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勢いを付ける理由

 日が暮れ始めた人気の無い道。紡得はその少女と対面していた。

「あれま。実の彼女さん、今日も来たのね」

 それを聞いて紡得はしたり顔である。

「彼女では無いですよ。仲がいい事は確かですけど」

 紡得の表情に可憐は眉を顰める。

「そうなの。献身的な人で彼みたいな人にはお似合いだと思ったけど」

 皮肉ると同時に嘲笑するような言い方を可憐はするが、紡得は穏やかな笑みを浮かべている。

「ふふ。お気遣いどうも」

 それを言い終える前に、可憐は立ち去ってしまった。

(取り付く島も無い、か)

 紡得がそう考えていると、ふと電話がかかる。見てみると晴からの電話だ。

『いえーい。元気にしてる』

 聞いた瞬間、紡得は肩を落とす。

「元気じゃない。今実君の家?」

『答えはノー』

 何故か高らかに言う晴に、紡得はげんなりとする。

「テンションが高いね。切っていい?」

 そう言うと、晴は暫く無言になった。先ほどまですぐに切ろうとしていた紡得だったが、晴のその反応が気になって通話を切れない。

「取り敢えず、後でいい? 今ちょっと落ち着けない場所にいるの」

『三原可憐の通う学校の前か?』

 紡得の言葉に晴は即答した。その答えに驚き、紡得はすぐ横を見る。そこには可憐の通う学校の校舎がある。

『どうせ三原可憐を呼び出して、校舎裏で対面でもしたんだろ?』

「だったらどうしたの?」

 そう言うと、晴はまたしても無言になる。電話の向こうであるため、その表情は伺うことが出来ない。その間が、紡得にはなんとなく気まずい。

「とっかかりが見つからない以上、直接聞いてみた方がいいと思ったんだけど」

 沈黙を続けさせないようにそう言う。

『担任に聞いてみるといい』

 すると晴がそのように提案してきた。

「今私が通ってる高校の担任の事?」

 紡得が驚きながらそう訊ねると、晴が沈痛を絶えているかのような声で答えた。

『ああ。あの人が知ってる。以前に確認を取った事があるから間違い無い筈だ』

 その経緯が気になった紡得だったが、確認のために言葉を発するのは躊躇われた。

(気になる所だけど、それは私が聞いていいものじゃないよね)

 そう自分に言い聞かせて紡得は考えている事とは少し違う事を言った。

「ありがとう。感謝する」

 

 紡得との通話を切り、そのスマホを彼は見つめる。

(欲しいものをくれる人だな)

 先ほどの紡得の言葉を思い出しながら、彼は外を見る。大変そうでありながらも、どこか充実そうに部活動に興じている同年代の人間達。

「ねえ」

 そんな人達を見ていると、とある少女に話しかけられた。彼がその相手を見て、少しだけ表情を綻ばせる。そんな彼を見て、その少女もまた、表情を柔らかくする。

「なんだよ、お化けかなんかを見たような顔だな」

 彼の言葉に、少女は暫く口を閉じてから何かを吐き出すように口を開く。その口からは言葉が発せられない。普段の彼であれば、そんな彼女の事をもう少し見ていたいと言う欲が湧いてくる所である。しかし、今の彼はそのような感情が湧いてこなかった。

「用がないなら帰ってもいいか?」

 そう彼が言って、その返事を待たずに出口に向かう。そんな彼の背中に少女は言葉を投げる。

「嫌なことでも言われたの?」

 そう言われて彼は立ち止まる。

「なんでまたそう思ったんだ?」

 軽口でそう言う彼に、少女は言葉を投げる。

「だって辛そうな顔をしてた」

 その言葉に、彼は応えない。

「随分日も傾いてきた。そろそろ帰るか」

 彼が言い訳をするかのようにそう言ってから入り口のドアを開けると、その背中に少女が柔らかい声を投げる。

「じゃあ、今度だね」

 先ほどの紡得の声とは正反対の声に、彼は不思議と安心感を覚えた。

「そうだな。今度気が向いた時にでも話すよ」

 彼……日高晴はそう植村慈得に言ってからドアを開けた。


 次の日、夕日が照らす校舎の中に紡得はいた。

「失礼しました」

 職員室の入り口で、紡得は頭を下げながらそう言う。表情は見え無いが、丁寧な事が分かるその言葉に教師達は揃って感心した顔をする。

 そんな光景を尻目に、紡得は苦虫を噛みつぶしたような苦々しい表情を浮かべながら、実が行きそうな場所を思い浮かべる。

(もう家に帰ってるかもしれない)

 そんな考えが頭に浮かぶ。スマホで時間を確認した紡得の目に、夕方の五時である事を知らせる文字が写る。

(考えてみれば暫く彼とは会っていない気がする)

 まともに会話をしたのは数日前、放課後一緒に歩いたのも数日前。でも見るだけなら毎日だった。それでも紡得には随分長い時間実に会っていない気がした。

(感傷的ね。くだらない)

 紡得は自分自身の感情をそのように評価した。その考えを頭から追い出すように頭を振った後、彼女は周りを見渡す。

(実君を探そう。まだ帰っていないといいけど)

 いつもの図書室にまずは顔を出すと、そこには図書室を管理している先生がいるのみだ。

「おや、明田さんですか。お久しぶりですね」

 先生はそう言って穏やかな笑みを浮かべると、少し考えてから口を開く。

「稲葉君ならここにはいませんよ。最近は放課後に校舎内をぶらぶらしているようです」

 その言葉を聞いて、紡得は驚きの表情を浮かべた後で頭を下げる。

「ありがとうございます」

 その言葉に応えるように、先生は微笑みを浮かべる。

「噂は聞いています。ですがそれでも私は貴方達の味方です」

 その言葉に紡得が再度お礼を言おうとすると、それを阻むように先生が言う。

「早くいきなさい。お礼はいいですから」

 そう聞いて、紡得はすぐに図書室から出て行った。


 夕焼けで真っ赤に染められた廊下の中、紡得の足音が響いていた。周りに人はおらず、その場には彼女と一人の少年しかいない。

「見つけた」

 紡得がその少年を見て、呼吸を整えながら近づく。走っていた彼女の呼吸は荒く、心臓も早く動いている。建物の陰になり、夕焼けの光が照らされていない場所に彼は立っていた。

「案外わかりやすい場所にいるのね」

 紡得がそう言うのも無理は無い。実は図書室から近いトイレの前で全く動かずにその入り口を見つめていた。

「ちょっとね」

 そう言って実は視線を逸らす。明るい口調とは裏腹に、彼の瞳は死んだように動かない。

「トイレが好きなの?」

 紡得がそう言うと、彼の目がようやく動く。その目は紡得を一度見ると、暫く目を閉じてから再度トイレの入り口を見る。

「苦手さ。暑いし、寒いし、臭いし……」

 実は暫く無言になる。

「痛かったからね」

 ようやく口を開いたかと思うと、実は目に涙を浮かべる。

「そう」

 紡得はそう言って実の手を掴む。

「何?」

 実が焦点の合わない目を紡得に向けて疑問を投げかける。紡得は実の疑問にすぐには答えず、彼の手を引っ張ってから口を開く。

「こうすれば頑固な貴方でも動くかなって」

 その動きには躊躇が無い。

「なんだいそりゃ。人を頭が固い人みたいに」

 実のかすれ声を聞いても、紡得は表情を変えない。

「固いでしょ? 一度好きになった人を嫌いになれないなんて」

 紡得の言葉に、実は表情を歪める。

「そりゃ、自分が好きになった人だ。簡単に嫌いになんてなれない」

 紡得はそう言う実の顔をじっと見つめる。

「いいじゃない。嫌いになったって。相手の事を少し知るといいとこばっか見える。でももう少し知ると、嫌な部分ばかりが見えてくる。その嫌な部分が妥協出来ないなら、嫌いになってもしょうがない」

 紡得は引っ張っても動かない実を見て溜め息を吐く。

「ああ、もう本当に大変」

 紡得がそう言うと、実は反射的にこのように言う。

「じゃあ、君も俺の嫌な部分を見て嫌いになったんだな?」

 その言葉に紡得は

「いいえ、私は貴方の事を好きよ?」

 なんて言った。言ってから自分が何を言ったのか気がついたのだろう。彼女は顔を赤くしてから手の平で実の目を覆った。

「見え無い」

 実がそう文句を言う。

「そのまま暫く見え無いでいい! ついでに今言った事も忘れて……あ、やっぱり忘れないで!」

 紡得は自分の顔を横に背けつつ、実の表情を横目で見る。しかし彼の顔は紡得自信の手の平で隠れているため、伺う事が出来ない。

「えっと……」

 どうしようか少し考えた末、彼女は手をどける。

「どうでしょう?」

 そう言った紡得に、実は辛そうに顔をしかめる。

「でも、俺には君の気持ちを受け取る資格は無い」

 実の言葉に、紡得は眉間に皺を寄せる。

「資格? 取れば? 危険物の資格だって勉強してから受験すれば取れるし、私の気持ちを受け取る資格も同じ感覚で取れるでしょ?」

 紡得の言い方に実は困ったように眉をひそめる。

「いや全然違うと思うけど……今まで生きてきた環境だって違うし」

 紡得は首を傾げる。

「環境ってそんなに大事?」

 実は首を縦に振る。

「そりゃあそうだろう」

 紡得が少し考える。

「じゃあ今から変えれば? 私も手伝うから」

 そう言われて実は答えに窮する。

「そんな簡単に変えられたら苦労しない。それになんで君まで手伝うんだ?」

 紡得は実の目を見つめて答える。

「環境を変えるなら、一人よりも二人で一緒にやった方が楽でしょ?」

 ごくごく自然にそのように紡得は言った。そんな彼女を見て、実は驚く。

「環境が変わるまで一緒にいるって受け取れるんだが……」

「そのつもりで言ったんだけど?」

 実はそれを聞くと、暫く視線を逸らしてから答える。

「俺からお願いしたい位なんだけど」

 そんな彼の顔をじっと見つめながら、紡得は穏やかな笑みを浮かべた。

「じゃあ、そうしましょ」


 教室の入り口に紡得がいるのを確認すると、実はすぐに席を立つ。

「ごめん、先に行くよ」

 いつにもまして穏やかな言い方でそう言うと、実は教室の入り口に小走りで向かった。そんな様子を見ていた慈得が、晴に近づいて訊ねる。

「あの二人、付き合い始めたの?」

 その問いに、晴は首を横に振る。

「いいや。恋人予約だと」

 晴の言葉に、慈得は首を傾げる。

「許嫁の恋人版? 結婚を約束した許嫁では無く、恋人になる事を約束したって事?」

 慈得のそれはいまいち要領を得ない言葉だったが、晴には分かったらしく首を縦に振る。

「そんなとこ。将来的には恋人になる予定だと」

 それを聞いて慈得はイマイチ腑に落ちない。そんな慈得の様子を見て、晴は含みのある笑みを浮かべる。そんな晴を見て、慈得は不機嫌そうに眉をひそめる。

「なんなの?」

 慈得がそう言って晴を睨むが、彼は何も答えずに立ち上がって教室の入り口まで移動する。そして慈得に向かって軽く手招きする。

(付いてこいって事?)

 そう考えて慈得が立ち上がり、晴についていく。放課後になってすぐのため、廊下には帰宅するための生徒、部活に向かう生徒で溢れている。そんな中を晴と慈得は隙間を縫うように歩いていった。暫く歩くと、晴は慈得をチラリと一瞥した。

「いちいち確認しなくてもついていってるよ」

 やや棘のある言い方で慈得がそう言うと、晴は無言で頷いてから再度前を向く。その時の晴の表情は、怒っているようでも驚いているようでも無い。むしろどこか楽しそうですらあった。紡得はそんな彼の表情に疑問を持ちつつも付いて行くと、以前に二人で話をした空き教室までやってきた。

(なんだか久しぶりに思える)

 そう考えていると、晴は教室のドアを開けて中に入っていく。慈得もそれに続く。

「ある意味、植村さんの予想通りになったんじゃない?」

 教室に入って早々、晴はそう切り出した。

「なんの事?」

 慈得は口を横に引き結びながら晴を見る。そんな様子を見て、晴は楽しそうにくつくつと笑う。

「なんで笑うの?」

 慈得が慌てた様子で晴を見ると、彼は手を横に振る。

「いいや、からかうつもりは無い。そんな事よりも、植村さんは明田さんと実が付き合ってすぐに別れると考えてた。違う?」

 そう言われて、慈得は無言で晴を睨む。

「そんな事を知ってどうするの?」

 慈得の言葉に、晴は首を横に振る。大きく見開かれたその目を見て、慈得は少し驚く。

(まるで、面白いものを見つけた子供って感じ……彼にこんな面があるなんて)

 そう思う慈得を余所に、晴は言葉を続ける。

「どうもしないさ。ただ知りたかっただけ。自分の予想があってるかの答え合わせ……知的好奇心を満たすためと言ってもいい」

 晴の言葉に慈得はいまいち納得がいかない。

「それは分かったけど、この状況は見方によっては自分の友人がいいように利用されていたようなもんだよ?」

 慈得が真剣な表情を浮かべながらそう訊ねると、晴もまた真剣な表情で慈得を見た。

「それは植村さんが、実を使って明田さんのトラウマを払拭しようとしたことを言っているのかい?」

 晴の視線から逃れるように、慈得は目を反らす。

「そうだけど……」

 か細い声で慈得はそう言った。この言葉に、今度は晴が驚きの表情を浮かべる。

「なんで自分で言っておきながら自分で驚いてるの」

「本当の事を言うと、核心のようなものは無くてやや当てずっぽうな部分もあったからね。そうか、明田さんにもトラウマが……」

 その言葉を聞いて、慈得は胸に手を当てる。

(言うべきじゃ無かったかな?)

 その考えを察したのか、晴が咳払いをして慈得を見つめる。

「不用意に人にいいやしないよ。そもそも、俺は友達が少ないし人見知りも激しい。言いふらす相手がいないさ」

 晴が至極真面目な顔でそう言うと、慈得は呆れたように目を細める。

「それはそれでとんでもない話ね」

「そうそう。と、言う訳で……」

 晴は少し気まずそうに視線を背ける。

「勉強、また教えてくれないかな?」

 その晴の言葉に、慈得は一瞬呆気にとられるが、すぐに表情を和らげる。

「いいよ。教えてあげる。そうと決まれば教室から勉強道具を持ってくるね」

 慈得は機嫌を良くしながら教室に向かおうとして、ふと聞き忘れていた事を思い出した。

「勉強する場所は図書室でいい?」

 その慈得の言葉に晴は頷く。

「でも改めて友人に恋人が出来ると、少し悔しいかも。私達も付き合ってみる?」

 そう軽い調子で慈得が言うと、晴は首を横に振った。

「いいや。止めといた方がいい」

 その晴の言葉を聞いて、慈得は一歩後ずさる。その時の彼の顔が、あまりにも悲しみに溢れていたからだ。

「そう」

 慈得はその事について深く言い及ぶことはせず、教室に勉強道具を取りに行った。

 その後、二人は揃って図書室で勉強をした。

 晴の顔に陰が落ちているのを、慈得が見つめながら。

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