象協会からも雷に関する情報は全く出ていない。
田渕はイベントの続行を決め、スタッフ用の無線でその旨を伝えた。雨が本降りになる前に進行を円滑に進めるため、スタッフたちはそれぞれの持ち場で準備を進める。
こうしたフェスでは、時にはサッカーのリフティング、けん玉、お点前、日本舞踊など、さまざまな芸事が披露されることがある。
PAエンジニアは、決してバンドの音だけを扱っているわけではない。ダンスの音楽を流すのも、漫才のマイクバランスを調整するのも、和太鼓の響きを観客に届けるのも、すべてPAの仕事だ。人の声、楽器の音、会場の空気を拾い、それらを最適な形で届ける。それが、PAの本当の役割なのだ。
上条はフェーダーを微調整しながら、次の演目の準備を進めていた。
実際に筆者が体験した出来事を題材にしていますが、物語に登場する企業名やイベント名は、全て架空のものです。登場人物もモデルは全て実在の人物がいますが、あくまでもフィクションとしてお読みください。
〜登場人物紹介〜
上条一郎:58歳。大学生の息子がいるが、遠方にいるため作品には滅多に登場しない。妻とは離婚していて、現在は独身。車好きで中古のCitroen Xmのブレーク(ステーションワゴン)に乗っている。小さめのイベントにはこのステーションワゴンに音響機材を積んで現場に入り、大きめのイベントの場合にはワンボックス車や2T〜4Tのアルミパネル車をレンタルしている。
丸川音弥:上条一郎の大学の後輩。45歳。寡黙であるが時としてズバッと物をいう時があり、上条も一目置いている。上条と同じく、音響を生業としていて、人手が足りない時は上条の片腕として仕事をしている。妻・陽子(40歳)と長女で幼稚園児の陽菜(5歳)と3人ぐらい。イベント現場が近所だと、妻子2人で顔を出し、時にはお手伝いもしてくれる。
清水美奈:同じく大学の後輩。21歳。経済学部に通う大学3年生。アルバイト先の仕事で音響に携わることがあり、現場で知り合った上条が大学の先輩だと知り、押しかけアルバイトをしている。上条一郎に恋心を抱いているそぶりがある。
田渕貴之:イベント運営会社・DASエイジェンシーの代表取締役社長。56歳。主なイベントでは上条に音響を発注している。普段は厳しい眼差しながら、気心がわかるとよく笑う人情厚い人。小難しいクライアントからの仕様を切り盛りする。
吉田北斗:イベント運営会社・DASエイジェンシーの若手社員。30歳。入社5年目なので、ほとんどの業務をこなすことができるが、音響・映像・照明に関する知識が未だに皆無で、変な発注をしては関係業者を悩ませる。
今陽太郎:キッチンカー『Kon's Kitchen』のオーナー。通称Kon。東京都多摩地区を中心に関東一円のイベントやフェスに呼ばれる名物キッチンカー。様々な会場で顔を合わせるうちに上条や吉田らと顔見知りに。
柚木真由美:42歳。イベント司会やラジオのパーソナリティも務めるマルチタレント。上条とはお互いにイベントを手伝いあう中でもある。柚木主催のイベントでは上条が音響を務めることが多い。
大和:The Rising Sunのボーカル。上条とは旧知の間柄。驚くほどの声量と表現力で歌うが、酒を飲みすぎてリハーサルに遅れることがある。
坂口:Blue Wellsのキーボーディスト。音にこだわりがあり、何台ものキーボードを持ち込むことがメンバーには不評。だが、このバンドのカラーを決定づけているのは彼のこだわりの音である。
圭吾:Blue Wellsのボーカル。とても素直な好青年。まだまだ荒削りだが、将来が楽しみなボーカリストである。