乱れる筆致
そして長いような短いような時間が過ぎ去って小学校を卒業し中学に通うようになった。
海野も同じ中学校に進学している。実の所ほっとしている。
なぜなら、今や海野は唯一無二の親友になってしまったからだ。
海野がコンクールに受賞する事件が発生してから、俺は何かが吹っ切れたように絵を書き続けていた。
友達からの遊びの誘いも全て断って、授業中も全て聴き流してずっと絵だけを描いていた。
先生に怒られようが関係がない。自分の中の価値観が何処かおかしくなってしまったと思う。
そんな状態なのだから、海野と話すようになるのは時間の問題だった。
自分がライバル視していた人間はいつの間にか師匠のような友人のような存在になっていた。
一緒に絵を描いていれば自然と仲が深まって行く。
悔しいが、放課後に海野と絵の話をするのは何よりも楽しかった。
また、海野も変わっていった。
前のようにオドオドした態度は無くなり、社交的になったと思う。
友人も覚えきれないほど増えていた。あの長くて鬱陶しい髪型もいつの間にか変わって、明るく快活なものになっていた。海野曰く、「受賞したことでなんだか自信がついたんだよ!」とのこと。
そして中学校に入って3日が経とうとしていた。
学校は相変わらずホームルームばかりで、何も代わり映えしない。俺たちも小学校の時と同じく絵を描くだけなのだから、毎朝行く場所と制服を着なければならないという制約以外何も変わっていなかった。
「ねぇねぇ岸辺君、今日の美術部の活動一緒に見に行こうよ」
放課後に海野が自分の元にやってきてそう提案してきた。
「美術部か……」
言葉を口の中で転がす。美術部、興味がないと言えば嘘になる。
ただ、海野以上の人間に会えるとも思えない。行く価値があるのだろうか。ただ単に面倒臭いしがらみが増えるだけな気がして億劫だった。
「入る意味があるのか?」
「とりあえず見てから判断してみても遅くないとおもうよ?」
海野がそう催促する。俺はそれに「見るだけならまぁ」と返事をした。
海野と並んで、美術部が活動している教室まで歩いて行く。
途中、吹奏楽部のお世辞にも綺麗とも言えない音が聞こえてきた。「ああ、皆部活動を頑張っているんだな」と独り言をいってみると海野が「あたりまえでしょ」と笑った。
そうか、中学生にもなると部活をしないといけないのか、今更ながらそんな文化を知った。
そして、海野と「どんな美術部だったらいいな」とか「どんぐらいのレベルなんだろうねー」とか、そんな他愛のない雑談をしながら歩いていると、いつの間にか演奏の音が遠く消えていった。
代わりにあたりは静寂に包まれ、目の前に美術部の扉がドンと構えていた。
扉についた小さな窓から中身を覗いてみる、中にいるのはどれも女子生徒だ。
そしてみんな絵の前で喋っていた。不思議なことに誰一人として筆を握っていなかった。
「誰も絵を描いてないのか?」
素直に疑問に思ったことを口に出してしまう。
「まぁ、まだ入学式が終わったばかりなんだからそういう日もあるんでしょう」
海野がそうフォローをするが、何か嫌な予感がする。そんな自分とは対照的に海野のテンションがやけに高いのが気になった。
ちょっとすると、俺たちに気がついた部員が扉を開けてくれた。
「もしかして見学の人?」
メガネをかけた女性の方が尋ねてきた。ネクタイを確認すると3年生のものなので、おそらく先輩なのだろう。
海野は「はい、見学しにきました」と返すと、彼女は「そっか!」と笑顔で迎え入れてくれた。
「一応、私がここの部長なの。よろしくね!」彼女がいうと、海野が「僕は海野 健司と言います」自己紹介を始めるので、俺も慌てて自己紹介を行った。
その姿を見て彼女は少し笑った。何が面白いというのだろうか。
「緊張しないでいいよ、ここは割と気楽な部活だからー。ねー?」
部長がそのように他の部員に尋ねると、同意するように「ねー」と返してくる。それを見て自分の中の嫌な予感が増していく。
「この中だと、やっぱり部長さんが一番絵が上手なのですか?」
思い切って訪ねてみると、部長は軽い感じで「そだよー」と返事をした。他の部員も頷いているので間違いではないようだ。
「もしよろしければ部長さんの絵を見てもいいですか?」
そう尋ねてみる。海野が小声で「おい、いきなりすぎるだろ」って言ってきたがそれは無視することにした。
「まーいいよ~確かに私の絵が一番気になるよね〜!」
そういって部長は一つの絵の前に案内する。この絵が部長が描いたものなのだろうか?僕と海野がその絵を値踏みするように見つめる。
「……」
……下手ではない、だが上手でもない。素人よりは綺麗に描けているのだとも思う。
だけど、海野の方が圧倒的に上手な絵を描けている。この絵から学べるものはない。
彼女の絵はもう僕たちが過ぎ去った地点にあるものだった。
「……この絵はいつ頃描かれた絵なのですか?」
何かを察して海野がそう尋ねた。
「えっと。二ヶ月前に完成したかな。私の作品のなかだと一番新しいよ!」
「なるほど……」
そう答えた海野の顔は少し暗くなっていた。その顔は暗に三年間描いてこのレベルなのかと語っていた。
「……えっと私の絵って変?」
部長がそう尋ねる。なんと返事しようかと悩んでいると海野が先に答えた。
「いえ、素敵な絵だと思いますよ!」
「本当!?よかったー!!反応が微妙だからこわくなっちゃった!」
部長がそういうと、海野は軽く笑って誤魔化した。海野は本当に社交的になった。
「それでどうかなー?うちの美術部、入る気になったかな?」
部長さんが軽く尋ねてくる。
この部活にはいる意味はあるのだろうか?一番絵が上手い人でこのレベルなら学べることはない。
僕には意味を見出すことができなかった。
「そうですねー自分は入ってみたい気持ち結構あります」
海野がそう答えるので自分はぎょっとした気持ちになった。
「おい、海野」
自分は小声で話しかける。それだけで海野には伝わったのか苦笑いを作った。
「岸辺も一緒に入ろうよ」
海野がそう言った。俺は、どうしたんだろうか。
海辺が入るのなら、入ってもいいのかもしれない。改めて部長の描いた絵を見る。何度も見ても惹かれる物が無い。
この部活に入っても得られる物はないだろう。それは海野もわかっているはずだ。
ならば俺が入部しなければ海野も入らないはずだ。だから俺は____
「俺は……別にいいよ……」
「そっか、じゃあ僕だけでも部活に入ろうかな」
耳を疑った。海野はこんな部活に入るつもりなのか?こんな低レベルな部活に?
一体何故なんだ。理解できない。小学校の頃のように一緒に絵を描いていればいいじゃないか。こんな部活は海野の才能に相応しくない。
「……っ」
こんな時だというのに言葉が出てこない。海野を引き止めるための言葉が。思いを口に出せず、心の中で止まってしまう。
「海野がそうしたいなら……それでいいと思う……」
自分の口から出たのは全く思ってもいなかったセリフだった。なんで俺はこんなことを言ってしまったのか。
「そっか……」
海野の悲しそうな顔が印象に残る。
こうして僕たちの道が別れてしまった。