対壬生浪士
「何だお前達。その男は誰だ」
「本願寺辺りをうろついていました。どうやら倒幕派の仲間のようで…」
「京に居る倒幕派は全て天誅対象だ。斬り捨てなければいかんな」
厠に行った帰り、安藤副長助は新之助を連れて来た浪士達に呼び止められ、処分を伺われていた。
「良いだろう、この安藤早太郎が粛清してやろう。そこに座らせろ」
少し酒の入った安藤は、浪士達に命令し、新之助をその場に座らせた。新之助は酷く暴行を受けており、既に声も出ない程になっていた。
「…うぅ…ふぅ…」
新之助は安藤を睨みつけ、力を振り絞って声を出した。
「勝…随行の…」
「何を言っておるか! 黙れ!」
安藤は刀を振り下ろした。しかし、酔いで手元が狂った事と、必死に体を動かした新之助の行動で、腕に斬撃が降りた。
「ぐぅ…!」
新之助の腕に焼き付くような痛みが走り、その場に倒れ込む。腕の傷は深くはないが、それまでの暴行もあり、既に動く気力が無くなっている。
「貴様…覚えておれ…」
「何をぬかすか、幕府転覆を目論む賊めが!」
その声を聞き付けた、新撰組局長近藤勇を筆頭に、土方・沖田・斎藤、そして以蔵が部屋から出て来た。
「新之助殿! どうしたんです新之助殿!」
以蔵は枯れ木のように成り果てた新之助に駆け寄り、抱き上げた。その状況を見る安藤の顔には、困惑しか無い。
「以蔵殿のお知り合い…その者は倒幕派とお聞きしたが、以蔵殿
もやはり倒幕派か!」
安藤は手にしていた刀を以蔵に向ける。
「黙れ! 我は勝海舟の随行で京に入ったと言っておるだろう! この者も、軍艦奉行随行として京に入った我の連れだ!」
新之助を連れて来た浪士と安藤の顔色が変わった。薄暗い屯所の中庭であっても、その顔色が土色になって行くのが分かる程に動揺している。
「貴様ら…許さんぞ!」
以蔵は大きく叫び、背後に立ちつくす浪士に向き、鯉口に手を掛け構えた。
構える隙も無く、浪士達三名は以蔵に斬り捨てられた。
「以蔵! 修羅の姿を現しおったな!」
安藤がそう叫び、縁側から庭に飛び降りて来た。しかし、土方達はその様子を見ている。歯を食いしばり、我慢しているようにも窺えるが、微動だにしない。
「腕の傷はお前の太刀傷だな…。来い、仲間の傷を返してやる」
以蔵は腹の底から、低い声を絞り出し、再び居合腰となる。
「沖田、修羅の剣を見ておけ」
小声で沖田に話しかけるのは、局長の近藤。その声に反応し、拳を硬く握ったまま我慢している沖田は頷く。
安藤は中段の構えから、以蔵の腹に向かって突きを放つ。その突きを、体を僅かにひねりながら右に交わし、鯉口を僅かに切って鎬で受け流し、納刀する以蔵。
一瞬の攻防の後、再び位置を入れ替えて睨み合う二人の間に、時間は止まる。
安藤の剣先が少し上がったのを、以蔵は見逃さなかった。突きから斬撃に来る動作を、一瞬で察知し、上段に構える途中で両手首を撃ち抜いた。
刀を握ったままの二つの拳は上方に舞い上がり、次の瞬間、斬り上げた以蔵の刀は安藤の体を袈裟に切り付けた。地面に落ちる拳の音が響くのは、袈裟斬の後だった。
「胸の傷は深くない筈だ。だが、お前にもう刀は握らせない」
以蔵の眼光はいまだ鋭く安藤を睨みつけている。
「もう良いだろう…我々の不手際でお主の怒りを買った事は謝罪する。安藤の処分は、後で我々に任せてはくれまいか」
土方がゆっくりと庭に降りながら、以蔵に問いかける。
「幕臣でもある勝殿の随伴の者を、ここまでしてしまった責任はこ奴にあるが、お主の怒りはこれで納めてくれ。さもないと、今度は新撰組としてお主を憎まねばならなくなる」
土方に言われ、やっと刀の血を拭き納刀する以蔵。
「土方殿、新之助を…この男を寺田屋に運んで下さい。そこに坂本という男がいます。その男は勝先生の弟子に当たりますので…」
「我々が連れて行けば、坂本という男の中に遺恨が残るだろう」
「事の成り行きを説明すれば、根に持つ男ではありません」
そう土方に言うと、新之助の耳元で話す。
「意識はありますか? もう大丈夫ですから、先に帰って下さい。あと、勝先生と龍さんに伝えて下さい。しばらく別行動を取ります。勝手をお許し下さいと…」
新之助は小さく頷き、新撰組の羽織を着た者達に抱えられ、寺田屋へと向かった。
「以蔵殿は戻られないのか?」
「ここで私が新撰組のお仲間を斬った事で、私の事を良く思われていない方も多いでしょう。憎しみは憎しみを生む。私は感情に流され、刀を抜いてしまいました」
そう言うと、以蔵は太刀と脇差を帯から抜き、土方に渡した。
「良い覚悟だ。隊士にも習わせたいものだな…。総司、以蔵殿はお前に預ける」
土方はそう言うと、以蔵の太刀と脇差を沖田に渡し、奥の部屋に戻った。
庭で応急手当てを受け、一命を取り留めた安藤はその後、武士の恥として切腹した。腕に脇差を縛り付けての切腹だった。