5.皇冠の秘密
体調……?
急に振られた質問に空里は眉をひそめた。
一四一のことだ。恐らく、三〇三との間のこともわかっているだろう。その上での質問かもしれないが、まだその兆候は全くない。ならば、ありのまま答えても差し障りないはずだ。
「はい、何も問題ありません。健康そのもの、だと思います」
ネープの長は小さく頷いた。
「よかった。であれば、やはり知っておいていただいた方がいいでしょう。それはあなたの皇冠についてです」
空里は今も頭に着けているそれに手をやった。
「実は、皇冠のことでまだ陛下にお伝えしていないことがあります。これまでの帝国における経験の中で、皇冠は大きな助けになってましたね?」
「はい。もうこの国で皇冠抜きの生活は考えられないと思います。これから難しい問題に直面するなら、もっとそうなるかと」
「それは、皇冠が陛下にしっかり適合し、共生関係を築いたことを意味します。そして、その先には新しい段階が待っています」
空里を見つめるネープ一四一の目が、さらに力を帯びた。
「皇冠は陛下の存在そのものに根源的な変化をもたらします。生物としての変化も含めて」
「え……?」
全く予想外の言葉に、空里は息を呑んだ。肩に回した手に、ネープのもう片方の手が重なる。
これは……なんの励まし?
「お話しした通り、皇冠は単なる機械ではなくその主との共生生物です。適合した主とは、精神的にも肉体的にも融合が進むのです。今はまだ知識や情報の供給源でしかないと思いますが、やがて陛下の知能や認識力も拡張します。そして、肉体にも影響を及ぼすのです」
ネープ一四一が、極力穏やかに話そうとしているのが分かる。それは下手な伝え方をされたら、パニックを起こしかねない現実だった。
空里はネープの手を強く握り返した。
「融合……って、これ取れなくなっちゃうってことですか?」
言いながら、頭の円環を少し動かしてみる。まだ、外すことはできそうだ。
「いずれ、そうなるでしょう。今がそれを拒む最後の段階です。もし陛下がこの先に進むことを拒否されるなら、外して二度と着けなければよろしいのです」
「そんな……いまさら、これ無しで皇帝をやっていくなんて考えられません」
思い当たる節はあった。皇冠の知恵を借りて思案を進めると、自分の考えなのか、皇冠の知恵なのか分からなくなったりする。
しかし、肉体的な変化とは?
「もし、着けたままでいたら? 外せなくなる以上のことが起こるってことですか?」
「なんとも申し上げられません。その先の段階まで皇冠と銀河皇帝との融合が進むケースは極めてレアなのです」
空里は急に先の見えない現実を突きつけられ、不安を感じ始めた。わざと冗談めかして、笑い混じりに聞いてみる。
「まさか遺伝子がどうにかなって、手足が増えたり、口が裂けたりとかそんなことにもなったりして?」
ネープ一四一はまったく表情を変えなかった。
「人間の遺伝子を書き換えたところで、肉体はすぐ壊れてしまいます。長くは保てません。 皇冠が影響するのは遺伝子という情報ではなく、それを記述している『宇宙の言語』そのものです。生命を数式でも分子でもなく、意味として書き換えてしまうのです」
「宇宙の言語……?」
「そう、陛下という存在を定義している基底の情報場を記述している言語です。この宇宙ではすべての粒子が、位置やエネルギーだけでなく『情報の波』として存在しています。皇冠はそこに介入し、あなたの『あり方』そのものを、別の存在の可能性へと遷移するかもしれないのです」
クアンタが口を開いた。
「そういうことなのか。だとしたら、因果律さえも越える変化が起きても不思議ではないな。星百合が開く超空間も、この宇宙の情報の裏側を通ってあり得ない距離を進む。同じようなことが皇冠の主の体に起こるのだな?」
皇冠も星百合由来の機械生物だから──
空里はクアンタの言葉を自分に置き換え、想像以上にとんでもないことが起こりそうな不安に震えた。
「具体的に……どんな変化になるかは、わからないんですか?」
一四一は空里の目を真っ直ぐ見据えたまま答えた。
「わかりません。我々にもわからないのです。一つ確かなのは、その変化を確定するのはあくまで陛下だということです。量子レベルの情報の変化を、自分自身で観測することによって」
そんな大ごとが今まで秘密にされていたなんて……。
空里の不安は感じたくない疑心に変わり始めた。肩に置かれた夫の手を握ったまま、彼の方を見上げる。
「あなたも知っていたの?」
ネープは少しだけ目を細めたが、真っ直ぐ視線を返しながら答えた。
「はい」
「私も知っていました」
ミマツーも……。
ネープの長は、少し空里の方に身を寄せて言った。
「陛下、どうか彼らを責めないでやってください。これはすべてのネープが知っていました。しかし、この事実をあなたに知らせていたら、皇冠が能力を発揮できなかったかもしれないのです。陛下の意識の拒否反応が、適合を阻害する可能性がありました。もしお怒りでしたら、その責めはすべて私が負います。ネープがしたことも、しなかったことも、そのすべての責はこの私にあります」
「わしも同罪だ。噂には聞いていたからな。〈青砂〉では一四一に問い正しもした。アサトには話しておくべきだったかもしれん」
クアンタが告白した。
うつむいた空里の二の腕を誰かがつついた。
いつの間にかそばに立っていたシェンガが言った。
「そんなもの、もう外しちまえよ。〈天翔樹〉で言ってたろ。皇冠より俺に色々聞きたいって。俺がその輪っかの代わりになってやるよ。受け答えは多少、鈍くなるだろうけどな」
大きく息を吸い、はあと吐き出してから、空里はシェンガの体に触れ、笑顔を見せた。
「ありがとう、シェンガ。でも、もう少しこれ着けておく。もう少し考えたいことがあるから。外すとしたらその後で。間に合わないかもしれないけど、考えることの方が大事なの」
不安はあったが、空里の心は穏やかだった。事実を知っても、誰を責める気にもなれなかった。
これも、皇冠が自分の心に働きかけているからだろうか……。
あんたはどう?
外して欲しくない? 外したら怒る?
空里は心中で皇冠に尋ねてみたが、返事は返ってこなかった。
「陛下、ご心労ばかりをおかけして誠に恐縮です。最後に、ひとつ差し上げるものがあります」
ネープ一四一はポケットから小さな石の円環を取り出した。
皇冠にも似ているが、ずっと小さくブレスレットのような形をしている。
「サーレオからの贈り物です」
そう言いながら差し出された円環を、空里は驚きながら受け取った。
「サーレオ! 会ったんですか?」
「はい。実は彼女とは古い知り合いなのです。あなたによろしくと言っていました。あなたの幸せを心から望んでいると」
空里はその言葉に温かいものを感じ、美少女の顔を懐かしく思い返した。だが、皇冠の話の後では、どうしても聞かざるを得ない疑問がある。
「これも、ただのブレスレットじゃないんですか? 皇冠みたいな機械生物?」
「皇冠ではなく玉座機に近いものです。あなたが危機に直面した時、あなたを護るために機能します。調べてみましたが、確かにそういうものでした。どういう形でかまでは、まだわかりませんが、〇号玉座機とでも呼ぶべきものです」
「わかりました。じゃあ、危ない時まで身につけておくことにします」
空里は、その小さな玉座機に腕を通してみた。
軽い。本当にただのブレスレットみたいだ。
見栄えもそんなに悪くない。
「ミマツー、似合う?」
急に振られて完全人間の少女はまた目を見開いた。
「えと……皇冠とコーディネイトができてるかな……と。あと、お召し物次第で、さらに映えが期待できると思います」
とっさの的確な反応に、空里は思わず笑ってしまった。
本当におかしかったからだが、すっかり重くなった室内の空気も変えたかったのだ。気のせいか、みんなの表情から緊張が失せた感じがする。
「では、これで」
ネープの長は立ち上がった。
連絡チューブへの見送りの途中で、サーレオからの贈り物を見ながら空里は言った。
「不思議ですね。なんでもできるネープさんたちが、私みたいになんにもできない銀河皇帝のために心を砕いてくださって」
ネープ一四一は少し首を振って言った。
「陛下にはできることがたくさんあります。その助けになるのが我々ネープの務めです」
「ネープだから……だけじゃなく、お友達としても大事に思わせてくれませんか? とりわけ一四一さんを」
一四一の声に、軽い驚きが浮かんだ。
「私を、友人と?」
「ええ。さっき、サーレオの話になった時、陛下じゃなくてあなたって呼んでくれましたよね。あれ、ちょっとうれしかったです」
「そうでしたか? 意識していませんでした」
ネープの長は本当に意外そうに言った。
空里は彼から一本取ったような気がした。とぼけているのかもしれないが、だとしたら合わせてくれているのも、なんとなくうれしい。
チューブを繋いだエアロックのハッチが開き、一四一は空里に向き直った。
「陛下、どうぞ御心のままにお進みください。我々にできることはささやかですが、できる限りのことをさせていただきます」
空里は首を捻って聞いた。
「似合いませんね、完全人間にできることがささやかとか、とても思えません。どうしてそんなこと言うんですか?」
「それが〈法典〉の定めるところだからです。この帝国では、あなたの方が遥かに開かれた可能性を持っておられる。我々にできるのは何者にも勝る能力を最大限に駆使し、ささやかなお手伝いをすることだけです」
ネープの長は、少し悲しげにうつむき、矛盾に満ちた言葉を口にした。
「ネープは万能かもしれませんが、無力なのです」




