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ヒナタの身体から力が抜けたことを確認し、ルークは腕を離した。
「はあっ……!」
肩を揺らし、大きく息を吐く。両腕が鉛のように重く、動かすだけで苦痛だったが、悠長に休んではいられない。
左胸に突き刺さった剣の柄を握り締める。激痛が全身を駆け巡った。
剣は心臓には触れていない。体内における位置を無理やり動かした心臓はいま、右胸にあった。
魔力による肉体変容の応用――とはいえ実行したのはこれが初めてで、この状態をいつまで維持していられるかも未知数だった。
「ごふっ」
再びの吐血。心臓位置を変えたことに対する拒絶反応だ。右胸から伝わる心音は、生よりもむしろ、刻一刻と近付いてくる死の足音を連想させた。
心臓の位置を戻すためにも、この剣はすぐに抜かなくてはならない。
「ぐ……ァァァ!」
胸部の筋肉の硬直を解き、剣を一息に引き抜いた。
同時に、露わとなる傷口を塞いでいく。切先の抜けた背中側と正面側の傷口。残り乏しい魔力を集中させ、祈るように念じた。
「……はあぁ」
大量出血をするより早く、なんとか傷口は塞がった。胸部を貫いた傷そのものが癒えたわけではないが、ひとまず失血死は回避できた。
引き抜いた剣を放り捨てる。呼吸を整えながら天を仰ぎ見ると、弱い雨が顔を打った。
眼球を潰された左目は、どうやら失明したらしい。全身に散在している打撲、裂傷についてはもはや把握すら出来ない。
だがルークは生きている。生き残ったのだ。
傍らに横たわるヒナタに視線を落とす。この結果は必然のものではなく、ただ賭けに勝ったに過ぎない。
動きを先読みしてなお、ヒナタの動きにはついていけない。ゆえにルークは、真っ向から攻撃を仕掛けてくるよう誘導した。
誘いに乗ったヒナタの一撃は、まさしく神の領域の業。姿が消えたと認識する間すらなく、ルークの胸は貫かれていた。
激痛を知覚した瞬間に筋肉を硬直させて剣を絡み取り、ヒナタの腕を掴む。後はひたすら彼女から手を離さず、絞め落とした。
魔王にとって唯一の友である彼女を殺すことはできない。なによりルーク自身の心がそれを拒んだ。
そもそも、ランスの正体がわかったいま状況は一変している。あるいは短期間においてなら、魔王を人界へ連れ出すことも可能かもしれない。冷静な話し合いの場さえ作れれば、ヒナタとの間にある溝は埋められるはず。そう信じたかった。
不意に視界が揺れる。血を流しすぎた。それまで張り詰めていた警戒心がふっと緩む。
背後に立つ魔動甲冑に気付くのが一瞬遅れたのは、そのためだ。
「――ッ!?」
振り返るより早く魔動甲冑の拳が飛んできた。両腕で防ぐも、その場に踏みとどまれない。吹き飛ぶように地面を転がっていく。
状況が呑み込めない。あの魔動甲冑は間違いなく、魔王城に設置され、魔王の使役のもと労働をさせていたものだ。見間違えるはずがない。
それが何故、ルークに襲い掛かってくるのか。
それが何故、倒れ伏すヒナタを慎重に抱き上げているのか。
それが何故、数十体と現れルークを囲んでいるのか。
「どういうこと?」
疑問の声。それはルークの口から発せられたものでなく、魔動甲冑の一団から聞こえた。視線を向ける。
魔動甲冑の肩に乗り、こちらを真っ直ぐ見つめる魔王と目が合った。
「……イヴ?」
探し求めていたその姿に、歩み寄ろうと足を踏み出す。
「動かないで!」
「っ!?」
上げかけた足が反射的に止まった。
魔王のもとに、ヒナタを抱き上げた魔動甲冑が駆け寄った。魔王は魔動甲冑の肩からゆっくりと降り、動かないヒナタの様子を窺う。脈があることを確認したのか、安堵の表情が浮かんだ。
そうか、とルークは思い至る。いまの状況だけを見れば、ルークがヒナタに危害を加えているようにしか見えまい。状況を説明し、魔王の誤解を解く必要がある。
「……なんで。なんでなのルーク。どうしてこんな……!」
「ちがう。聞いてくれイヴ。もとはと言えばヒナタが突然、俺の部屋を訪ねて――」
「嘘」
魔動甲冑が動いた。ルーク目掛け、四方から魔動甲冑たちの拳が振るわれる。
「嘘じゃない! 俺を信じろ!」
「なにを信じろって言うのよ!」
イヴの叫びが夜の森に響き渡った。
完全に混乱している。言葉だけで落ち着かせるのは難しいかもしれない。
地面に転がる槍を蹴り上げ、右手で掴み取る。眼前に迫る魔動甲冑たちを薙ぎ払った。
日々ルークたちの生活を支えてきた魔動甲冑たちの四肢が砕け散る。
「……っ」
全身を襲う激痛と眩暈に、思わず顔が歪む。魔動甲冑の単体としての力はそこまで脅威でなくとも、いまの状態では長時間の相手は危険だ。
再び魔王に言葉を投げかけようと口を開きかけ、止まる。
彼女の瞳から大粒の涙がこぼれていたからだ。
「イヴ……?」
「もうなにも……だれも信じられない」
「どう、した。なにがあった」
「……これ」
イヴが懐から小さな結晶を取り出す。一目でそれがなにか、ルークは気付いた。
記憶の石だ。
イヴは記憶の石を魔動甲冑に手渡し、ルーク目掛けて放らせた。正確に投擲されたそれを掴み取る。
これにどんな光景が記憶されているか、それはわからない。少なくとも、ヒナタの部屋に設置したものと別物であることは確かだ。
これに魔力を注ぎ、再生することにルークは恐怖を覚えた。理性ではなく、本能が拒もうとしている。動悸が乱れ、呼吸が浅くなった。
その本能を抑え、魔力を注ぐ。
結晶に浮かぶ光景。強烈な既視感に、ルークは心臓を鷲掴みされた。
「ねえ教えてルーク」
絶句するルークに魔王の悲痛な声が被さる。
「どうしてお父様を殺したの?」
おぼつかない足取りで玉座の間を去ろうとする先王。小さく丸まったその背中を、ルークは足音ひとつ立てず追った。
覚悟はすでに決め、やるべきことは明確だ。魔力を練り上げ、眼前に迫った背中に左手を突き立てた。
「……っあがッ!?」
心臓を貫くと同時に、先王の口元を右手で覆う。先王の吐血と、声にならない悲鳴を受け止めるためだ。
左腕を抜き取ると、鮮血が玉座の間に舞った。仰向けに倒れようとする先王の身体を支え、そっと横たわらせる。
「き、さまァ……」
血走った先王の眼がルークを捉える。しかしすぐにそこから光は失われ、彼はぴくりとも動かなくなった。
それからは、とにかく焦燥感に駆られ、行動に移った。
傷口を回復魔術で塞ぐ。左腕の肘まで付着した血液は、胸元のチーフで可能な限り拭き取った。床に撒き散らされた血の全てを拭くことは出来ないと判断し、大声でモーゼフを呼び付けた。
「モーゼフ! 来てくれ! 早く!」
駆けつけたモーゼフに、先王が突然吐血したと説明する。その場で救命措置を施すが、もちろん、先王が息を吹き返すはずもなかった。




