6.ミン・ガンの婢女
屈強な体を黒いレザーコートに包んだその男は、大股に人猫へ近づいて来た。
と、男はその脇をすり抜けて、自分を「兄貴」と呼んだ若者の方へ向き直り……
強烈なパンチをリーマガの腹に一発、二発と叩き込んだ。
「都合のいい時だけ人を兄貴とか呼ぶんじゃねえ、チンピラが。てめえを舎弟にした覚えはねえんだよ」
さらに、いつの間にか現れた黒いジャケット姿の男たち数名が、リーマガを囲んで殴る蹴るの暴行を加え始めた。
「勘弁……して……」
あっという間にボロボロとなったリーマガは、自慢の顔を内出血で膨らませたまま何処ともなく連れ去られた。残った男たちがあたりを見回すと、野次馬を決め込んでいた群衆はあっという間に散って行く。
赤い長髪をオールバックにし、青味がかった顔に特徴的な白い刺青を入れた男たち……惑星〈鋼足〉の第四衛星ナビューラの種族、ナブ・ガンの風貌は、見る者に鬼神のような威圧感を与えた。
だが、最初に現れたレザーコートのナブ・ガンは、人猫に向き直るとその威圧感をおさめるように膝を折り、人猫と同じ高さに目線を合わせて話しかけた。
「すまねえ、旦那。あのチンピラは物知らずなんだ。この辺でミン・ガンにケンカを売るような大馬鹿は俺たちが許さねえ。俺の顔と領家カルリオーレのメンツにかけて、無礼は詫びるんで忘れておくんなせえ」
その言葉に、猫型種族ミン・ガンの「旦那」は儀式めいた仕草で両手をかざして応えた。
「戦士リョンガはミン・ガンの名において詫びを受け入れた。立ってくれ」
コートのナブ・ガンは軽く一礼して言われた通り立ち上がった。
これで両者の立場は対等となったようだった。
「お名乗り恐縮する。俺は当主・カルリオーレの長男でゾナ・カルリオーレだ。この葉階で何か問題があったらいつでも言ってくれ」
「俺は特に問題ない。今の騒ぎは俺の婢女が原因だ」
そう言うと、リョンガと名乗ったミン・ガンは横丁の入り口で様子を伺っている少女に、尊大な身振りで手招きした。
「このカルリオーレの大将が助けてくれた。ご挨拶しな」
「あ……ありがとうございました」
深々と頭を下げる少女にゾナ・カルリオーレは鋭い一瞥をくれると、軽く手を挙げて礼を受け入れた。
「このへんじゃミン・ガンは珍しいのかい?」
リョンガが尋ねた。
「そうだな。確かに旦那は久しぶりのお客かも知れねえ。だからミン・ガンの怖さを知らん若えのも増えるわけで。ここへは長逗留ですかい? もしそうならうちの客分としてお迎えしてえところだが……」
「いや、そう長居はしねえんだ。〈天翔樹〉のスター・ゲートが封鎖されたろ? それで足止めを食ってやむを得ず降りてきたわけでね。ここの星百合はカルリオーレ家が管理してるんじゃねえのかい?」
ゾナは苦笑しながら肩をすくめた。
「あいにく、そこまでの組織じゃなくてね。一応、自治政府役の貿易商議会がゲートを仕切ってる。封鎖はどうもユーナシアンの軍隊が絡んでるらしい」
「ああ、ザニ・ガンとの戦争か。ここにもザニ・ガン軍が?」
「いる。下の葉階にゲリラが潜伏してるのは確かだ。だが、俺たちゃ関わらねえようにしてる。戦争は他の領家との間だけで手一杯さ」
なるほど……あたりに睨みをきかせているゾナの連れたちは手下なのだろう。
見せてはいないが、いざとなればいつでもコートやジャケットの下から飛び道具が現れるに違いない。
「ところで……封鎖が解けるまでのヤサを探しててね。この娘もその最中だったんだが、この二人で二、三日泊まれるいい店はあるかい?」
「そうだな……」
ゾナが手下の一人に目配せすると、すぐに答えが返ってきた。
「ゼ・リュリの店はどうですかい? 少々値がはるが、堅気の客も多いから娘っ子も安心でさ」
「と、いうことなんだが旦那の懐具合はどんなもんで? もし心元なきゃウチの者に口を利かせますぜ」
リョンガは手を挙げてゾナの申し出を辞退した。
「幸い稼いできたばかりでね。路銀はあるんだ。その宿屋は近くかい?」
ゾナは親指を立てて上を示しながら言った。
「二葉階上の目抜通りの奥だ。ドーム型の屋根ですぐ分かりますぜ。ゼ・リュリってユーナシアンの男がやってる店だが、カルリオーレの紹介と言えばすぐいい部屋に上がれるでしょう。上へのリフトは小路を出て右でさ」
ミン・ガンと少女は慇懃に礼を言って、カルリオーレの若頭と別れた。
言われた通りに小路を下って目抜通りを出ると、右側にリフト乗り場を示す表示が浮かんでいる。この時間、オロディア市の上葉階へ向かうリフトの乗り場は空いていた。
オロディア市はいくつもの葉階と呼ばれる広大な土地が積み重なった多層構造都市である。
その階層に「葉」という言葉が付くのは、その全てがこの惑星〈天翔樹〉に群生する巨大樹ギアラムの一部……文字通りの「葉」だからだった。
ギアラムは単なる植物ではない。頑強な鉱物としての性質も併せ持つ、銀河でも特殊な生命体だった。
地表付近の環境が強毒のために劣悪だった惑星〈天翔樹〉で、ギアラムは惑星の地殻に含まれる金属や鉱物資源を吸収し、それを構造に組み込むという進化を果たした。その結果、風化や衝撃に対して極めて強い耐性を得て、さらにより安定した上空の環境を目指して巨大化。大きなものは地表から数千メートルに及ぶ樹高があった。
そしてその「葉」は、上に人間が街を造れるほどに広大で、強固なものとなった。
リフトの管理係は、ミン・ガン同様の毛皮に全身を覆われた熊のような種族で、大柄の中年女だった。
女は耳をピンと立ててリョンガと少女を迎えた。
「おんや、ミン・ガンの旦那とはお珍しい。オロディアへようこそ」
「二つ上まで頼む」
主人に続いてリフトのゴンドラに乗り込もうとした少女をさえぎるように、熊女が手を出した。
「二十ベン」
少女は慌ててポシェットから帝国軟体貨を二つ取り出し、女の手のひらにのせた。
「なんだいこりゃ。活きが悪いね。もう半ベン分出しな」
半生物の軟体価はその鮮度によって価値が変わる。辺境星域ではよく流通しているが、その価値は商売慣れの程度と交渉によって得にも損にもなった。
「こ……これで……」
オドオドと同じ軟体価を一つ差し出した少女に熊女は顔をしかめた。明らかに払い過ぎだが、このまま取られても文句を言えないのがこの辺りでの商売だった。
「ダメだねえ。旦那に損させるような婢女じゃどこでも使ってもらえないよ」
「す……すみません……」
うつむきながら振り返った少女の尻を、熊女が勢いよくパンと叩いた。
「ひっ!」
「しっかりお仕えしな!」
女がボタンを押して運転室に合図を送ると、リフトの滑車がゴトゴトと動き出し、屋根もないバケツのようなゴンドラはワイヤーを伝って昇り始めた。
二人きりになったところで、リョンガが堪えきれないように笑い出した。
「……何がおかしいの?」
タメ口で聞く婢女に、ミン・ガンの主人は答えた。
「あの女! 自分が叩いたのが銀河皇帝の尻だと知ったら、どんな顔するかと思ってさ!」
「失礼しちゃう……」
ミン・ガンの婢女に身をやつした銀河皇帝、遠藤空里……アサト・ネイペリア・エンドー一世は、主人のリョンガ……とは実は真逆の立場である護衛役のシェンガに背を向けると、ゴンドラの淵から外の景色を眺めやった。
「きれい……」
ゴンドラからの眺めに、銀河皇帝は目を奪われた。
昇っていくにつれ、街を擁する広大な巨大樹の「葉」の重なりがよく見えて来た。
白壁の家々が葉の傾斜に沿って立ち並ぶ姿は、テレビの紀行番組で見た地中海沿岸の街並みを思わせる。その街々がいくつもの島のように、空中で巨大な青銅色の木々の間に浮かんでいる景色は神話に出てくる天上の国にも見えたりした。
「水もあるのね」
街並みの間にはところどころ陽光を反射する水面があり、まるで葉の葉脈のような半透明の水路もあった。
ゴンドラの縁に飛び乗ったシェンガが説明した。
「あの水路は人が造ったわけじゃないんだ。ギアラムが地下から吸い上げた水がそのまま流れてる。微生物やナノスケールの生命体が含まれてて、鉱物成分の運搬や定着とかでギアラムの生命活動を支えてるらしい」
「え? じゃあ飲めないの?」
「いや、簡単な浄水処理で飲料水に転用出来るし、農業にも使われてる。人間とはまったく不思議な共生関係が成立してるのさ」
空里は振り向き、天空に聳え立つ巨大樹を仰ぎ見た。
「すごいのね……樹なのに岩みたいに頑丈で、人に生活の場まで与えてるなんて」
「ギアラムがここまで巨大になるのには、何十万年もかかるらしい。他の生物とは全然違う時間軸を生きているという説もある。もしかしたら星百合に近い生命体かもしれないって言う学者もいるぜ」
違う時間軸を生きる生命体……
空里自身、時々自分が感じている時間と、実際の時間が違っているように感じることがある。
この惑星〈天翔樹〉に着いてからはまだ三日?
街に降り立ってからは半日ほどしか経っていない。〈天翔樹〉の一日は地球の尺度で約二十二時間なので、生理的にも空里に違和感はない。
だがこのところの状況の変化とそれに対応するための慌ただしさは、もっと時間がかかっているように感じられた。
惑星〈無天函〉に向かっていた銀河皇帝とその一行は、この〈天翔樹〉で足止めを食っていたのだ。




