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「馬鹿な……」
記憶の石に映し出される、音のない光景。それは紛れもなくあの日、玉座の間で起こった出来事そのものだった。
いったいだれが、どうやって仕掛けたのか。考えるまでもない。ルークが宝物庫をわずかな時間探しただけで二つ見つけられたのだ。記憶の石は三個、あるいはそれ以上存在するのだろう。
そして先王の生前、宝物庫への入室を許されていたのはルークとランスの二人だけだ。
「ルーク」
魔王の声にはっと我に返る。そうだ。いまは、記憶の石の出所などどうでもいい。
「ちがう……違うんだイヴ」
「なにが? なにが違うっていうの? そこに映っているのはルークとお父様じゃないの!?」
「ッ……たしかにこれは、俺と先王陛下だ。それは認める」
「なにも違わないじゃない!」
魔動甲冑が襲いかかってくる。その攻撃を躱しながら、声を張り上げた。
「聞いてくれ! たしかに俺は先王陛下を……この手にかけた。だがそれは……っ」
「……なに? なんなの。お父様を殺していい理由ってなに!?」
「それは……ッ!」
言えない。言えるはずがない。父親が自らを殺めてでも生き永らえようとした事実を魔王に説明するなど、ありえない。
「……ルークはいつもそう」
魔王の呟きが胸に刺さった。
「いつも隠し事ばかり。あたしに本当のことなんて、一度も言ったことない」
「そんなことはない」
「嘘よ。ヒナタと初めて会った日、あたしが訊いたこと憶えている? もうあたしに秘密にしてることはない、もうあたしに隠し事はしない、そう訊いたの」
その記憶はルークにもあった。魔王が見せた度量に感動したことを憶えている。そして問いに対して自らがなんと答えたかも。
「ルークはそれに頷いた! あれも嘘だった!」
魔王の激昂に呼応し、頭上から三体の魔動甲冑が降ってきた。それらを躱すと同時に槍を薙ぎ払う。三体の魔動甲冑の頭が斬り落とされた。
が、魔動甲冑たちは止まらない。頭部を失ったままこちらに向かってくるその四肢を斬り飛ばし、ようやく彼らは停止した。
魔王に操られる魔動甲冑、その中身は空洞だ。首を落とそうと、胴を槍で貫こうと、動き続ける。そのため彼らを行動停止に追い込むためには、その四肢を破壊しなくてはならない。
背後から六体の魔動甲冑が隊列を組み、襲いかかってきた。空中に跳ぶことで躱し、同時に槍を振るう。
袈裟懸けに両断され、魔動甲冑の上半身が吹き飛んだ。
それでも彼らは止まらない。下半身だけとなってなお、ルークへと突撃してくる。
距離を取るため地面を蹴ろうとした瞬間、足首を激痛が走った。
地面に横たわる魔動甲冑の上半身。その手がルークの左足首を掴み、握り潰していた。
「ちぃ……!」
足首を掴む手に槍を突き立て、拘束から逃れる。その間にも下半身だけとなった魔動甲冑たちが迫っていた。右足だけで地面を蹴り、距離を取る。
飛び退った先にも、複数体の魔動甲冑が待ち構えていた。着地の間際、襲いかかってくる彼らを薙ぎ払う。
兎にも角にも数が多すぎる。
これが人間の雑兵相手ならば、あるいはルーク自身が万全の状態であれば、殲滅も容易かったろう。しかし魔力の大半を使い果たし、潰された左目をはじめ満身創痍のこの状況下において、それは困難だ。
それにしても、と思う。
これほどの数の魔動甲冑を同時に操りながら、各個体それぞれに別動作をさせるなど、その難易度は上級魔術に値する。
ルークの知る魔王には、とても可能な芸当ではない。
いつの間にこれほどの成長を遂げたのか、と目を瞠らざるをえない。
片足を潰され、機動力は失った。回復に費す魔力も残っておらず、ルークは足を止め、四方から襲いかかってくる魔動甲冑をひたすら薙ぎ払うよりなかった。
斬っても斬っても次々と湧いてくる魔動甲冑たち。各個体の外見がほぼ同一ということもあって、この時間が無限に続くのではないかという錯覚すらよぎる。
もちろん、そんなことはありえない。多いといってもたかが百体程度、斬り続ければいつかは全滅する。しかしその体力が、いまのルークにはない。
ならば残された選択肢は一つ。
術者本人を抑えるしかない。
周囲の魔動甲冑たちに槍を振るいながら、目線をほんの一瞬、その先へと向ける。
現在、魔動甲冑は二つの集団に分けられていた。ルークを囲み、波状攻撃を仕掛けてきている集団がおそよ八十体。そしてルークから距離を取り、一箇所に固まっている集団がおよそ十体。
十体の魔動甲冑に隠れ、姿こそ見えないものの、あの安全圏に魔王はいる。
まるでショーギの王だな、とルークは内心で苦笑した。
指揮官は前線に立つべきではない。後方に陣を取り、戦況把握に努めることが定石だ。そうした意味では魔王の判断は正しく、ルークが同じ立場でもうそうしただろう。
しかしだからこそ、乱戦下においてもその居場所がわかってしまう。
「ッ……おおぉ!」
周囲全方向に槍を一閃。それによって生まれた一瞬の隙に、ランスは跳んだ。自らを取り囲む魔動甲冑たちの頭部を足場に、一団から抜け出す。
左足首が完全に壊れることも厭わず、魔王の陣へと駆けた。
魔王に危害は加えられない。絶対にできない。文字通り、たとえ死んでも。
そのためルークに取れる対抗手段は、魔王を抑え込むことくらいのもの。はたしてそんなことで、いまの魔王を止めることができるのか。
答えの見えないまま、魔王を囲む魔動甲冑たちを薙ぎ払った。
囲いが崩壊し、そこに鎮座する『王』の姿が露わに――ならない。
そこに魔王はいなかった。
「ッ……!?」
予期せぬ事態に思考が一瞬、停止する。
魔王がいない。そんな馬鹿な。どうして。
たしかに魔動甲冑に囲まれていた間、ルークは魔王から目を離していた。その隙に移動すること自体は可能だっただろう。
だが移動したとして、いったいどこに? さらに距離を取り、安全圏から魔動甲冑を操作しているのだろうか。
思考に足が絡まり、止まったのはほんの一瞬だ。しかしその間に魔動甲冑たちはルークに追いつき、背後から襲い掛かろうとしていた。
「っ……失せろ!」
動揺の残るなか、先陣を切って向かってきた魔動甲冑の膝から下を斬り飛ばす。地面との接点を失いながらも、疾走の勢いにより魔動甲冑の上半身だけがルーク目掛けて宙を舞った。
不用意な斬撃を放ってしまったことに、ほんのわずか後悔がよぎった、その瞬間。
目前へと迫った魔動甲冑が爆ぜた。
「ッ!?」
爆ぜたのは魔動甲冑の胴体部だ。まるで内部の空洞から強い力を加えられたように破片が飛び散り、その一部はルークへと突き刺さった。
ルークは反応できない。
己を襲う破片に、ではない。
爆発により露わとなった魔動甲冑の胴体部。そこに魔王の小さな姿があることに、彼は完全に虚を衝かれていた。
崩れ落ちる魔動甲冑の胴から、魔王が跳んだ。
魔王の両手がルークの首に掛かる。足に力が入らず、飛び掛かられた勢いそのままに、仰向けにルークは倒れていく。
――ああ、そうか。
回る視界のなか、ルークは全てを悟った。
魔王はとっくにルークの手から離れていたのだ。
彼を倒すため魔王が取った策。
手傷を負ったところを襲う。
数をもって取り囲む。
相手の不意をつく。
それらはすべて、ルーク自身が魔王に教えたことだ。
ルークという強敵を前に彼女は、持てる全ての策を弄し、自ら前線に立ってまで、勝利を求め、そして掴んだ。
もはや彼女はショーギの『王』ではない。
だれかに守られるだけの、お飾りの君主ではない。
確固たる意思とそれを実現するだけの力を有した王だ。
そんな彼女に、ルークという枷はもう必要ない。
背中から地面に勢いよく倒れ込んだ。四肢を他の魔動甲冑に取り押さえられ、完全に身動きを封じられる。
「終わりよ、ルーク」
魔王の悲しげな視線が降り注ぐ。言葉とは裏腹に、ルークの首を掴むその手に力は込められていない。
「教えなさい。どうしてお父様を殺したの? ヒナタを傷つけたの? あなたは……なにを考えているの?」
王の命に背く理由などあるはずがない。
そうしてルークはすべてを明かした。
病に冒された先王が口走った、真偽すらわからぬ妄言。
その暴挙を阻むため、先王の命を奪ったこと。
部屋を訪ねてきたヒナタと、魔王を人界へ連れ出すか否かで対立し、戦闘へ至った経緯。
魔界の破壊を目論み、これまで異界勇者を召喚し続けていたモーゼフの正体。
長きに渡るルークの説明も尽きた頃、魔王が口を開いた。
「……言い分は以上かしら?」
「ああ」
砕けた口調は、イヴが魔王として即位する以前に使っていたもの。
説明に嘘偽りはなく、ルークは真実を洗いざらい明かした。
しかしそれはルークにとっての真実でしかなく、魔王にとっての真実たり得るかどうかは、また別の話だ。
「……そう」
首元から魔王の手が離れる。同時に魔動甲冑による拘束も解かれた。
「信じてくれるのか?」
「わからない。ルークの言葉が本当なのか。本当だったとして許していいのか。いまのあたしには、わからないの」
魔王は立ち上がり、ルークに背を向けた。小さなその肩が揺れる。
「だけど、もう昨日までの日々には戻れない。それはわかるの。もうルークと一緒に暮らすことはできない」
「暮らす城も燃えたしな」
「そうね」
魔王が振り返った。頬の濡れたその顔に、小さな笑みが浮かんでいる。
降り注いでいた雨は、いつの間にか上がっていた。雨雲の抜けた空はうっすらと白み始め、地平線の彼方から差す陽光に照らされている。
「あたし、魔界を出るわ」
陽光を背に、魔王が言った。その瞳には、揺るがぬ決意が映り込んでいる。
「ヒナタと一緒に人界を、広い世界を見て学んで、そして戻ってくる。それまで魔界はルーク、あなたに任せるわ」
「俺でいいのか? その言葉も信じられないのに?」
「たとえルークの言葉が嘘だったとしたら、お父様を殺した理由は王の座を奪うためでしょう? それなら、この提案は本望のはず。どちらにせよ魔界を一時的に預ける相手として、ルーク以上の適任はいないもの」
舌を巻いた。いま魔王の胸中はいくつもの感情が渦巻き、頭の中は混乱の極地のはず。その状況下においてなお、彼女は冷静さを失っていない。
まさしく王たる器だ。
ゆっくりと身を起こし、魔王の前に跪く。
「不詳ながらその任、謹んでお受けいたします。陛下がお戻りになるその日まで、身命を賭して魔界をお守りいたしましょう」
「その言葉、信じたわ」
そう告げ、魔王は背を向け歩き出した。ヒナタを抱えた魔動甲冑だけがそれに続く。一体のみを従者代わりに連れていくのだろう。
「人界へはどうやって?」
「領民から船を借りるわ。集落に行けば手に入るでしょう」
近海での漁を目的とした小型の船であれば、たしかに集落に何隻かある。寝巻き姿の魔王の着替えや、路銀に食料も手に入るだろう。
「領民からの略奪は暴君の所業です」
「もちろん対価は支払うわよ」
「それは誰が」
「ルークに決まってるじゃない」
だと思った。
幸いなことに宝物庫は地下にある。たとえ魔王城が焼け落ちたとしても、その残骸を攫えば、多少の現金や宝石など金目の物は手に入るだろう。領民たちへの謝礼は、そこから捻出するよりない。
「集落に着いたら、アルフレッドを訪ねるとよいでしょう」
もちろん事前に話など通してはいない。だが彼なら、きっと力になってくれる。不思議といまは、素直にそう思えた。
「そうするわ。ところでルーク、大事なことを忘れていない?」
「はて。なんのことでしょう」
とぼけてみせると、魔王は素知らぬ顔で言う。
「あたしはどうやって『間の海峡』を渡ればいいのかしら?」
苦笑した。こちらの胸中まで含め、何から何まで彼女はお見通しだ
懐から魔石――転移結晶を取り出す。『間の海峡』を発生させ、人界の侵攻からこれまで魔界を護ってきた力。
しかし、その力を必要とする根拠もいまや崩れ去った。
いま確かなことは、この魔石が魔王の行く手を阻む壁となっているという事実。
であればルークが取るべき行動は一つだ。
転移結晶を掴む手に力を込める。
パキン、という嘘のように軽い音を立て、魔石は砕け散った。
風が頬を撫でる。そよ風のように優しいそれはルークの周囲を駆け巡り、すぐに空へと溶けていった。
あるいは転移の間に残された転移結晶がすでに燃え尽きている可能性もあるが、これで間違いなく、『間の海峡』は消失したはずだ。
「道中、どうぞお気をつけて」
「ええ。ルークも、風邪ひかないようにね」
魔王の背が遠ざかっていく。小さな、しかし確かな強さを秘めたその背中を、ルークはその場からじっと見守っていた。
永い夜が明けるそのときまで。




