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奇妙な違和感を陽葵は覚えていた。
それは、彼女からの攻撃を浴び続けているルークに対してだ。
もはや陽葵はルークを圧倒している。単純な腕力は劣れど、スピードにおける彼我の差は明らかだ。彼は陽葵の動きを目で追うことすら満足に出来ていない。
「……ふっ!」
フェイントを交えながら距離を詰め、ルークの首筋目掛けて剣を振るう。手加減など皆無の、本気の一撃。
にもかかわらず、それをルークは防いだ。槍の柄によってガードされ、刃が弾かれる。
ならば、と陽葵は弾かれた勢いを利用しその場で反転、ルークの後頭部に斬撃を見舞った。
剣が空を切る。刃が届く寸前、ルークが身を屈めかわしたのだ。
「っ!?」
足元からルークの槍が飛んでくる。その攻撃自体は後方へと跳び、難なくかわした。
まただ、と陽葵は眉をひそめる。
あたしのほうが絶対に迅い。手数ではこちらが圧倒し、ルークは防戦一方で、まれに反撃を受けても容易に対処できる。
だが決定打を与えられない。どれだけフェイントを織り交ぜ、最短距離で剣を振るっても槍で防がれるか、かわされてしまう。
その理由がわからない。
「いい加減にしてっ!」
地面を強く蹴る。向かう先はルークでなく、その横にそびえ立つ大樹だ。
風よりも速く空を翔け、一瞬にして大樹の目前へと迫る。そこから空中で身を翻し、大樹の幹を蹴り、ルークの背後に生える樹へとさらに飛び移った。
再び身を翻し、両足から樹の幹へと着地する。二度の跳躍により五メートルほどの高さまで昇った位置からルークを見下ろすと、彼はこちらの動きに反応すらできず、いまだ無防備にも背中を向けていた。
幹を蹴る。弾丸のような速度をもってして眼下のルーク目掛けて刃を振り下ろした。
頭上という絶対的な死角からの攻撃。陽葵の動きすら追えていないルークに、この一撃を防ぐ術はない。
はずだった。
キンという音が響いた。振り下ろされた陽葵の剣をルークの槍が受け止めた音だ。
「ッ……おおおォ!」
ルークが槍を振るう。宙にあった陽葵の身体は後方へと吹き飛ばされるも、両足から着地した。
「……ああ、もう!」
苛立ちが口をつく。
「鬱陶しいなぁ! なんで? なんで防げるの!? あたしのほうがずっと迅いのに! 強いのに!」
抑えつけてきた感情が爆発していくのを感じつつ、それを抑えることができない。
「もういいでしょ? あたしのほうが強いんだから、さっさと斬られてくださいよ!」
「そうだな」
対照的にあくまで冷静を保つルーク。その振る舞いがさらに陽葵の苛立ちを増長させた。
「俺よりもヒナタ、お前のほうが強い。それは事実だ」
「じゃあなんで!? なんでルークさんはまだ立っているんですか? あたしの攻撃を凌げているんですか!?」
「なんでだろうな。不思議だな」
頭の奥でなにかの切れる音がした。地面を蹴り、弧を描くようにルークへと接近し、剣を振るう。
この世に斬れぬものなどない神速の斬撃。しかしそれもルークの槍に弾かれた。その場でさらに七連撃を放つも、すべてをルークは防いでみせる。
どうして。なんで。ありえない。思考に一瞬の空白が生まれる。
視界の端をルークの槍が走った。下から突き上げる槍先を、後方へ宙返りすることで辛うじてかわす。
追撃が来る、と警戒に身体を強張らせるも、予想に反してルークはその場から動かず、迎撃の体勢を保持していた。
噛み砕かんほどに強く歯ぎしりする。
「なんなんですか、それ。さっきからずっと! 自分からは攻めてこないくせに、どうしてあたしの攻撃は全て防げるんですか」
「どうしてだろうな」
「ふざけてます?」
不意にルークが笑みを浮かべた。自嘲めいたその笑みすらもいまの陽葵には不快に思えてしまう。
「いや、俺も本当にわからなかったんだ。どうしてお前の攻撃に対応できるのか。ひたすら奇跡が続いてるんだと、本気で思った」
こうして言葉を交わしながらも、ルークの視線は陽葵から一切外れない。
「だが違った。これは奇跡なんかじゃあない」
「でしょうね」
もったいぶった言い回しに苛立ちが募る。あるいはこれこそがルークの狙いなのではとも思うが、無視できる情報ではない。
はたしてルークは言った。
「これは、ただの読みだ」
「はい?」
「目線の位置、重心のかけ方、剣を構える角度。それらをもとにお前の動きを読み、先回りすることでなんとか防御できているだけだ」
魔術の類だろうか。しかしそれにしてはおかしい。これまでルークが魔術を発動させてきた際、そこには必ず魔力の気配があったのだが、いまはそれを感じない。
「……あいつらが教えてくれる」
ルークがぽつりと漏らした。
「あいつら?」
「俺がこの手で殺した、三百七十四人の異界勇者たちのことだよ」
「仰ってる意味がわかりませんけど」
「ひたすらあいつらと戦い、そして殺してきた経験が俺にお前の動きを教えてくれる。酷い話だろう? 殺してなお、俺はあいつらを利用してるわけだ」
ルークが自嘲を深める。もはや自嘲を通り越して自虐的にすら見えた。
つまりルークの先読みとは、魔術的な能力でもなんでもなく、経験に裏打ちされた、いわばただの勘なのだろう。
だからこそ、それは陽葵に模倣できない技術でもある。
「そうですか」
動きを読まれる以上、フェイントや小手先の策は無意味だ。読まれてなおルークが反応できないほどの超神速をもってして彼を斬るほかない。
すぅ、と息を深く吸い込む。剣を正眼に構え、目線は真っ直ぐルークへと向ける。狙いは心臓。攻撃は突きがいい。最短距離をたどり、彼の身体を貫ける。
「でもそんなすごいことが出来るなら、どうしてさっきは使わなかったんです?」
「使わなかったんじゃない。使えなかったんだ。お前を格上と認め、守勢に徹したからこそ得られた。だから俺はお前から一瞬たりとも目が離せない」
「照れるじゃないですか」
言葉を交わしながら、魔力を両足に集中させる。より正確には足の裏だ。こんな魔力のコントロールなど、昨日まではまず出来なかった。
「最期に一つ教えてあげます。たぶんルークさんは、これまで何百という異界勇者を殺してきたことに、多少の罪悪感を抱いているんでしょうけど」
「そんなものは」
「――抱いているんでしょうけど、たぶん気にしなくていいですよ。他の異界勇者たちもきっと、以前のあたしと同じように本能的に死にたいと思っていたはずですから。ルークさんがやったことは、飛び降り自殺をしようとする人間の背中をちょっと押したようなものです」
「それは十分罪悪感を抱くべき所業だろう」
ルークの表情がほんのわずかに緩んだ。同時に陽葵も微笑む。
恨みはない。親愛の情すらあるだろう。殺したいなどと思うはずもない。
それでも陽葵はルークを殺す。彼の心臓に刃を突き立てる。
なによりも大切な人の夢を叶えるために。
「さようならルークさん」
地面を蹴る。全魔力を込めた脚力に地面が爆ぜた。
音を超えた世界。周囲の光景は実体を失い、一瞬の間すらなく流れ去っていく。
その勢いのまま真っ直ぐ剣を突き出した。
人の限界を超えた神の領域。回避も防御も不可能なその一撃は、ルークの左胸をいとも容易く貫いた。
鍔元まで剣が突き刺さり、激痛に歪むルークの表情が眼前に広がる。
「ごふっ……!」
ルークの吐血が顔に降り掛かった。彼の手から槍が滑り落ちる。
「イヴちゃんはあたしが守ります。この命に代えても」
別れの言葉を告げ、突き刺さった剣を抜こうとして、気付く。
剣が動かない。
「ッ……!?」
慌てて剣から手を離し、距離を取るため後退――できない。
剣から離れたその右手を、ルークの左手が掴んだのだ。
手首から激痛が走る。骨を折られたことが直感でわかった。
空いた左手を握り締め、ルークの顔面へと振るう。拳が当たる寸前、ルークに手を強く引かれ、つんのめる形でバランスを失う。
気付いたときには地面に手をついていた。これくらいで転ぶなど、いまの陽葵ならありえない。足だ、足がおかしい。足に力が入らない。
直前に放った突きの反動だと思い至ったときには、すでにルークに背後を取られていた。
「がっ……!?」
首に回されたルークの腕が万力のように締め上げてくる。完全に頸動脈を抑えた絞めに、酸素供給を絶たれた脳がパニックを起こす。
骨折の痛みも忘れ、両手を振り回す。腕は緩まない。
締め上げる腕に爪を立て、肉を抉る。腕は緩まない。
左手を背後へと回す。ルークの顔らしきものがあったので引っ掻く。親指が、なにか柔らかなものに触れた。迷わず押し込む。眼球を潰した生暖かい感触が伝わってきた。
それでもルークの腕はぴくりとも動かない。
「っ……」
視界が狭まる。音が遠ざかり、自分の心音だけがうるさいほどに響いた。
どうして。疑問符だけが酸素の代わりに脳内を駆け巡る。
陽葵の剣はルークの左胸を貫いた。肉を穿ち、骨を断った感触が確かにあった。それなのにどうして彼は生きている。どうして反撃できている。
死ぬ。かつてあれほど望んでいたはずの死が、すぐそこまで迫っている。
――いやだ! 死にたくない。死にたくない! 死にたくない!!
彼女とこれから先も一緒に生きていたい!
生きて……いたかった。
意識が落ちる。
その間際、ひとりの少女の顔が脳裏をよぎった。




