躓く原因
夕暮れが照らす中、図書室で慈得は静かに本を読んでいた。
「どうも」
晴は小さな声でそう言ってから、慈得の正面に座る。慈得は小さく手を振ってから読書に再度戻る。晴が教材を広げながら横目を向けると、慈得が読む本の題名が視界に入った。
(日本霊異記?)
知らない本だった。
「何だか実が読みそうな本だな。どう言う本なんだ?」
そう言うと慈得は紙面に視線を落としたまま語り始める。
「狐が女性になって男性と家族になる話なの。狐は夫に自分の正体がばれた後、姿を消してしまう……」
あまりにも真剣な様子で言う慈得に、晴は何も言えずに視線を手元に落とす。
(変わった趣味嗜好の人が考えたとも考えられるが……)
晴は考えを巡らせる。
(違う種族で、違う文化を持つ存在が一緒にはいれないと言う暗喩?)
なんとなく晴はそう考えていると、慈得がじっと晴の顔を見ている。
「貴方は、この話をどう思う?」
慈得の言葉に、晴は暫く目を閉じた後でこう答える。
「狐と人は住んでる場所も文化も違うからな。一緒にいると、色々大変なんだろう」
晴の言葉に慈得は納得のいかない様子で顔を顰める。
「嫌なことから逃れるために狐は愛した旦那から離れたの?」
晴は静かに頷く。
「多分だけど、その文章では男性の所に女性が嫁いできたんじゃないかな?」
「その通りだけど……」
「やはりか。その物語の中では男性にとっては住んでる場所が変わらないけど、女性の方は住んでる場所が変わる。大きく環境が変化する訳だ」
晴の言葉を飲み込むように、慈得は考える。
「狐は環境の変化に耐えられなかった。そして結果的に……狐は愛する人といる事より、故郷に戻る事を選んだ?」
その言葉に晴は手元にあるノートを見つめながら答える。
「そうだろうね。恋愛関係になっても、ふと冷静になったら不安になってきたんだろうよ」
晴の返事は素っ気ない。
「狐はどうして男を愛したんだろう?」
晴はまた少し考える。
「今まで会った事の無い人だったから、憧れを抱いたか、珍しがったが。はたまた単に見た目が好みだったのか」
「性格が好みだったとか?」
「それもあるかもしれない」
「曖昧な言い方」
納得がいかないのか、慈得は頬杖を突いて不機嫌そうに眉をひそめる。そんな彼女に、晴は淡々と答える。
「そうとしか良いようが無いのさ。人を嫌う理由が山ほどあるように、人を好きになる理由なんて山ほどある。予想なんて付かないさ」
「日高さんとしては、曖昧な理由で人を好きになるのは許せるの?」
「批判する要素が無い」
「じゃあオッケーって事なのね?」
「そうそう」
そう言う晴に対し、慈得はその目をじっと見る。
「じゃあ、見た目と性格が好みってのも許せる?」
晴がじっとその目を見てから、溜め息を吐いて答える。
「その理由で相手を好きになる人がいたら、俺は全力で応援するよ」
彼がそう言ってまた鉛筆を動かすと、慈得はじっとその様子を観察する。それに気がついて、晴は慈得を見つめ返した。
「何?」
単なる疑問だった。晴には慈得が自分を見つめる理由の見当が付かない。
「貴方は中学時代、稲葉実絡みで事件があったって私は考えてる」
そう言われて、晴はそれまで動かしていた鉛筆をピタリと止める。そのまま表情を変えないまま、顔を慈得に向けた。
「そんな大した話じゃない」
「そう?」
「ああ。だから、聞く必要も無い」
言い終えると、晴は話を強引に切り上げるように紙面に再度視線を落とす。そうすると、短い嘆息が晴の耳に入ってくる。それに気がつかないふりをして鉛筆をノートに走らせていると、ふと椅子を引く音が聞こえる。
(何の音だ?)
少し気になった晴だが、その音の正体を確かめるような真似はしない。
(ここで視線を上げれば、また慈得と視線を合わせる事になる。そうなれば植村さんの思う壺になる)
そう考えて勉強を続けると、横から突然いい匂いがしてくる。
「うん、やっぱりこっちの方が見やすい」
そう言うと、慈得は晴のノートを覗き込むように体を寄せてくる。
「なんでまた」
「男は色仕掛けに弱いって聞いたから」
そう言われて晴は即座に否定しようとした。が、慈得と体を密着させて平静さを失っている。彼の頭にはまともな言葉も、理論的な反論も思いつかない。
(この状況で何言っても嘘っぽいだけか)
そう考えて晴は大きく深呼吸をする。
「なんか、私の匂いを大きく吸ってるみたい」
慈得にそう言われて晴がむせる。
「何を突然!?」
「密着して私だけ緊張するのは悔しいから、緊張のお裾分け」
慈得はそう言うと、大きく伸びをする。その時に見える慈得の首筋と鎖骨が、晴にはやけに生々しく見える。
「緊張?」
「ええ。恥ずかしいから、理由は言わないけど」
体を密着させているのに、お互いに視線は合わせなかった。
騒々しい程に人が集まる朝のHR、教室で顔を合わせた実に対して晴はこう切り出す。
「植村さんとの事なんだが……」
そう言うと、実は驚いたように目を見開く。
「どうしたんだい? 君の方から植村さんについて話すなんて珍しいじゃないか」
実からそう言われて、晴は素っ気なく答える。
「気持ちの変化さ」
晴がそう言うと、実は満面の笑みを浮かべる。
「そりゃあいい。さあ、話してごらん」
そんな実を、晴は呆れた様子で見る。
「なんだ、随分物わかりがいいじゃないか」
晴の表情を意に返さず、実は笑顔で答える。
「そりゃそうさ。ようやく晴が自分の将来を考えるようになったんだからね」
実にそう言われて晴は嘆息する。
「お見通しってとこか」
「全部じゃないけどね。大体って言った所」
そう言われて晴はわざとらしくぞんざいに言う。
「幸せになって欲しい、一緒にいて嬉しい人がいる。でも、自分では幸せに出来ない。そう考えた時、自分は相手と一緒にいていいと思うか?」
晴にそう言われて、実はこう答える。
「よく話をして、一緒にいていいと思えたなら一緒にいた方がいいさ」
そう言うと、実は身を乗り出して晴にこう言う。
「でも、話をしていないなら……結論を出すべきじゃない」
実の言葉に晴は眉をひそめる。
「自分で考え、自分で答えを出すべきじゃないと?」
「自分で自己完結出来るならそれでいいよ。でも、今回は一人の問題じゃなくて二人の問題だろう? 相手とよく話し合わなきゃ」
実がそう言った所で、担任が教室に入ってくる。
「じゃ、俺の言える所はここまで。後は相手と考えてね」
そこで話は終わってしまった。
夕焼けが窓から差し込む中、慈得と晴は空き教室で話をしていた。
「話したい事がある」
そう言われて慈得は晴と二人っきりになったのだが、この二人は同じ部屋にやってきてから話す事が無い。慈得は晴の顔をじっと見つめ、晴はその視線から逃れるように窓の外を眺めている。暫くそうしていただろうか、晴が口を開く。
「俺は、昔多くの人に暴力を振るった事がある」
そう端的に話すと、慈得は少しだけ身じろぎする。
「俺が相手に自分の要求を受け止めて貰えなかったからだ」
その後は、晴は何も言わない。
「そう」
慈得はそう言うと、一度目を閉じてからもう一度声を出す。
「じゃ、次の勉強はいつにする?」
そう言って笑みを浮かべる慈得に、晴は動揺する。
「話を聞いていたか?」
晴の言葉を聞いて、慈得は首を縦に振る。
「聞いてた。後、空気を読んで察して欲しいって事も分かった」
「だったら……」
「でも嫌だ。空気を読んで察して行動した結果、自分が嫌な思いをするなら……私は空気を読めていないように振る舞うよ」
慈得の言葉に晴は肩を落とす。
「後悔するんじゃないか?」
「何をしても後悔はするよ。なら利益の多い方を選ぶだけ」
慈得はそう言って晴の手を掴む。
「貴方もそうしたら?」
そう言って見つめてくる慈得に対し、晴は何も言えなかった。
晴は慈得に勉強を教えてもらいながら、先ほどの事を考えていた。図書室には晴と慈得で二人だけ、実と紡得はいない。
(気遣われたか?)
なんて事を考えていたら、スマホに連絡がきた。先に帰ると言う実からの連絡だ。
(律儀だな)
なんて考えていると、隣に座っていた慈得が話しかけてくる。
「で、言いたい事は決まった?」
慈得にそう言われて晴は首を横に振る。
「いいや、まだ決まっていない」
「そう?」
そう言うと、慈得は晴と更に距離を詰めてくる。
(この時間がもっと続けば……)
晴がそう思うと同時に、こうも思っていた。
(この人の時間を自分に割いていていいのか)
その答えを出そうと考えていると、晴の頭に実の言葉が思い浮かぶ。
『相手とよく話し合わなきゃ』
その言葉を思い出して晴は渋い顔をする。
(その答えは、さっき出たようなものだしな)
晴の心には、それでも迷いが出る。
(やはり俺は……)
そう考え、晴は口を開く。
「植村さん、俺はやっぱり君の近くにいるべきじゃない」
そう言われて、先ほどまで機嫌良さそうにしていた慈得が動きを止める。
「さっきも言っただろう? 俺は過去に人に暴力を振るった事がある」
そう言われて暫く時間が経った後、慈得が口を開く。
「稲葉実を苛めていた人間に、椅子を投げたり箒で叩いたりしたって聞いてるけど?」
慈得にそう言われて、晴は少し驚く。
「知っていたのか」
晴は驚くと同時にこう思った。
(それなら話が早い)
晴は口を開く。
「無闇に人を傷つける人の近くにいる事は無い。植村さんは植村さんで自分のために時間を使うべきだ」
そう言うと、慈得は突如として立ち上がった。
「晴君」
慈得がそう言うと、晴の目を真っ直ぐに見る。
「お願い聞いて貰えます?」
そう言われて、晴は頷くしか出来なかった。
図書室の角まで連れていかれ、晴は困惑していた。
(なんでこんな場所に)
入り口からも見えず、本棚の陰になっているため図書室を利用する人からも見え無い。
「いったいどんな用事で……」
晴が本棚を背にしてそう言うと、慈得が両手を広げて晴の後ろの本棚に勢いよく手の平を叩きつける。
「私、壁ドンってやって見たかったんだよね……」
そう言ってから、慈得は首を傾げる。
「なんかしっくりこないね。もうちょっと身をかがめてくれる?」
晴は訳が分からずに身を縮こまらせて慈得を見上げる。
「いいね、この角度」
慈得は両方の手の平を本棚に叩きつけた状態で、晴を見下ろしている。
「何をするんだ?」
困惑しながら晴がそう言うと、慈得は愉しそうに口を開く。
「ちょっと交渉をね」
「交渉か……」
慈得の言葉に、晴は反射的に『交渉じゃなくて脅迫の間違いじゃないか?』と言おうとして止める。
「私からの提案は単純よ。出来る限り一緒にいて欲しい」
真剣にそう言う慈得に対し、晴は真剣な顔を浮かべる。
「それは……」
そう言われて、慈得は口を晴の耳元に近づける。
「いいじゃない。何かと心配性で自分に自信が無い貴方の隣に、私がいる」
甘いささやきに頭がクラクラしながらも、晴は口を開く。
「馬鹿を言うな。それだと君が……」
「貴方が思っているより、私は貴方に依存してる」
距離が近いせいか、晴は普段よりも頭が回らない。
「晴君、嫌な思い出があるなら、それ以上に愉しい思い出を一緒に作ればいい。人って言うのは時間と共に悪い思い出は小さくなっていくけど、愉しい思い出ってのは時間と共に大きくなるものだよ」
甘い誘惑に、晴は反射的に飛び退きそうになる。しかし、背後の本棚が邪魔で飛び退けない。
「俺が幸せになれると思うか? 俺は昔……」
「人が善人でいられるのは、幸運な人。不幸な人は自分を害する人間と必ず出会う事になる。そう言う人に対して行動出来ない人は、不幸な目に会ったら不幸なまま」
そう言うと、慈得は口角を上げる。その表情が、晴にはやや嗜虐的に見えた。
「幸運なだけの人なんて興味は無い。不幸な時にそれを覆そうと行動出来る人がいいのよ」
そう言われて晴は視線を彷徨わせる。
「そうは言われても、俺は……」
そんな晴の額に、慈得は自分の額をくっつける。
「いいじゃない。この際自分を不幸にしてきた自分の倫理観を捨ててみよ? その代わりに私との思い出を作っていけば」
そう言われて、晴は恥ずかしそうに視線を横に逸らしながら口を開く。
「分かった」
その晴の言葉に、慈得は満面の笑みを浮かべた。
「いいね。その言葉を待ってたよ」
最後まで見てくださりありがとうございます。今回は更新が遅れて申し訳ありません。短く作って年内に投稿出来たらいいなと考えていたのですが、流行病などの影響もあり思った以上に長引いてしまいました。誠に申し訳ありません。
次はSFを作ろうと考えてはいますが……これも長くなりそう。




