時を生きる
勝海舟に弟子入りした3人(正確には巻き込まれた2人)は、勝の屋敷を後にし、帰路に着いた。
「えらい先生っちゅうがは、どの人も世界世界言いよるな」
嬉しそうに龍馬が話しているが、重太郎の顔は曇ってる。それを見て龍馬が重太郎に問いかける。
「どうしたがじゃ、さっきから暗い顔ばっかりして」
すると重太郎は顔を引き締めて龍馬に喰い付いた。
「斬りに行った人間に言い包められて、3人が3人とも弟子入りなんて…恥じゃないか」
「龍さんは最初から斬るつもりなんか無かったんですよ」
そう重太郎に言う。しかし、その視線は龍馬を捕えている。
「いや、参った。見抜かれちょったかよ」
龍馬は視線を前に向け、両手を懐に入れたまま微笑んでいる。
「斬るがはいつでもできる。話を聞くには生きてる内に、じゃ。最初から斬るつもりなら、会いに行かんぜよ」
重太郎は、やられた、と顔を顰めながら千葉道場へと戻って行った。
当然のように龍馬は千葉道場で夕食を済ませ、以蔵の部屋に居る。そこには重太郎も座っており、昼間、勝の屋敷で受けた話しの復習をしていた。
話しの結論を言ってしまうと、軍艦に乗せて貰ってから色々考えよう、という事になった。最も、龍馬を止める者は無く、ここに一人だけ勝に協力する万全の男が居るのだが。
噂好きの好奇心一杯である重太郎も、取り敢えず見るだけ、乗ってみるだけ、という誘いは魅力だった。
世間を賑わせた黒船に乗れるのだ。一介の剣士では叶わぬ夢。その軍艦を駆り、海原へ漕ぎ出す自分を想像したりもした。
こうまで自分で想像しておきながら、断れる程に弱い誘惑では無い。
残る一人は以蔵。
勝に頼り、歴史から隠れる術を探すか、それとも歴史の渦に巻き込まれる事に身を任せ、勝の元に弟子入りするか…。後者を取れば、勝は歴史上の重要人物であり、再び渦中に飛び込む事は決まる。しかし、歴史から隠れる事が、勝の力でできるのか…。全ては船上で勝と会い、その時に決めてしまわなければ、歴史の渦から抜け出す機会は無い。そんな強迫観念にも似た感覚を、以蔵は持っていた。
「以蔵殿、ここはどうじゃろう…ワシの道を手伝うて貰えんがやろか?」
重太郎が部屋を出て、二人きりとなった部屋で龍馬が口を開く。
「龍さん…何をお手伝いすれば良いんですか?」
「ワシにもまだ、正直分からんが…あの黒船を使って、この国の洗濯が出来んがやろか」
「黒船を使って…?」
「そうじゃ、今、各藩の内情は知っての通り無茶苦茶じゃ。それはこれから更に酷くなる筈じゃ。そんな事をしちょったら、亜米利加の思うがままに国力が衰えて行きよる」
「各藩を威嚇する為に、あの黒船を使うとでも…?」
「違うちゃ。あの黒船で、各藩をまとめられんがやろか」
黒船を使って各藩をまとめ、団結力を増す事によって国力の回復と、列強にも負けない軍隊を…恐らくそう言いたいのだろう。以蔵にもその事は分かっていたが、龍馬に付き従う事は歴史に深く関与してしまう、という事に繋がる。
「龍さん…私は直接手助けする事は出来兼ねます。これ以上歴史に関わっては…」
そこまで言うと、さすがの龍馬も口を挟んで来た。
「以蔵殿、お主は既に伊井直弼、吉田東洋という重鎮を失脚に追い込み、幕府にはでっかい影響を与えちゅうがぞ。その結果、以蔵殿の知る歴史にどう影響が出ちゅうがは分からんが、今、この時を生きる覚悟っちゅう物を決めるべきじゃと思うがよ」
歴史に深く関わり、何を今更…そう龍馬は言っている。しかし、そんな事は以蔵自身が誰よりも分かっており、だからこそこの先の道を思い悩んでいるのだ。
言葉に詰まり、二人の間に静かな時間が流れる。
「龍さん、まだいらっしゃったのですか?」
障子を開け、呆れたように佐那が口にする。
「夜も更けて来ています。そろそろお休みに…」
「そうじゃの…以蔵殿、明日は明日の風…じゃぞ」
「ありがとうございます」
龍馬は以蔵の気持ちを分かっていた。しかし、いつまでも悩むな、と言わんばかりに笑って部屋を後にした。
「あなた?」
佐那が以蔵の顔を覗き込む。
「俺は…この時を生きるべきなんだろうか?」
その言葉の真意が佐那に分かる筈は無い…が、佐那は以蔵に告げる。
「どの時であれ、人は与えられた時間を生きるべきだと思います」
にこやかに以蔵を見つめ、夜具の準備に取り掛かった。