三段突きvs.神速居合術
以蔵改め、薫が新撰組に入隊した翌日、屯所の庭に新撰組一番隊が揃った。人数にして約20人弱。沖田総司を筆頭に、規則正しく並んでいる。しかし、その中に薫の姿は無い。
しばらく時間が経ち、20人程の視線が集まる障子が静かに開き、薫の姿が現れる。
「いや、何だか照れてしまいますね…」
そう言いながら頭をグシグシと掻く。
「よく似合ってますよ。一回り大きい寸の羽織があって良かった」
集団の先頭に立つ沖田は、腕を組んだまま満足そうに笑っている。
薫は薄い水色の羽織をはおり、額には鉢巻をしている。新撰組の制服とも言える姿でのお披露目だ。
その薫の背後から土方も姿を現し、一番隊全員の背筋が一瞬にして伸びる。鬼の副長と言われるだけある威厳を保ち、一番隊に声を掛ける土方。
「皆、良く聞け。今から浅野殿と試合って貰う。不甲斐ない姿を晒した者は、即刻除隊処分とし、それ以外の者は新屯所となる西本願寺へと向かう」
一番隊は唸り声を上げる様に歓声を上げ、薫に殺気を向ける。
「副長、聞いてませんよそんな事。この20人と試合うなんて…」
「浅野の入隊試験とでも考えてくれ。相手にならぬだろうが…な」
土方はイタズラ坊主のように笑って、薫の背中を押した。
「薫さん、土方さんは薫さんの剣が見たいんですよ。もちろん、私も一番隊ですからね…」
バカな話になって来た。一番隊隊員ならまだしも、沖田総司と試合うなどとは思ってもみなかった。
薫は眉をしかめたまま、深い溜息を吐き、
「副長、鞘付きの木刀などはありますか?」
「木刀だと? 竹刀は…」
「私の剣技は、竹刀では出せません。もちろん隊士の皆さまにも木刀を」
その言葉を聞いて、隊士の半数が気後れした。
「常に斬る・斬られる戦場に身を置く者が、木刀での打ち合い稽古に恐怖を抱くのか? 新撰組も噂程では無いな」
薫が隊士を煽るが、それでも気後れしている隊士が数名居る。土方はその隊士の元に向かい、胸座を摘まみながら言う。
「貴様、今すぐここを去れ。闘わずして負けを認める輩は、新撰組には必要無い!」
数名を屯所より追いだした後、沖田は笑いながら薫に言う。
「闘う前に敵を減らすとは、それも居合の極意ですか」
「武士道とは、敵を作らぬ事が先決と心得ています」
薫も口元を緩めながら返し、ゆっくりと庭に降りる。
「浅野、木刀は要らんのか?」
「木刀なんて当たると痛いじゃないですか」
土方と浅野のやりとりを見ていた隊士は、クスクスと笑いを広げて行った。すでに一番隊の雰囲気に入り込んだ薫は、集団の中心に進み、竹刀を脇に取って構えた。
「さあ、どなたからでも」
悲鳴と歓声、竹刀の乾いた音が、屯所としていた前川邸の庭に響き続けて半刻。その声は静まり返った。竹刀を脇に構える薫を中心に、隊士達は倒れている者、座っている者に分かれて動く者は居なくなった。
その光景を見ていた土方は、沖田と共に身を乗り出している。
「抜刀術というものはどの流派にもあるが、これほどまでに高められる業なのか…」
「抜刀術のみを主体とし、それのみを高めた流派でなければ無理ですよ、こんな真似は」
そう答えた沖田は、竹刀を持ち薫に近付く。
「さあ、薫さん。次は私に見せて下さい。手加減は要りません」
遂に対峙した天才剣士と薫。中段に構え、ジリジリと間合いを測る沖田。薫は居合の間合いを計る様に前に後ろにと、摺り足で動く。
『横に撃ち抜けば交わされる。交わされれば撃たれる』
『撃ち込めば受け流される。受け流されれば斬られる』
お互いに最初の一手が出せない。特に薫は沖田の剣を見た事が無い事で、攻める好機がまるで見えないでいた。焦っていたのは薫だった。
沖田は間合いを少し取り、後ろに下がった。薫はそれを誘いだと判断し、間合いを詰めずに抜刀準備に入る…その後の刹那だった。
沖田の右足が前に出る。条件反射の様に薫が抜刀に入る。しかし、そこから伸びて来たのは沖田の切先。腹に向かって来る切先を、薫は紙一重で左に交わし、抜刀と同時にその竹刀を跳ね上げる…が、
薫の竹刀は空を斬る。その瞬間、沖田の二段目の突きが薫の肩に向かう。体を僅かに沈めながら突きを交わすと、そこでようやく沖田の右足が地を捕え、喉元に竹刀が向かって来ていた。間一髪で振り上げた竹刀でその突きを横に払う薫。しかし、首元からは突きの衝撃でできた傷から、血が流れる。
「早い…瞬きをしていたら、全部喰らってましたよ」
「本気で撃ったのに、全部交わしておいて早いは無いですよ」
「交わせませんでしたよ。真剣なら首の傷がどこまで達していたか…」
「真剣なら薫さんの抜刀はもっと早いでしょ。初撃の突きが跳ね上げられてましたよ」
二人はまた間合いを取り、構える。
「子供が二人、無邪気に遊んでいるとしか思えんな…。それも神の領域で」
土方は知らぬ間に流した汗を握りしめて見入っている。
突きを狙う。後の先の抜刀を狙う。共に最高の業しか使わないという暗黙の了解ができた空間で、武士道の意地のぶつかり合いが始まる。
沖田が間合いを広げ、その間合いを薫が受けて立つ。沖田の右足が浮くと同時に初撃が飛ぶ。今度は回避の難しい薫の胸元を目掛けて…その初撃を、薫は抜刀時の柄尻で弾き、軌道を外すが、すぐさま竹刀を引いて再度胸元に二撃目を放つ。沖田の切先は、薫の竹刀を交わして胸元に向かう。薫は体を捻りながら竹刀を避けつつ、着地をしていない沖田の右太股に斬撃を当てた。その瞬間、沖田の突きは軌道を変え、薫の胸を横一文字に撃ち抜いた。
お互いの竹刀の衝撃で、倒れ込む二人。
「あそこから横に斬り付けるなんて、人間業じゃないですよ…」
仰向けに倒れて、胸を抑える薫。
「突きに柄尻を当てるなんて…しかもそのまま斬撃とは、神速にも程があります」
方膝を付いて、脚を抱える沖田。
「お前達、どちらにしても修羅だよ。とても人間じゃ無い」
眉間を掻きながら、土方が呆れて言う。
「鬼の口から出た修羅なんて言葉、褒め言葉とは思えませんね」
沖田が笑いながら土方に言うが、それまでに薫に打ちのめされた隊士たちは、自分達の踏み入れる事のできない領域の闘いを目の当たりにし、それでも剣士としての血が煮えたぎっていた。
この後、新撰組屯所は西本願寺へと移り、全隊士が合同で剣術稽古をする事になるが、一番隊は新撰組随一の手錬が揃う隊となり、前線へと赴く機会が増えて行く事となる。