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 魔王と異界勇者ヒナタの邂逅から一週間が経った。

 友達になってほしいという魔王の願い。それに驚くと同時に、ルークは自らを恥じた。

 魔王はただ外の世界に憧れていたのではなかった。さみしかったのだ。両親を失い、魔王という重責を担う彼女の心は孤独だった。

 同性で歳も近いヒナタは、たしかに魔王の友達に相応しいかもしれない。

 彼女が異界勇者でさえなければ。

 その一点により、魔王の願いは叶わない。どんなに強く望んだとしても、ヒナタがそれに応えるはずはない。

 そのはずだった。

――あたしとお友達になってほしいの。

 ――いいよ。

 こうして魔王と異界勇者の友達関係は始まった。


「ほらヒナタ! このクッキー、すごく美味しいから食べてみて」

「うん。あ、本当。甘さ控えめで、あたし好み」

「えへへ。でしょう? それにこのクッキー、紅茶ともよく合うの」

「なるほど……ん~、和むねぇ」

 いやお前は和むなよ。

 目の前で繰り広げられる『お茶会』の光景に、ルークは内心で毒づいた。

 場所は城内庭園に建てられた東屋。拘束を解かれたヒナタが魔王とテーブルを囲み、モーゼフお手製の菓子と紅茶を味わっていた。

 ルークはそんな二人から数歩離れた先に立ち、警戒に目を光らせる。

 この数歩先という距離も、交渉の末に勝ち取った位置だった。当初、魔王はお茶会を二人きりで行うと主張し、当然ながら応じられないルークは粘り強く交渉を重ね、なんとか列席を許された。

 それでもこの距離は、最低限度といっていい。ヒナタの剣は城内宝物庫にて厳重に保管しているが、もしも彼女が素手のまま魔王に襲い掛かれば、それを辛うじて阻むのがやっと、という距離だ。

 ふと、ヒナタの目がこちらに向いた。ルークと目が合うと、にこりと微笑む。

「そんなに警戒しなくても。あたしなにもしませんから」

「その判断をするのは貴様ではない」

「もうルークったら。そんなに怖い声出してヒナタを怖がらせないでちょうだい」

 魔王にたしなめられ、不承不承ながら頭を下げる。なんという屈辱だろうか。

「ごめんなさいヒナタ。ルークを許してあげて。人見知りなの」

「大丈夫、分かってるから。ルークさんはイブちゃんのことが心配なだけよね」

 カップ片手に魔王と談笑するヒナタの姿は自然体そのもので、ここが彼女にとっての敵地だという事実すら忘れさせるほどだ。ルークとは対照的に、まったく警戒してる素振りすら見せない。

 まさか本当に魔王と友達になったとでもいうのか。

 ありえない。百歩譲って、魔王が友達を求めることはしかたないとしよう。しかし異界勇者であるヒナタがそれに応える理由がない。

「そうだ! ヒナタに見せたいものがあるの。ちょっと待ってて!」

 そう言い残し、魔王は席を立った。ヒナタを放置するわけにもいかず、一時的に二人きりになる。

 この機を逃すことなく、ルークは問うた。

「なにを企んでいる?」

「このクッキー、紅茶にひたして食べても美味しいかもって」

「そうじゃない。陛下とのことだ」

「イヴちゃんのこと?」

ヒナタが首を傾げる。きょとんとしたその表情は、本当にわかっていない様子。

「ああ。そしてちゃんは止めろ」

「でもイヴちゃんから、名前で呼んでって言われちゃいましたし」

「ぐっ……! い、いいから俺の前で馴れ馴れしく陛下の名を口にするな!」

「……ははーん。ひょっとしてルークさん、やきもち妬いてますね? 可愛いなー、もう」

うんうん、としたり顔で頷くヒナタ。計画も放棄して絞め殺してやろうか。

「でもやっぱり、イヴちゃんはイヴちゃんですよ。友達に様付けなんて、あたしは嫌」

「もういい。それで、なにを企んでいる」

「クッキー以外で?」

前言通り紅茶にひたしたクッキーを齧りながらヒナタが訊ねる。

「友人を欲する陛下のお気持ち、それはわかる。恥ずかしい限りだが、陛下の寂しさを俺では紛らわせられない。同性で歳も近い貴様に白羽の矢が立つのも、まぁ、いたしかたない」

「そんなに卑下しなくても。イヴちゃん、ルークさんのこと大好きですよ?」

「黙れ口を挟むな。しかし、貴様はどうだ? 陛下の求めになぜ貴様は応じる? 異界勇者の使命とは、魔王の抹殺だろう」

「たしかに、そんなことを言われた気もします」

ヒナタが頷く。いやに他人事めいた口調だ。

「とぼけるな。貴様ら異界勇者は人界の神官から、使命とやらを告げられ、それを受けて転移してきているはずだ。その使命を捨てられるのか」

そんなはずがない。これまで転移してきたどの異界勇者も、自らの命を顧みず、使命達成のためルークに立ち向かってきた。

異界勇者にとって使命とはそれほど大きなものなのだ。

 が、

「うーん。まぁ、べつにいいかなって」

「なんだと……?」

「だからその使命? それべつにいいかなーって」

「いいわけあるかっ!」

ついつい声を荒げてしまった。ルーク自身も、どの立場から憤っているのかよくわからない。

「そう言われても……。そもそもルークさん、あたしがなんで異界勇者になって、この城に転移されたかわかります?」

「それは……」

返答に窮するルークに、ヒナタは快活に言い切った。

「頼まれたから、です」

「は?」

「だから、頼まれごとを放棄しちゃうのは申し訳ないけど、しょうがないかなって」

「しょうがない?」

「年上男性からの頼みごとより、可愛い女の子のお願いを優先しないといけないじゃないですか」

真剣な顔で断言するヒナタに、ルークは一瞬「あぁ、なるほど」と納得しかけ、

「いやどういう理屈だ」

「えっ、イヴちゃん可愛いじゃないですか!?」

「そこじゃない!」

ヒナタに言われるまでもなく、イヴは可愛い。贔屓目だろうとなんだろうと、ルークにとってそれは絶対の真実だ。

しかし当然ながら、それとこれは話が別だ。

「貴様にとって異界勇者の使命とは、神官に頼まれたから引き受けてやっているだけの、そんな程度のものだと!?」

「はい!」

 実に気持ちの良い返事であった。

だめだ。ヒナタと話していると、どうにもルークの調子が狂わされる。この一年で身につけたはずの冷静さを保てない。

彼女の言葉をどこまで信じていいものか。すべてが嘘で、未だ魔王の命を虎視眈々と狙っている可能性も否定はできない。

さらなる追及を試みたかったが、直後に魔王が戻ってきたことで話は立ち消えになった。

「さあヒナタ、これで遊びましょう!」

そう言って魔王がテーブルに置いたのはショーギ盤だ。わざわざこんな物を取りに行ったのかと、ルークは内心で呆れる。

「これってもしかして……将棋?」

「ええ! 昔、召喚された異界勇者が人界に伝えたの。元々は、あなたがいた世界で遊ばれていたゲームなんでしょう?」

「そうだけど……あれ、でもどうして人界に広まったショーギが、魔界にもあるの? 二つの世界に交流はないんじゃなかったっけ?」

「ごく稀にだが、間の海峡で難破した船の荷が海岸に漂着する。その中に、ショーギについて記した書があったのだ」

その書にはショーギのルールだけでなく、盤面や各駒の図解が載っており、それをもとに暇を持て余した領民が再現したことで魔界にも広まることとなった。

「そんなことより、ねっ! ねっ! これで遊びましょう!」

盤面に駒を並べながら、ぴょんぴょんと跳びはねる魔王。

「遊ぶもなにも、陛下はショーギのルールをまだ覚えられてないでしょう。ショーギは奥が深いですよ。いいですか、ショーギには二歩という反則があり――」

「ルークに言ってるんじゃないもん。ね、ヒナタ。あたしにショーギを教えて?」

落ち込むルークを余所に、魔王は両手を拝み合わせる。

 ヒナタは困ったように笑い、言った。

「ごめん、あたしも将棋はよく知らないんだ。だからそれじゃ遊べないかも」


 ヒナタの存在により、魔王城の日常は大きく変化した。

 魔王は余暇時間のほぼ全てをヒナタとの交遊に費やし、同席せざるを得ないルークにとってそれは、大きな負担となった。

 また、軟禁状態とはいえヒナタは魔王の客人であり、衣服や食事も真っ当なものを用意しなくてはならない。その世話をするソフィアやモーゼフにも負担を強いている。

 このようにとにかく負担だらけの変化だが、喜ばしいこともった。

 魔王の学習意欲の向上だ。

 一般教養に儀礼作法、為政者としての帝王学、魔術指南。それらの教育を、以前までの魔王はあくまで義務感から受講していた。

 それが近頃は、自ら率先して講義に臨み、日常的に復習までするようになったのだ。

 気分転換の機会を確保することが、これほど意味があるとは。まさに目から鱗だった。

「ねえルーク、教えて」

 魔術指南を終え、休憩がてら今日の総括をしていたところで魔王が問うてきた。

 講義にこれほど熱意を見せてくれることに、もはや感動すら覚えてしまう。

「なんでしょう」

「魔術を極めれば、炎や風を操ることもできるのよね。それなのに、どうしてルークは肉体強化だけに魔力を使うのかしら。できないの? そういう格好いい魔術が使えないの?」

 人を苛立たせる熱意があることを知った。

「まず結論から言うと、そういった上級魔術も私は使えます。もちろん使えます」

「じゃあどうして」

「必要がないのです」

「……よくわからない」

 納得のいかない表情を浮かべる魔王に、ルークは説明を重ねる。

「対人戦闘において、そういった魔力消費の激しい魔術は効率が悪い。肉体強化は消費魔力も比較的少ないため、長時間の使用が可能ですし、それで事足ります」

 炎で燃やさなくとも、風で切り刻まなくとも、人は殺せる。目にも止まらぬ速さで距離を詰め、心臓を刃で貫けば簡単に殺せるのだ。

 魔王は口をつぐみ、考え込んでいる。ルークの言葉を、自らの中で反芻しているのだろう。普段の幼い表情とは違う、こうした思慮深さを近頃の魔王は見せるようになった。

 その成長ぶりにルークは目を細めずにはいられない。

「もう一つ、質問」

「どうぞ」

「肉体強化が最も魔力効率の良い戦い方だとしたら、相手もそうするはずよね。もしもそのとき、相手が自分より強かったらどうするの? 勝ち目がないじゃない」

 魔王の問いに、ルークは大きく頷いた。打てば響くとはこのことだ。

「真正面からやり合えばそうかもしれません。しかしある程度の力量差であれば、覆す手段もあります」

「具体的には?」

「一つは、相手が万全でない状況を狙うこと。寝込みを襲ったり、手傷を負ったときに乗じるのです」

「それって――」

「二つは、数で圧倒する。どれほど強大な相手であろうと、魔力にも体力にも限界があります。その限界を迎えるまで数で囲み、襲い続ける」

 口を開きかけた魔王を遮り、ルークは最後まで言い切った。

「三つは、不意をつく。相手の予期しない状況を作り出し、反応を遅らせるのです。いかに達人といえど、不意の事態に際せば、状況把握にほんの一瞬、判断に迷う。その隙を襲う」

「――卑怯だわ!」

 憤慨し、机を強く叩く魔王。そんな彼女の実直さを微笑ましく感じながら、ルークは首を振った。

「命のやり取りにおいて、卑怯などという概念は存在しません。正しき者が歴史を紡ぐのではなく、勝った者が歴史を語るのですから」

「……わからない」

「ええ。いまはまだ、理解できなくてもいいでしょう」

 汚れ役はルークが担えばいい。成長途中にある彼女が、いま知る必要はない。

 だが王となる以上、いつかは避けて通れないことも事実だ。よってルークは、憤る魔王に静かに言った。

「それを理解できたとき、きっと陛下は真の王となられることでしょう」

「わからない!」

 魔王の叫びが城内に響き渡った。


その夜、ルークはモーゼフの私室を訪ねていた。

質素な部屋だ。家具と呼べるものはベッドと小さな書棚、床一面に敷かれた絨毯とその上に置かれたテーブルと椅子程度。

椅子に座り、ルークはモーゼフと向き合っていた。議題は、ヒナタの言動について。

 魔王に対する敵意はない、というヒナタの言葉。その真意はどこにあるのか。

「ふふっ」

ヒナタとの会話について話し終えると、モーゼフは小さく笑った。

「どうした」

「いえ。話だけを聞いていると、まるでその異界勇者とルーク様が友人のように思えて」

「……笑えない。その冗談はまったく笑えないぞ、モーゼフ」

「ふふ、申し訳ありません。それでルーク様は、何に迷われているのですかな?」

「俺が迷ってる? なぜそう思う?」

「そうでなければ、わざわざ私に相談などされないでしょう……っ!」

ごほごほ、とモーゼフが咳き込んだ。慌ててルークは杯に水を注ぎ、手渡す。

「大丈夫か」

「ごほっ、ごほっ……! はは、歳はとりたくないものですな」

力なく笑うモーゼフ。自嘲めいたその姿に、晩年の先王が重なる。

先王が逝去した頃から、モーゼフはよく体調を崩すようになった。病というわけではなく、ただ身体から活力が失われていくのだという。

いまやこの城における最古参であるモーゼフは、ルークや魔王が生まれる前から先王に仕えていた。伴侶も家族もない彼にとって、先王は自らの半身にすら等しかっただろう。

そんな半身を亡くし、ひとり遺されてしまった喪失感。その傷が、精神に、肉体に及ぼす影響は計りしれない。

「……縁起でもないことを言うな。まだ老け込む歳でもないだろう。俺はお前に、あと三十年は働いてもらうつもりだぞ」

 気遣うのでも、慰めるのでもなく、ルークは言い放った。本心からの言葉だった。

 まだこの城にはモーゼフが必要だ。料理長という役職だけではない。長年先王を支えてきた彼の経験が、ルークを何度助けてくれたことか。

「ルーク様も、なかなかにお人が悪い」

モーゼフが小さく笑う。その笑みは、先ほどの自嘲より幾分か力が込められて見えた。

「誉め言葉として預かっておこう」

モーゼフが落ち着いた頃合いを見計らい、ルークは話を戻した。少しでも早くモーゼフを休ませるため、前置きは省いた。

「それで、だ。たしかにお前の言う通り、俺は迷っている。ヒナタの言葉をどこまで信じていいものか、な」

「私はそのヒナタという異界勇者を直接この目で見たわけではありませんので、その者について推察することはできません」

ヒナタが魔王城に滞在して一週間が経つが、モーゼフとはまだ面会していなかった。

それはモーゼフの体調のせいもあるが、万が一の事態を防ぐためでもあった。

弱いといってもヒナタは異界勇者だ。その力は並みの魔人をはるかに凌ぐ。対してモーゼフは魔人の中でも最下級に魔力が弱く、もしもヒナタに襲われれば、瞬殺を免れないだろう。

「ですが、ルーク様のことであれば重々承知です」

「だろうな」

「ルーク様が迷われる時というのは、ご自身の『そうしたい』という希望と、『そうあるべき』という固定観念が相反している時かと」

ルークは顔をしかめた。モーゼフがなにを言わんとしているのか、察してしまったのだ。

「つまり?」

「ルーク様は、その異界勇者を信用したいのでは? しかしこれまで築き上げてきた異界勇者への印象が、それを拒んでいる。だから迷われている」

「……」

「だとすれば、私が申し上げられることは一つ。ご自分の直感を信じられよ。それが最も後悔なく、そして良い結果をもたらしましょう」

「……」

ルークは無言を貫いた。反応することすら馬鹿馬鹿しいほどに、モーゼフの指摘は的外れだった。

ルークがヒナタを信用したいと思っている? ありえない。あるはずがない。

やはり体調を崩すと、思考も鈍ってしまうのだろう。それが分かっているからこそルークもあえて否定はしなかった。

「参考にさせてもらおう。夜分に悪かったな、もう休め」

「はい。お心遣い、感謝いたします」


モーゼフの私室を後にし、ルークは自らの私室でなく執務室へと足を向けた。

「ずいぶんとお早いご到着ですの」

入室した途端、ソフィアの皮肉が出迎えてくれた。

「べつに俺が来るまで待ってろ、なんて頼んだつもりはないんだが」

「行間を読んでみましたの。メイドですから」

意味不明な返答を無視し、ルークは椅子についた。机の上に置かれた花瓶に手を触れる。

「これが例の物だな」

「はい。まさかルーク様に、女性の部屋に花を飾る甲斐性があるだなんて、驚きましたの」

「それは褒め言葉になってないぞ」

魔王との面会時を除き、ヒナタは城内に数ある客室の一室で生活させていた。転移の間と同様、外から扉を開けない限り、内側からは出られない魔術を施してある。

目の前の花瓶は、ヒナタの部屋に一日置いてあったものだ。魔王とルーク、そしてヒナタを交えた晩餐会の最中、ソフィアに別の花瓶と替えさせておいた。

生けられた花をかき分け、花瓶の口に手を差し込むと、小さな結晶が指先に触れた。それをつまみ上げる。

「それはなんですの?」

「記憶の石、と呼ぶらしい」

ヒナタの剣を保管する際、地下宝物庫で見つけたものだった。使用するための術式を読み解くのに時間がかかってしまったが、ようやく実用に至れた。

「その記憶の石は、なんのための魔石ですの」

ソフィアの語気がいつもより強い。記憶の石が持つ効果を、自分がなんの片棒を担がされたのかを、察したのだろう。

「こうするためのものだ」

魔力を注ぎ込む。記憶の石に組み込まれた術式が起動し、ある光景が石の中に浮かび上がった。

そこはヒナタの部屋だ。ヒナタ本人は不在だが、ベッドやテーブルなどの家具が映し出されている。

「これは……ヒナタの部屋?」

「いま現在のでなく、およそ一日前のな」

花瓶をソフィアに設置させたのは、昨日の晩餐会の最中。当然その時間帯、ヒナタが部屋にいるはずがない。

魔力をさらに込める。やがて部屋の扉が開き、ヒナタが現れた。そこで魔力の供給を止めると、石中の光景も時が止まったようにぴたりと停止した。

「……過去その場で起こった出来事を記憶し、再現する魔石?」

「ああ。もっとも記憶できるのは視覚情報だけで、音は拾ってくれないがな」

「このことを陛下は?」

ソフィアの眉が、ほんのわずかに寄せられている。付き合いの長いルークだから分かるが、これは彼女にとって最大級の怒りの表情だ。

「もちろんご存知でない。俺の独断だ」

「呆れましたの」

はぁ、と大きくため息をつくソフィア。取り繕うようにルークは説明する。

「聞いてくれ。たしかに表面上、ヒナタは陛下に危害を加える気配はない。とはいえ、完全に信用することはできない。そうだろう? もしかした何らかの策を講じ、陛下の命を狙ってくるかもしれない」

「だからこうして乙女の部屋を覗き見する、と」

「ぐっ……! そ、そうだ」

魔王との約束を破る罪悪感はある。

 しかしそれ以上に優先すべき使命がルークにはあるのだ。手段など選ぶはずもない。

「陛下に打ち明けるおつもりは」

「ない。これは俺とお前、二人だけの秘密だ」

「……二人だけの秘密」

ぴくり、とソフィアの表情がかすかに揺らいだ。

なにが彼女の琴線に触れたかは不明だが、その隙にルークは畳みかける。

「頼む、ソフィア。お前の協力が必要なんだ。俺一人では、この計画は遂行できない」

記憶の石は、記憶したその光景を遠隔で見ることはできない。必ずこうして回収する必要がある。

ヒナタが部屋から出る時とは、すなわち魔王と面会する時だ。その場にルークは絶対に同席しなくてはならない。つまりルークには、ヒナタの不在を見計らって記憶の石を回収することは不可能なのだ。

この役目を任せられるのは、ソフィアの他にいない。

「……わかりましたの」

少しの間を置き、ソフィアが頷いた。そこにどんな葛藤があったのか、その無表情からは窺い知れない。

「ありがとう。恩に着る」

「お変わりになりましたの」

「なんのことだ」

「ルーク様です。先王が逝去されてからのルーク様は、以前に比べてもイヴ様をよりお大事にされるようになりましたの」

イヴ様。それは魔王が即位する以前まで、ソフィアがイヴに対して使っていた敬称だった。

「そうか?」

「もちろん以前も、ルーク様はイヴ様を支えられてました。だけどそれは、良く言えば自主性を重んじ、悪く言えば放任主義な面もありましたの」

「ひょっとして俺はいま批判されてるのか」

「意図はありませんが、そう聞こえたなら申し訳ありませんの」

ソフィアが無表情のまま小さく頭を下げる。

「まあいい。それで、そんな放任主義だった俺は、いまどう変わったんだ?」

「良く言えば敬愛深く、悪く言えば過保護」

「……なるほど」

ソフィアの指摘は、おそらく的を射ている。たしかに先王の死後、ルークの魔王に対する態度は変わった。

しかしそれも当然だろう。王女と君主とで接し方が同じなほうがおかしい。

ご立派に育っていただきたい王女ならば多少の自主性も許容しよう。だが君主となれば話は別だ。その身の安全は、他のすべてに優先しなくてはならない。

たとえ魔王本人の希望を犠牲にすることになっても。

「変わったのは俺じゃなく、イヴの立場だ。もうイヴはただの王女じゃない。君主なんだ」

「それだけですの?」

「それだけだ」

むしろ他にどんな理由があるというのか。ソフィアがなにを言いたいのか、ルークには理解できない。

 やがてソフィアは納得したのか、小さく頭を下げた。

「……出過ぎたことを言いましたの。お忘れください」

「不問としよう。それよりも、記憶の石だ」

再び記憶の石に魔力を込め、停止していた石中の光景が動き出した。それまで執務机をはさんで立っていたソフィアも、ルークの横に場所を移し、一緒に覗き込む。

石中のヒナタがこちらに近付いてくる。夕食から戻ってみれば花瓶が置かれていたわけなので、興味を持ったのだろう。

香りをかぐためか、ヒナタが鼻を寄せてくる。離れた彼女の顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。

花瓶から離れたヒナタは、これまたソフィアが用意した寝間着を広げ、首を傾げた。

「気に入らないようだぞ」

「き、機能性を重視しましたの」

ヒナタは寝間着をベッドに置くと、身につけているシャツを脱ぎ始める。

視界が闇に覆われた。

「おい」

「つい」

「前と同じ問答をするな!」

ルークはふるふると頭を振り回すが、ソフィアの目隠しは外れない。

「もうちょっとお待ちくださいの」

「これじゃ意味ないだろうが! ヒナタを監視するためにやってるんだぞ!」

「わたしが監視してますの。わたしを信じて……!」

「重大な選択を迫るふうに言ってるがな、この手を離せばそれで済むことなんだよ」

「いえ本当にあと少し……あ、いいですの」

視界が晴れた。石中には、すでに寝間着に着替え終えたヒナタの姿が映っている。

「おい」

「こうしましょう」

ルークの抗議より早く、ソフィアがぽんと両手を合わせて言った。

「あ?」

「ヒナタの監視はわたしが担当します。不審な点があれば、すぐに報告いたしますの」

「それではソフィアの負担になるだろう」

「構いませんの。ルーク様のお力になれるのでしたら」

感動に胸が震えた。ソフィアがルークにこれほど協力的な姿勢を見せたことは、かつてなかった。彼女なりに心境の変化があったのだろうか。

「抱きしめてもいいか」

もちろん冗談のつもりでルークは言った。ソフィアが冷静にあしらい、それでこの会話は終わりだろう、と。

が、

「…………」

ソフィアはその頰をかすかに染め、固まった。もともと大きな目をさらに見開き、ルークを凝視している。

やがてソフィアはおもむろに身を寄せ、ぎゅっとルークの身体を抱擁した。

「っ!?」

思考が停止した。

胸に触れる温もり。うなじから薫る芳香。背中に回された腕の細さ。

言い尽くせないほどの情報が、ソフィアの身体から直に伝わってくる。

ルークはソフィアの背中に回しかけた両腕を寸前で押し留め、彼女の両肩に置く。

ソフィアを離し、その顔を正面から見据えて言う。

「……冗談だ」

「そうでしたの」

それだけ言って、ソフィアは何事もなかったように記憶の石に向き直った。手を添え、再生し始める。

 未だ残る動揺を隠し、ルークはソフィアと肩を並べ、記憶の石へと目を向けた。

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