評論
師匠のアトリエの燃えカスの上で、私はキャンバスの前に座る。屋根がなければ壁もない。
青空の下で、ただ一人、絵を描いている。
「やぁ岸辺君……君はいつも連絡するのが遅過ぎないかい?」
そこに海野がやってきた。私が呼びつけたのだ。
海野をジロリと睨みつけると、ポケットからスマホを取り出し例のNFTアートになってしまったチョコレートの作品を見せつける。
「海野これはお前がやったんだな?」
「……そうだよ」
「じゃあ___」
「このアトリエを燃やしたのも僕だ」
「なぜ?」
ここは怒るべき場面なのだろう。しかし不思議と怒りが湧いて来なかった。私は私がびっくりするほど冷静だった。
「NFTアートっていうのはね、唯一性があるから価値があるんだよ」
「何を言っているんだ?」
「だからさ、現物があったらNFTアートよりも現物の方が価値をもってしまうんだよ。だってそうだろ?本物なんだから」
「あぁ?」
「だから燃やした」
「海野」
「なんだい岸辺君」
私は力限り手のひらを握り、カチカチに固まった拳を海野の顔面にぶつけた。
その勢いで煤まみれの地面を転げ回る海野、しばらくすると膝をガクガクとさせながら海野が立ち上がった。
「満足した?」
海野が気にしていないというふうな口調で話しかける。むしろこれぐらいは当然だと言わんばかりの態度だった。
「……まぁな」
「そうよかった」
何かに安堵した海野はそう呟いた。
「本当のワケを話せ。さもないともう一発」
「おばあちゃんの為だ」
「どういうことだ?」
「おばあちゃんが言っていたんだ。永遠に美しいままに残す方法がないかなと。だから、僕はデジタル化すべきだと思っていたんだ。デジタルなら劣化することもない、一生色褪せないままでいられるんだ」
花子さんの持っていた色褪せた絵を思い出す。花子さんの最後のぼやき、かすれてなんなのか分からない絵を大切そうに持っていた花子さんはとても悲しい顔をしていた。
「……」
「だけど、おじいちゃんはデジタル化なんて許すはずがない。何度交渉してもダメだと言われた」
「お前そんなことをしていたのか……」
「まぁね。腐っても僕のおじいちゃんだから」
「意外かもしれないけど、おじいちゃんはお金のために絵を描く人だったんだ。絵は家族が、友人が、身の回りのみんなが飢えないようにするための手段」
「チョコレートか」
「ああ、知っているんだね。そう、おじいちゃんはチョコレートの為に、ご飯の為に絵を描いていたんだ。それは歳をとっても変わらない。だからこそデジタル化に反対していた。古山 信彦の作品は蒐集品としての価値が主だ。だから容易にコピーできるデジタル化された作品になんの需要も見いだせなかった。それどころか古山 信彦のブランドが下がってしまう可能性がある。おじいちゃんはそれを知っていたからこそ反対していたんだろう」
「……」
確かにそうだ。海野の言っていることは悉く真実だった。
「……岸辺君、おじいちゃんの遺書を読んでいないだろ?」
「遺書?そんなものがあったのか?」
「ああやっぱり、そうだよね」
「なんだよ、何が書かれていたんだよ」
「私が古山信彦として描いた作品は、弟子の岸辺 誠に全て寄贈します」
「は?」
「おじいちゃんは、君に全てをあげようとしていたんだ」
「君が受け取るべきなんだ。おじいちゃんはずっとそう言っていた。ワシのあとを任せられるのはあの素晴らしき弟子しかいないって」
「師匠はそんなことを……」
「……僕もそう思っていた。おじいちゃんを継げるのは君しかいないと。だけど、アイツらはその思いを踏みにじったんだ」
「アイツら?」
「僕の親戚たちだよ。アイツらはおじいちゃんの作品の良さを一つも分かってはいない。アイツらはずっとお金しか見ていない、アイツらは醜くずっと争い続けていた。だから君に作品が譲られるなんて我慢なんてできなかったんだろうね。そしてアイツらは師匠の魂のこもった遺書をなかったことにしてしまったんだ」
「……」
「……許される訳ないよね?残っている古山信彦の作品が全て燃えてしまったと知った時のアイツらの顔見たらさ、すっごく笑えたよ」
そう言い捨てる海野の顔には笑みが残っていた。
「だからって燃やすことは無いだろ……」
「……それは僕もすごく悩んだ。でもやっぱりこうするしかかったんだよ。そうでもしないとあの素晴らしい作品がアイツらに奪われてしまうんだ」
「そうか、それがお前の思いか」
「まぁね」
「なぁ今、NFTになった師匠の作品は誰が持っていることになっているんだ?」
「購入されたものは購入者のものに、それ以外のものは一般法人団体『古山信彦のアトリエ』が持っていることになっているよ」
「法人?」
「えっと、要は古山信彦のアトリエで働いていた人皆のものってことさ。アトリエの社員はおじいちゃんとおばあちゃん、そして君と僕だけだ。だから、おじいちゃんの作品は僕と君が持っているということになるね」
「お前、アトリエで働いていたのか?」
「ほぼ名義だけだけどね、たまにおじいちゃんの絵を売るのを手伝っていたりしてたんだよ」
思い返せば師匠とはいつも絵の話ばあかりでプライベートなことは何も聞いたことがなかった。長い時間何をしてたんだろうとも思う。だけど、それほどまで師匠と絵を描くのは楽しかった。それでも__
「師匠の馬鹿野郎、ちょっとぐらい教えてくれてもいいじゃねぇか……」
「……僕のおばあちゃんは作品のデジタル化を望んでいた。僕のおじいちゃんはご飯が食べれなくなることを恐れていた。そして僕はおじいちゃんの作品がお金にしか興味のない親戚の手に渡るのが嫌だった。だから……」
「……辛かったのか?」
「うん……悩んだとっても悩んだよ。今もこれが正しかったのか悩み続けている」
「相談してくれたってよかったんじゃないか?」
「……君、こういうNFTとかネットとか苦手だろう?」
「言い返す言葉がねぇ」
そういうと、何かが堪えられなかったのか海野が笑い出す。私もそれに釣られて笑う。
青空の下で僕たちはいつかの時のように無邪気に笑った。
「あ、岸辺君、今さっき君の描いた作品が売れたみたいだよ」
「は!?あのやけに高いやつが!?」
「だからさ、チョコレート食べにいかないかい?すっごく美味しいヤツ」
「ああ、それはいいな」