壬生の狼
「ふう…京都の飯は旨いちゃ」
お龍の運んできた膳を平らげ、三人は行燈の暖かい光の中でゆっくりと流れる時間を楽しんでいた。
「なあ以蔵、お前はこの先、ずっと勝先生の元に居るのか?」
「いや、最近は諸国を走り回るのも良いと思い始めてます…」
「いよいよ、この時代に執着して来たか」
執着と言われたら、そうかも知れない。確かにこの時代のあらゆる物を目にし、あらゆる事柄を体感したいという感覚は出て来ている。それもこれも、歴史が変わる寸前に自分がこの時代から消えるという安心感が、新之助と出会ってから出て来ているせいでもあった。
「少し、散歩してきますね」
以蔵は新之助の言葉を笑顔で返し、その場をゆっくりと立ち上がった。
「まずは京見物か、それもエエにゃ」
龍馬も笑って送っている。二人を寺田屋の二階に置き、以蔵は階段を下りて行く。そして、何気なく階段の下から上を見上げると、何とも言えない感情が込み上げて来る。悲しみ・怒り…その感情の正体が分からず、複雑な気持ちで寺田屋を後にした。
大通りを北に歩き、更に大きな通りへと当たる。そこを左に曲がると広い川に出た。
川の土手沿いをフラフラと歩いていると、正面から羽織を纏った男が四人、歩いて来た。
「いや、あの時は死ぬかと思ったよ。総司が口から血を吹き出すんだからな」
「申し訳ありません。ご心配をお掛けしましたが、もうこの通り大丈夫です」
「しっかりと休養を…と、言いたいが、今は総司の力がどうしても必要だからな…頑張ってくれ」
「嫌だな…土方さんらしくないですよ」
その会話を聞いただけで、以蔵はすぐに新撰組と分かった。羽織を見ると、よく見る模様が描かれており、そこに居るのは正しく新撰組副長の土方歳三と、一番隊隊長沖田総司。
まさか寺田屋での会話の直後、その新撰組に会うとは…よく言う「死亡フラグ」が立ったかと思い、平静を装いつつ、その四人の横を通り過ぎようとした。
土方・沖田と過ぎ、後方の二人をやり過ごした時、足元に紙包みが落ちた。以蔵は反射的に声を出してしまった。
「あ・・・」
その声で四人は足を止め、以蔵の方を振り向く。ここは大通りと違い、鴨川の土手。静かな場所での声は、十分に伝わった。
「どうなされた?」
後方のうちの一人が以蔵に声を掛ける。これはもう、諦めて堂々としておこう…そう腹をくくり、
「これはお薬ではございませんか?」
そう言いながら、紙包みを拾い上げた。
「あ、かたじけない。拙者のでござる」
そう言いながら沖田が駆け寄り、紙包みに手を伸ばした瞬間、その手が止まる。人を斬り続けて来た男の本能が、以蔵の体にある共通点を感じたのだ。
「いかがなされましたか?」
以蔵はあくまで平静を装い、天才剣士に軽く微笑み返す。
「…土方さん、この御方もご一緒頂いて宜しいでしょうか?」
沖田は振り向かず、土方に向かって言う。そして、それに答える土方。
「その御方に聞くのが先ぞ。総司、礼儀はわきまえろ」
まずい事になった。この状況で新撰組と出会い、どこかに連れて行かれるとなると…そこまで考えた後、ふと頭を過った。
「新撰組副長土方歳三殿、一番隊隊長沖田総司殿とお見受け致します。拙者、軍艦奉行勝殿に随行させて頂いております岡田以蔵と申す」
幕府側の人間であると同時に、その護衛をしている事を先に告げた。敵では無い事をアピールしたのだが、岡田以蔵の名が邪魔をしたらしい。
「岡田…あの修羅が、軍艦奉行に随行だと? 大老を失脚させ、土佐藩要人を失脚させたと聞くその修羅が、何故幕府に就くか」
土方が以蔵に歩み寄りながら、問いかけた。
「新撰組副長ともあろう御方が、そのような噂を信じておいでか。拙者は伊井大老をお守りし、土佐では刺客から東洋殿をお守りしただけの事。その後、噂がどう曲がったかは拙者の範疇ではござらん」
その言葉を聞くと、沖田は不敵に笑いながら
「そんな事はどうでも良いですよ。とにかく敵じゃ無いなら、同じ剣の道を行く者同士、酒でも呑みませんか?」
「総司、お前は何を考えてる!」
随伴している他の男も、総司を止めに入るが、土方が一笑して言う。
「斎藤、安藤、良い…。岡田殿、失礼で無ければ、御一緒願えないか?」
これは妙な事になって来た…龍馬と関わりを持ちながら、新撰組とも関わるとは…この先、一体自分の身はどこに向ければ良いのだろう。
「壬生の狼に呑み込まれるか…」
以蔵はこの先、すでに引き返す事の出来ない地獄へと向かっている予感がしていた。