どうやら私の婚約者様は初恋の人に未練があるようなので頭から水をかけてさしあげました
私、ヘルナ・ルーベックとユーリカ・エリドレスはちょうど婚約して3年になる。
お互いの時間も空いてそろそろ結婚しても良い頃である。
しかし結婚の話を持ち出すと『まだ早いのではないでしょうか......ああそういえば』と言って、話を逸らす。
父上や母上にもよく言われる。
「そろそろ結婚したらどう、ヘルナ、婚約して3年目でしょう」
「申し訳ございません、お相手方の準備がまだのようでして」
「そう、準備って言っても何があるのかしら......ユーリカ様の気持ちの問題?」
「結婚はいわば一生のパートナーを作ることと同意義ですから」
「そうね、やっぱり責任とか感じちゃうわよね、まあ結婚しろって言ってるわけじゃないけど早めにね」
こうは言って何とかやっているものの、実際なぜ結婚を嫌がるのかが気になっていた。
そして最近はお茶会やデートに誘っても用事があるからといい、断られる。
やはり忙しいのか、それとも何か悩みがあるのかと思っていた。
***
私がユーリカ様と出会ったのは18歳の時の社交界である。
「少し、よろしいですか?」
ユーリカ様が爽やかな笑顔で私に話しかけてくれたのだ。
顔も声も私の好みであった。この時点で内心は緊張している。
「えっええ......」
「よかった、私はユーリカ・エリドレスと申します、お初にお目にかかります、ヘルナ・ルーベック様」
「エリドレス......ということはエリドレス家の!」
「はい、ヘルナ様のことは存じておりましたが、こうして会うのは初めてでございますね」
エルドレス家とルーベック家は仕事柄、仲が良かった。
今度、婚約者候補として紹介したい人物がいると父上から言われており、おそらくこの人だろうと思ったわけだ。
ユーリカ様とは同い年でもあった。
しかし、同い年とは思え無いほどに雰囲気は大人びており紳士的な方であった。
最初は父上から婚約の話をされて不安であったがこの人なら『大丈夫』と思ったわけだ。
そこから私はユーリカ様と一気に仲が良くなり、婚約という形になった。
両家はもちろん満場一致で了承である。
そこから3年間。ユーリカ様は私を愛してくれていたと思うし、私も愛していた。
誘えば予定を空けて必ず来てくれた......のに。
本当にここ最近である。
お茶会やデートを断り続けているだけじゃない。
3年間、手紙で自分でも甘いと思うくらいのやり取りをしていたのだが、1ヶ月ほど前に私が送ったっきりである。
追加の手紙を送っても返ってこない。
私の心は満たされず、ユーリカ様への不信感も募らせていた。
もしや......と思うこともあった。
しかし、ただ忙しいだけなのだと自分を思い込ませた。
そんな日々が続いて1ヶ月。流石に耐えられなかった。
私はユーリカ様の元へ直接行こうとしたわけである。
何か隠していることがあるのではないかと不安だった。
すると道中で目の前に見覚えのある背中が見えた。
「あれは、ユーリカ様!」
私は近づこうとしたのだが、すぐに足は止まった。
「え......流石に嘘ですよね......」
ユーリカ様は見知らぬ女性と横に並んで歩いていたのである。
ユーリカ様はその女性とここ最近私に見せていない笑顔で話していた。
私は込み上げてくる感情を抑えながら、その日は家に戻った。
この後に知ったことだが、どうやら......私の婚約者様は初恋の人に未練があるようなのだ。
***
「今日もお茶会は......」
「ああ、すまない」
......またあの人に会いに行くのか。
こんな日々が続けば、続いていた熱も冷めてくるものである。
婚約当初はラブラブだったと思うのだがどうしてこうなったのか。
「最近、どうされたのでしょうか」
「あっえっと......少し体調が優れなくてね、病院へ行っているんだ」
「そうですか、お大事になさってください、それ以外にも何かお悩みがありましたら私も相談に乗りますから」
嘘つけ。
今にでも爆発しそうな怒りを抑えながら笑顔で柔らかく話す。
これ以上この人と話していたら私が殴りかかりそうである。
「それでは時間のためこれで」
「また時間が空いている時は私にお声かけください」
「ああ、わかった、時間が取れなくてすまないな」
「いえ......あっそれと......」
「なんだ?」
「明後日は私の誕生日パーティーです、ご出席されますよね?」
「ああ、もちろんだ」
そしてユーリカ様は去っていった。
私はその背中をジト目で見送った。
明後日の私の誕生日パーティー。忘れたら覚悟していてもらいましょう。
***
誕生日パーティー当日。
案の定、あの人は来なかった。
「あいつ......仮にも婚約者でしょ!」
私は無意識のうちに強く拳を握りしめていた。
しかしあんなやつに対して怒っても時間の無駄である。
大丈夫、あいつはクズ男。
そう唱えながら精神を落ち着かせた。
「お誕生日おめでとう御座います、ヘルナ様」
「ありがとうございます、エルリア様」
しばらくするとエルリアから話しかけられた。
エルリア・シーバハイネとは、初めての社交界で出会った同い年の友人である。
そして最近の私の事情もよく知っている。
「ユーリカ様はどこへ?」
「......来ていないようです」
「流石に来ると思っていましたが......あんまりです」
はあ、とエルリアはため息をついた。
「ええ、残念ですが......最近は多忙のようですね、招待の手紙を送ったのですが......」
「それでもです! 予定を空けて! 普通は! 来るものなのです!」
エルリアはかなり苛立っている。
私の代わりに怒ってくれているのだと思うと嬉しい。
「ヘルナ様ももう少し怒ってください! 舐められてはいけません!」
「ええ、そうね、今度話し合ってみるわ」
またどうせあの女性と会っているのだろう。もうユーリカ様に対する気持ちは呆れの感情だけである。
「そういえばユーリカ様がよく会っているあの女性ですが、メアリー・オーレンという女性だそうです」
「え? ......もう一度名前を言ってもらえるかしら?」
オーレン......オーレン家はエリドレス家と犬猿の仲のはずである。
一方、ルーベック家はオーレン家と仲がまあ良い。
それと......。
「メアリー・オーレンです」
「......それ本当?」
「ええ、間違いなく」
「はあ......そうですか」
その名前を聞いた時、私はこめかみを押さえてため息をついた。
私とメアリー様は古くからの友人......親友である。
「ご存知なのですか?」
「ええ......よく知っております、私の昔の友人です」
「ええ!?」
「メアリー様はユーリカ様が婚約者だということを知らないはずです、最近外国から戻ってきましたから」
「そうなのですか」
悪いのは全部あの人である。
私を放っておいてメアリー様のところへ行くなんて。
メアリー様も少し可哀想である。あんな男に狙われて。
私を放っておいて挙げ句の果てに私の親友に手を出そうだなんて......どうしようもない男だわ。
私は復讐を決意した。あいつが苦しむ最高のルートを頭の中で思い描いた。
***
俺には婚約者がいる。
もちろんその女性は魅力的に感じるし、愛している。
向こうも同じ気持ちだろう。
手紙でのやり取りやお茶会......どれも楽しいものであった。
しかしそう思う時ほど、脳裏にあの子の姿が浮かぶのである。
そのせいでなかなか結婚に踏み切れないでいた。心の底ではまだ彼女のことを想っているのだろうか。
サラサラとした美しい金髪に、うるうるとした吸い込まれそうな瞳。
すべすべとした肌で、美しくも繊細な美貌を兼ね備えている。
あの子と初めて対面したとき、胸が高鳴り、心臓の鼓動が速くなった。
一目惚れというものだろう。恋という感情を初めて知った瞬間だった。
「初めまして、ユーリカ様、メアリー・オーレンと申します」
まさに理想。彼女と話したのは16歳の時の初めての社交パーティーである。
「社交パーティーはやはり緊張しますよね」
ふふっと笑う彼女の笑顔に心打たれた。
彼女ともっと話したい。触れたい。
次会えたら、もう少しアプローチしよう。
そう思ったわけだが、それは叶わないことだった。
彼女は次の社交パーティーには来なかった。その次も。
どうやら外国へ行ってしまったらしいのだ。
父上はあの人たちが外国へ行ってくれて助かったと言っていた。
家同士の仲が良くないらしい。
しかしそれでももう一度彼女に会いたい。
そしてつい最近のことである。彼女を街中で見かけたのである。
見間違えるはずがない。あんな美貌を持っているのは彼女だけなのだから。
気づいたら俺は走り出して彼女の元へ行っていた。
「あの! 私のことを覚えているでしょうか、お久しぶりです」
俺は彼女に話しかける。彼女は前より格段に綺麗になっていた。
再度俺はその姿に目を奪われた。
「えっと......どなたですか?」
しかし彼女は俺のことを覚えてくれていなかった。
それはそうだろう。一度しか会っていないのだから。
それから俺は彼女に積極的に会いに行った。あくまでも偶然を装って。
時にはヘルナからの誘いを断ってまで。
その結果、彼女に大きく近づくことができた。今では一緒にどこかへ出かける仲である。
彼女の笑顔は美しい。
彼女への想いは日に日に増していった。しかしそれと同時にヘルナへの想いは冷めていった。
ヘルナとはもう婚約破棄をしよう。親は反対するだろうが関係ない。
俺はヘルナからの手紙を捨てて今日も彼女の元へ向かった。
***
私は1人、屋敷の広い庭でお茶を啜る。
すると、懐かしい人物が侍女に連れられて現れた。
「お久しぶりです、ヘルナ様」
メアリーである。
彼女は頭を下げて挨拶した。
私は誕生日パーティーが終わった後、メアリーに手紙を送っていたのだ。
内容は伝えていない。ただ、会いませんか、と書いただけ。
メアリーは前よりもさらに美しくなっていた。
色々な感情が心の中で渦巻いている。
メアリーに会えて懐かしい気持ちもあって普段なら純粋にこの時間を楽しみたいところだがそうはいかない。
「お久しぶりです、3年ぶりくらいでしょうか」
「ええ、確かにそうですね」
「外国での生活はどうでしたか?」
「ええ、とても楽しかったですし新鮮な体験でした」
こうして彼女と2人でお茶会をするのも久しぶりだ。
本当はこんな話などしたくない。しかし私は意を決して本題を切り出した。
「実はメアリー様、あなたを呼んだのには理由があります」
「理由?」
「ええ、実は......」
そう言って私は全てを話した。メアリーは終始黙って真剣な面持ちで聞いてくれていた。
そして言い終えると同時にメアリーは頭を下げて謝った。
「本当に申し訳ございません!」
「なっなぜあなたが謝るのですか? あなたは何も......」
「知らなかったにしても仮にもヘルナ様の婚約者であろうお方と会っていた私も悪いです!」
「メアリー様......」
悪いのは全部あの人である。メアリーは何も悪くない。
そう思うと余計に怒りが込み上げてきた。
「とりあえず頭を上げてください、メアリー様」
「......はい、申し訳ございません」
「まだ何もやっていないのでしょう?」
「えっええ......たまに会う近所の人くらいの感覚でした、まさか向こうはそんな気だったなんて......私既婚者ですし」
「えっあら? そうなの?」
「ええ、行った先で夫と出会ってつい最近結婚しました」
メアリーが結婚していたことは想定外であった。しかしそれは良い知らせである。
「メアリー様、少しお聞きしたいこと......いえ頼みたいことがあるのですが」
「はい! できる範囲であれば精一杯やらせていただきます!」
***
「ヘルナ、改まって話とはなんだ」
「まずはお座りください、ユーリカ様」
俺はヘルナに手紙で呼び出されてルーベック邸に来ていた。
どうしてもと言うことで来てやったのである。
居間に案内されて椅子に腰掛ける。ヘルナも向かい合う形で座った。
これから彼女に会いにいかなければならない。すぐに終わって欲しいものだ。
「そういえば私の誕生日パーティーにご出席されなかったようですが、やはり具合の方がよろしくないのでしょうか」
誕生日パーティー? ああそういえばそんなものあったな。すっかり忘れていた。
適当に理由をつけて誤魔化そう。
「ああ、そうなんだ、少し具合が悪くてね」
「そうですか......」
ヘルナは残念そうにした。しかしこの顔を見てももうなんとも思わない。
以前は可愛いと思っていたが、彼女と比べると見劣りしてしまう。
「それで用件はなんだ」
俺は少し苛立ちながら言う。ここでもたもたしていたら彼女に会える時間が減ってしまう。
そう言うとヘルナは椅子から立ち上がり、水を用意し始めた。
侍女に用意させればいいものを。
「水など良い、さっさと本題に......」
「まあ少しゆっくりなさってください、こうして2人で喋るのは2、3ヶ月ぶりですから」
2、3ヶ月、誘いを断りはじめてもうそんなに経つのか。
そろそろ向こうの気持ちも冷めてきただろう。さっさと婚約を破棄したい。
しかし......正当な理由がないと親が反対するか。
そしてヘルナはコップを置いた......と思った。
「お水をどうぞ」
頭にひんやりとした感触が伝わる。そして流れてきた液体が目に入った。
一瞬頭がフリーズした。
「......は?」
髪が濡れており、べちゃべちゃになっている。
「もう一杯いかがですか?」
ヘルナは再び俺の頭に水をかけた。次は服までかかり、べちゃべちゃである。
「......は?」
「あら、手が滑ってしまいました」
彼女はクスクスと笑った。
間違いない。彼女は今俺の頭に水をかけたのだ。
「貴様! 何をやっている!」
私は激怒し、彼女に殴りかかろうとした。
しかし彼女の言葉がそれを制した。
「メアリー・オーレン」
「......っ!?」
「婚約者である私の誕生日パーティーすら忘れて、会いに行っている人の名前、ですよね?」
「なぜそれを!?」
「今日もあなたはその人に会いに行く......いいです、好きにしてください、あなたには失望しました、婚約を破棄させてください」
「なっ......」
......どこまでもつまらない女だ。俺の方からそれを言い渡したかったが先を越されてしまった。
......まあいいや、俺には彼女がいる。
ヘルナなんかよりも断然に美しい。
「ああ、わかった、いいだろう、お前とはもう金輪際関わらないことにする、じゃあな」
そう言って俺は彼女の家を後にした。
***
私が婚約破棄を言い渡してユーリカが家を後にした後、私は笑いが止まらなかった。
久しぶりである。こんなに心の底から笑ったのは。
彼女はもう『ここには』いないのに。
ああ、あんな人と別れられてスッキリした。私の復讐は始まった。でも終わってもいる。
つまりあの人は詰み状態。
「あーすっきりした!」
***
どういうことだ。どうなっている。彼女がいなくなっているではないか。
俺は街を駆け回り彼女を探す。明日も会おうと、彼女から言ってくれたじゃないか。
そして俺は彼女の邸にたどり着いた。
しかし.....。
馬車はなく、家も空であった。いるとしても使用人や門番だけ。
不思議に思い俺は門番に話しかけた。
「メアリー様に用事があるのだが、どこにいるんだ?」
「メアリー様は、外国に戻られましたが......」
「なんだと!?」
嘘だ......また会おうって言ってくれたじゃないか。
「嘘だ......! 嘘に決まっている!」
「嘘も何も旦那様の元へ帰られました」
「は? 旦那様......?」
「えっええ、メアリー様はあちらの国でご結婚なさっているので......」
なぜ? 外国に戻った? は? メアリーが既婚者?
状況が理解できない。嘘だ。嘘に決まっている。全部嘘!
俺は唇を噛み、再度街中を探しに行った。
結局夜になっても彼女を見かけることはなかった。
仕方なく俺は自分の邸へ戻る。
「......ただいま」
家に入ると鬼の形相で父と母が待ち構えていた。
「ちょっと聞きたいことがある」
***
数ヶ月後。
私はエルリアとお茶を優雅に楽しんでいた。
「ヘルナ様も大変でしたね」
「ええ、婚約当初は良かったんですけど、なんでああなってしまったのかしら、けどまあ今に満足しております」
「そういえばユーリカ様ですがどうやら父方の祖母の家に飛ばされて辺境の村で生活しているらしいです、農業を手伝わされたりしているんだとか」
「あら、送った手紙が功を奏したのね」
「なんと送ったのですか?」
「ユーリカ様が私の誕生日パーティーを断ったこととか......大分盛って送ったけど婚約破棄したのは事実ですから」
私は婚約破棄した当日にエリドレス家に手紙を送っていたのだ。
これまで私がされた仕打ちを少しばかり盛って書いたものである。
そして数日後、ユーリカの父と母が家に謝りに来た。
私の父と母はユーリカに対して怒っていただけでユーリカの両親には特に何も言わなかった。
両家の仲は今も良い。
「そういえば今度メアリー様が帰ってくるみたいです、手紙をいただきました」
「本当ですか? メアリー様は綺麗と貴族の間でも噂ですからね、一度会ってみたいものです」
「メアリー様とあなたはきっと気が合いますよ、今度紹介いたしましょうか?」
「本当ですか! ぜひ! 一度お話ししてみたかったんです!」
さて、あいつのことは放っておいてこの日常を謳歌しますか。