17.冬の訪れ
空里は、目がおかしくなったのかと思った。
シェンガが二人いる?
いや、シェンガとは別のミン・ガンが彼の隣に立っているのだ。
彼は、惑星〈水影〉からやってきたミン・ガン族長会の特使フォヌガと名乗った。
ラントール寺院大聖堂上階にある救世医療院の展望テラス。
そこで療養にあたっていた上皇アサト一世は、夫に守られながら反発場安楽椅子に座り、特使の謁見に応じていた。
フォヌガは空里の親書と星百合の星系への搬入許諾に対し、全ミン・ガンを代表して丁重な謝意を述べた。星百合の移動にあたっては、専門家である皇帝クアンタも協力を惜しまぬ約束をしてくれたという。
「いずれ、族長衆自らも陛下への拝謁を賜りにうかがうかと存じます。その時には、英雄シェンガとその家族も同席をお許しいただければ幸いです」
英雄シェンガという言葉に、当の本人は白目を剥き口を開いて変顔をして見せた。「勘弁してほしい」という顔だ。
ミン・ガンの英雄は特使を先に退がらせ、銀河上皇の前に立った。
「まったく、立場の落差が激しすぎるぜ。英雄だなんて……空里があの手紙に『我が友』とか余計なこと書くからさ」
「でも、よかったじゃない。親書も無事に届いたし。〈天翔樹〉にいたミン・ガンさんたち、脱出できたんだ」
「どうも、ユーナス軍の揚陸戦闘艇をハイジャックして軌道上の母船まで送らせたらしいな。ミン・ガンならやりかねんことだ」
シェンガは笑みを消すと、空里の顔を眩しそうに見上げた。
「それで……体はどうなんだよ」
シェンガの態度に微妙なためらいがにじむ。
空里には何故かわかっていた。まだ自分の顔の変化に慣れていないのだ。
「もうすっかり、大丈夫。ありがとう」
「なら、よかった。それでその……ひとつ、頼みがあるんだが……少しの間、暇をもらえないか? 一度、母星に帰って来ようと思うんだ。すぐ戻るからさ」
空里は喜んだ。やっと彼を家族のもとに帰せる。
「何言ってるの! あたしの許可なんかいらないでしょ。シェンガは自由よ。好きにこの銀河を歩き回る権利があるんだから」
どこかで聞いたことがある言葉に、シェンガは眉根を寄せた。
自分が初めてアサトにかけた言葉じゃないか。
「ありがとう、本当にすぐ戻るから」
「慌てなくていいよ。ゆっくり里帰りしてらっしゃい」
「そうもいかんだろ。皇帝陛下の下手将棋も相手しなきゃならんしな」
そう言うと、シェンガは空里の左手を取りキスをした。
驚く空里から離れながら、気まずそうに苦笑する。
「ミマツーにこうしろって言われたんだ。じゃあ、またな」
歩み去るミン・ガンの英雄の背後で、メタグラス製の扉が閉まった。
扉には、青空と草花に彩られたテラス。それに空里とネープの姿が写り込んでいる。
空里はあらためて自分の顔をまじまじと見つめた。
額から目の上にかけては、青い石の肌となっている。皇冠との同化は刻一刻と進んでいるのがわかった。
どこまで石になっていくのかな……そのうちお化けになっちゃいそう。
それでも、彼はそばにいてくれると言った。今はその言葉を信じるしかない。
あの約束だけが、心の支えだった。
扉に写ったお互いを見つめ合っていると、ネープが別の顔の話を口にした。
「ユリイラは……本当に私の顔をしていたのですか」
「うん。あなたとミマツーと、他のネープと同じ顔。それにマスクの下は今の私と同じだった。どういうことかはわからない……でも星百合が何か関係しているのは確か。〈天翔樹〉を脱出して、彼女とすれ違った時も思ったんだけど、星百合を介して私と彼女は何か繋がりがあるみたい」
「また、あんな形で襲って来る危険がある、ということですか?」
「ううん、多分もう大丈夫。あれはユリイラにも簡単なことじゃないみたいだし、今度同じように近くに来たら、私にもわかると思う。私もだいぶ星百合に近づいたっぽいから」
ネープは扉に写った空里から目を外し、その顔を直接見た。
「そして、アサトを母と呼んだ……」
空里はため息をついて椅子をテラスの外に向け、抜けるような青空を見上げた。
「わけわかんない。考えればわかるような気もするけど、怖くて考えたくないの」
「皇冠が知りたくないことまで教えそうだから?」
「そうね。でも融合が進んで、よかったこともあった。星百合って何なのかも、なんとなくわかったよ」
ネープは空里を見下ろして、少しだけ目を見開いた。
「星百合は『時間』……なのよ。時間そのもの。うまく説明できないけど、時間でできている生き物……っていうのかな」
「時間で……できている?」
「時間って不思議な言葉よね。『水の流れ』とか『空気の流れ』って言葉もあるけど、『時間』てその流れも含んだ言葉じゃない。『時間の流れ』って言ったら、二重に流れを表してるのよね。じゃあ、そこに流れているのは何? 私たちは水も空気も触ったりコントロールしたりできるけど、時間に流れているものには見ることも触ることもできない。星百合にはできるのよ」
「ああ、私たちの……人間の体がほとんど水でできているように、時間でできている……ということですか?」
「まったくその通りじゃないけど、とても近い例えじゃないかな。とにかく、私たちにはとてもできないやり方で時間と関わる生き物なんだと思う。リリィ・ウェイも不思議な空間も、その力を使って開いているんだわ。それで、重力にも影響できるのかもね」
「そういう話は、学説として読んだことがあります。未だ証明されていませんが、アサトが星百合との繋がりの中で直感的に悟ったのなら、本当にそうなのでしょう」
空里は、そう言いながらネープが自分の右手を見つめているのに気づいた。自分の一部になった星百合のかけらに。
「ね、だいぶ人間らしい手になったでしょ? もう、普通に動くし感覚も戻ってきたのよ」
差し出された青い石の手を、ネープは両の掌で包み込んだ。
そのまま引き寄せ、指先に口付ける。
シェンガと同じように、はっきりと温かさを感じるキスだった。
もしも自分に時間をどうにかできる力があるなら、今この瞬間こそ止めておきたい。永遠に平和な時間の中で、いつまでも彼と一緒にいられたら……。
それが望むべくもないように、星百合にもかなわぬことがあるのかもしれない。人間の理解を遥かに超えた存在でありながら、恐らく星百合には人間が必要なのだ。それが何故かはわからないが、時間と同じように自分にはどうしようもない人間の意識、心、思いといったものと関係がある気がする。
空里は星百合を近くに感じながら、そこに怖さも感じていた。
でも、彼がいれば大丈夫。
青い石の手でネープの手を引き寄せ、口付けを返した。
「上皇陛下が召されるからには、まずは栄養を重んじるべきです」
「陛下は地球の文化に馴染まれてるんです。それを無理に変えなくてもいいのでは?」
テラスの扉が開き、意見し合う二人の女たちと共に銀河皇帝が入ってきた。
「お邪魔かな?」
クアンタの後ろで口をつぐんだのは、ミマツーと小柄でふくよかな女性だった。
マダム・ポルサ。元老院が空里の秘書兼、侍女頭として派遣してきた齧歯人類ナミ・ガンの女官だ。真っ白な肌とおかっぱ頭から飛び出した大きな耳は、オポッサムを思わせる。
初対面の日、空里は言われたものだった。
「陛下は領外宙域ご出身で、帝国公家の格式についてご存知ないことも多ございましょう。私がしっかりお支えいたしますので、何なりとお頼りください」
どうやら、元老院から田舎娘の教育係という役割も与えられているらしかった。
彼女は療養中の空里の面倒も見てくれていたが、その方針をめぐってことあるごとにミマツーとぶつかっていた。
「もう、お部屋に戻ろうと思ってたところです。後ろの二人はまた何か?」
マダム・ポルサが一歩進み出て、深々と礼をしてから言った。
「畏れながら、陛下の療養食の献立につきまして、少々討議していたところでございます。何より栄養のバランスを優先的に考えるべきなのですが……お騒がせして申し訳ございません」
ミマツーは横目でマダムを睨め付けながら反論した。
「私はそれをカバーした上で、陛下が食べたいものをお出しするのが一番だと……」
「はいはい、わかったわかった」
空里は安楽椅子から立ち上がった。ネープとともに、思わずクアンタが手を差し出す。
「大丈夫なのかね?」
「ええ、元気ですよ。いつまでも病人扱いされてると、めんどくさいことになっちゃいそう。私の食事は、二人が日替わりで担当して。それでいいでしょ?」
恐縮した二人の女性が頭を下げると、クアンタは思わず吹き出した。
「なんです?」
「いや、上皇陛下の得意技だな。ぶつかる主張に時間を持ち込んで解決する裁定だ。まったく見事だよ」
「そうですか? どんな問題もこれで解決できるわけでもないですけど」
「うむ、そうだな。〈千のナイフ〉ではうまくいったが、うまくいき過ぎたとも言える。大階段でのこともあったしな。この先ラ家やその一派がどう動くかはこれからだ。最悪、帝国が割れることも考えねばならんかもしれん」
クアンタの言葉は重かったが、空里をまっすぐ見据える目にはそれに負けない強さがあった。
〈千のナイフ〉での成功が、銀河帝国全体を不安定にするかもしれない──
そんな予感を煽るように、冷たい空気がテラスを吹き抜けた。
「風が出てきたようです。部屋に戻りましょう」
空里の肩を抱いたネープの言葉に、彼女は遠い故郷から心の中に持ってきた暦のことを思い出した。
「十月……終わったのかな?」
「なんだって?」
クアンタが聞いた。
「太陽系を出てきた時、地球は十月っていう時期だったんです。季節で言うと秋。実りの季節。その後は冬です」
「ああ、四季ならこの惑星にもあるぞ。冬になれば、もっと北の方では雪も降る。どこの星でも冬は寒く厳しい季節だろうな」
ひとつの星の平和という実りを手に入れた十月は終わり、銀河に寒く厳しい冬が来る……のだろうか。
それは長い夜につながる黄昏の時──
空里は肩を抱く夫の手を、石の手で握りながら扉に向かった。
「あ、陛下。お待ちください。お戻りになる時、大広間を見下ろす回廊は避けてください」
マダム・ポルサが、情報通信端末の画面を見ながら言った。
「なんで? そっちが近道じゃなかったっけ?」
「大広間に市民が集まっているのです。陛下との拝謁を希望する有象無象が銀河中から来ています。お姿を見られると騒ぎになるかと」
「銀河中? 私に会いに?」
ミマツーが我がことのようなドヤ顔で言った。
「今、陛下は帝国中で絶大な人気を集めているのです。地球で言うところの『アイドル』です」
空里は「英雄」と呼ばれた時のシェンガと同じ顔をしそうになった。
勘弁してほしいわ……。
マダム・ポルサは情報通信端末の情報を繰りながら顔をしかめた。
「衛兵隊は、先日のようなことがないように安全を確保しながら来訪者の身元を確認してますが……陛下の親戚縁者を騙るものが多くて混雑が続いています」
親戚縁者!
空里は呆れた。領外から来た自分にそんなものがいるわけないのに。
「どんな連中が来てるのだ?」
クアンタが興味本位でマダムに聞いた。
「ええと、惑星〈踊る岩〉から来た陛下の又従兄弟。〈白門〉星系の政治学院で陛下の同期だったという一団。陛下が行方不明の王女だと主張する惑星〈星峠〉の王家一行……」
笑う銀河皇帝の横で、空里はもういいと手を振った。
「陛下を雇っていたなどと申す者もおります。惑星〈天翔樹〉から来たユーナシアンの女で、なぜかザニ・ガンの子供を連れていると。なんとも、ありえませんわね。しかし、ご安心ください。これら不貞の輩はすぐに衛士隊がつまみ出しますので。お部屋に戻り次第、昼食にいたします。本日は私が……」
マダム・ポルサが顔を上げると、すでに主人はそこにいなかった。
閉まる扉の向こうに見えたのは、すごい勢いで広間に続いた大階段の方へと走って行く銀河上皇と、後を追うネープ二人の姿。
何事かとクアンタの方を振り返ると、銀河皇帝は微笑みながら肩をすくめるだけだった。
やっぱり、領外宇宙から来た娘は何を考えているかわからない。先が思いやられる。
マダム・ポルサはため息をつきながら、情報通信端末をしまってテラスを後にした。




