第十四話:新たな機材
そんなに大きくない(実際小さいw)音響会社を営むPAエンジニアおじさんの、ほぼ実話を元にした小説です。フェスや様々なイベントに出かけられることがあると思いますが、そのフェスやイベントの運営には、実際に数多くの人たちが関わっています。その中で、ステージなどで必ず必要とされる音響という仕事に関する小説です。
この話では、上条がPAのいうものを知っていく学生時代の話を書いていきます。
1988年3月。
卒業生を送り出す「追いコン」の日が近づいていた。一般的な追いコンは飲み会だが、音楽サークルにおいては「追い出しコンサート」を指す。フォーク研究会でも、これまでの4年生が去り、上条たちが幹部の世代へと移る時期が来た。
クリスマスコンサート以降、上条は暇さえあれば部室に籠もり、ミキサー卓をいじり倒していた。『サウンド&レコーディング・マガジン』(通称サンレコ)を隅々まで読み漁り、PAの知識を深める日々。サークルのPA担当だった弘前は、自身のバンド活動が忙しいらしく、いつの間にかPAのことはすべて上条に任せっきりになっていた。
そんな折、大学が新しいミキサー、アンプ、スピーカーを導入したとの情報が入る。すぐさま追いコン用に機材の予約を入れた。
機材リストには「調整装置」「増幅装置」「拡声装置」としか書かれていないが、それがミキサー、アンプ、スピーカーのことだと察し、上条はワクワクが止まらない。
設営当日、学生部の倉庫で受け取ったのは、新品の16チャンネルミキサーMC1604、2チャンネルアンプPD2500、そして15インチウーハーとドライバーを備えたスピーカーS4115HIIが2台。フォーク研が持っている古いスピーカーとは比べ物にならない。
「今までの8chミキサーとは自由度が段違いだな……!」
上条はほくそ笑みながら、新機材をセッティングする。サンレコで見た24chや32chのミキサーを想像しながら、涎が出そうになるのをこらえた。
同級生や後輩たちと準備を進める中、フォーク研の先輩たちが様子を見に来た。
「すげえな、16chもあるミキサーだ」
「おお、これはでかい音が出そうなスピーカーだな」
感嘆の声が上がる。
セッティングをしながら上条はチャンネル割りを考える。ボーカルに4ch、ベースに1ch、ギターアンプに2ch、キーボードミキサーから2ch、BGM用に2ch……ドラムには5chも割ける。しかし、フォーク研にはボーカルマイクが4本しかない。
「これじゃマイクが全く足りないな……」
すると、同期で部長の井下がぽつりと呟いた。
「学生部が機材を新しくしたんなら、マイクも買ってんじゃね?」
はっとした上条は、急いで学生部へ駆け込む。
「すーさん、ちょっと教えて!」
学生部の鈴本は、おにぎりのような顔をした気の良い職員だ。
「おー、上条。どうした?」
「ええと、実はですね……」
事情を聞いた鈴本は豪快に笑った。
「お前、アホだなあ。マイクもケーブルもスタンドも6本ずつあるぞ。とりあえず、もう一度リアカー持っておいで」
こうして、マイクの数が増えた。上条が思い描く理想にはまだ足りないが、これまでのライブに比べれば格段に環境は良くなった。足りない分は軽音サークルから借りればいい。
こうして機材が揃い、フォーク研の部員たちとともに追いコンの準備が本格的に始まるのだった。
「永田さん、これすごいですよ」
「そうだな。パライコも3つに分かれているし、使いやすそうだ。」
「永田さん、FBってなんですか?」
「FBってのはFold Backの意味で、ミキサー卓からステージのモニタースピーカーに送るときに使うチャンネルのことな。部室のミキサーだとAUXって書いてあるやつがあっただろ? あれと同じことだよ」
「なるほど、名前が違うんですね。ふむふむ。」
「送りが4系統あるって考えれば良いんですが、取説を読んだらFBの2つはプリ・フェーダーでECHOの2つはポスト・フェーダーに固定なんですね。ちょっとがっかりですよ」
「上条、お前ちゃんとPAの勉強してんなあ。クリコンの時とは大違いだ」
「でしょ? なんで音響学部とかに入らなかったんだろうって思ってますよ」
「うちの大学にはそんな学部はないからなあ……って、お前、ちゃんと単位は取れてるのか?」
「結構やばくて、多分ですけど2年生で留年ですね」
「おいおい」
「ほら、ウチの大学って学費が安いじゃないですか。なので、8年行くつもりなんですよ。その間に起業しようかななんて考えてます。だから、問題なしなんですよ」
事実、この数年後に上条は起業することになるのだが、すでに永田が起業する予定であることを上条はまだ知らない。
「プランニングはどうなってるんだ?」
「はい、ボーカル4ch、ベース、ギターが2ch、キーボードミキサーで2ch、BGMに2ch、なのでドラムにマイクを5本立てられますね」
「BGMはSUB INを使えばあと2chは空くけどな」
「そんな使い方もできるんですね。すごいなあ」
「それだけマイクを立てるとマイクスタンドの本数が足りないんじゃないか?」
「そうなんですよ。軽音からスタンドを借りてもどうしても2本だけ足らないんですよ」
「垂らしって方法があるんだけどな」
「垂らし?」
「ギターアンプって、上に取手があるだろ?あそこにケーブルを通してマイクを吊り下げるんだ」
「え、そんなんで音を拾えるんですか?」
「SHUREの58なんかだと問題なく拾えるよ。問題がないかどうかは自信ないけど、ちゃんと拾えるよん」
上条は、いたずら好きの永田に揶揄われているのかもしれないと思いつつも、背に腹は変えられない。教えられた『垂らし』を実践してみた。
ドラムのマイキングも、サンレコで読んだことを実践してみた。
「桑折さん、バスドラに穴を開けたいんですけど……どうでしょうか」
「ああ、俺もさあ、穴を開けてみたいって思ってたんだよね。やっちゃおうぜ」
バスドラムの穴あけ作戦は大成功だった。抜けの良い音になるのはもちろんだが、マイクを奥まで入れることができ、キックの音がバスドラムの輪郭をはっきりさせることができた。
バスドラム、ハイハット、スネア、残りの2本は悩みに悩んだ末、ちょっと高い位置にセットし、フロアタムとタムタム2つを拾えるようにセットしてみた。これもサンレコで様々なプロのセッティングを見てきた成果だ。
「桑折さん、ちょっとタム回しを含めて叩いてもらっていいですか?」
桑折はスツールに座り直し、軽快なエイトビートを叩き出した。
「すごい。今までとは大違いだ。なんだこの高揚感。ドラムの音がビシっとくる。マイクのパンを振ると、フィルインの音がステレオ感満載に空間をよぎるように聞こえる」
そう思わず上条が呟いた。
すると永田がベースをケースから取り出す。
「折角だからちょっとセッションしようか。その方が上条もやりやすいだろ?」
そして、井下がギターで参加して3人のブルースセッションが始まった。
「おお、『垂らし』でもちゃんと音が拾えてる!」
と上条は小躍りした。
トークバックのマイクで、セッション中のメンバーに伝える。
「今からモニタの音も出すので、モニタチェックもお願いします。誰かボーカルいませんか?」
PA卓の横でタバコを吸いながら様子を見ていた佐原が徐に立ち上がった。
「よし、いっちょやってやるか!」
ブルースセッションをしながらメインスピーカーの音を調整していく。
「フェーダーをユニティに合わせてゲイン調整完了。いい感じだ。井下がディストーションを掛けた際に音量が上がるのは許容範囲だろう。永田さんのベースがアンプ直なのでやりやすいな。なんと言ってもドラムの音をちゃんと拾えていて気持ちいい!!この音を弘前に聞かせたい!!」
そんな独り言を言いながら上条が悦に入っていると、ステージの佐原が即興で歌いながら上条に声を掛ける。
「モニターの音が〜♪全く聞こえないよ〜〜♪」
慌ててモニターのセッティングを開始するが、初めてのミキサー卓で舞い上がってしまう。ボーカル用のチャンネルのFB1のつまみをいくらいじっても音が出ない。
「ベイビ〜♪俺の歌を聴かせてくれよ〜オペレーター♪」
どうなっているのか訳もわからず上条は焦った。
「どうしたんだ上条〜♪モニターの音が〜聴こえないんだぜベイビ〜♪」
(あっくん、うるせえよ!落ち着け。出口からチェックだ)
上条は佐原の歌に苦笑いしつつ心の中でそう呟き、まずスピーカーを確認する。スピーカーはアンプに繋がっている。次に、ミキサーのFB1の端子から出たケーブルを辿る。アンプに確かに繋がっている。見た限り、接続には問題がないはずだ。
それでも音が出ない。焦りが募る。
その時、ふとクリスマスコンサートの出来事が脳裏をよぎった。あの時、ハウリングが発生し、弘前が咄嗟に送りのマスターを絞ったのを思い出す。
(そうか……もしかして、マスターの送りレベルか?)
ミキサー卓のFB1のマスターはちょっとわかりにくい設計になっている。
「これがマスターつまみか!」
マスターつまみをあげようとしたその瞬間、一瞬だけ躊躇。まずはチャンネルの送りレベルをゼロにする。そしてマスターをユニティレベルまで上げ、ゆっくりとチャンネルのFB1つまみを回し始めた。
文章で書くと長いが、この間は30秒ほどのことだった。
佐原が続けて即興で歌う。
「俺の〜♪俺の声が〜♪聞こえてくるじゃないか〜ベイビー♪」
続いてギターの音を返すと、井下がうんうんと頷きながらまるで悟りきったお地蔵さんのような顔をしている。
ベースの音を返すと、永田が右手を挙げて親指で合図してくれた。
その時、ポンと上条の肩が叩かれた。上条が振り返るとそこにいたのは弘前だった。
「ちゃんとできてるじゃねえか。いい音だな。バッチリだ!」
上条は、初めてのプランニングと初めての設営でてんてこ舞いになっていたが、なんとか音出しにかぎつけたことが何よりも嬉しかった。
「この音が、これからの俺たちの音になるんだ。」
新しい機材を手に入れた上条は、これからの音作りに対する情熱が沸々と湧いてくるのを感じていた。
実際に筆者が体験した出来事を題材にしていますが、物語に登場する企業名やイベント名は、全て架空のものです。登場人物もモデルは全て実在の人物がいますが、あくまでもフィクションとしてお読みください。
〜登場人物紹介〜
上条一郎:58歳。大学生の息子がいるが、遠方にいるため作品には滅多に登場しない。妻とは離婚していて、現在は独身。車好きで中古のCitroen Xmのブレーク(ステーションワゴン)に乗っている。小さめのイベントにはこのステーションワゴンに音響機材を積んで現場に入り、大きめのイベントの場合にはワンボックス車や2T〜4Tのアルミパネル車をレンタルしている。
永田力:上条の大学の先輩。SondOnという楽器店をはじめる。上条がPAに携わるようになったきっかけとなる人物。通称はリッキー。
弘前利音:大学の同期。ドラマーと周りは認識しているが、ギターやキーボードも弾くマルチプレーヤー。通称はリオン。
桑折宗孝:大学の先輩。ドラマー。ツーバスを叩きまくるヘビメタドラマーなのに足がめちゃくちゃ細い。通称はコーリー。
佐原真中:大学の先輩。ボーカリスト。長田と並んで上条がよく世話になった先輩。通称はアックン。
井下泰之:大学の同期。ギタリスト。上条とは同郷である。
〜用語解説〜
MC1604:ヤマハ製の16チャンネルミキサー。今のミキサー卓から比べると自由度が低くめちゃくちゃ重い。当時としては安価に発売された16チャンネルミキサーとして人気があった。
PD2500:トランスを持たない設計で、当時としては格段に軽いアンプとして人気があった。250Wx2(8Ω)というアマチュア用としては十分なスペックを持っている。YAMAHA製。
S4115H2:YAMAHA製のスピーカー。当時のベストセラー。オーディオ的には音の明瞭度はさほど高くはないが、サイズの割には大きな音を出したスピーカー。
サウンド&レコーディング・マガジン:リットーミュージックから発売されていた音響技術・録音技術を取り扱う専門誌。通称はサンレコ。




