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 体力と魔力の回復を待ち、ルークは立ち上がった。

 潰れた左足首を引き摺りながら森を抜けると、無惨にも焼け焦げた魔王城に辿り着いた。石造りのため燃え落ちることは免れたものの、木材を含んだ尖塔は崩れ、すべての窓は吹き飛んでいる。

 外観すらこの惨状では、屋内の調度品などは尽く焼失していることだろう。

「……いや、これでよかったのかもな」

「ルーク様」

 振り返ると、すぐ後ろに立つソフィアと目が合った。いつの間に背後を取られたのか、全くわからない。これも傷の影響だろうか。

 満身創痍のルークとは対照的に、ソフィアはその給仕服に焼き跡ひとつない。

「無事だったか」

「はい。ルーク様もご存命でなによりですの」

 淡々と答えるソフィア。そんな彼女にルークは無意識のまま覚束ない足取りで近づき、真正面から抱き締めた。

「よかった……!」

 目の奥が熱い。潰されても流さなかった涙が、両目からこぼれた。

 鼻腔をくすぐる香り。腕から伝わる肌の柔らかさ。胸に広がる確かな温もり。それらソフィアがこの世界に存在していることの証左を、全身から感じ取る。

 ソフィアが無事生きていること。そのことがなにより嬉しくて、たまらなく嬉しくて、ルークの身体を衝き動かしたのだ。

「……はい」

 それに応えるように、ソフィアの腕がそっとルークを包む。

 聞こえるのは互いの心音だけという静寂。暫しの間その心地良さに身を委ねた後、ルークはソフィアに事の顛末を伝えた。

 ヒナタと魔王の前に敗れ、二人が人界へと旅立つことを認めたこと。ランスの正体について。

 すべてを聞き終えたソフィアは眉一つ動かず「そうですの」と言った。

「もう少し驚いてもいいんだぞ」

「驚いているつもりですの」

 とてもそうは見えないが、昨日までとは何もかもが変わった世界において、なんら変わらないその姿には安心感を覚えてしまう。

 正面玄関から魔王城に足を踏み入れる。絨毯や木製の家具類全てが燃え尽きたそこは、もはや勝手知ったる我が家とは程遠かった。

「会って早々で悪いが、探すのを手伝ってくれないか」

「はい。宝物庫へ降りる階段でよろしいですの?」

 早すぎる理解に感心する。さすが、長年ルークに仕えてきた経験は伊達ではない。

 と、不意に疑問がよぎる。

 ――いつからソフィアは、ルークに仕えているんだ?

 そもそも、どういった経緯で魔王城に住み込むようになったのか。先王は猜疑心が強く、身内以外の者を悉く遠ざけていた。例外は、ルークが生まれる以前から仕えていたランスだけだ。

 ではソフィアは、先王の死後からルークに仕えるようになったのだろうか。

 それはありえない。

 何故なら彼女は、ルークのイヴに対する態度が、先王の死を契機に変わったことを指摘したのだ。先王が健在の頃を知らない者に、それはできない。

 なにより、わずか一年前から仕えるようになった者のことを、ここまで信頼するルークではない。

「……ルーク様?」

 いつのまにか立ち止まっていたルークの顔を、ソフィアが下から覗き込んできた。はっと我に帰る。

「いかがされましたの」

「……なんでもない。あごを殴られたせいか、少し記憶に混乱があるらしい」

「大丈夫ですの?」

 ソフィアが背伸びをし、顔を近づけてくる。避ける間も無く、彼女の額がルークの額へと触れた。ひんやりとした感触が額越しに伝わる。

「いや、熱はないんだが」

「自覚症状がないだけかもしれませんの」

 数秒の間、じっと額を寄せ合う二人。やがてソフィアは離れ、

「熱はなさそうですの」

「そいつは良かった」

 肩を竦めると、ソフィアの頬がほんのわずかに上がった。

「でも暖かったですの」

 でもの意味はわからなかったが、心なしか上機嫌なソフィアに「よかったな」と応えてやった。

 さて、とルークは逸れかけた話を元に戻す。

 宝物庫を探そうかというソフィアの提案は正しく、それ自体は間違っていない。だが、最優先に探すべきはそれではなかった。

「探す対象だが、宝物庫は後でいい」

「ではまずなにを」

 首を傾げるソフィアに、ルークは言った。

「ある男の、骸だ」


 彼を見つけるのは容易だった。

 焼け焦げた階段を上った先にある玉座の間。その床に強烈な異臭を放ちながら横たわる焼死体。ルークは傍らに寄り添い、そっと囁いた。

「……モーゼフ」

 彼の本名ではない、その名。しかしルークにとってその名は、間違いなく、家族のそれだった。

「こんな姿になるとはな……」

 全身を火焔に包まれた彼の顔は、あまりに無残なものだった。

 全身が炭のように焼け焦げ、触れた指先から伝わる感触は人間のそれではない。

 皮膚は焼け爛れ、鼻や唇などはもはや原型を留めておらず、死に顔の表情すら読み取れない有り様だった。

 苦悶か、はたまた満足か、彼の死に際の感情すらルークにはわからない。

「……莫迦者め」

 ランスの顔に水滴が落ちた。自らの目から滴るそれを、ルークは拭おうともしなかった。

 ランスが重ねてきた行い。それはルークや魔王、ひいてはこの魔界そのものを破壊しようという企みに他ならなかった。それを許すことは、決して出来ない。

 だが、理解することなら出来たかもしれない。

 十分に言葉を重ね、その選択に至るまでの過程を知ることで、凶行に至ったランスの心を知れたのではないか。

 彼を立ち止まらせることが出来たのではないか。

 そう考えずにはいられなかった。

 後悔と自責が胸中を渦巻き、ルークはしばらくの間身動きが取れなかった。「ルーク様」というソフィアからの声に、ようやく腰を上げる。

 その両腕にはランスの骸がしっかりと抱えられていた。

「お手伝いしますの」

「いい」

 ずしりとした重みが両腕に伝わる。こんな姿になっても、ランスの長身には確かな重さがあった。

「これは俺の役目だ」

 満身創痍の肉体を軋ませ、ルークは歩き出した。左足を引きずりながら、ゆっくりと歩を進ませる。

 父が亡くなったとき、消沈する先王に代わり弔ったのはルークだった。その先王の命を奪った際もまた、幼いイヴに代わり、弔った。

 これで三度目だ、とルークは自嘲げに呟く。

 父を失ったのは。

 抗いようのない虚無感が心身を覆う。それはランスの骸をはるかに上回る質量をもって、ルークの足を重くした。

 ランスを失い、イヴとヒナタも離れていった。王家代々の家財は焼尽し、明日の住処すら失った始末。路頭に迷うとはこのことだ。

 靄がかかったように、視界がぼやける。自らの足が前へ進んでいるのか、確信が持てない。そもそも前へ進む意味があるのか。前とはどこだ。どこへ向かえというのか。

 延々と続く自問の連鎖に絡め取られ、いよいよ足が止まろうとした、そのとき。

 何者かの手が、そっとルークの腰へと回された。

 まるで支えるようなその手の持ち主――ソフィアへと視線を向ける。

 彼女は前を向いたまま、言った。

「これがわたしの役目ですの」

 靄が晴れる。視界は開け、足が前へと進む。

 少し低い場所にあるソフィアの横顔。ルークの口が、彼の意思を介さず動いた。

「抱きしめてもいいか」

 問い掛けにソフィアは少しの間を空け、

「またご冗談ですの?」

「……ああ、そうだな。そうかもしれない」

 密着するソフィアの身体が、ぴくりと反応するのが伝わる。ルークは続けて言う。

「だがこんな冗談を言う相手はソフィア、お前だけだ」

「もうこの城には、ルーク様とわたしの二人しかいませんの」

「そういう意味じゃない。たとえ魔界全土、いや人界全域を見渡しても、俺はお前以外にこんなことを言わない。絶対に」

 ソフィアが押し黙る。焼け落ちた玉座の間に、二人の不規則な足音だけが響く。やがて彼女は口を開いた。

「そうですの」

 ぽつりと漏れ出たようなその声は、ほんの少し弾んで聞こえた。

 それから暫しの間、二人は無言のまま歩を進めた。玉座の間を後にし、階段を降り、そのまま下城する。

 骸をどこに埋葬すべきかという段に至り、判断に窮した。まがりなりにも魔王城を焼き討ちしたランスを、王家の陵墓で先王たちと共に埋葬することは出来ない。なにより、ランス本人がそれを望むとも思えなかった。

 そのとき、ソフィアから一つの場所を提案された。生前、ランスはその場所に足繁く通っていたという。

 その場所――魔王城裏手の森奥に聳える巨樹が、イヴにとっても特別な地であることはルークも知っていた。曰く、亡き母の魂が眠っているのだという。

 そんな場所にランスの遺体を埋葬してよいものか。しかし他にこれといった場所も思い浮かばず、またルークの記憶する限り、二人は良好な関係だったはず。

 思案の末、ルークは提案に乗った。戻ってきたばかりの森へ再び足を入れ、目的である巨樹の前へとたどり着く。

 鍬や鋤といった道具などもちろん持ってきてはおらず、ルークは自らの両手をもってして、穴を掘った。ソフィアからの手伝いの申し出も断り、ひとり黙々と手を動かす。

 雨に濡れた大地は柔らかく、大人ひとりを埋葬するのに十分な深さの穴を掘るのにそこまでの時間は要さなかった。地中深くまで掘る途中に何枚かの爪が剥がれた手は、拳を握ることで隠した。

 穴の中へとランスの骸を安置する。掘り返した土を掛ける瞬間、それまで原型を留めていなかったランスの顔が、生前の状態に戻った……ように見えた。

 土を掛ける。ランスの姿はすぐに見えなくなった。


 墓標もない、かすかに盛り上がった地面を前にルークは片膝をついていた。

 やるべきことはまだ多くある。宝物庫から財産を運び出し、魔王の尻拭いをし、魔王名代としての生活基盤を構築しなくてはならない。

 これまでは先王の意向を重んじ、代々臣下として仕えてくれてきた者たちとも極力縁を絶ってきた。だがもうそれは必要ない。求めればきっと彼らはルークを助けてくれる。今後の生活にはなんの心配もない。

 それはわかっている。わかっていながら、どうしても頭をよぎるのは、数多の後悔だ。

 ランスを失ったこと。イヴ、ヒナタが去ったこと。深傷を負ったこと。一年もの間、異界勇者たちを殺害し続けてきたこと。先王の胸を貫いたこと。

 すべてルークが自らの意思で選択し、決断した行動の蓄積。そのどれか一つでも別の選択肢を採っていれば、いまのこの状況はなかったはず。

 どれほど悔やんでも意味などない。それでも身の内から吹き出す後悔の念は、音のない声として耳をつんざくのだった。

「後悔していますの?」

 背後からの声に振り返る。立ったままこちらを見下ろすソフィアと目が合った。

 彼女の姿に異変はない。その表情からはいつも通り感情が窺えないものの、敵意の類いは皆無だ。

 それでもなお、違和感を覚えた。まるで別人のような雰囲気をまとうその姿に、恐怖とも畏怖ともつかない感情が胸中を渦巻く。

 馬鹿な、とルークは内心で自らを叱咤した。

 目の前にいるのは、つい先刻までこの身を支え歩いてくれたソフィアに他ならない。そんな彼女をどうして畏れるというのか。

「……していないと言えば、嘘になるだろうな」

 震えそうになる唇を固く引き締め、答える。

「もしもやり直せるとしたら、それを望むほどに?」

「なにを言っている……?」

 やり直すとは、これまでルークが重ねてきた数多の選択のことだろうか。しかしそんなことは不可能だ。そんなものは魔術でなく、神の奇跡に等しい。人の域を超えている。

 が、あくまでソフィアは淡々と言う。

「仮定の話として、もしもわたしが、ルーク様の願いを一つ叶えられるとしたなら、なにを望みますの? たとえばその左目や足を治すこと。たとえば城を元通りにすること。たとえばイヴ様たちを連れ戻すこと。たとえばランスを甦らせること。たとえば──過去を変えること」

 淀みなく紡がれるソフィアの言葉の数々。それらは甘言となってルークの心に忍び寄り、絡め取った。

 ルーク自身理解できないことに、もはやソフィアの話を疑うという発想は消えていた。

 望めば、きっと彼女は叶える。まるで自然の摂理のように。

 そうであれば、考えるべきは一つ。

 なにを望むか。

 答えはすぐに浮かんだ。一年前に犯した、先王殺しの罪。それはルークの心に最も深く刻まれた後悔だった。

 もしもあのとき、先王を殺すことなく諌めることができていたなら、きっとこんなことにはなっていない。イヴがあれほど早く即位することもなく、あるいはランスも凶行に走らなかったかもしれない。ヒナタが転移されることもなければ、ルークが数百に上る異界勇者の命を奪うこともなかった。

 すべてが理想的な、ルークにとってこの上なく都合の良い世界が、そこには広がっていることだろう。

 その世界が手に入るのだ。目の前に立つ女にただ一言、それを望むと伝えるだけで。

 なにを迷う必要があるというのか。

「っ……」

 震える唇を開け、ルークは言った。

「――いらない、なにも」

「え?」

 ソフィアが目を丸め、驚きの声を上げる。これほど如実に感情を露わにする彼女を初めて見たかもしれない。

「いま、なんと」

「叶えてもらう望みなどない。怪我も、城もこのままでいい。過去をやり直すなど、してはならない」

「どうして」

 ソフィアが一歩、こちらに踏み出した。ルークは立ち上がり、彼女の肩に手を置く。

「すべては俺が背負うべき後悔だからだ」

 ルークがこれまで積み重ねてきた行動はすべて、自らの意思で選択したものだった。

 錯乱し、衝動的に採った選択もあった。その多くは結果として誤ったものだったろう。

 しかしそれらは、誰に強制されたわけでもなく、ルーク自身が考え、決断し、実行してきたことだ。

 先王の胸を貫いたことも。

 一人目の異界勇者を殺害したことも。

 ヒナタを監禁したことも。

 イヴの出奔を認めたことも。

 すべてはルーク自身の選択に他ならない。

 ならばそれに伴う後悔もまたルークの責任だろう。

「この後悔を手放したら、俺は自分を許せなくなる。そうなるくらいなら、後悔に苦しむほうがずっといい」

 あるいはいつの日か、この選択もまた後悔するのかもしれない。後悔の念に潰れる日が来るかもしれない。

 それでも、少なくともいまこの瞬間は正しい選択をしたと信じたかった。

 ルークの瞳をじっと見つめてくるソフィア。やがて彼女は呟くように「そうですの」と言った。

 同時に、ソフィアの身体が小さくなったような、そんな錯覚をルークは覚えた。

 ……いや、違う。もとに戻ったのだ。

 目の前に立っているのは、ルークのよく知るソフィアに他ならない。先刻までまとっていた正体不明の雰囲気は嘘のように消え去り、もはや形跡すら見つけられない。

 まるで最初からそんなものなかったかのように。

「……ソフィア?」

「はい」

 呼べば、ソフィアはいつも通りの無表情で応じる。当たり前だ。彼女はそこにいるのだから。

「いや、なんでもない。そろそろ行こう」

 左足を引きずり歩き出すと、ソフィアはなにも言わずルークの半身を支えてくれる。その手から伝わるひんやりとした感触が、どんな願いよりも価値があるように思えた。

「ソフィア」

 もう一度その名を口にすると、彼女は同じように応えた。

「はい」

「これからも、よろしく頼む」

「それがルーク様のお望みであれば」

 ソフィアの足が止まる。彼女はルークに向き直り、深々と頭を下げた。

「こちらこそ、末永くよろしくお願いしますの」

 そう言って再びこちらを向いたソフィアの顔には、小さな笑みが浮かんでいた。

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