色と影
「岸部君、次は悟空描いてー」
授業が始まる前の空き時間に友達にそんなお願いをされた。
「いいよー」
僕はそう返事をして、黒板にチョークを押し付ける。
お題は今話題の漫画の主人公だ。どうやらスーパほにゃらら人になるとかならないとかでクラス中が話題にしていたの知っている。
このキャラクターなら簡単に描ける。何度も練習した。手慣れた動きで目、鼻、口を描く。そしてそれをカクカクとした輪郭で閉じ込めて、そこにギザギザの髪の毛を乗せた。最後に黄色のチョークで髪の毛を塗りたくれば完成だ。
「すっげーー岸辺君って絵が上手いよねー」
完成した絵を見て友人が褒める。それがなんだかこそばゆくて、素直に受け止めきれない。
「いや〜〜それほどでもないよー」
「なんでそんなに上手に描けるのー?」
「はは、こういうのはコツがあるんだよー」
絵を描くのが好きだ。誰に言われた訳でもない。物心ついた頃には絵を描くことが好きになっていた。
だからこそ僕がこの小学校で一番絵がうまいんだろう。根拠はないが自信はある。
「おーい、全員席に座れー」
先生が教室に入って黒板に書かれた絵を消しながらそう言った。
勝手に絵を消されることにちょっとモヤモヤする。だけどそれについて何か言えることもないので、黙って先生の命令に従う。
「突然だが今日からこのクラスに転校生が来る事になった。おい、入ってこい」
ドアを開けて入って来たのは男だった。身長は少し低く、僕よりも拳二つ分小さかった。
それなのに髪の毛はもとても長く、目を見ることもできない。なんとなく暗そうな子だなぁと思った
その子が、ぎこちない動きで教壇の前まで歩いて行く。
「自己紹介しろ」
そういって先生が転校生にチョークを渡した。それを受け取ると転校生が黒板に文字を書いて行く。クラスの皆はそれを一言も発さずに見つめていた。皆どう反応したら良いか分からない様子だった。
チョークを黒板に擦り付ける音だけが響くなんとも居心地の悪い間が生まれた。
「海野 健司です。よろしくお願いします」
転校生は自分の名前を書き終えると、とても小さな声で自己紹介して辞儀をした。
え?それで終わり?
余りの味気なさにクラスの全員がなんの反応も返せなかった。それを見かねて先生は拍手をした。
それにつられ全員が拍手をした。
「海野の席は岸辺の横が空いているからひとまずそこに座ってくれ」
先生はそう言って僕の隣の席を指差す。
転校生は黙ってうなずいて、オドオドと僕の隣の席に座る。
僕は「よろしく」と言おうとしたが、顔をそらされてしまってなんとなく言えなかった。
この転校生、なんだか話しかけにくいなぁ……
これから仲良くできるのかな?なんだか不安だ。
◇
海野君が転校してきてから一週間経っても、会話らしい会話が出来なかった。
なんというかやはり、話しかけにくいのだ。
海野君はとても変わっている子だった。
休み時間に一人でずっとノートに何かを書いていて、サッカーや鬼ごっこに全く興味がない。
それにいつも何かに怯えているみたいで、誰かから話しかけられると口癖のように「ゴメン」と謝ってくる。
そんなもんだから、クラスのみんなはどうしたら良いのか分からず、まるで腫れ物を扱うようだった
僕も似たようなもので、正直いって海野君とどう接したらいいのか全く分からなかった。
さらに時間が経つと、誰も海野君の相手をしなくなってきていた。
海野君には転校生というラベルが外れ、限りなく空気に近いクラスメイトの一人になっていた。
僕も海野君のことは「そういう奴」という認識で、特に関わることもなかった。
学校で勉強して、漫画のキャラクターを書いて友達に褒められて、外で遊んで、家でご飯を食べて寝る。
そんな毎日を送っていると、いつの間にか冬休み前の全校朝礼の日になっていた。
「全校朝礼ってなんのためにあるんだろうね」
「さぁ〜?」
友達の何気ない疑問に適当に答えながら体育館に渋々歩いて行く。
体育館についてしばらくすると、校長が現れて全校朝礼がはじまった。
それを確認して僕はすぐさま話を聞き流す体制に入る。校長先生や全然知らない人の長話を聞いてなんの徳があるのか。僕には全く理解できなかった。なので僕はこうしてボケーとただ立つことにしているのだ。
そうすることできっと時間が早く過ぎ去る。
「______海野君、前に出てきなさい」
校長先生の口から聞き覚えのある名前が出てきたのではっと我に返る。
今、海野君の名前が呼ばれたよな?と友達に確認すると友達は頷いた。
話を全く聞いていなかったので、なんで海野君が呼び出されたのか分からない。
周りがザワザワと騒ぎ始める。こんなに騒ついた全校朝礼を見たのは初めてだった。
海野君は一体何をしたんだろうか?
呼び出されて、壇上に登って行く海野君。
その姿にはいつものようなオドオドした態度がなく、どことなく自信がというものが感じられた。
海野君が校長先生の前に経つと、校長先生が長ったらしい口上を述べてから「おめでとう」と表彰状を海野君に手渡す。
__どうやら海野君はある絵画コンクールで最優秀賞を取得したらしい。
そう認識した時に、地面がぐらつくような錯覚をした。
あの海野が?この僕を差し置いて絵で賞をとっている?
ドンドン身体中が熱くなっていく。身体中の血が逆流しているのかもしれない。頭の中で思考がグルグル回る。僕は怒っているのだろうか?名前の分からない感情に体が支配されて行く。
気が付いたら僕は走り出していた。ただひたすら自分の描いた絵が見たかったのだ。
なぜそんな気持ちになったのか分からない。たぶん自分を励ますためなんだと思う。
教室にたどり着いて、僕の自由帳を開く。そこにあったのは僕が今まで描いてきたイラストたち。そのどれもが漫画の名場面を忠実に再現できている。
うん、大丈夫だ。僕の絵は上手いんだ。
ふと、海野の描いた絵が気になった。
どしどしと海野の机に近づいて言って、その中身を地面にぶちまけた。そしてその中から一際ボロボロになっている自由帳を手に取る。
熱くなる体を強引に落ち着かせて、そのノートを開く。
最初にページに書かれていたのはただの木のイラストだった。
なんだこんなものか。
確かに上手だが、このくらいなら僕にも書ける。そう思いながら次々にページをめくって行く。
沢山の絵が書かれていた。学校のいろんなところをスケッチした絵。海野自身の自画像。見たこともない風景の絵。めくればめくるほど絵は進化していく。絵はドンドン細かくなっていき、違和感がなくなって行く。
「なんだよこれ……」
ふと床に目をやると他にも自由帳があることに気がついた。それも一つや二つじゃない、沢山の自由帳が転がっていた。その中から一番真新しいものを拾って適当なページを開く。
__そこに書かれていたのは、芸術だった。
「……」
僕はそれをじっと眺める。どれほど固まっていたのかは分からない。
気がついたら、今度は自分の自由帳を開いていた。
見なければいいのに。今見たらきっと後悔する。頭の片隅では理解していた。なのに体は勝手に動く。
「クソだ……」
海野の絵の後だと、自分の絵がラクガキに見えた。模写にもなっていない稚拙なキャラクター達。
自分の個性というものも何もない無意味な絵。僕はこんなものを描いて満足をしていたのか。僕はこんなものでこの学校で一番絵が上手だと思っていたのか。腹から何か熱いものが頭に登っていくのを感じる。僕はそれに耐えきれなくなって、いつの間にか叫んでいた。
次々と自分の自由帳のページを破り捨てて行く。そうでもしないとこの体の熱が収まりそうもない。
身体中に熱がドンドンドンドン溜まって行く。これは恥ずかしいという気持ちなのだろうか。それとも怒っているのだろうか。それとも嫉妬?分からない。とにかく複雑で子供じみた感情が僕を貫いていた。
気がつくと僕を探しにきたであろう先生が教室に帰ってきていた。悲惨な状態になっている教室を見るやいなや僕を怒鳴りつける。それから何が起きたかはあまり覚えていない。
とにかく海野を見返してやりたいという気持ちが生まれてきたことだけは覚えていた。