武士として
大坂の町を歩き回る二人。なかなか目当ての男達は見つからず、桂がイライラして来ている。
「坂本君、結局四軒とも外れだったが…本当に見当は付いてるのか?」
「一発で見付けられる程間抜けな連中なら、とうに新撰組が見付けちょる」
龍馬自身も、土佐の人間が逃げ込みそうな場所を中心に探している。もちろん土佐所縁の商家だけではなく、裏で繋がっている商家、民家も捜索して行く。
五件目の捜索が終わった時、沖田と薫も合流した。
「どうじゃった、新撰組の方は?」
「だめですね…ま、期待はしていませんでしたが」
「仲間よりも坂本君頼りかい。新撰組も頼りにならないね」
「桂さん…もうその辺でやめましょうよ」
薫も面倒臭くなって口喧嘩を止めに入った。
六件目、普通の酒屋に着いた薫達。先に龍馬が中に入る。
「御免、主人は居るかいの」
「お、坂本の。久しぶりやの、どないしててん」
「あいや、今日は友達を探しに来たがぜよ…土佐の友達が、京から居らんようになってしもうての」
「ほうか…ま、坂本の旦那ならエエやろの。二階に行ってくれ」
「二階じゃの。おおきに」
龍馬はニッと笑って、外の仲間に声を掛けた。そしてその声に誘われて、薫・沖田・桂が入って来る。
「ちょ…旦那、そりゃ無いで。ワテの商売の邪魔しに来たんか」
「大丈夫ちゃ。主人に迷惑はかけんき」
そう言いながら奥の階段を上がって行った。
「六件目で当たりか…まあまあだね、坂本君の情報網は」
「見るからに土佐とは縁の無い酒屋…こんな所も潜伏先にするのか。今後は注意しよう」
「大坂の任には就かないで下さいよ、こんな探し方をされたら、龍さんに迷惑が掛かりますから」
口々に喋りながら昇る三人を、店の主人は青ざめた顔で見上げる。
「新撰組に桂…坂本の旦那の交友関係は、いつも謎やな…」
二階に上がり、一番奥の部屋に向かう龍馬。何も言わず、いきなり襖を開け放つ。
「おぉ、居った居った」
「誰ぜよ、おんしゃ!」
まぎれも無い土佐弁…だが、人数がやたらと多い。
「四人じゃなかったのか…まあ良い」
沖田がそう言いながら部屋に入ると、土佐の男達は一斉に身構える。
「き…貴様は沖田総司! 見つかってしもうたがか…」
そう言うとゆっくりと抜刀する。室内には8名の浪人が居た。
「まぁ座れ。今の沖田殿は斬らんがよ」
「!? おまん土佐藩士か…?」
「おう、ワシは坂本龍馬言うがじゃ」
「おまんが…武市先生の言うてた坂本殿か! 土佐にあだたぬお人じゃと、酒を呑む度に…」
「ほお…ワシの事をか。嬉しいの…」
「その先生も、今じゃ獄中じゃ…ワシらは何とか先生を助けにゃならんがよ!」
「それで大坂に火でも着けたら、武市さんが助かるがか?」
その問いかけに、勤王党の男達は黙る。
「今、本当に倒さないかんがは、幕府じゃなか。各藩それぞれがバラバラになっちゅう現状じゃ。一つにならんと、あの黒船を操る外国には勝てんぜよ。その為には、おまんらが死んだらいかん」
「ほいたら、ワシらはどうすればエエがじゃ! 先生も投獄され、指導者を失のうてしもうたがじゃぞ」
「自分で考えるっちゅう事をせんがか、おまんらは」
龍馬はそこまで言うと、薫に目を移した。
「斬り合う事が全てじゃ無いき。とにかく、この浅野殿の話しを聞け」
「田中、大橋、池田、石蔵屋殿はおられるか」
「おう」「ここに居る」「何じゃ」「…」
それぞれが薫の呼びかけに応える。
「ぜんざい屋襲撃の生き残りですね。あなた方はこれから薩摩に向かって貰います。その先は、薩摩の西郷殿に匿って貰って下さい」
「何ですって? 引き渡しは…」
沖田が口を挟むと、桂がそれを制する。
「新撰組に渡すと、間違いなく切り捨てられるだろうからね…」
その言葉に、沖田も言葉を殺した。斬らずに丸く納める方法…それを確かめるのだ。
「あなた方は大坂から薩摩に向かいます。その後、薩摩と長州の同盟の手助けをして頂きます」
「薩摩と長州じゃと? 何を言うがかおんしゃ…こうなったのも、その両藩が巻き起こした事が発端じゃぞ。犬猿の仲のそれらが同盟など結ぶ筈はなかろうが!」
田中光顕が笑いながら薫に吐き捨てる。
「そうかの…既に長州は興味を持っちょるがぞ? なあ、桂殿」
今度は桂を見ると、コクっと頷く。
「おまん…長州の桂かや!」
今度は池田応輔が驚きを隠せずに呆気に取られる。
「新撰組に長州に…土佐の郷士が一緒に何をしちゅう…」
相容れる筈の無い組み合わせに、勤王党全員が我が目を疑う。
「これこそが、これからワシらがやろうとしちょる事ぜよ。身分も藩も関係無い、ワシら一人ひとりが国なんじゃ」
龍馬がガバっと大きく腕を広げ、天を仰ぐ。
暫くその龍馬の姿に呆気に取られるが、薫がその空気を元に戻す。
「とにかく今は急ぎましょう。早く港で船に乗って逃げないと…」
「そうじゃの。ここから先はワシが送って行くき、薫殿達は京に戻るとエエがよ」
「分かりました。助かります。では沖田さん、しばらく大坂見物でもして、適当に京に戻りましょう」
そう言いながら沖田に視線を移すが、どうにも釈然としていない。
「このまま帰って良いのか…敵を前にして…」
沖田は鯉口を切った。
「いかん、みんな早う行くぜよ!」
龍馬は勤王党全員を促し、酒屋から出て行く…が、一人残っている勤王党の男が居た。
「ワシは唐山陽之助。同士を斬った新撰組を目の前にして、逃げるなどできん!」
「だめだ、二人とも刀を納めて!」
薫が叫ぶが、沖田は抜刀をして構える。
「龍さん、他の人達を連れて行って下さい!」
騒ぎが大きくなると、新撰組もここに駆け付けて来る。この人はもう逃げられない…そう判断した。
そして、その事を察した龍馬も、下から声を掛ける。
「分かった! 薫殿、後は任せたがよ!」
大勢の足音は、酒屋から遠ざかった。
「沖田殿、それがやっぱり君の正体だね」
桂が構えを取る沖田に言う。
「私は新撰組…やはり逃がす訳にはいきません。これが私の武士としての判断です」
唐山と沖田は、狭い室内で切先を合わせる。その瞬間、沖田の突きが唐山の太刀を横に弾き、左肩を貫く。
「沖田さん!!」
薫は悲痛な叫びを上げた。そして桂はその光景を見た後、目を瞑る。
左肩に刺さった太刀を引き抜き、再び構える。そして、唐山も右腕だけで構える。
「止めろと言ってるのが…」
薫は鯉口を斬ると同時に、沖田と唐山の太刀を斬り上げ、上方に弾いた。
「分からんのか!」
腹の底から声を絞り出す薫。その声は沖田も聞いた事の無い、殺気の籠った声であり、その斬撃も今までの薫とは比べ物にならない重さと早さがあった。
「お前らが斬り合った所で、この国の何が変わると言うんだ!
新撰組?勤王党? そんなちっぽけな物の為に、何人の人を斬り殺した! それでこの国がどう変わった!」
これには流石に桂も驚いた。沖田も同様に驚き、また同時に心に刺さった。
薫の怒号の後、静寂に包まれていたが、唐山が口を開く。
「せっかくのご厚意に水を差してしもうたの…。沖田殿、ワシを屯所に連れて行ってくれんか」
「唐山殿…?」
「こうなったのも、思慮の足らぬ行動のせいじゃ。せめてもの、武士の一分を通させてくれんか」
沖田は黙って俯いている。無理も無い。自分が四人で打ち合わせをした事を裏切り、こうして一人の男を犠牲にしてしまったのだ。
誰も切る事の無い世の中を作る。それを自らが挫いてしまったのだから。
「まぁ…お主が犠牲になったら、他の勤王党の連中が逃げても、沖田君の責任にはならないね」
桂の言葉に、唐山は微笑んだ。
「一人の死で、仲間と敵を救う…死ななくても、事は解決したんだ…」
薫は絞り出すように言い放った。
こうして、龍馬は勤王党残党を引き連れ、大坂の港から薩摩に向けて出立した。彼等は後に西郷を説得、庇護を受けた後に、龍馬が設立する集団の一員となる。
犠牲者一名となった酒屋の前に、真っ黒に汚れた浪人が一人、怪しい笑いを浮かべていた。その男は、ゆっくりと踵を返し、酒屋の陰へと消えた。