3.決意の女たち
「まずい……まずい……まずい……まずい!」
ミ=クニ・クアンタは、観測席でブツブツと囁く少女の姿を興味深く見守っていた。
完全人間が苛立つ姿を見るのも初めてなら、それをあからさまに表に出す様子もさらに珍しいものに違いない。
このミマツーという少女が、ネープとしてはかなりユニークな存在だという話は空里やその夫から聞いてはいた。だが、実際にはクアンタの想像以上に個性的なネープであった。
昨夜行われた〈天翔樹〉入関管理局の査察でも、彼女は誰彼構わずモノを売りつけようとする星間商人の因業娘という役どころを演じ、うんざりした査察官らを早々に引き上げさせて見せたのだった。
クアンタはミマツーが明らかにその芝居を楽しんでいると感じた。
その彼女が、今は芝居ではなく本気で苛立っている。
「まったく! まったく! まったく!」
中空に浮かんだ多種波走査機のモニター映像群に目を移し、クアンタはその苛立ちの原因を悟った。
「ユーナス軍が動き出しているのか」
「早すぎます。計算ではあと二十時間は攻撃体制の整備にかかるはずだったのに……」
なるほど。ユーナシアンの艦隊は、地上からも敵の監視を受けている。その目を誤魔化して奇襲を成功させるために、攻撃準備が遅れて見えるような偽装を行ったのに違いない。
ミマツーはそれを見抜けなかった。
彼女は状況の変化ではなく、自分自身のうかつさに対して苛立っているのだ。
「ユーナス軍の司令官は有能らしいな。まんまと騙されて悔しいのは分かるが、も少し落ち着いてリカバリーの手段を考えたらどうだね」
「騙されたからイラついてるんじゃありません。こんな時にアサトたちの夫婦生活なんか気にして三〇三を降ろしちゃった自分の甘さに憤ってるんです」
クアンタはミマツーに気づかれぬように、笑いを漏らした。
あの三〇三と一番違いでほぼ同じ遺伝子を持っているのに、このお嬢は本当に人間臭い。
「揚陸戦闘艇が降下を始めました。地上部隊を展開するつもりです。まずいなあ、ほとんどがオロディア市に向かってるじゃないの……」
頭を抱える少女にクアンタは言った。
「アサトたちをピックアップすればよいのだろう? スター・コルベットで侵攻軍を避ける軌道を降下すればいい」
「私もアサトのそばに行きたいんです。地上戦が始まったら、つけられるだけの護衛をつけて彼女を護らないと。でも、それだとコルベットのパイロットがいない」
「儂がやるよ」
その言葉にミマツーは小動物のようにピョンと顔を上げ、目を見開いてクアンタを見た。
「操縦……できるんですか?」
「巡航艦クラスの舵だって取るぞ。若い頃は重力導師連で銀河中を駆けずり回ったからな」
観測席から立ち上がるミマツーの目が座ってきた。
その奥には鈍い光が見える。それは名誉挽回の決意の光にも、苛立ちを発散するチャンスに燃えている炎にも思えた。
完全人間の少女は唸った。
「……そういうことは、もっと早く言ってください」
* * *
「繁盛してやがるな……」
造り酒屋のゲーナンは、子分を引き連れて例の辻を通りかかりながら、ルパ・リュリの出店に客が何人かついているのを見た。
売り子たちは宿屋の裏で育てた新鮮な野菜や、ユーナシアン独自のツテで手に入れたに違いない他星系の珍しい物産を通行人に景気よく売り込んでいる。
ミン・ガンに押し付けられた契約のせいで、あと四日間はあの場所を彼らに使わせねばならない。
平和的な解決にはなったが、酒屋の主で苛烈な性格を持つゲーナンの老母は息子以上に不本意だった。「あんたは生ぬるいんだよ!」と。
なんとかルパ・リュリをギャフンと言わせて、母に対しても顔が立つようにしたいものだ。多少、強引な手に訴えてでも……。
辻の向こうに見えるルパ・リュリの店を苦々しく睨みながら、その場を後にしようとした時──
「出て行きなさい!」
宿屋の扉が開いて、ルパ・リュリが出て来た。
外を指差す彼女に続いて、あの大柄なテム・ガンの女戦士がのそのそと現れた。
「もう、あなたの勝手に付き合うつもりはないわ! 二度と顔を出さないで!」
ルパ・リュリの言葉に応えて女が何か呟いたように見えた。
それがまたルパ・リュリの怒りを買ったらしく、彼女は見上げるような女の顔に手を伸ばして強烈な平手打ちを喰らわせた。
「──!」
踵を返して走り出した女の背に、ルパ・リュリは追い銭のように罵倒を投げかけた。
ゲーナンも子分も通りすがりの者たちも、あっけに取られて足を止めている。
「また、大ゲンカをしたもんだな」
「ははあ……多分、踊り子のせいですぜ」
子分の一人が囁いた。齧歯人種族特有の大きな耳が腕っぷしより自慢で、どんな小さな噂も聞き逃さない男だ。
「踊り子?」
「あのテム・ガン女、コークス酒場の踊り子に入れあげてたんでさ。その踊り子を昨夜、テッテロアの旦那が身請けすることになったって話で。どうにかならないかってルパ・リュリに無茶振りしたんじゃねえですかい」
「マジか」
そこはどうにかなるはずもないし、下手をしたら女と懇意のルパ・リュリもテッテロアに睨まれかねないだろう。
うかつな色ごとに巻き込みやがってというところか。
とにかく、あの大女がルパ・リュリの用心棒から抜けてくれれば、色々やりやすくなるかもしれない。
ほくそ笑みながら歩き出したゲーナンは、気づいていなかった。
女を追い立てるルパ・リュリの背後を、使用人の女と子供の小さな影が足早に外へ出て行ったのを──
使用人アンジュ──空里は、小走りにコークスの酒場へ向かった。
前を走るキリクは、重そうな甲殻を着ているわりに足が早い。
「アンジュ、急いで急いで!」
「シェッチシャクシャキ!(急いでるよ!)」
ザニ・ガン少年の言葉は翻訳環が訳してくれるが、それを持たない彼への返事は皇冠から具体的な音声、自分の声音付きで教えてもらっていた。
拗音主体のザニ・ガン語は発音が難しかったが、なんとか通じているようだ。
とにかく、急がなければ。
酒場にテッテロア家からの迎えが来て、ロ・ランの踊り子の身請けが済んでしまう。
ネープにはいつでも発てるようにと言われているし、こちらの迎えのためにも急いで戻る必要がある。もし間に合わなかったら申し訳ないが、その時は全力で彼に謝ろう。
自分の立場とは天秤にかけられない、友達の窮地なのだ。
「チニチナの身請けが決まった」
思い詰めた表情で告げるジャナクに、空里もルパ・リュリも言葉を失った。
身請け先は、領家テッテロアの領主・メレッツ・テッテロア。しかも、今日の昼には迎えが来るという。
そして、女戦士の腹は決まっていた。
舞姫との駆け落ちである。
「無茶よ……」
昨夜は賛成していたはずのルパ・リュリが言った。
相手がただの金持ちならいざ知らず、領家の主では話が違う。
敵に回せば命が危ないし、武装した配下でいっぱいの屋敷に引き取られてしまったら連絡もままならないだろう。
「だから、別れを告げに来た。ルパ姉との縁は今日限りだ。俺は何がなんでもチニチナを奪う。それでどうなっても、ルパ姉は知らぬ存ぜぬで通してくれ。迷惑はかけたくない」
「そんなこと……」
話を聞きながら、空里は全力で考えていた。
こんなことに首を突っ込んでいるゆとりなどない身の上だが、友達の窮地は捨ておけない。
その思いの底には、はるか故郷で救えなかった親友の顔の幻があった。
もう、自分と関わった人を誰も不幸にしたくない。
皇冠の知恵もフルに活用して、なんとか恋人たちを救う手立てを探りまくった。
データが足りないという皇冠の文句を黙殺しながら、わずか数分で粗削りな計画をまとめると、空里はルパ・リュリに尋ねた。
「ルパ姉さん、トラク竜を二匹ほど用立てられませんか?」
あっけに取られるルパ・リュリとジャナクに、空里は計画を説明した。
必要なものを挙げていくうちに、ゼ・リュリやキリクの協力までもが必要になった。
うまくいくかは何とも言えないが、失敗しても少なくともルパ・リュリには塁が及ばない計画であるはずだった。
声をかけらえたゼ・リュリは及び腰だったが、今まで用心棒として世話になった恩を返すのだという姪の言葉に反論できなかった。
キリクは降って湧いた冒険に前のめりとなった。
なんとか手筈が整い、計画の第一段階としてルパ・リュリとジャナクが店先で派手なケンカの芝居をする準備に入った。
人通りの多いところで、彼女たちの仲が決定的に切れたと見せかけるのが目的だ。
外へ向かう直前、ルパ・リュリがジャナクに告げた。
「でもね、ジャナク。あなたと行くか行かないかはチニチナに決めさせなさい。あの子の幸せはあの子に選ぶ権利があるんだから、ね」
「……わかった」
そう言うと、テム・ガンの女戦士は長くたくましい腕でルパ・リュリと空里を抱きしめた。
「ありがとう」
空里はコークスの酒場に近づくにつれ、人だかりが大きくなっていることに気づいた。この街では領家の主が踊り子を身請けするとなると、ちょっとしたお祭り騒ぎになるのだった。
もう後戻りはできない。
イチかバチかの大博打が始まろうとしていた。




