否定的である原因
ここから主人公が代わります。
「見た目が好みなのよ」
そのように答えるのは植村慈得。彼女は強くカールした髪の毛をいじりながらそのように言った。それを聞いた稲葉実はアイスコーヒーを一口飲んでから口を開く。
「意外な理由だね。てっきり晴の人柄に惹かれたのだと思ってたよ」
落ち着いたクラシック音楽が流れる喫茶店で、彼等二人は対面して座っていた。テーブルの上にはアイスコーヒーと温かい紅茶が置かれている。
「稲葉さんは私の事をどう思っているの?」
慈得にそう言われて、実は改めて慈得を見る。
(黒髪にロングのウェーブに強いカール。やや栗毛に近い色をしている紡得さんとは、また違った感じだね)
実は少しだけ目を瞑ってそれぞれの印象を比べてみる。
(華やかで今風な紡得さんに対し、植村さんは厳格で上品なお嬢様のようだ。正直初対面の時は少し気圧されたっけ。でも性格はどうだろう? 少しお調子者っぽい感じがする)
そこまで考えてから実は口を開く。
「見た目だけは少しお堅い家柄っぽい感じがするよ」
そのように答えると、慈得は口をへの字にした。
「何それ。見た目と性格が違うって言いたいの?」
「まあいいじゃないか。それよりも……晴との関係はどうなんだい?」
実がそう訊ねると、慈得はふて腐れる。
「上手くいってたらこのように稲葉さんとお話していません」
そう言われて実は成る程と言った様子で頷く。
「晴は自信が無いと言うか……」
「ぼかさなくていいですよ。彼は自分を肯定する事が苦手ですから」
そのように言われて実は少し考え混む。
「でも、自信を持てと言ってどうにかなる事でも無いからね」
「そう、そうなんです! そんな事言う人がいたら雑巾をぶん投げてやりますよ!」
握りこぶしを握ってそのように言う慈得に対し、実は口を真横に引き締めて冷静な声色でこのように言う。
「気持ちは分かるけど、無闇に人の恨みを買う事は止めてね。晴もそう言う事は嫌がるから」
言いながら、実はスマホを取り出して操作をする。
「どうしたんです?」
慈得が椅子に深く腰掛けながら実にそのように言う。
「このままじゃらちがあかないから、一度晴に連絡をしてみようかと」
実がそう言うと、慈得が目に見えて狼狽した。
「ちょっと待って、ちょっと待って下さい!」
慈得が胸に手を当てて深く深呼吸する。その様子を暫く見た後、実は申し訳なさそうに口を開く。
「ごめん、実はもう通話ボタンを押しちゃった」
「何してるんですか!」
実は誤魔化すように笑いながらスマホを机の上に置く。
『もしもし、どうしたんだよ実』
少し疲れたような晴の声、その声に実は首を傾げる。一方で慈得は深呼吸をしてから声を出す。
「ごきげんよう、日高さん。今日の調子はいかが?」
その慈得の言葉に対し、晴の困惑した調子の声が届く。
『植村さん? 今日はまたいつもとは違った喋り方だね。お嬢様が登場するアニメにでもはまったの?』
「は、はまっていません! 貴方にとって私はどんな人なんですか」
慈得がそう言うと、暫くの沈黙が場を包む。
(だ、黙らないでください! 落ち着かないじゃないですか)
慈得がそう思い始めた直後、晴が返答する。
『癒やし枠?』
「疑問符を付けないでください」
晴の言葉に慈得が即座に返答する。
『しかしなあ。どうなんだっていざ言われても……』
そこで晴の背後からドンドンと何かを叩くような音が聞こえる。
『おっとすまん、ちょっと用事が……』
そう晴が言っている間に音は次第に乱暴に、克つ激しくなってくる。
『おい! 開けろ!』
晴のものでは無い、しかしどこか似た乱暴な言葉が聞こえる。
『すまん、切る』
端的にそう言って晴が通話を切る。
「どうしたんだろう?」
慈得が心配そうにそう言うのを尻目に、実は渋いものを飲んだような苦々しい顔を浮かべる。
通話を切り、晴は立ち上がって部屋の入り口を開ける。
「なんだ?」
そう言った瞬間、いきなり晴の臑に蹴りが入れられる。
「なんだとはなんだ! 親に向かって!」
そう怒鳴り声を上げるのは、年が四十近いであろう筋肉質な女性だ。
「じゃあどう言えばいいんだよ!」
晴がそう言うと、その女性は腕を組んで晴を侮蔑した目で見る。
「そうやって口答えするのか!」
その言葉を聞いて、晴が溜め息を吐く。
(支離滅裂だ。相変わらず会話が通じて無い)
その晴の態度が気に食わなかったのか、その女性は晴に再度蹴りを入れる。
「子供は親の言う事を聞くものだ! それが出来ない奴はクズだ!」
その言葉を聞いて晴は……
「日高さん? 日高さん」
その声を聞いて、晴はふと顔を上げる。周りを見渡して見ると、放課後の学校。夕日が差し込んできている。
(ぼーっとしてたのか)
そう考えて晴は改めて隣に座る慈得を見る。
(以前よりも距離が近い気がする)
晴がそう思いながら慈得を見ると、彼女は目線を逸らして外を見る。
(耳が少し赤い?)
そう思いながら更に晴が慈得を観察していると、慈得が突然振り返って晴の顔を両手で覆う。
「そんなじっと見つめないで下さい!」
その言葉を聞きながら晴は考える。
(そう言えば実と明田さんはどこに?)
そう考えていると、その考えを察した慈得が答える。
「ツムと稲葉さんは今日こないですよ。用事があるとかで」
そう言われて晴はある考えが頭によぎる。
(あの二人、まさかとは思うが俺と植村さんを二人っきりにしようとしたな?)
そう考えて頭を抑える。
(あの二人の策略に乗るのは癪だな)
そう考えた晴は、慈得を見る。
「今日は疲れたし、早めに……」
そのように言うと、慈得は目に見えて寂しそうに表情を曇らせた。その表情を見て、晴は言おうとした事を少しだけ変える事にする。
「しようと思ったけど、俺の成績がやばい事だし……もう少し頑張るかな」
分かり易く誤魔化したにも関わらず、慈得は機嫌をよくしたのか笑みを浮かべる。
「そうですよね! 私も付き合います!」
以前よりも幾分か丁寧になった口調を聞きながら、晴はペンを持ち直す。慈得が上機嫌で勉強を教えてくれるのを、彼自身が嬉しく感じる。そして同時に罪悪感を抱く。
(俺なんかが人を幸せに出来る訳無いのにな)
ふと浮かんだその考えを振り払うように頭を振った後、ペンを握る。
(集中しよう。せめてこの子の努力に報いる結果を出せるように)
そう考えて、晴はノートを見つめる。その横顔を慈得が横目で盗み見るのを、気がつかないまま。
「どう思う?」
真剣な様子でそのように言う慈得に、紡得は飲んでいたコーヒーの入ったカップを机の上に置いて答える。
「実君と同じで、自己肯定感が薄いみたいね」
紡得は真剣な表情を浮かべてそのように言う。慈得は紡得と実に最近の晴について相談をしようと、喫茶店で話をしていた。紡得と実はお互いに隣り合うように、慈得は二人に対して正面に向かい合うように座っていた。
「ところで、話が横に逸れるかもしれないけど……」
実がコップの中身を覗き込みながらそう言うと、慈得が首を傾げる。
「何?」
「以前まで晴に対してもう少しフランクな接し方をしていたじゃないか。なのに最近はよそよそしいと言うか……」
そう言われて、慈得が得心がいったと言う表情を浮かべる。
「日高さんに対して、丁寧語を使うようになったって言いたいの?」
「そうそう。何かあったの?」
実は口調こそ丁寧だが、表情を押し殺した様子でそのように答える。
(俺の予想が正しければ、これは相当重大な理由の筈!)
そのような考えを頭に浮かべながら、実は両手を腹の前で組んで椅子に深くもたれる。その様子を見て、紡得も何か察したのだろう。手に持った小さなカップの中身に視線を落とす。一方で、慈得は机の上に置いた紅茶に視線を落としている。
(やはり気軽に言える事じゃないかな……)
そう考え、実が一度小豆入りのコーヒーを口に含んでから答える。
「ごめん。気軽に言える事じゃ……」
そう言って話を打ち切ろうとする実の言葉を、慈得はとある一言で遮る。
「こう言えば、好感度が上がるかなと思って」
慈得の言葉に、実が首を傾げる。
「好感度?」
実が視線を横に動かすと、視線が合った紡得が首を横に振る。
「以前までは、稲葉さんに黒い噂があって、それとつるんでる日高さんも黒い部分があるのかなと思ってたんですが」
その言葉に実は特に腹を立てる事無く頷く。
「そうなのかい」
実の言葉を特に気にする事無く、慈得は続ける。
「ただ、実際には稲葉さんは讒言によって貶められた人だと分かったんです」
その言葉に紡得が首を傾げる。それを見た実が静かに
「讒言って言うのは人を貶める言葉って事ですよ」
と補足する。
「それを知ったら日高さんの見方が変わりまして、彼は見識がある人なんじゃないかと思えてきまして」
「見識って言うのは、ものを見るしっかりとした考えって事です」
「顔も好みで性格がいいなら狙おうかなと」
話を聞き終えて、紡得がふむふむと納得した様子で首を上下に振る。
「大体分かったけど、何か今回難しい単語が多く無い? 国語の勉強でもやった?」
紡得に言われて慈得が頷く。
「そうそう。昨日ちょっと気を紛らわせるために夜遅くまで現代文の勉強してて」
「あらやだ勉強家。また成績に差が付いちゃう」
紡得は渋い顔をして視線を彷徨わせる。
「やはり、紡得は勉強に対して難があると」
実がそう言うと、慈得は静かに頷いて肯定する。
「そうそう。日高さん程じゃないけど、成績は決して優等生とは言え無いの」
そう言われて実が頭痛を堪えるように頭を抑える。
「晴には色々事情があるからな。あのような事になってしまうのも無理は無い」
慈得は実に顔を寄せてその目をじっと見つめる。
「ねえ、この際貴方の口から日高さんに対して、何か問題があるか聞いてみてくれない?」
その言葉に対し、実は一瞬険しい表情を浮かべて視線を外し、溜め息を吐く。
「どう言われても、この事について俺の口から言う事は無いよ」
そう言われて慈得は口の端を上げて笑みを浮かべる。その様子に訝しい表情を向けると、慈得はそのまま立ち上がって自信ありげにこう言った。
「それは良いことを聞いた。やっぱり日高君には秘密があるみたいね」
そのままレシートを持つと、足早に出口に向かってしまう。
「お会計は私が払っておくから、二人は引き続きデートでもいしておいて」
立ち去り際に残したその言葉に実は溜め息を吐く。
「どう言うこと?」
紡得はよく分からないと言った様子で実に訊ねる。
「一部推測があるんだが、それを承知で聞いてくれるかい?」
「はいな」
「植村さんは晴には何か重大な悩み……とても解決出来そうにない悩みがあると考えたんだ」
「なんか、チカの場合それが原因で成績に悪影響があるとか思ってそう」
紡得の言葉を、実は頷いて肯定する。
「俺の推測でもそうだ。それで、植村さんは直接聞く事を諦めて俺から聞きだそうとした」
「そこまでは分かるけど」
「だが俺が口を割らない可能性もある訳だ。だからさっきの引っかけだ」
「引っかけ? ああ、沈黙が答えって奴?」
「そうみたいだ。さっき、俺が植村さんが俺に対して顔を近づけただろう?」
「あの、人に無理矢理要求を呑ませるためにやる圧迫の事? チカがあんな事をするなんて珍しいとは思ったけど……」
それを聞いて実が苦笑いを浮かべる。
「女性の間では常套手段なのかい?」
「男でもそうでしょ?」
「違いないね。話を元に戻すけど、植村さんは恐らくこう考えた。この考えが的外れなら俺は首を傾げる所。でも、予想通りなら……」
その言葉の続きは紡得が言った。
「実君の性格を考えると、誤魔化したりせずにハッキリと『言え無い』と答えるかな」
その言葉を、実は頷いて肯定した。
「分かっていたのかい?」
「なんとなくね」
そう言うと、紡得は静かに頭を実の肩に乗せる。実はその行動に少し戸惑いながらも、静かに受け入れる。
「ねえ、上手くいくかな」
その言葉に、実は横に引き結んだ後で答える。
「きっかけが無いと無理じゃないかな」
実はそう言ってコップを持つ。一口飲むと、コーヒーと小豆の苦みに加え、砂糖の優しい甘みがした。
早朝の川沿い、数十メートルはある対岸を目指して慈得は歩いていた。彼女の頭の中にあるのは一人の少年の事。
(面倒な男の人)
その印象は今でも変わっていない。その印象を抱いた少年は、川沿いでボンヤリと向こう岸を眺めていた。
「もう少し色男なら似合うのに」
そう言うと、その少年……明田晴は苦笑いで答える。
「そりゃそうだ。流石に見た目と生まれは変えられない」
そう答える明田晴に、慈得は目を細めながら恐る恐ると言った様子を浮かべながら両手で顔を掴む。
「突然過ぎないかい?」
驚くと同時に困惑する晴に、慈得は穏やかな笑みを浮かべる。
「こうでもしないと、私の気持ちは伝わらないと思って」
そう言う慈得に、晴は視線を彷徨わせる。
「何のことやら」
彼はそう言いながら視線を横に向ける。しかし、強引な形で慈得が晴の顔を固定するためそれは出来ない。
「何が何だか分からないが、植村さんを見ていればいいんだな?」
「その通り」
やけにハッキリと答える慈得に、晴は溜め息を返す。
「で、今日は何をするんだ? 成績を上げるために必要だとか言って遊ぶ約束を取り付けたかったのか?」
そう答える晴は黒いジーンズにパーカーと言う私服姿だ。対する慈得は長い丈の飾りの多いスカートに凝ったデザインのカットソー、両方とも真っ黒である。
「そうそう。いつもは学校とかだから、今日は図書室で勉強しようと思ってね。それに……」
慈得は何やら意味ありげに口角を上げる。
「せっかくの休日だもの。一緒にいたい人と一緒にいなくちゃ損でしょ?」
そう言うと、慈得は晴の手を引っ張っていく。
「時間は有限よ。行きましょ」
そう言う慈得に対し、晴は無言でついていった。
足音しかしない静かな空間、そんな場所で慈得と晴は隣り合いながら勉強をしていた。
「江戸時代の絵で、この絵は当時の価値観を示しているの。当時の人は、女性のうなじの部分に色気を感じたのね」
そう話す慈得の後ろ姿を、晴が眺めている。すると慈得が晴に視線だけ向ける。
「聞いてる?」
そう言われて晴は少し考えてから
「すまん、上の空だった」
と答える。そう答える晴に、慈得は特に腹も立てずに笑みを向ける。
「最近、貴方も大変そうだもんね。気分転換に他の科目の勉強をしましょう」
そう答える慈得に晴もまた溜め息をこぼす。
「気分転換なのにまた勉強かい?」
「やる事やる前に遊んでも、罪悪感しか感じないよ」
首を傾げながらそう言う慈得に、晴はまた少し考えてからこう答える。
「背徳感もあるぞ」
「意味分かって言ってる?」
三白眼を向ける慈得に対し、晴は逃れるように目線を逸らす。
「実はネットで多くの人が使ってるのを見て、見様見真似で使ってるだけ」
「変な言葉の意味を知らずに使う小学生みたいになりそう」
そう言われて晴は暫く視線を彷徨わせた後、やや上擦った声でこのように言う。
「ところで、こんな方法で本当に成績は上がるのかい? 俺には分からんのだが」
晴にそのように言われて慈得は首を傾げる。
「さあ?」
「さあって……」
そのように言われてから、慈得は少し考える。
「だって今は日高さんの体調が良くないみたいだし、それを良くするために行動してるけど上手くいくか分からない」
そう言われて晴は少し考える。
「いいのか? そんなので」
そう言われて慈得は苦笑いを浮かべる。
「本当は無駄な時間を使わずに効率の良い方法をとり続けるのがいいかもしれない。でも、それが出来る人ってのは極めて幸運な人だけ。頭が良くても、強い心を持っていても、必ず取りこぼす部分が出てくる」
気まずそうな顔をする慈得を、晴は落ち着いた表情で見る。
「人は多くの事を同時に考える事は出来ないって事か」
呟くようにそう言った晴に対し、慈得もまた呟くように言う。
「そうそう。順繰りに、一つずつやっていく。その方が楽で早いのよ」




