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維新の剣  作者: 才谷草太
旅立ち
13/140

船上にて

 「そんな…分からないのですか?」

 荷物をまとめる以蔵の横で、不安を隠せない佐那が絞り出す声で言う。

 「ああ、勝先生の元で働かせて貰う事にした。これからは各藩を回る事になるかも知れないから、いつ戻れるかは…」

 「この国の為とは言え、随分急な事で…」

 佐那はどう答えれば良いか分からず、涙を浮かべている。

 「まだ決まった訳じゃ無いんだ。急がないという事であれば戻るし…」

 そこまで言うと、佐那は顔を上げて言葉を遮る様に言った。

 「そこまでの御準備をしている以上、帰るつもりは無いのでしょう」

 涙を溜めながらも、溢さないように少し上を見ながら気丈に笑ってみせる。

 「私とて武士の娘、武士の妻です。こちらで、御帰りを待っておりますので、御国の仕事に邁進して下さい」

 そう言うと、部屋を出て行った。

 数年の夫婦生活を送ったが、佐那は以蔵に取って掛替えの無い妻となっていた。しかし、勝の元へと行き仕事をするとしても、各藩を回る事となり、佐那の元にそうそう戻る事はできなくなる。働かないとなると…この時代から完全に姿を隠さなければいけない。

 どちらにしても、この先佐那と触れ合う時間は少なくなる、最悪は無くなるのだ。


 これから先の行動は船上にて決める。


 「以蔵殿、準備できたがか?」

 玄関で龍馬が待っていた。

 「重太郎さんは行かないんですね?」

 「ああ、今日は見送らせて貰う。まだ決心は付かないし、道場の事もあるからね」

 そう言う重太郎は、少し寂しそうな顔をしていた。何と言っても楽しみにしていた彼にとって、道場を放置する訳にもいかない事情がもどかしかった。

 「分かったちゃ。今日は二人で行って来るき、報告を楽しみにしとくぜよ」

 そう言って二人は勝の屋敷に向かった。

 佐那は見送りに来ていない。恐らく、今は会いたくないのだろう、そう以蔵は思い、千葉道場を後にする。

 「以蔵殿、その荷物…戻る気が無いっちゅう事か?」

 「ええ、どうなるか分かりませんが…御存じの通り私はこの時代に多大な影響を与えながら過ごしていました。この先、更に激動の時代となる中で私が大きく波を立てる存在にならないとも限りません…」

 「ほいたら、どこに身を隠すがか?」

 「まだ決めてません。海を見ながら考えますよ」

 龍馬と以蔵は、そんな会話をしながら歩いて行った。


 「やあ、遅かったじゃないか。早速行こうか」

 勝邸に到着するやいなや、勝は御供を引き連れ船着き場へと向かう。


 港が見えた頃、勝が龍馬と以蔵に聞く。

 「船があったら、二人は何に使う?」

 「ワシは各藩を飛び回り、交易もしたいがな。亜米利加とも交易できたら面白いな」

 「龍馬は商人か」

 「実家が商家じゃからのお。どこまで行っても、ワシは商人かも知れんのお」

 各藩を巻き込み、国力を上げたい、等とは流石に言うはずもなく、龍馬は無難な言葉を返したつもりだったのだろう。が…あまりにもその答えがこの先を予見した言葉で、以蔵は内心笑っていた。

 「以蔵さんはどうだい?」

 龍馬の言葉に心を解きほぐしていた所に、勝が質問を投げかけ、少し戸惑いながら答える。

 「私は…海に出ます。どこか遠くの…」

 香り出した潮を肌に感じながら、遠くを見つめる以蔵に、勝が一言放つ。

 「亜米利加なら、明日出航する船がある」

 その言葉を、驚きもせずに以蔵は腹に入れ、龍馬もいずれ来る友との別れを予感した。


 「勝先生、船はどこにあるがか?」

 「ここには無いよ。海の底が浅いから入って来られないんだ。沖まで小舟で行くよ」

 そう言って、小舟に乗りこみ、手招きをしながら沖を指差す。

 「ほら、あれさ」

 指の先、遥か沖に黒い船が浮かんでいた。

 「おお、煙吐いちゅうがよ、あれが向かう黒船かや。何度見てもまっこと恐ろしい姿ぜよ」

 小舟に飛び乗り船頭に駆け寄ると、

 「早う出してくれ、もっと近くで見たいがよ、ほれ」

 そう言いながら櫂を動かそうとするが、船頭は嫌な顔を浮かべながら櫂を龍馬から奪い取る。

 「慌てなくても行くさ。龍馬はせっかちだな、全く」

 先に乗り込み座っている勝が笑う。

 後に続いた以蔵は、表情を一切変えない。

 小舟は沖へと向かう。徐々に近付く黒船と比例して、龍馬の貧乏ゆすりが大きくなり、反比例して以蔵の表情が曇って行く。

 「木でできてるがか!」

 間近で黒船を見た龍馬は、驚きを隠せない。

 「木材を組み上げ、上からタールと呼ばれる液体を塗りつけてるんだよ。これを塗ると、外板が腐るのを防ぐ役割があるそうだ。それと、あれがパドル。車輪だね」

 「海の上を車輪で走るがか?」

 「あれで水を掻いて進むんだ」

 「ほお!凄いちゃ、まっこと凄いちゃ!」

 素直に驚き、その度に感激する龍馬を尻目に以蔵は投げ降ろされた縄梯子を上がって行く。

 それに気付いた龍馬は、下から以蔵に叫ぶ。

 「ずるいぞ以蔵殿、ワシが最初に昇るっち決めちょったがよに」

 「下でいちいち驚いてるからですよ。どうぞごゆっくり」

 そう言いながら昇ってしまった。遅れた龍馬は慌てて上に昇る。

 甲板に出た以蔵は、港の方を見た。

 高層ビルも、東京タワーも無く、平たい風景が広がっている。その風景の延長線上に水平線が広がっている。何もかもが、数年前まで居た東京とは違っている。そして、後ろを振り返り、またグルリ

と風景を見るが、そこには水平線しか無い。

 「いや、江戸の港は不便だね。神戸なら港から直接乗れるようにできるんだけどね」

 そう言いながら、勝も上がって来た。

 「どうだい、二人とも…。これが黒船だよ」

 その言葉を聞いた龍馬は、ワクワクが止まらないのだろう、

 「勝先生、船の中を見て来てエエがやろか」

 「仕事の邪魔にならないようにね」

 「分かったちゃ!」

 そう返事をすると、まるで疾風の如く走って行った。

 「あの男の好奇心には驚かされるね」

 勝がそう言いながら、水平線を眺める以蔵の横に来た。

 「私は江戸を離れようと思います」

 視線を動かさずに、勝にそう伝えた。

 「神戸にかい?」

 「いえ…」

 「そうかい。明日の便で良いかい?」

 「はい」

 以蔵の返事を聞いて、しばらく沈黙が続いた。が、あちらこちらで土佐訛の驚きの声が響き渡っている。

 「あの坂本龍馬は、この時代に光をもたらす男です。何卒よろしくお願いいたします」

 以蔵は勝に頭を下げる。

 「君は何者なんだい?」

 そう聞かれると、以蔵はまた水面に目を移しながら、口を開いた。

 「勝先生は、歴史を御存知ですか?」

 「ああ、ある程度はね…それがどうしたんだい?」

 「私は、江戸時代・幕末、そしてその後の歴史を知ってます」

 「何だい、占い師かい?」

 神妙な顔つきで答える勝。しかし以蔵は視線を勝に向けて、更に口を開く。

 「知っているんです。その歴史の中に放り込まれたら、どうすれば良いでしょうか。歴史を変えずに生きる事、それがどれ程の孤独を意味するでしょう」

 以蔵の顔は、恐怖と寂しさに満ちていた。

 「そうか…まさかとは思ったが…」

 まだ半信半疑だろう。困惑している表情を浮かべながら勝が口を開く。

 「以蔵殿は、既にこの時代に名を轟かせてしまった。それが後にどう影響するかは分からないが、大切なのは今を如何に生きるか…だと思うよ。何の意味も無くこの時代に生きている人間は居ない。龍馬だって、私だってね。とうぜん、以蔵さんも何かをする為に、今、ここに居るんだと思うけどね…」

 以蔵は声を殺して泣いていた。

 江戸時代に来て、龍馬達と出会い、数年間過ごした。佐那と結ばれた。そして人を斬った。全て歴史の一部として取り込まれていた事が怖くもあり、自然であったようにも思える。

 「人は皆、なぜ生きてるかなんて分からない物だよ。それは君だけじゃ無い。今を生きている人間全てだ」

 そう言うと、勝はどこかに歩いて行った。


 暫くすると龍馬が戻って来た。そこに興奮した姿は無い。瞼を腫らした以蔵が尋ねる。

 「龍さん…どうしたんです?」

 その姿に違和感を感じた以蔵が問いかけると、龍馬がニッコリ笑って答える。

 「勝先生には話したがか?」

 龍馬は見通していた。

 「叶わないな…龍さんには」

 「ほいで、亜米利加に渡るがか?」

 「いえ…今渡る事はやめました。暫く、勝先生の元で、自分がここに居る理由を探そうと思います」

 「そうか…分かった。ワシは操練所を作る為に、走り回るがぜよ」

 「ええ…でも、油断しないように…」

 そう言うと、龍馬は以蔵の口にボロ布を押し当てた。

 「言わんでエエ。歴史を変える事を嫌って目を腫らしたがやろ。ワシは待っとるき…歴史の審判を。じゃから以蔵殿は、自分の歴史を見付けるがぜよ」

 以蔵は、また涙が出た。もう自分の意思で止める事は出来ない程の涙が溢れ出た。

 龍馬は、それを見ずに、太平洋を見つめた。

 「ワシは、いつか世界に出るぜよ」

 目を細め、遠くを眺めているが、その眼には決意が見えていた。

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