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茫漠たる平地がそこには広がっていた。
かつてこの場所に屹立していた魔王城も、いまやその影すら残ってはいない。火災による損壊は甚大で、もはや修繕は不可能だった。
再建するには、一度すべてを破壊しなくてはならない。
魔王の残した魔動甲冑たちに、城の破壊を命じた瞬間に走った痛みは、いまなおルークの胸に残っていた。
雨の日も風の日も休むことなく続けられる破壊活動。ひと月過ぎれば城の内装はすべて撤去され、ふた月過ぎれば外装は瓦礫の山に変わり、み月過ぎればそこは更地になった。
「こうして見ると、いかに広い土地の上に城が建っていたのかよくわかりますな」
ルークの右手に立つアルフレッドが嘆息するように言った。ルークに言葉を掛ける際、彼は決まって右手に立つ。左目を潰され、眼帯を巻くルークに対する気遣いに他なく、彼の如才のなさが身に染みるようだった。
「いまにして思えば、分相応な城だったのかもしれない」
「なにを仰います。この魔界を統べる陛下に相応しい、荘厳な城でした」
「そうだ。この魔界を統べる者にこそ、あの城は相応しい。だが少なくとも先王は違う。己の猜疑心に屈し、配下や領民を遠ざけた。あれは統治でなく、ただ君臨していたに過ぎない。……そしてそれは、この俺も同じこと」
イヴたちが魔界を去ってしばらく経ち、考える時間が増えたルークはかつての自分の愚かさを知った。
先王をこの手で葬ったことで、せめてその教えだけは守ろうとルークは自らを縛った。
それは呪いに等しい。
窮地に陥ってなお、かつての配下たちを遠ざけ続けた。
平穏を脅かす存在――異界勇者を迷わず殺した。
イヴの意思を無視して、彼女の自由を奪った。
ただでさえ小さな魔界という世界において、さらに小さな城の中にルークは囚われていたのだ。ほかならぬ彼自身の手によって。
「しかし、城は再建されるのでしょう?」
アルフレッドの問いにルークは頷く。
「いつか陛下が戻られたとき、野宿させるわけにはいかないからな」
ゆっくりと足を踏み出す。数歩遅れ、アルフレッドも続いた。
かつての魔王城中心にあたる場所で足を止め、両腕を広げる。
「だが新たに建てる城は、以前のものよりずっと小さくていい。魔石を奉じる部屋も、地下に牢も必要ない。もっと質素で、皆が訪れやすい場所にしたい」
「皆とは?」
「この魔界に住む領民たち皆のことだ。俺はもっと彼らと触れ合うべきだった」
自嘲が漏れる。我ながら、なんと手前勝手なことだろうか。
「虫の良い話だろう?」
「いえ、大変ご立派な決断かと」
アルフレッドは直立したまま答えた。その言葉に、内心で安堵してしまう。
虫の良い話はまだあるからだ。
ルークはアルフレッドを正面から見据え、深く頭を下げた。
「なっ――」
「恥を承知で頼む。力を貸してほしい」
アルフレッドが上げた驚きの声を遮るように、言葉を滑り込ませる。
本当に虫の良い、厚顔無恥この上ないお願いをするために。
「建築の知識が俺にはない。領民たちの顔と名前すら一致しない。そもそも民との接し方がわからない。俺はひとりでなにもできない」
「そのようなことは……」
「いまさら臣下になれとは言わない。ただ俺に、少しでいいから力を貸してほしい。……貸してください」
沈黙が流れた。頭を下げるルークの視界に映るのは、地面と自らの足元のみ。
「頭をお上げくださいルーク様」
頭上から聞こえるアルフレッドの声。それでもルークは頭を下げ続ける。
「……では」
視界にアルフレッドが現れた。その場に跪き、より低い位置からルークに向けて頭を垂れている。
「老体ながらこのアルフレッド、そのお役目謹んでお受けいたします。が、一つ条件がございます」
「聞こう」
「この老人を、臣下として召し抱えください」
アルフレッドが顔を上げる。その顔に浮かぶ屈託のない笑みにつられ、ルークの頬もまた緩んだ。
その表情のまま彼は言う。
「今後とも頼む」
「はっ」
穏やかな風が二人の間を流れていった。




