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十月は黄昏の銀河帝国  作者: 沙月Q
第三章

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2.ポリデラの罠

「朝のお掃除、終わりました!」


 大きな声と共にアンジュが店の中に帰って来た。

「ご苦労様。一息ついたら厨房に入ってくれるかしら?」

「はい!」

 元気いっぱい。

 ルパ・リュリは出会った時とは見違えるほど明るい彼女の姿に、想いびとの力の大きさを感じずにいられなかった。

 あのレルスという機関士見習いの少年は、主人が戻って来る前にと明け方帰って行った。

 ちょっと朴訥とした雰囲気であまり器用そうには見えない子だったが、あのアンジュの様子からするとしっかり彼女の相手はできたのだろう。

 アンジュ本人にも聞いてみたかったが、さすがに野暮なので一言だけ「どうだった?」と小声で囁きかけた。

 彼女は頬を染めながら一言、

「月がきれいでした」

 と小声で答えた。

 善哉、善哉。

 宿で一番いい部屋を提供した甲斐があったというものだ。

 あのドーム部屋は完全に整理が済んだら、カップル専用の特等室として貸し出すのもありかもしれない。

 月明かりが差し込む、ムーン・スイートというのはどうだろう?


「ルパ姉、なんかうれしそう」

 店のテーブルで書き取りの練習をしていたキリクが顔を上げて言った。

 甲殻の下の大きな黒い目が興味に光っている。

「あらそう? どんな顔してたかしら?」

「口の両端が上がってた。そういう時ってうれしいんでしょ? 俺、ヒト型人の表情も分かるんだぜ」

「すごい! じゃあもう商売もできるじゃない。うちのお店で働く?」

「ううん。俺、船乗りになるんだ。スター・コルベットのパイロットがいいな。ルパ姉も乗せてやるよ。一緒に〈千のナイフ〉に帰ろう」

「……」

「あれ? ちょっと目尻が下がった? 悲しいの? 俺とじゃイヤ?」

「違うの。うれしいのよ。私たちは、うんとうれしくても目尻が下がるのよ」

 ルパ・リュリは努めて明るく答えた。

 ザニ・ガンの少年が、自分の中に湧き上がった物悲しい気持ちを悟らないように。

「そうか! ならよかった」


 キリクの夢と優しい心遣いが、どうかいつまでも潰えずにあることを願わずにいられない。

 彼も大人に近づくにつれ、世界の現実と直面することになるだろう。その時、自分たちユーナシアンを見る目が変わらずにいれば良いと思う。

 だが、こればかりはどうしようもない。

 紛争が生む理不尽な憎しみは、誰がどう努力しても払拭することはできないのだ。

 争いをやめよと号令をかけられる者など、この宇宙には存在しない。

 銀河皇帝ですら、紛争を支える複雑で見えない利害のしがらみに囚われている。


 でも、あの新しい皇帝は?

 帝国に何のゆかりも持たない領外の女性だという新銀河皇帝。彼女と直接会って陳情できたりしたら、そういう号令をかけてくれないものだろうか?


 そんな夢のような物思いは、奥から顔を出した婢女の少女の声で霧散した。

「ルパ姉さん」

 アンジュが厨房に続く扉の影で、まるで内緒話があるように小さく手招きしている。

 何かあったのかとそちらに向かうと、少女はさらに厨房の先の裏口に続く廊下へとルパ・リュリを導いた。

 そこには深刻な顔をしたテム・ガンの女戦士が待っていた。

「ジャナク、どうしたの?」

 わざわざ人目を憚って裏口から入ってきたところを見ると、もしや……。

 果たして、ジャナクの口から出た言葉はルパ・リュリの想像通りだった。

 

「チニチナの……身請けが決まった」


  * * *


「うー……」


 シェンガは唸りながら、路地裏をルパ・リュリの店へと急いでいた。

 二日酔いの頭痛がきつい。

 昨日、突然やって来たネープの指示で傭兵センターに長居した挙句、カランガ隊の宴会にも参加して久々の深酒となってしまったのだ。

 それほど酒に弱いタチではないのだが……。

 意識ははっきりしていたし、正体を知られるようなヘマもしていない。が、皆が持ち寄った酒の中に、時間を置いて効いてくる類のものがあったようだ。

 そもそも、このタイミングであいつ(ネープ)が護衛の交代を言い出したのも解せなかった。

 緊急事態でも起こったかと理由を尋ねたら、彼は言ったものだ。

 

「夫としての責務を果たしに来た」


 何のこっちゃ、である。

 要するにアサトの情を求めて来たわけだ。

 ヒト型人種のオスとメスが、どれくらいの頻度でいたすのかは知らないが、こんな状況でもなければ、当分そういう機会もないだろうという判断も分からなくはない。

 まあ、それでアサトが喜ぶなら文句もない。

 

 とにかく、夜が明けたらアサトを連れてすぐに発つというから、自分も早く合流しなければならない。

 遅れたらまたイヤミの一つも言われかねないが、その時は昨夜のことを問いただして困らせてやれば良い。

 完全人間がそういう話題で困る顔を見せるのならば、だが。


「うー……」


 早く広い通りに出て、新鮮な空気を吸いたい。

 店まではあと少しだ。

 表通りに続く狭い曲がり角に差し掛かったその時──


 

 シェンガの鼻腔から芳しい空気が入ってきた。

 次の瞬間、全身がなんとも言えない恍惚感に飲み込まれそうになる。

 その感覚の中心は、上顎の奥だ。

 これは……


 まずい!

 近くにポリデラの実がある! それも大量に。

 ポリデラは南西星域に多く自生しているつる性の大型植物だが、ある種の知性を持ち動物類を捕食することもある危険な生命体だった。

 その実は動物の感覚を幻惑する香りを発し、獲物の力を奪う効果がある。特にミン・ガン、すなわちフェリス・サピエンス猫型人類に対しては効果てきめんで、これを麻薬として常用し中毒に陥るミン・ガンもいる。

 

 シェンガは全身から力が抜け、神経に染み渡るような甘美な感覚に溺れたいという欲求を抑えようとした。

 とにかく、この場を離れなければ……。

 だが、体はいう事を聞かないばかりか、その場に寝転んで無防備に全身を仰向けに晒す有様。

 こんな状態で誰かに襲われでもしたら……。

 その心配に応えるかのように、真上からシェンガの全身を覆う大きさのワイヤーネットが降ってきた。

 続いてそのネットに電気ショックが送り込まれ、シェンガの体の自由を完全に奪った。

「!」

 

 ネットの中で身悶えしていると、目の前の地面に戦闘用のブーツが立った。

「こいつで間違いないか?」

 ネットガンを構えた男と、その相棒がシェンガを見下ろしていた。

 特徴のある丸いレンズのゴーグルに使い込まれた灰色の戦闘服は、最近惑星〈鏡夢(カガム)〉でも見たばかりだ。

 人狩賊(ペルセイダー)か!

「ああ、情報通りの風体だ。例の宿屋へ向かうところだな」

 シェンガは戦慄した。

 こいつらは自分の正体を知っている。その上で、ポリデラの実を仕掛けて罠を張ったのだ。

 ということは、アサトの素性も……?

「生かしてふん縛る必要があるのか? このまま始末しちまった方が……」

「ミン・ガンだぞ。うかつに扱ったら同族の仲間も敵にまわすことになる」

 その通りだ。

 もしミン・ガン一人が何者かの手で殺されたことが知れれば、部族をあげての復讐が始まる。その追求を逃れることは、銀河の裏社会でも難しいのだ。

 

 人狩賊(ペルセイダー)の一人が大きなズダ袋を広げると、もう一人がホルスターから無針注射器を取り出した。

「とりあえず完全に眠らせて、本命を手に入れたら放り出せばいい」

 本命……やはり連中の狙いはアサトだ。

 突破口はないか……突破口は!

 ミン・ガンの戦士は重い首をめぐらして、路地の隅にわずかな望みを見出した。

 電撃のおかげで、ポリデラの恍惚感は消えていた。気力を振り絞って手を動かし、ベストから振動ナイフを抜く。

 ネットの隙間からナイフを突き出し、迫って来る注射器を弾き飛ばした。

「こいつ!」

 狩人が飛びずさった隙をついて、体を転がしたシェンガはネットを潜り抜けてそのまま路地の隅に穿たれた下水の側溝に飛び込んだ。

「逃すな!」

 人狩賊(ペルセイダー)の手がシェンガの足を掴みかけたが、しゃにむに身じろぎしてなんとか分厚いプラスティールの蓋で塞がれた下水の奥へ飛び込む。

 匂いは酷いが、ヒト型人はとても入れない狭さだ。

 闇の中、体をくねらせながら全力で匍匐前進をしていると、頭上を走る追手の足音が響いてきた。どうなるかわからないが、とにかく進むしかない。

 と、突然行く手が急勾配になった。

 手足を広げて制動をかけようとしても、水流と滑りで体を止めることができない。


「くそ!」


 ミン・ガンの戦士は暗黒の滑り台を、頭から勢いよく落ちていった。

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