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ランスが神殿内の食堂で早い夕食をとっていると、エギルから声を掛けられた。
「上手くやったじゃねえか」
なにを、とは訊かない。彼の言わんとしていることはすぐにわかった。
「ありがとうございます」
「なにを言う。それは俺の台詞だ」
「はい?」
「お前の上申のおかげで、召喚の担当頻度が半減するんだ。英雄だよ、英雄」
ランスは顔をしかめた。意図せぬ感謝を向けられ、反応に困る。
魔王討滅任務に関して、ランスは国王にある上申をした。召喚した異界勇者を魔界に即時転移させるのでなく、神殿で一定期間、鍛錬を積ませてはどうか、と。
その上申は聞き入れられ、わずか一日という短い時間ではあるが、異界勇者を神殿に留めておくことが許された。
そこにエギルの言うような打算は皆無だが、否定したところできっと彼の耳には届かないだろう。
「すべては、私のような若輩の上申を聞き入れられた、陛下の御心によるものです」
「あれだな。それだけ陛下も焦っておられるんだろうよ」
「焦り? それは、まったく成果を挙げられてない現状に?」
「そんなところだ」
エギルは曖昧に笑うと、ランスの肩をポンと叩いた。
「頑張れよ。成果がなければすぐに戻されかねないからな。少しでも異界勇者を強くしてやれ」
「もちろんです」
これまで異界勇者を召喚した際は、その場で魔王討滅の使命を宣告し、すぐに魔界へ転移させてきた。異界勇者と共に過ごす時間などほぼないに等しく、彼らになんの手ほどきもしてこなかった。
それが変わる。
「変更の実施はいつからだ?」
「今日、私の召喚からです」
ランスが変えるのだ。
夕刻を迎え、召喚の儀を執り行うためランスはひとり、『転移の間』に立っていた。
転移の間はそこに奉じられている魔石『転移結晶』により、他の空間よりも魔力が充満している。
神官といえども、魔人のように大量の魔力を有しているわけではない。自身の魔力を媒介に大気中の魔力を操ることで、魔術を発動する。
「久遠の円環。光差す彼方、零れ墜つ煌き。青なる朱、赤なる蒼。干渉せよ、混合せよ、爆ぜ出でよ。救いの御手を差し出されん!」
閉めきられた空間にランスの祝詞が響く。それに呼応するように、転移の間中央に描かれた魔術陣から閃光が走った。瞬く間もなく室内を迸った光は、しかし一瞬後には消え去り、後には一人の人間のみが残された。
「――ようこそお越しになられました、異界勇者様」
召喚に応じた異界勇者――まだ年若い少女の双眸がこちらを向いた。
与えられた一日という限られた時間をどう使うか。
召喚された異界勇者には、魔力と共にこの世界の言語知識が付与される。そのため幸いなことに、意思疎通に難はない。
魔術についての手ほどきをしようか。それともより実戦的な駆け引きについて講釈垂れるべきか。あるいは剣技や体術の向上を図るかと、望みは尽きない。その大半がそもそもランスに教えられることではなかったが、気にも留めなかった。
夕食を振る舞い、さあいよいよという頃合い。はたしてランスは談話室にて、異界勇者と盤面を挟んでいた。
「はい、これで詰みですね」
異界勇者が『歩』を指し、言った。盤上ではランスの『王』が完全に包囲され、逃げ場のない死に体の状況であった。
「……おかしい。どうしてこんなことに」
「うーん。神官様が中盤に見せた攻め、やっぱりあれ強引でしたね。敗着はそこかなって」
「いや、この対局についての感想を述べたのでなく、どうして私と勇者様はショーギをしているのでしょう」
「あたしもびっくりしました。まさか将棋があるだなんて」
「そうでもなくて!」
異界勇者がくすくすと笑う。異界勇者といえど相手は年下の少女。それに笑われ、つい赤面してしまう。
「大丈夫ですって。わたし、強いですから。きっと神官様のお役に立ってみせます」
何度めかという異界勇者の弁。それを盾に彼女はランスからの指導を拒み続けていた。
そんななか、談話室に放置されていたショーギ盤を見つけた異界勇者から対局を申し込まれたのだった。
「……たしかに勇者様はお強い。そのショーギの腕前は大したものです」
「あ、皮肉。 もう拗ねないでくださいよ」
言いながら、異界勇者は盤上の駒を並べ直していた。もう五局も指したというのに、まだ指すのか。
「こう見えてあたし、元いた世界では棋士――将棋指しだったんです。だからあたしに負けたからって、落ち込まないでいいですよ」
「お心遣い感謝します」
「まあ、それにしても神官様は弱すぎですけど」
負けたほうが次局の先手を取ることになっているので、ランスから駒を動かす。
「お言葉ですが、まだこの世界にショーギが伝わり、日も浅いのです。私の棋力もこれからどんどん伸びることでしょう」
「そういうことにしといてあげます。……ショーギが伝わったのは、あたしみたいな異界勇者から?」
「ええ」
異界勇者を召喚したある神官が、転移術式を発動させる前に体調を崩した。数刻だが休息を挟み、その間応対をした神官に異界勇者が伝えたという。
あるいはその異界勇者も、元の世界では棋士だったのかもしれない。そう言いかけ、ランスの口が固まった。
自らの失言に気付いたのだ。
「――やっぱりあたしの前にも、異界勇者はいたんですね」
「かまをかけましたね?」
前任者の存在を異界勇者に明かすことは固く禁止されていた。
「ごめんなさい。でもあたし棋士ですから」
「それは理由になってますか?」
観念し、ランスは説明した。これまで召喚した数多の異界勇者の全員が帰らぬ魂となったこと。そうした状況への打開策の第一号として貴女を召喚したこと。
すべてを聞き終えた異界勇者は、卓上に置かれたクッキーをゆっくり口に運び、
「あ、美味しい」
「いや違うでしょう!? もっと他に……たとえば私への恨み辛みはないのですか!?」
「そう言われても……べつに神官様に恨みなんてありませんし。これまで亡くなった人たちについても、結局は他人だから。うーん……」
異界勇者は考え込みながらもう一枚クッキーを手に取り、齧る。
「勇者様ご自身が殺されるかもしれないのに?」
「その可能性もありますよね。けど不思議と怖くないんです。もともとあたし、すごく怖がりだったはずなんですけど。ジェットコースターにもお化け屋敷にも入れないくらい」
それは異界勇者に共通する特性によるものだが、さすがにそこまで口を滑らせはしない。
ランスの胸に濃い影が差す。
こんな少女を魔王のもとに送り出していいのか。
たとえ彼女が死を恐れていなくとも、それが死地へ追いやる大義になるのか。
召喚魔術を行使したことの疲労に心労が重なり、眩暈がした。目頭を強く抑える。
「大丈夫ですか神官様? もしかして体調が優れないとか」
「……いえ、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「でも、だいぶお疲れのようですけど」
身を乗り出し、ランスの顔を覗きこんでくる異界勇者。ランスは慌てて手を振った。
「ほ、本当に大丈夫ですから。勇者様の召喚魔術に多くの魔力を消費し、少し疲れが出ただけです」
「それならいいんですけど……あ、お菓子食べます?」
「はぁ……」
異界勇者から半ば強引に手渡されたクッキーを口に運ぶ。バターの芳香が広がり、ほんの少しだけ気分が落ち着いた。
「ね、美味しいでしょう」
「我ながらいい出来です」
異界勇者の動きがぴたりと止まった。彼女が言う。
「ひょっとしてこのクッキー、神官様が作られたんですか?」
「はい。ちなみに先ほど召し上がられた夕食も、私が作らせていただきました。……素人の腕で大変恐縮ではありますが」
「えーーーっ! すごいじゃないですか神官様! 晩ご飯もクッキーも、本当の本当に美味しかったですよ!」
出会ってから一番の驚きぶりである。
「料理男子だ。こんなに料理が上手だったらきっとモテますね。間違いなくモテます」
「なにを馬鹿なことを」
「昔から好きだったんですか、料理?」
「……そんなことはありませんよ。ただ私は孤児院の出身で、幼少の頃より料理に携わる機会が多くて」
異界勇者の表情が曇った。彼女は眉尻を下げ、申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい。あたし、変なこと聞きました」
異界勇者に頭を下げられ、ランスはひどく困惑した。
ランスは早くに両親を失い、孤児院で育った。しかしそこに一切の負い目はなく、悲しみが伴うこともない。
すべては過去のことであり、その過去があったからこそいまのランスがいるのだ。
「神官様はご立派ですね」
「私ごときにはもったいないお言葉です。すべては主の思し召しですから」
「主……ああ、神さまのことですね。やっぱり神官様にとって神さまは絶対の存在ですか」
「もちろん。まだお会いしたことはありませんが」
異界勇者が首を傾げる。その理由がランスにはすぐわかった。
「不思議な表現ですね。この世界では神さまといつか対面できると信じられてるんですか?」
「そんな教義はありません。あくまで私個人が勝手に信じてるだけです」
厳密には亡き母の教えだった。この世界のどこかで神は人としての形を取り、生きている。もしも出会えれば、奇跡の力をもってしてどんな願いも叶えてくれる、と。
いま考えればそれは、貧困にあえぐ母がすがった、せめてもの希望だったのだろう。我が子に遺せる唯一の希望を、母はランスに何度も説いた。
「はぁ、なるほど……」
異界勇者の反応に苦笑する。
呆れる者、一笑に付す者、露骨に馬鹿にしてくる者と、この教えを聞いた者の反応はおおよそ決まっていた。
「すみません、お忘れください。ただの世迷言です」
「でも神官様は信じてらっしゃるんですよね」
「私しか信じていないんです」
母を喪ってからは他に信じる者もいない、ただの妄想。そんなものを他者に強いるつもりはなかった。
が、
「じゃあこれで二人になりますね」
「なにがでしょう?」
「その教えを信じる人の数ですよ。神官様とあたしで、二人になるじゃないですか」
「……仰る意味がわからないのですが」
これまでだれにも共感されることのなかった教え。母から遺された唯一の希望を、どうして信じてくれるというのか。
その問いに異界勇者はあっさりと答えた。
「神官様が信じてるから」
「それは理由になっていません」
「なってますよ」
困惑するランスを尻目に異界勇者はクッキーを一口齧り、微笑んだ。
「だってこんなにクッキーを美味しく焼けるんですもん。信じるしかないじゃないですか」
「……っ」
世辞や追従ではない。異界勇者は本心から言っているのだと、ランスは直感した。
なるほど。たしかに彼女は勇者だ。その器はランスごときには測り知れない。
「……ありがとうございます勇者様」
「いえいえ。どういたしまして」
異界勇者につられ、ランスの頬も自然と緩んでいく。
胸に広がる温もり。これほど穏やかな気持ちになるのは、いったい何年ぶりだろうか。
翌日、ランスは異界勇者を魔界へ転移させた。