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異界勇者の魔力の消失。それをランス・フローレンゲンは神殿の談話室で感知した。
痛みが胸を走り、彼の表情に陰を差す。何度となく経験した痛みだが、一向に慣れてはこない。
「異界勇者が……亡くなりました」
「ん? そうか、それは残念だ」
対面に座る先輩神官――エギルはランスの顔を一瞥した後、手にした杯を一息に飲み干した。
「……なにを飲んでるのですか」
「決まってるだろう、神の血だ。これでも俺は敬虔深い神官だからな。蒸留酒はたまにしか飲まんよ」
「……まだ職務中のはずですが、なぜ葡萄酒を飲んでるのですか」
「ほう」
エギルは杯を置くと、挑発げな笑みを浮かべ、言った。
「逆に訊くが、職務中に酒を飲んではならないという決まりがあるのか?」
「あります」
「あるのか」
あからさまに驚きの表情を浮かべるエギル。彼は無言で杯をランスの前に置き、葡萄酒を注いだ。
「なんのつもりですか」
「ほら飲め。決まりなんてものはな、破るためにあるのさ」
まったく理解できない方便に呆れながら、ランスはふと切り出した。
「……こんなことに意味はあるのでしょうか」
「こんなこと、とは?」
「異界勇者を召喚し、魔界へと転移させるこの行為です」
召喚の際、異界勇者は固有の武器と魔力を付与される。彼らの超常たる力の源だが、それでも魔王には到底及ばない。
これまで召喚した異界勇者の全員が、その日のうちに魔力を消失――死亡してきた。この任務が開始されてから今日まで、数多の命が散っている。
「まあ、そうだな。お前の言うことにも一理ある」
エギルは訳知り顔で頷き、
「正直しんどいよな。一日に召喚できる勇者は一人まで、召喚担当は持ち回り制とはいえ、召喚魔術を発動すれば二、三日は疲れてろくに動けない」
「そんなことを言ってるわけでは……!」
「だがこの任務は陛下きっての勅命だ。だれも異なんか唱えられねぇよ」
ランスは唇を噛み締める。たしかに現国王ゲイル七世はこの任務にひどく執心し、その強権をもって推し進めていた。国王のもと魔術の研究を進める職位である『神官』も所詮はただの役人に過ぎず、国王の命は絶対だ。
「だから陛下は神官を厚遇してくれている。俺たちがこうして仕事中に酒を飲んでいられるのも、そのおかげってわけだ」
「飲んでいるのは貴方だけですが」
「まぁいいじゃねえか。異界勇者はその特性から、決して死を恐れない。我が身を顧みず、勇ましくも魔王に立ち向かってくれるんだからよ」
そう笑い、エギルは千鳥足で談話室を後にした。葡萄酒の瓶をしっかり手にしていたので、自室でまた飲み直すのだろう。
ひとり残され、ランスは杯に注がれた葡萄酒をじっと見つめる。
神学校を卒業して三年、まだまだ威厳も貫禄もない若造が映り込んでいる。ランスのこの悩みは、ただの若さからくるものなのか。
そうかもしれない。それでも、どうしても納得できなかった。
理不尽極まりないこの状況を変えなくてはならない。
決意を込め、杯の中身をのどに流し込む。
盛大に咽せ返った。