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維新の剣  作者: 才谷草太
旅立ち
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邂逅

 大老伊井直弼失脚後、幕府の政治は独裁から逃れ、安政の大獄以前にもどりつつあるが、その権威は失墜していた。その事により各地で尊王攘夷の思想が活発化して来ており、ここ土佐でも例外なく、その意を唱える組織が活性化している。

 武市半平太を党首とする、土佐勤王党の台頭により、土佐藩を事実上仕切る吉田東洋との対立が目立ちだしていた。

 時は文久二年、三月。以蔵と佐那は、龍馬の計らいで離れに一戸の家を与えられ、暮らしていた。

 佐那は才谷屋の仕事を手伝い、以蔵は剣術の指南と称して、武市の開く剣術道場へと赴く毎日が続く。

 以蔵は、この平和が心地よくもあり、同時に無気味でもあった。

 「夕刻でも暖かくなって来たな」

 道場の帰り、春の気温を感じる夕刻に以蔵は居た。はりまや橋を渡り、才谷屋の表玄関を横切る時、表を掃除していた佐那を見付けた。佐那も気が付き、以蔵に微笑みかける。

 「お帰りなさい。お疲れ様」

 「ただいま。佐那も御苦労さま。龍さんから何かあった?」

 「いえ、私は何も…」

 「そうか、ありがとう。佐那も残りの仕事、頑張って」

 「はい。もう暫くで戻りますので、お待ちくださいね」

 「ああ、分かった」

 日常の夫婦とも思える会話をし、才谷屋の塀沿いに歩いて行き、裏口の門から庭に入る。そこには大柄な女性が庭の掃除をしていた。

 「あ、どうも…」

 「以蔵殿、お帰りなさい。奥さんには会ったがか?」

 「ええ、先程才谷屋の前で」

 「おまんら夫婦は、まっこと仲が良かな」

 「あ、いえ、そんな事は…」

 返答に困る以蔵に、

 「出戻りの私に気を遣う必要は無いき、大丈夫。それより、中岡っちゅう方が以蔵殿を訪ねて来ちゅうがよ」

 「中岡さんが? ウチですか?」

 「才谷屋の客間の方に通しちゅうが、離れにお通ししてエエがか?」

 「すみません、そうして頂ければ…」

 「エエちゃ、エエちゃ。ほいたら直ぐに移って貰うき」

 そう言って女性は母屋に入った行った。

 この大柄な女性の名は乙女といい、その名前とは裏腹な男勝りの体躯に、長刀の扱いにも長けるという凄腕。龍馬も幼少の頃は、乙女に鍛えられていた、という話も残っている。


 以蔵は乙女を見送り、離れに入って行った。荷物を置き、刀を帯から外した時、玄関から声がする。

 「失礼する。よろしいか」

 聞くからに真面目そうな声。

 「どうぞ」と言いながら、玄関に通じる廊下にひょいと顔を出す。

 離れは玄関から一本の廊下があり、左右に四つの部屋、突き当たりに土間がある。簡素な作りではあるが、佐那との二人には十分だった。

 その一室に中岡を招き入れ、向かい合って座る。この中岡慎太郎も、龍馬と同じく武市の改革には完全に賛同しきれていない。そこが元で、龍馬とよく通じる。

 「慎太郎さん、どうしました?」

 「どうしたではありません。江戸の事件を御存じ無いのですか?」

 「私は、暫くそういう事には…」

 「岡田以蔵、その名前に従い、坂下門外で暗殺未遂があったのです」

 この男は理知的で、土佐訛はあまり出ない。イントネーションは若干違うが、丁寧に言葉を選んでいる。

 「坂下門外…? 未遂?」

 「今年一月の話しですが、桜田門外と同じく、供頭を攻撃後、駕籠に発砲…それを合図に斬り込んだようです」

 「全く同じでは無いですか」

 以蔵はつい笑ってしまった。

 「不謹慎な、何が可笑しいのでござるか!」

 「失礼…で、何故私の名前が?」

 顔を整え中岡を見ると、中岡は生真面目な性格同様、硬い表情を崩さずに答えた。

 「桜田門外で、以蔵殿の名前は良くも悪くも志士達に崇拝されております。刺客を神速とも言える剣技で圧倒し、大老を活かして失脚させる。暗殺するよりも幕府にとっては大きな影響を与えましたから。それを模写した事で、以蔵殿を越えようとしたのでは無いかと思われます」

 「私は、大老と知らずに助け、失脚した原因の傷も襲撃犯が与えた物です」

 「それでも、六名もの襲撃犯と斬り合い、神速・無傷。更にその後の行方は不明となれば、志士達の間でも話題は持ち切りです。その半ば神格化した剣豪を、尊王攘夷を唱える志士達の偶像にしよう、という動きもあります」

 「偶像? この私が?」

 「岡田以蔵、此処に在り。天誅!」

 中岡は真面目な表情で、素手で撃ち付ける振りをして見せた。

 「この先、岡田殿の名を語った天誅組が出ないとも限りません。

岡田殿の与り知らぬ所で、名だけが独り歩きをし、天誅を繰り返す事も…考えるに苦はありませぬ」

 「そんな勝手な事が…」

 「誰も、岡田殿の顔をはっきりと覚えていないのです。ただ、二刀流の使い手、幕府の河西忠左衛門を以ってしても、茫然としていた程の神速の剣豪とだけ…」

 「河西…あの時の」

 「会うてるがか!やっぱり!」

 興奮して、つい土佐訛が出る中岡。ハっとして、また冷静な表情を取り戻し、

 「とにかく、気を付けて下さい」

 「土佐に居る限りは安全でしょうけど、与り知らぬ所で悪名が上がるのは、嫌ですね」

 「土佐も…安全とは言えませんが」

 「慎太郎殿?」

 「いや、まだ確認した訳では無いのですが…。不穏な動きがありますので」

 「武市さん…ですか?」

 どうやら、ここからが本題に入る様だ。前置きの話しがここまでショッキングな内容なら、どうやらこの先は悲観的な内容になりそうである。以蔵は覚悟を決めて、聞いてみた。

 「遂に動きますか」

 「…お気を付けて下されよ」

 空気が止まった。


 暫く何も話さず、雪見窓からの窓の景色を眺める二人。自分に刃が向けられるのか、それとも何かに利用されるのか…。恐らく中岡に聞いても答えないだろう。ただ、忠告に来てくれた事にだけ感謝するべきだろう。

 「只今戻りました」

 玄関から柔らかい声が聞こえる。

 「お客さまでしたか、いらっしゃいませ」

 佐那は障子を開け、両手を付いて丁寧に挨拶をした。

 「あ、申し訳ございません、お茶も出さずに…」

 「いえ、お構いなく、そろそろ失礼しますので」

 「あら、私が戻ったら御帰りになられますの?」

 佐那は悪戯っぽく笑ってみせた。

 「申し訳ございません、武家の出でこの通りの気性でして…」

 「いや、そんな」

 中岡は緊張が解れ、爽やかな笑みを見せた。

 「では、私はお茶を淹れて参ります」

 もう一度丁寧に挨拶をすると、佐那は土間に向かった。

 「間借りしている身ですので、良いお茶はありませんが」

 「武家のご出身だと、剣術も?」

 「下手な男共より強いのが欠点でして」

 「剣豪の奥方も、やはり剣豪ですか」

 「肝っ玉は私より座りが良いです」

 二人して笑い合い、先程の空気が掻き消された。そして、暫く中岡と談笑していると、佐那が茶を淹れて来た。

 「余り私の悪口で盛り上がらないで下さいまし」

 そう言いながら以蔵の睨み、

 「亭主より弱ければよろしいでしょう?」

 と、クスっと笑って見せた。

 「誰が弱い者か…」

 以蔵が呟きながら茶を啜ると、佐那は負けじと中岡に注意を促すように

 「中岡様、奥方様ができたならば、お優しくして上げて下さいまし。私の様に、強くなられると嫌で御座いましょう?」

 以蔵は茶を吹き出しそうになる。

 「こう見ちょると、とても剣豪夫婦には見えんのお」

 ついに土佐訛になり遠慮なく笑う中岡に、

 「中岡様まで、失礼です」

 佐那も笑った。どうしようも無く心地よかった。妻が居て、友が居て、笑いあえる時間がある。自分が幕末に居る事を忘れさせてくれる時間が、土佐に居る間は流れている。


 しかし、それは呆気なく崩れ去る。

 土間で物音がした。

 中岡も、佐那も聞こえていない様だ。以蔵だけに聞こえた物音は、背中に冷気を感じさせる。

 『来た…』

 暫く遠ざかっていた斬り合いの空気が迫っている。襲撃を掛けるにはまだ早い。しかも、気配はたった一人。これは普通の襲撃では無い事に、以蔵は気付いた。

 『どうする? 待つか、攻めるか…』

 「あなた?」

 佐那が異変に気付き、以蔵を見る。それに応える様に以蔵は頷き、立ち上がる。

 「以蔵殿…佐那殿?」

 立ち上がり以蔵の太刀を取りに行く佐那に、不審な目を向ける中岡。そんな中岡を無視し、脇差を差し、佐那から太刀を受け取り即座に廊下を走る以蔵。


 「何じゃ、もう気付かれたがか。流石剣豪ち呼ばれるだけあるのお」

 水瓶の水を飲みながら、以蔵を見る男は、酷く汚れた格好で、顔にも泥が付いている。帯刀しているが、柄紐はボロボロで、手入れがされていない。

 「貴様、誰だ」

 「お前こそ、誰ぞ。人の名使って何してくれちょるがか」

 「人の名だと?」

 「さっきの女子、斬っても良かったが、殺気を出してしもたら勘付かれるやろ思うての。まぁ、殺気を出しちょらんのに見つかってしもうたが」

 薄汚れた男は笑いながら水を飲んだ。

 「岡田…以蔵か」

 「そりゃおまんの名じゃろう。ワシに戻してくれるがか?」

 「やはり、あんたが…」

 「武市先生に拾われて土佐勤王党に入ったはエエが、ワシは阿呆でよう分からんきに、お主に会いに来たぜよ」

 「土佐勤王党…武市さんに?」

 後ろから中岡が走り寄り、黒い以蔵に問い質す。

 「どういう事じゃ! 武市先生はどげなつもりでおまんを!」

 「五月蝿いのが来たのお…言うたがやろ、ワシは阿呆じゃき、よう分からんち」

 黒い以蔵はまた大きく笑いだした。どうやら、こちらの黒い以蔵が本物の以蔵である事に間違いは無いだろう。しかし、武市の誘いで勤王党に入ったという事は、この以蔵に人斬りとしての役目を負わす、という事になる。そうなれば、自分が以蔵を語る必要は無くなり、以前のように、斬り合いの渦に巻き込まれなくて済む。

 「失礼した。お主の名を借りたのは、悪気があった訳ではない。

今後お主の名を語るのは…」

 そこまで言うと黒い以蔵が腕を伸ばし、言葉を遮る。

 「そらいかんちゃ。ワシはワシ。おんしはおんし。別々に以蔵にならないかんがよ」

 「別々に? どういう意味だ」

 「それが分からんから、ここに来たがやろ」

 どうにも会話が掴めない。

 「おまん、ほんまに阿呆じゃの」

 中岡が曇った顔で問いかける。

 「おい、気い付けよ。人に阿呆言われると、いくら阿呆でも腹が立つき」

 「慎太郎さん、武市さんの所に行きませんか?」

 「ああ、ワシも聞きたいがぜよ」

 「以蔵殿」

 以蔵は、黒い以蔵に語りかけた。

 「以蔵殿もご一緒に」

 「何かややこしいな、以蔵に以蔵言われちゅうがよ」

 その時、既に土間に草履を二つ持って来ていた佐那は、以蔵に耳打ちした。

 「以蔵でも、剣一でも、貴方は貴方ですよ」

 以蔵は佐那の肩をポンと叩き、

 「行って来る」

 そう言って土間から外に出た。

 中岡慎太郎と二人の岡田以蔵は、暮れて行く土佐の城下を外れに向かい歩き出した。

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