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敵対する理由

 昼休みに寅二が実達と衝突してから一週間、驚く程穏やかな日々が続いていた。本来であれば彼等にとっては喜ばしい事ではあるが、実にとっては一つ気になる事があった。

「なあ晴。植村さんと何かあったのか?」

 実がそう言うと、晴は素っ気ない調子で

「以前に昼休みで一悶着あっただろう? その事について色々言われて気まずいだけさ」

 と言う。

「そうなの? チカ」

 実の横で弁当を食べていた紡得が、少し離れた場所で弁当を食べる慈得に訊ねる。彼女は頬杖を付いて紡得を見る。

「そんなとこ」

 慈得は端的にそう答えると、また弁当を見る。

「まあ、争いごとが無いのは良いことさ」

 実はそう言いながら、メモを紡得に渡す。

「なんだいそりゃ?」

 晴が不思議そうにそのメモを見ると、実はおどけた調子でこのように言う。

「最近作ってる料理のレシピ。明田さんが欲しがって」

 紡得はメモを見て、頷く。

「そんな所。実君の料理って細かい工夫が多すぎて覚えるのが大変で。こうやってメモでもして貰わないと覚えきれないの」

 紡得は少しだけ目線を逸らし、心なしか抑揚の欠いた言い方で答える。そんな紡得の様子を、晴は首を傾げて見つめた。


 放課後、晴はすぐに立ち上がる。

「実、俺は植村さんとすぐに帰るよ」

 感情を押し殺したような言い方に、実は内心で困惑しながらも

「そう。気をつけてね」

 とだけ答えた。

「じゃあ、今日は私がワンツーマンで実君に勉強を教えて貰えるって事ですね」

 と紡得。

(心なしか、明田さんがウキウキしてる気がする)

 そう思いながらも、実は頷く。

「そうなるな。スパルタ方式で教えていこうと思う」

 実がそう言っても、紡得は笑みを絶やさない。

「行きましょう、実君。時間は有限ですよ」

 紡得が実の手を引いていく。

(顔が少し赤い?)

 そう思う実を余所に、紡得は急ぎ足で実を引っ張っていった。


「それで、今の晴と植村さんの事なんだが……」

 図書室に到着して早々、実は紡得にそう切り出した。

「ギクシャクしてる気がするんだが、どうだろう?」

 そう言われて、紡得は少し考えてからこう答える。

「思います」

 器用な事に、紡得は喋りながらノートに書き込んでいる。

「そうか。やはりそうか」

 実もそう言いながらノートに問題を書き込んでいる。

 暦の上では秋、秋雨によっていつもなら外で部活動を行っている運動部も、今は校内で活動をしている。中には雨によって足止めされ、雨が止むまで、或いは傘を届けて貰うまで学校に残っている生徒もいた。

 実と紡得はお互いに何も言わず、黙々と勉強を進めていく。暫く時間が経ち、紡得は切りの良い場所まで終えた。

「少し休憩するね」

 そう紡得が言うと、実は無言で頷く。実は世界史の勉強を進めており、ナポレオンについての事について勉強していた。

(そう言えば、有名な人ではありますけどどんな人なのか知りませんね)

 そう考えていると、実は紡得の視線について気がつく。

「どうしたの?」

「そう言えば、私ナポレオンの事について知らないなと思いまして」

「フランス革命の後に活躍した人だね」

「へえ」

 そう言いながら紡得は図書室で本を眺めてみると、いくつか関連する本が見つかった。その中の一つには、ナポレオンの女性関係について書かれた本もある。その本を見て、紡得はとある噂の事を思い出した。実に関する噂で、決していい噂とは言え無い。

(触れられたく無い話でしょうね)

 そう考えて、紡得は暫く実を見つめる。実は特に気がつかないように教科書を見つめている。その姿を見て、紡得は考える。

(実君に無闇に聞いていいものかどうか迷う)

 紡得は暫くそう考えて、彼女は実をじっと見つめる。彼は集中しているのか、ノートに熱心に教科書の要所を書き記している。

(誤解があってはいけないからね)

 そう自分に言い聞かせながら、紡得は口を開く。

「そう言えば……」

 そう口にした直後の事だった。図書室のドアが乱暴に開け放たれる。

「全く、最悪だよ」

 図書室の入り口に張られた「中では静かにしましょう」と言う警告を一切無視した、乱暴そうな少年の声。

「ほんとほんと。雨のせいで帰れないしさー」

 その少年の声に同調するように、甲高い少女の声がする。実は眉間に皺を寄せながら入り口に視線を移し、紡得もそれを追うように図書室の入り口を見る。同時に、紡得は胸ポケットに入れていたあるものに手を伸ばして、そのスイッチを押す。

「おっと、不愉快なもん見ちまった」

 その大声の主である寅二は実を見るなりそう言う。紡得はそれを不快に感じて寅二を睨むが、一方で実は柔和な笑みを浮かべた。

「やあどうも。図書室では静かにね」

 穏やかに言いながらも、実は立ち上がって寅二から視線を外さない。

「ああ? 俺に指図するんじゃねえよ」

 寅二は実を見て眉間に皺を寄せる。そんな態度に、実は表情を変えずに見つめる。

「何か文句があるなら、男らしく言えよ!」

 そう言う寅二に対し、実は無言で笑みを浮かべてその目を見つめる。

「あれ? 紡得ちゃんもいるじゃん」

 寅二の背後から、杏が顔を覗かせる。その呼び方に紡得は不愉快に感じながらも、その目を見つめる。

(今日は取り巻きがいないのね)

 紡得はそう考えながらも、杏から視線を逸らさずに彼女を見つめる。

「どうも」

 平坦な声で紡得がそう言うと、杏は小馬鹿にするように甲高い笑い声を出す。その意図が分からず、紡得は彼女をじっと見つめる。

「ああ、ごめんごめん。紡得ちゃんがそんな浮気男に擦り寄るような人だとは思わなくて」

 その発言に、紡得と実が揃って眉間に皺を寄せる。

「あれ、違うの? んじゃなんで?」

 杏はそう言って品定めをするように紡得を見た。それに対し、紡得は感情を抱かせない目で杏を見つめる。

「私と貴方、下の名前で呼び合う仲でしたっけ?」

 紡得の言葉に、杏は吹き出した。

「やだ、下の名前なんて言葉使う人初めて見た」

 そんな言い方をする杏を、紡得はじっと見つめた。

「用事は……」

 何かを言おうとして、紡得は一度口を閉ざす。そして暫くしてから、ある事を思いついた紡得はこのように言った。

「用事が無いなら図書室から出て行って。大声を出すのも迷惑」

 その言葉に、実はぎょっとして紡得を見る。疑問を抱いた紡得の目に、紡得は軽くウインクをする。

(ちょっとかっこつけすぎかな)

 そう考える紡得の考えを余所に、寅二と杏は機嫌が悪いのを隠そうともせずに紡得に詰め寄る。

「俺のように心が広い男が、お前に忠告してやる。その口を治さないと後悔するぞ」

 杏も続く。

「あーあ。紡得ちゃん、今のうちに謝っといた方がいいよ?」

 高圧的なその言い方に、紡得は一切引かない。

「機嫌を悪くしたならごめんなさい。でも、噂を鵜呑みにして人を攻撃する理由にするなんて人、礼儀を尽くすのも馬鹿らしいと思って」

 寅二は紡得の言っている言葉の意味が殆ど解らなかったが、自分を馬鹿にしている事は分かった。

「人がせっかく親切に、その男は浮気をする最低野郎だって教えてやってるって言うのによお」

 寅二は紡得に近寄ろうとするが、その間を実が割り込む。

「何だよ」

 寅二は実を睨むが、実は一切動じずに寅二を見つめる。

「一度出直した方がいい」

 実がそう言うと、寅二は実の顔に唾を吐いた。実は一瞬眉を顰めながらも、一切どかずに寅二を見つめる。そんな彼等の様子を、杏は心底面白そうに、紡得は迷いを帯びた瞳をしながら見ていた。

「幼馴染みの彼女がいながらも浮気をしたようなクソ野郎の言葉なんて、聞く理由はありません」

 寅二は実の脇腹に拳を当て、口角を上げる。鈍痛に表情を歪ませながらも実が一切動じないのに対し、紡得はそれを見て短い悲鳴を上げる。

「ほら、悔しいならやり返してみろよ」

 そう言っても、実はやり返さない。

「本当に止めた方が良い。僕は穏やかに過ごしたいし、他人を殴ったり蹴ったりする趣味は無い」

 実が努めて冷静であるのに対し、紡得は不安そうに視線を彷徨わせている。

「寅二さん、止めてください。実君を一方的に殴るなんて、教師に知られたら大問題ですよ」

 その紡得の言葉に、実は渋い表情を浮かべ、寅二は愉快そうに笑みを浮かべる。

「何言ってるんだ? 俺は浮気男に罰を与えてるだけだぞ?」

 実は何かを言おうとして、止める。そんな彼の様子を見て紡得は表情を歪めた後、再度口を開く。

「浮気をしたと言うのは、噂に過ぎません。そんな事を鵜呑みにして人を甚振いたぶるなんて事をしたら、大きな問題になりますよ?」

 警告をしながらも現状を教えるように紡得は言う。

「何言ってるんだ? こんな奴を殴って何が悪い?」

 寅二は楽しそうに実の腹を何度も殴る。

「まあ、俺は心が広いからな。これ位で許してやろう」

 寅二はそう言うと、満足そうに図書室から出て行った。痛みによる苦痛に表情を歪ませる実を、杏は愉快そうに見つめる。

「今日の見世物、楽しかったよ」

 そう言って、杏は実の踵を一度踏みつける。実が苦痛に表情を歪ませ、その姿を見て紡得は更に不愉快そうな顔をした。

「寅二さんと杏さん。貴方達はいいのね? それで」

 紡得のその言葉に、杏は高笑いをしながら出て行った。

「明田さん」

 実がそう言うと、紡得は頷いてポケットからとあるものを取り出した。

「今の貴方の姿と、このボイスレコーダーを職員室に提出すれば大きな問題に出来る」

 その言葉を聞いて、実は渋い顔をした。

「分かってる」

 その表情を見て、紡得は暫く目を閉じる。

(きっと、何を言ってもこの人を辛くさせるだけね)

 そう考えながら、外に視線を移す。雨は弱まっている。

「雨が止みそうね」

 ほんの少しだけ降る雨を見ながら、紡得はどこかほっとした顔でそう言った。


 次の日、寅二と杏は朝のHRで職員室に呼ばれていた。

 何があったのだろうか

 そんな言葉が教室の隅々から聞こえてくるが、それに対して明確に答える事が出来なかった。

 そんな日の昼放課、紡得は普段よりも重い弁当箱を手にして立ち上がる。

「実君、今日は……」

 紡得が普段よりも明るい声でそう声をかけた。それに対し、実は強張った顔をして紡得を見た。そんな実を見て、紡得は少しだけ視線を彷徨わせる。

「明田さんは……」

 そう言った後、実もまた暫く何も言えないまま視線を彷徨わせる。外から差し込む日光により、実の顔は半分だけ明るく照らされる。そんな実の顔には傷一つ無い。

(あの男、顔を殴らないようにして目立つ傷を作らないようにしたのね)

 その事実に気がついて、紡得は機嫌を悪くする。

(浅知恵ね)

 そう考えながら、紡得は実の腕を掴む。

「実君。昼ご飯を食べましょう」

 それを聞いて、実は迷う。

「えっと……それは……そうだ、晴と二人で昼飯にしたい気分で……」

 実がそう言った瞬間、実のスマホが着信を知らせる振動をする。その内容を見て、強張った顔をしている。直後に紡得のスマホも振動する。内容を見ると、そこには短い言葉が表示されていた。

『押せ』

 その言葉を見て、紡得は呆れた表情を浮かべる。

(これはどこかで様子を見ている人間の言葉ね)

 そう考えながら紡得がスマホをポケットにしまうのと、実がスマホをポケットにしまうのは同時だった。紡得に視線を移した実は、観念した表情をしている。

「中庭でいいかな。今日からは横槍も入らないだろうし」

 実がそう言うと、紡得は笑顔で頷く。快晴の外は暫く雨が降りそうも無い。


 快晴の空の下、二人は中庭で揃って弁当を広げる。実の持ってきた弁当箱は一人で食べるにはあまりにも多く、とてもでは無いが食べきれそうにない。一方で紡得の持ってきた弁当箱はあまり量が多く無い。その事に気がついた実が紡得の顔を見る。

「今日はあまり食欲が湧かないの。考える事が多くて」

 その紡得の言葉を聞いて、実は少し考える。

「色々あったからね」

「そうそう、色々と」

 感情があまり乗っていないかのような、そんな軽い調子で紡得が答える。一方で実は苦笑いを浮かべた。

「俺が間違いをしなければ……」

 その言葉に、紡得は疑問を抱いた表情を浮かべる。

「間違い?」

 紡得の言葉を受け止めて、実が静かに頷く。

「ああ。昔俺には好きな人がいたんだ」

 そう言った後、実は暫く口をつぐんだ。そんな実から、続きを促すように紡得が疑問を投げかけた。

「今は好きじゃないの?」

「そうだな。彼女の事を信用出来なくなったんだ。俺が浮気をしたと言う話を言いふらされた事でね」

 その話の内容を、紡得は知っていた。

「私の通っていた学校でも、そんな話がどこからか回ってきた。隣町の中学校で、幼馴染み同士で付き合っていたカップルがいるって。そして、それは男の浮気で破局したと」

 その紡得の言葉を聞いて、実は苦笑いを浮かべる。

「参ったな。そっちの学校にも噂が回ってたのか」

 そんな実を見て、紡得は真剣な表情を向ける。

「でも、少し腑に落ちない点もあって。告白したのは、実君であってる?」

 そんな紡得の言葉に、実は苦笑いを引っ込めて真剣な表情を浮かべる。

「その通りだ。幼い頃からよく話をしていた彼女に、俺は思いを伝えた」

 その目をじっと見て、紡得は小さく頷く。

「真剣に相手の事を考え、そして思いを伝えた。そんな相手をすぐに裏切れるかしら」

「そんな筈は無い」

 紡得の言葉に、実はすぐに反応した。その目は真剣そのものだ。

(良い目。本当に)

 紡得は実の目を暫く見つめる。暫くそうした後、紡得は何かを決意した顔で実の肩を掴んだ。

「放課後に確かめに行きましょう」

 実は首を傾げる。

「確かめる?」

 紡得も実に応えるように首を縦に振った。

「そう。この噂の真偽を確かめるために、貴方の元カノであり……」

 そう言う紡得は口の端が少し上がっている。その表情は、自信に満ちていた。

「貴方の幼馴染みでもある女の顔を見てみましょう」


 自転車で十分、距離にして数㎞、実の家は田んぼの真ん中で孤立するように建っていた。

「そして問題の幼馴染みの家は……」

 紡得は目線を動かす。実の家から南に数十メートル、こちらも田んぼの真ん中で孤立するように建っている。この近辺では、家はこの二つのみらしい。

「ご近所さんね」

 紡得が隣に立つ実に目線を移すと、彼は口を引き結んで自らの幼馴染みの家をじっと見つめていた。その姿を見て、紡得がわざとらしく軽い調子で

「気まずくなりそう」

 と声をかけた。それを聞いた実は一瞬驚いたように目を見開いた後、肩を竦める。

「全くだ」

 そう言った後、暫く二人は並んで歩いていた。そこでふと、気になる事があって紡得は実に訊ねる。

「そう言えば、貴方の幼馴染みっていつ頃帰ってくるの?」

 紡得が真面目な顔をして実を見ると、実はそれにつられて紡得に目線を移す。紡得は至って真面目表情で実を見つめる。

「勢いできちゃったけど、細かい所まで考えて無かった」

 その言葉に実は一瞬呆気にとられるも、すぐに優しげに微笑んだ。

「気にしないでも、すぐに帰ってくるよ」

 そう話している内に、実の幼馴染みが住んでいる家の近くに到着する。そして、そのタイミングを計ったように、一人の少女が姿を現す。

「やあどうも」

 最初に声を出したのは実だ。

「久しぶりだね、三原可憐みはらかれんさん」

 実のその言動に、可憐と呼ばれた少女と紡得が驚く。

「へえ」

 冷ややかにそう言う少女を紡得は見つめる。面長な顔に切れ長な目、白く長い手足をした少女。その少女は赤みがかった綺麗な黒髪を手で触りながら、値踏みするように実と紡得を見つめた。

「実ってそう言うのが好みなんだ」


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