4.イースとサーレオ
「お久しぶりね、一四一」
ホウティーの入ったカップを差し出しながらトワが言った。
「あなた方はまだ、私をその名前で呼ぶのですか……」
北部銀河の特定星域に残る古語で数字の一四一を指す「イース」。
サーレオとトワは、まだ少年だった一四一をそう呼んでいた時のままの笑顔を浮かべていた。「久しぶり」という挨拶も彼に合わせてのものだ。時空生命体とも呼ばれる〈それ以外の者〉である彼女たちには、時間の経過など無いに等しい。
サーレオが言った。
「相変わらず血の気が多い子ですね。もう少し辛抱すればあなただけをここにお招きしたのに」
ホウティーの粉に鼻腔をくすぐられながら、一四一は応えた。
「かかる火の粉ははらわねば。それにあの男、あなた方の同類のようでしたが?」
銀髪の少女はルビーのような瞳を見開き肩をすくめた。
「一部のナスーカ教徒と同じ、造られた〈星百合の子〉ですよ。体の中に星百合のかけらを埋め込んではいますが、その力は微々たるものです。拳を交えてわかっていたでしょう?」
「……」
確かにわかっていた。
星百合の一部やその派生物を埋め込まれた歪な改造人間は、少数とはいえあらゆる階層に存在している。
その力を利用出来るかどうかは星百合との相性……星百合の意思によるとされるが、うまくいくのはかなりのレアケースだ。
それでも、星百合との完全な共生関係を持つ〈それ以外の者〉たちに比べれば、出来ることなどたかが知れていた。
ごくごく限られた範囲の念話、念動、予知、透視。そしてあの戦士のような、ごくごく限られた時間への干渉……
だが、目の前の少女たちはそんな半端者ではない。
その気になれば、銀河帝国の存立など根幹から揺るがすことが出来る、人間とは全く次元の違う生命体なのだ。
生きる世界も時間も違う、本当の意味での〈星百合の子〉。
だからこそ呼ばれる。〈それ以外の者〉と……
その規範は〈星百合との約束〉と呼ばれる謎の契約。
帝国でも限られたものしかその存在を知らない、〈法典〉と表裏一体を成す見えない理だった。
そして、彼女たちとネープの協力関係も、限られた者しか知らない事実だった。
いや、協力関係と言えるものだろうか……
ネープの長が少年だった頃から、サーレオは彼の任務達成のために思わぬタイミングで貴重な助言や情報を与えてくれていた。だが、自分の……ネープたちの働きが〈それ以外の者〉にとってどんな意義があるのかは、はっきりしていなかった。
確かなのは、彼女たちがコンタクトを取ってくるのは、常にネープの任務が重大な局面に差し掛かっている時ということだった。
「お呼びになったのは、紛いものの〈それ以外の者〉対策のためではありますまい。アサトの件でしょう」
「その通りです」
サーレオの笑顔が、ほんの少し翳った。
「サロウ城市の最下層区で彼女に会いました。とてもいい娘でしたが、色々と想定外の面も見せてくれますね。ネープとの結婚は特にイレギュラーな出来事でした」
そこか……
一四一は言った。
「イレギュラーでしたが、阻む理由はありませんでした。あなた方にとって……〈星百合との約束〉にとって不都合な事情がおありでしたか?」
「不安定な要素が増えたことは否めません。はっきり言えば、事態は破局に向かっています。やがてまた、人がたくさん死ぬことになるでしょう」
サーレオは「破局」という言葉を、まるで明日降るかもしれない雨のような調子で口にした。だが恐らくその本当の意味は、人間にもネープにも計り知れないものであることは確かだった。
そこまで言うなら、明確にすべきことを明確にしなければならない。
ネープ一四一は、サーレオたちに対してかつてなく踏み込む態度を取ることにした。
「私は私なりに、ネープとしての務めを果たすとともに、あなた方の〈星百合との約束〉に資する存在でありたいと考えています。そのためには〈約束〉の中身にも思いを致す要がある。それは銀河系宇宙の……また、それを含む星百合が存在する時空全体の安定だと思っていましたが……間違っていますか?」
サーレオはどこか悲しそうに微笑んだ。
愛している者との間に決して超えられない溝があることを、どうにも出来ない少女のような微笑みだった。
「一四一、あなたは間違っていないと一言でお返事出来ればどんなにいいでしょう……それは〈約束〉の一つのステップ。一つの形。あなたが言う『安定』も私が言った『破局』も、常に目的として揺れ動く〈約束〉の中身なのです。結びついた量子の状態が、見ることで初めて決まるように……星百合が望むなら安定も破局も、私たちの目指すべきところなのです……」
揺れ動く〈約束〉、そして目的──
それは人間の世界では理解出来ない、不確かな考え方だ。そこに約束の裏付けとなる誠実さなどあり得ない。
だが、星百合とサーレオたちの間では、何の問題も無く十分に納得できる合意なのだろう。そこに彼女たち、時空を超越した者と自分たちの間の越えようのない渓谷がある。
「だとしたら……我々ネープがあなた方のお役に立とうなどという考えは無意味ですね。理解出来ない目的のために足掻いても、本来の務めをおろそかにするだけだ。あなた方の下さる助言も情報も、私はネープの務めに役立つかどうかだけを見極めて利用していきましょう。これまでと同じように……」
サーレオの顔が今にも泣き出しそうに曇った。
なぜそんなに悲しむ必要がある?
弟に、子供に、あるいはペットに、自身の深い思いを理解してもらえない姉の、母の、あるいは飼い主の悲しみのようなものか?
一四一の疑念を見透かしたように、サーレオが言った。
「忘れないでください。私たちもかつてはあなたと同じ人間だったのです。むしろ、人間だった時はあなた方完全人間の方がはるかに賢かったでしょう。私たちの立場の違いに理由などないのです。私はたまたま、生と死の間で星百合の近くに立った。それだけのことです」
番だろうか、二羽の小鳥がさえずりながら青空を横切って行った。
トワがブロンズ色の指でポットからホウティーを注ぎ、白目のない黒い瞳で一四一におかわりを促す。
ネープの長は素直に持っていたカップをそれと取り替えた。
サーレオを悲しませるつもりはなかった。
彼女を悲しませているのは、かつて人間だったという過去……であれば、こちらも人間として対することでしか、その悲しみから離れてもらえないだろう。
一四一は言った。
「ネープは自分で完全人間などと名乗っている訳ではありません。長い歴史の中で、いつの間にかそう呼ばれるようになっただけです。所詮は死角も寿命も持ち合わせた有機体に過ぎない。三〇三がアサトとの結婚を承知した理由もそこにあるのでしょう。そもそも結婚とは、自分に欠けている部分を埋め合わせるという側面もあるのですから。彼はそれを……何か感じたのでしょう」
サーレオは静かに目をつぶってネープの話に聞き入った。
「不思議ですね……今のお話で、あなたが知りたがっていることをお伝えする言葉が見つかった気がします。うまくわかってもらえるかわかりませんが……」
ルビーの瞳が一四一を見た。
「星百合が安定を欲しているというのはあながち間違っていません。その一方で変化を欲しているのも事実なのです。その果てが破局と言うべき状態であっても……星百合が望むなら私たちはそれを実現します。どちらになるかは、アサトと……ユリイラに負うところがとても大きい」
「その二人が……やはり、全ての焦点なのですか」
サーレオは両手を上げると白魚のような指で中空をかき回すような仕草をした。
「アサトとユリイラは二つの渦です。お互いも回り合いながら一つの大きな渦を作って、そこに全てを巻き込んでいきます。その果てに安定も変化もあるのです」
「では……あなた方は星百合が望むなら、二人が破局を招く結果になってもいいと?」
「はい。破局は新しい始まりになるでしょう。悲しいのは、それがあの娘の……アサトの幸せを壊すことになるだろうことです」
アサトの幸せ──
銀河帝国に訪れるかもしれない「破局」とはあまりにもスケールのかけ離れたその言葉に、一四一は虚をつかれた。
そのどちらも自分が……全てのネープが力を結集してもいかんともし難いものだ。
もし、片方だけでもなんとかできる存在がいるとしたら、それはあいつだけだろう。
ということは……?
「もしや……あなたが私を呼んだのは、帝国のためでも銀河系宇宙のためでもなく、アサト個人のためですか?」
サーレオは子供らしいキョトンとした顔を見せた。
「そう言いませんでしたか? 私はあの娘が好きですよ。銀河皇帝としてやがて来る破局に直面した時、彼女には挫けずにいて欲しい。そのためには、あなた方ネープの力が必要です」
なんとも……。
超常の存在に相応しからぬあまりにも人間くさい要望に、一四一はサーレオの顔をまじまじと見つめた。
振り回されっぱなしだ。銀河の危機と少女の幸せの間で。
「わかりました。三〇三にはしっかり妻である主君を支えるよう念をおしておきます。出来ればその上で『破局』を避けるようにも言っておきますよ」
サーレオがようやく花のような笑顔を取り戻して言った。
「そのためにきっと役に立つプレゼントがあります」
トワが傍から小さな石の円環を取り出して一四一に差し出した。
一目で星百合由来のものだと分かる。だが皇冠や他のどんな機械生物にも似ていない。ちょうど人の手首に収まるブレスレットのサイズだ。
「あなた方が造っている玉座機と同じ役割をするものです。アサトの意思に従い、それ以上に彼女を護ってくれるでしょう」
この小さな円環が?
ネープたちは失われた四号玉座機に替わる、さらに大型のものを用意していたが、それよりも役に立つというのだろうか……
一四一は言った。
「最後にもう一つ……先ほど上で、惑星〈千のナイフ〉を巡る陰謀に巻き込まれかけました。あなた方の言う『破局』はあの星に関係しているものですか?」
「〈千のナイフ〉は『破局』の中心です。アサトもそこに向かうでしょう」
ネープ一四一は上着に袖を通し、小さな玉座機をポケットに納めた。
「今日聞いた、一番重要な情報です。先に知りたかった」
草原を立ち去るネープの長を見送りながら、トワが笑みをこぼした。
「あの可愛かった一四一が立派になって」
それを聞いたサーレオの顔に寂しさがよぎった。
「正直、アサトがうらやましい……」




