葛藤
大政奉還が成った十月十五日、以蔵は新撰組屯所に居た。
土方と共に隊士からその情報を聞いた。
「岡田…お主の言う通りに成ったと言う訳だな」
「……」
「何故黙っている」
土方は平常心のまま、その知らせを聞いていた。以蔵にはそれが不思議でならなかった。
「剣の時代が終わるかも知れない時に…副長は何故平静を保って居られるのです?」
以蔵は、その不思議を問いかけが、土方はクックと笑いながら答える。
「岡田よ、我等侍とは剣によってのみ生きる者では無い事は先刻話した通りだ。要は主を誰とするか、これこそが侍の生き様よ」
「ならば、徳川慶喜公が将軍を辞せば、その先は?」
「変わらん。将軍故に仕えている訳では無い。徳川に仕え、それに従う事が侍だ」
「ならば…大政奉還を起こした坂本龍馬が憎くは無いのですか」
以蔵は土方を睨みつけ問う。
「どちらの味方だ、貴様は…」
苦笑いをしながら土方は言葉を続ける。
「確かに大条理…大政奉還を進言したのは坂本を通し、山内容堂公が建白書を記したと聞いているが、受け取り、判断したのは慶喜公だ。その御英断を無碍にも出来まい」
「認める…と、言うのですね?」
「大政奉還を、ではない。慶喜公を信じるのだ」
そう言うと、暫く間を置き続ける。
「しかし、幕府や侍、皆が同じとは限らんだろうな…」
「見廻組…ですか」
「だけではあるまい? 土佐藩にも武力討幕派は居たのでは無いか?」
確かに、土佐藩は倒幕派の中でも土佐勤王党を代表する過激派が大勢居た。その志を持った者達は今も大勢居るだろう。しかし、彼等は主君・容堂公の意思を重んじている。その判断を無碍にする事は、土方同様しないだろう。
「敵は…多い、ですね」
そんな以蔵の表情を見て、土方は悟った様な笑みを浮かべる。
「案ずるな。奴には薩摩藩も長州藩も着いている…。容易に手出しが出来ぬ状況に居る男を、おいそれと襲える筈も無いだろう」
だと良いが…正史では暗殺が実際に行われている。が、以蔵にはどうしようも無い。
以蔵はその後、何も語らず屯所の中の土蔵で身を隠していた…。
事態が動いたのは、それから十日後の事だった。
斎藤一が御陵衛士として間諜に入り、自ら掴んだ情報を持ちこんで来た。
俄かに慌ただしくなる土方・原田左之助の動き。この両名が動くという事は、刻に関わる可能性がある事を意味している。つまり、伊東甲子太郎が動くという情報だった。
「原田組長、何があったんですか!?」
「岡田か…土蔵に隠れて居ろ。伊東が動くらしい」
「伊東が…いつ!? 何を!!?」
左之助は顔だけ出している以蔵を、思い切り蹴飛ばして土蔵に入れ、周りを確認した後自らも入り、
「御陵衛士が…坂本を暗殺する」
以蔵をガッチリと捕まえ、至近距離で小声で伝える。
『見廻組じゃないのか!? 定説が間違っているのか、刻の歪なのか…』
以蔵はそうも考えながらも酷く動揺している。
「案ずるな、伊東が影で動くなら我らが阻止するのが筋。大英断を無駄にせん為に、俺達は坂本を守る事にした」
新撰組が龍馬の護衛に!?
以蔵は益々混乱していた。いや、混乱しているのは最早歴史そのものかも知れない。
『新撰組も容疑者だった筈…まさか、原田組長や土方副長が? いや、有り得ない。ならやはり伊東が…? その隙に見廻組が??』
誰が龍馬を斬るのか…それを阻止しようとする勢力もまた存在して来ている。
以蔵が動くべき事では無い。動けば必ず龍馬を守ってしまう。
愕然とする以蔵を見た左之助は、その心情までは理解できない。
「お前と沖田が信じた男だ。俺達に任せて、お前は事の成り行きを見守れば良い。刻は俺達侍が守るさ」
左之助は軽く笑顔を作り土蔵を後にする。
左之助が蔵から出た後、以蔵は声を殺し、泣き崩れた。
友が死ぬ。友が殺される。
殺される事を知っておきながら止められない運命。止める事が許されない宿命を呪いながら、自らの二の腕を噛み、声を洩らさないように、ただひたすらに涙を流した。
『誰か…龍さんを、できるなら守ってくれ…』
声に出す事は決して許されない言葉。
龍馬はこの日、会津藩へと旅立った。