創作詩18: 幼少期のトラウマ
本投稿では、創作詩 ”幼少期のトラウマ” を発表します。
ADHDの子供を連れて歩道を歩くときは、行き交う車や人にかなり注意を払います。なぜなら、子供が急に飛びだしたり転んだりする可能性が高いからです。私も例外ではないのですが、私の場合は幼少期の体験が大きく影響しています。
私が幼子だったころ、近所に小さなお宮さんがあった。
・私は母に連れられ三輪車で毎日のようにお宮さんに通った。
・境内で母と追いかけっこをしたり、
・鳩や野良猫に餌をあげたり、
・蝉や蝶を採ったり、
・花を摘んだり、
・懐かしい!
・お宮さんには同じ年頃の子がお母さんと一緒によく来ていた。
・その子とどんな言葉を交わしたかは覚えていない、
・互いに玩具を持ち寄ってママゴトをしたり、
・相撲みたいなことをしたり、
・たまに喧嘩をしたり、
・仲が良かった。
・ある日を境に、その子はパッタリとお宮さんに来なくなった。
・それ以来、その子のお母さんも全く見かけなくなった。
・私は「あれれ?」と思いながらもずっと黙っていた。
・しばらく経って、大人達の会話が薄らと聞こえた。
・「その子は亡くなったって!」
・「車にひかれたって!」
・そのときの光景は映像を撮ったように私の脳裏に滑っと焼き付いた。
・日差し、玉垣、狛犬、三輪車、玩具、遠くに母と大人達、
・本堂の裏から鬼が出てきそうなザワザワ感で、
・私の心身はカチカチに凍結した。
・「えっ、死んじゃった?」
・「死んじゃった!」
・私は多動の子を連れて外出する度、今でも当時の記憶が鮮明に蘇る。
・昔は子の手を無意識にギュッと握ってしまうこともしばしば、
・今では大人になった子と手をつなぐわけにはいかない。
・私は子のそばを行き交う車や人に注意を払いつつ、
・自分にできることはもうほとんどないと、
・どこか冷めている。
私の不幸はわずか3歳で「人生なんてあっけない」と悟ってしまったことだ。
終わり