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十月は黄昏の銀河帝国  作者: 沙月Q
第二章

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15.舞姫

 空里には、踊り子がどこから現れたのかわからなかった。


 チニチナの姿は、楽師が鳴らした一際高い弦の音と共に、眩く交差する光に包まれ忽然と舞台に出現したのだ。まるで宵闇を待っていた夜の精が、黄泉の国からこの世に生まれ出たかのように見えた。

 特殊な照明効果のせいに違いないが、その幻想的な演出は美しかった。

 

 屈んでいた踊り子が、両手を広げて立ち上がった。

 

 チニチナはほとんど装身具しか身につけていない裸身にきらめく薄物を羽織り、その上に白く長い半透明の羽衣のような布をまとっていた。羽衣は自ら意思を持つようにうごめき、踊り子の体になまめかしく絡んでいく。

 よく見るとそれは確かに意思を持って動いていた。生き物なのだ。空里は学校の授業で見たリュウグウノツカイという深海魚を思い出した。まるで魚のように空中を舞う羽衣が身をひねってその端をチニチナの顔に近づけた。

 口づけを交わす羽衣と踊り子の姿に、空里は体の奥底がゾクっと震えるのを感じた。

 

 店中の人間たちが、チニチナのダンスに目も心も奪われているようだった。

 まるで本能に訴えてくるような妖しさと、巫女のような清らかさを併せ持った彼女の舞いは、見る者の目を一瞬たりとも放さない魅力に満ちていた。


 突然、踊り子が背中から空中で一回転した。

 明らかに重力の働きがおかしいが、これも反発場リパルシングフィールドを利用したステージの仕掛けなのだろう。

 空里の脳裏に皇冠(クラウン)からの囁きが届いた。

 ステージ周りだけでなく、楽器から響く音波や店に漂う香の成分に至るまで、全てが観客の心理に影響を与えている、と。

 危ないの?

 空里の問いかけに皇冠(クラウン)は答えなかった。

 その沈黙に、空里は何故かあえてそこに身を任せることを勧められている気がした。


 楽師の奏でる打楽器(タブラ)のリズムが次第にテンポを上げ、チニチナの動きも激しいものになっていった。

 腰回りや胸元を飾るビーズが妖しく揺れ、生きている羽衣が踊り子の体を渦に巻きながら舞う。音楽がクライマックスに向かって盛り上がると、チニチナは重力から解放されたようなスピンを二度、三度と繰り返した。

 すると、羽衣が彼女の上半身に巻きつき、大きく広がって天女の翼となった。

 まさに昇天の舞いだ。

 嵐のようにかき鳴らされる弦と打楽器が最後の一音を大きく響かせ、舞姫は空中で海老反りの姿勢のまま、恍惚の表情を浮かべて静止した。


 そして、万雷の拍手。


 ゆっくりと舞台に舞い降りたチニチナは立膝で一礼すると、現れた時と同じようにそのまま姿を消した。

 空里は拍手しながら、不思議な切なさを感じていた。消えた踊り子の姿が、どうしても手に入らない宝物のような何かに思われたのだ。

 憧れ?

 いや、それよりももっと体の奥底から湧いている生々しい思いだった。

 目の前では、テム・ガンの女戦士が目を細めて愛おしさに満ちた表情で舞台の方を見つめている。廊下の暗がりで抱き合っていた二人の姿を思い出し、空里の切なさは一層募った。頬に火照りまで感じる。

 やだ私、ジャナクに妬いているみたい……。


「どう? チニチナ素敵だったでしょう」

 ルパ・リュリの声に、空里は我を取り戻した。

「え、ええ。素敵すぎて……なんだか喉が乾いちゃった」

 空里は手元のマリーシャカクテルを一息に飲み干した。火照りを冷ましたかったのだが、かえって酔いがまわった気がする。

 思ったより強いお酒だったみたい……まあ、いいか。

「あいつは、この星域で一番の踊り子だ。銀河一かもしれない」

 ジャナクが言った。

 自信満々で彼女の自慢をされ、空里はちょっとつっこんでやりたい気持ちになった。

「ジャナクは、チニチナにも〈試し〉をしたの?」

 女戦士は眉をひそめて答えた。

「するわけないだろう。あいつは踊りで戦っているんだ。俺が踊りで勝てるわけがない」

「ふーん、そういう理屈なんだ」

「もっとも、別の形での〈試し〉はしたけどな」

 空里は飲みかけていたカクテルにむせて咳き込んだ。ルパ・リュリが「大丈夫?」と背中をさする。

 別の形、を想像しただけで頭に血が上って悪酔いしそうだ……。

 

「いらっしゃい! 楽しんでる?」

 今夜の舞姫が空里たちのテーブルにやって来た。

 チニチナは薄手のガウンをまとっただけで、ほとんど舞台での装いそのままだった。あの生きている羽衣も体に絡みついていた。ペットのようだ。

 ルパ・リュリが杯を掲げながら迎えた。

「素敵だったよ! また踊りが上手になったんじゃない?」

「みんなが観てたからね。今夜は気合い入れて踊っちゃった!」

 そう言うと、チニチナは空里の肩に手を置いてしなだれかかった。

「アンジュもよく来てくれたね。楽しんでくれた?」

「うん、信じられないくらい綺麗だったよ」

 空里は肩に置かれた手を取った。この美しい踊り子ともっと仲良くなりたいという思いが湧き上がる。

「あんまり本気を出して踊るなよ。また客がおかしなことになるぞ」

 ジャナクの言葉に空里は首をひねった。

 ルパ・リュリが空里の耳元で内緒話をするように言った。

「ちょっと前、チニチナのダンスに当てられたお客同士が、テーブルの陰で情交(まぐわ)いだしちゃったの」

「えええ?! それって夫婦とか恋人とかで……?」

「それが見ず知らずのアカの他人。アンジュも気をつけて。ロ・ラン族の魅力は時々トラブルの元にもなるから」

 戦慄の表情を浮かべる空里に、踊り子はドヤ顔で「ふふーん、スゴいでしょ」と言った。

 スゴいはスゴいが、スゴさの方向が斜め上過ぎる……

 空里はカクテルをもう一口含んで落ち着きを取り戻そうとした。何か喋ってないと、変な感情に飲み込まれそうだ。

「チニチナ自身はそういうダンスを踊ってる時、なに考えてるの?」

 空里の問いに、踊り子は胸の前で手を組むと目をつぶって真摯な表情を浮かべた。

「もちろん、神様にお祈りしながら踊ってるのよ」

 その踊りの効果とは裏腹で意外な答えが返ってきた。

「私の踊りが皆の幸せになりますように。いつか私たちロ・ランに故郷の星が見つかって、そこへ帰る日が来ますように、ってね」

 そうだ。ロ・ラン族は流浪の民なのだ。

 空里は自分の立場なら……銀河皇帝ならその願いを叶えられる者に限りなく近いと思いつつ、そんなことを考えることのおこがましさも感じた。少なくとも「神様」という言葉は自分の身の丈にはおよそ合わない。

 そんな思いが口からこぼれた。

「もし、そういう願いを叶えてくれる神様がいるとしたら、きっとルパ・リュリさんみたいな女神様よね」

 ルパ・リュリが目を丸くして空里を見た。

「どうしてそう思うの? 私、神様になんかなれないわよ」 

「ルパ姉は今のままでも女神だろ。特にザニ・ガンの子供たちにとっては、な」

「うんうん。普通の人にはとてもできないことしてるもんね!」

 空里に賛同するジャナクとチニチナに、ルパ・リュリは苦笑した。

「私だって打算がないわけじゃないのよ。いつかあの子たちが大きくなって、ユーナシアンとも仲良くできそうだと思ってくれたら、いいお客さんになるかもしれないじゃない」

 空里は言った。

「打算なんかじゃないと思う。素晴らしい考え方だよ」

「そうかしらね。ありがと。嬉しいよ」

 微笑んで飲み物に口をつけたルパ・リュリの頭皮が、ほのかな紅色に染まる。その美しさに、空里はますます女神のような神々しさを感じた。

「そうそう、戦争なんかより商売繁盛の方がマシだよね。あとは素敵な誰かさんと一緒にいるのがすべてよ」

 そう言ってチニチナはジャナクに手を差し出し、女戦士と指を絡めあった。

 見せつけてくれるじゃない……空里は愛しげに踊り子の手を取るジャナクに向かって言った。

「今日は彼女にキスしてあげないの?」

 ジャナクは笑みを消して、警戒するような視線を店の奥に走らせた。

「ここじゃダメだ。あいつがいるから……」

 視線の先には、一際賑やかなボックス席があった。

 いかにも裕福そうな男たちの一団を店の者たちが接待している。その中に一人の老婆がいて、中央に座した大物っぽい男と談笑していた。

 チニチナがひそひそ声で言った。

「あの婆さんがうちの座長なの。座長が認めた人以外の誰かといちゃついたりしたら、鞭が飛んでくるのよ」

「だから言ってるのよ。ジャナクと駆け落ちしちゃいなさいって」

 ルパ・リュリの言葉に女戦士は首を振る。

「そんなことしたら、ルパ姉に迷惑がかかる。婆ぁは俺がルパ姉の世話になってるのを知ってるし。それに、いつか必ず俺が堂々とチニチナを身請けするから」

 身請け!

 思いのほか真面目で古風な色恋沙汰に、空里はまた頬をほてらせた。

「そんなの……先立つものが足りないでしょう」

 頬杖をついてため息をつくルパ・リュリに、ジャナクがぐっと身を乗り出した。

「それが、いい金づるの話があるんだ。賞金首だよ」

 空里は身をこわばらせた。

「驚くなよ。どうも噂の銀河皇帝がこの星域に来てるらしい。しかもどうやら〈天翔樹(アマギ)〉にいるって話もあるんだ」

 チニチナが言った。

「銀河皇帝って若い女の子なんでしょ?」

「ああ。食わせ物だって話もあるけどな。だから捕まえて元老院の審判にかけようっとことなんだろう」

 自分からそこへ行く途中なんですけど……。

 空里は抗弁したい気持ちを抑え込んだ。

 ジャナクは続けた。

「もちろん、簡単じゃない。完全人間(ネープ)が付いてるからおいそれと手は出せないが、もしうまくふん縛ることができれば一生食うに困らないくらいの金が入るらしいぜ」

 空里はあまり関心がない風を装って聞いた。

「その皇帝がこの星にいるとして、探すのに何か手がかりがあるの?」

 ジャナクの言葉から少し勢いが削がれた。

「無い……だけど商議会や領家(ハット)のつてを当たりまくれば、何か出る、と思う」

「でも、あの皇帝も気の毒よね。故郷の星がなくなっちゃったんでしょう?」

 ルパ・リュリが言った。

 どうも話に尾びれが付いてるようだが、同情を示してくれるのは空里にうれしかった。

「どんなに偉くなっても、帰るところがないのは辛いものよ。チニチナなら分かるでしょ? 私はまだ故郷の星が残ってるだけ恵まれてるんだと思うわ」

 空里は聞いた。

「ルパ・リュリさんの、故郷の〈千のナイフ〉ってどんな星なんですか?」

 ルパ・リュリは目をつぶると天井を振り仰いだ。

「昔は〈千の果樹〉って呼ばれててね。きれいなところだったのよ。私の家の周りも果樹園だった。今は紛争で荒れ果てて、乾燥地帯の柱状岩塩ばかり目立ってるから〈千のナイフ〉なんて呼ばれるようになっちゃった」

 空里の脳裏に美しい田園風景が広がった。

 皇冠(クラウン)の映像情報と自分の想像が混ざり合い、かつてそうであったろう平和な情景に人々が笑いさざめいている。

「紛争がちょっと落ち着くと、ザニ・ガンの海洋都市まで商売に行くこともあってね。子供の頃に行ったきりだけど、真っ白な珊瑚礁がきれいだったわ。キリクとサリナも帰りたいでしょうね」

 空里は幼い甲殻人の兄妹が楽しげに珊瑚礁のまわりを泳ぐ様子を思い浮かべた。

 

 故郷──

 空里自身には、ついこの間まで当たり前だったもの。それが今はこの宇宙の果てで、望郷の念を募らせる人々と同じような思いを共有している。

 もう帰ることはない……と覚悟は決めたつもりだったが、今はどうしようもないホームシックのような気持ちに溺れそうになっていた。


「あらあら、どうしたの? アンジュ」

 ルパ・リュリが空里の頬にこぼれた涙を指で拭った。

「あ、ごめんなさい。お話聴いてたらなんか……酔っ払っちゃたかな?」

「アンジュも早く帰れるといいわね。いつか、きっとそういう日が来るわよ」

 空里の肩を抱いて優しくさするルパ・リュリの言葉は、かりそめの身の上を通り抜けてまっすぐ本当の自分の心に染み入ってきた。

 ジャナクがカン!とカップを置いて言った。

「よし! 皆で帰ろう。銀河皇帝を捕まえた金で俺たちの故郷へ! チニチナは〈風壁(俺の星)〉を故郷にすればいい。 アンジュもついでに身請けしてやるから堂々と(くに)へ帰れ!」

 踊り子は笑って言った。

「あたしはうれしいけど、ルパ姉は危ないよ? まだ戦争が続いてるんでしょ?」

「銀河皇帝を捕まえたら、俺が紛争を止めさせてやる!」

 酒で大きくなっている女戦士の言葉に皆が笑った。

 空里は泣き笑いになった。

 まったく、誰に何を言っているのかも知らずに、無邪気で頼もしいなあ。

 ルパ・リュリがジャナクに言った。

「頼りにしてるわ! 皆で幸せになりましょ!」


 四人の女たちは高々と杯を掲げて前途を祝した。 

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