鑑賞
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
目の前のキャンバスにはチョコレートの絵ができていた。
師匠を死を偲ぶのならきっとこの絵が良いのだろう。
題名はチョコレート。師匠の原点だ。
孤独に包まれたアトリエで、私は一人で静かにコーヒーを味わう。花子さんが煎れてくれたコーヒーとは異なる味わいだが、寂しさを紛らわせるために必要な存在だった。アトリエに残された数々の作品を眺めると、その中には師匠との共有した思い出が色濃く残っている。視界が滲んでいく中、涙が今更になってこぼれ落ちる。
「師匠……なんで死んでしまうのですか……私は一人でどうしたら良いのですか……」
そんな問いかけに対する答えは、今はもうどこにも聞こえてこない。ひとりぼっちの恐怖がアトリエを包み込む中、師匠の芸術をもう一度心に刻みつける。。
突然、作業場の扉が開かれた。
「やっぱりここにいたのか岸辺」
そこにいたのは海野だった。
「……なにしに来たんだ?」
涙を拭い取り繕う。わざわざここまで来るなんてご苦労なことだ。
「なんで、葬式に来なかったんだ?」
「ああ……?なんでなんだろうな……?きっと、絵を描きたかったんだ……」
「岸辺今からでも間に合う、後悔する前に行け」
海野らしかぬ力強い言葉だった。有無を言わせぬその迫力に、なぜだか師匠と花子さんの面影を見た気がした。
「……分かった」
そう返事をすると、あんなに行くのが億劫だった葬式にいけるような気がした。
私が部屋を出ようとするが、海野はここを動く気がしない。
「海野はどうするんだ?」
「僕はここやるべきことがあるんだ。おじいちゃんの葬式には行けない」
「おじいちゃん?」
「え?知らなかったの?古山信彦は僕のおじいちゃんなんだよ?」
「でも苗字が違うだろ」
「へ? 古山 信彦ってただのペンネームだよ。本名は海野 源蔵って言うんだ。本当に僕のおじいちゃんなんだよ?」
「は?はは……そうだったのか……だから……はははははは、あははははははははははははは!」
「どうしたんだ岸辺」
「いや、私は本当に何も知らなかったんだなってな。どこか馬鹿らしくなっただけだ。あははは」
「岸辺……」
「よし、お前のおじいちゃんの葬式に俺が代わりにいってやる」
「……おじいちゃんによろしくね」
翌日、師匠の葬式は静謐に進行し、奇妙なことに涙は流れなかった。ただ、心の中で深く納得が広がっていく感覚だけが続いた。灰になった姿を見ても、それがかつてのあの二人だと理解することはできなかった。
だが、どうしても気になったのが遺族の態度。思い出すだけで気分が悪くなる。
なぜ師匠が死んだと言うのに遺産の話しかしないのだ?なぜ悲しまずに金の話だけができる?
私には正直理解できなかった。彼らとの食事など考えることはできず、師匠と花子さんに黙とうを捧げながら、私は葬儀場を離れることを決意した。
家に帰ると、目をひんむくようなニュースが飛び込んできた。
古山 信彦のアトリエに火災が発生したというのだ。
慌ててアトリエに向かうとそこにあったのは、ニュースが嘘ではないという証拠だった。
師匠と過ごした練磨の日々。優しい花子さんとの思い出。その全てが燃えカスに変わっていた。
「そんな……」
燃え朽ちたアトリエの前に膝から崩れ落ちる。
考えがまとまらない。自分が持っているものは何もかもがなくなってしまった。
私に残ったものは……なにかあるのか……?
◇
それからというもの私は抜け殻のように絵を描いていた。
古山信彦というブランドを失ってしまった私の絵をみる人は少ない。
師匠がいた頃とは比べ物にならないほど私の絵は売れなくなってしまっていた。
私自身も絵を描く活力が失われていた。当初は物珍しさから買う人や、事情を知っている師匠のお得意様が私の絵を買ってくれたが、それも次第に少なくなってしまった。
私はなんのために生きているのだろう。私もアトリエと一緒に燃えてしまえばよかったのだ。死んでしまおうかなと考えたこともある。しかし、勇気のない私にはそれをすることすらできない。
ならば必然的に生きることになる。そして、生きていれば腹が減る。
絵を以前では想像もつかない安値で売って、毎日の食費を稼ぐ毎日だ。希望が見いだせず、画家としてのプライドも全て金に変わった。
心にぽっかりと開いた穴を埋めるようにインターネットで古山信彦の名前で検索する。師匠の写真を見るたびに蘇る幸せな二人の笑顔。ハッキリ言って挫けそうだった。
そんな中、気になるニュースを見つけた。『焼失したはずの古山信彦の作品がNFTアートとして販売されている。一体なぜ?誰が?』という見出しだった。
NFTアート?なんだそれは。さらに詳しく調べてみる。
NFTというのはどうやらデジタルでも個人の所有物として扱えるようになるというものらしい。つまり、師匠の絵がインターネット上でまるで物のように取引されているというのだ。
事実確認しようとNFTマーケットで師匠の名前で検索をする。すると、あのアトリエにあった絵が3D作品としてずらりと並んでいた。中には未発表のものまで存在している。しかもその絵はどれも本物だ。私はずっと一緒に描いていたのだから見間違える訳がない。
どういうことだろうか、何が起きているのかさっぱり分からない。
出品されたNFTアートを漁っていると、一つだけ異常な高値で売られている絵があった。
「なんでここに……」
それは私が描いたチョコレートの絵だった。しかも、その絵だけは古山信彦の名義ではなく、古山信彦の弟子と書かれている。
こんなことありえる訳が無い。なぜならこの絵はアトリエが燃える前日に完成したのだ。NFTアートなどというものにした覚えはない。
どういうことだ?混乱する頭で考える。
どう考えても犯人は一人しかいなかった。
海野 健司お前はアトリエで何をした?




