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戦況は芳しくなかった。
ヒナタの斬撃が飛ぶ。槍で受ける。斬撃が飛ぶ。受ける。また飛ぶ。また受ける。さらに飛ぶ。さらに受ける……。
わずか一瞬の間に二十七連撃を叩き込んだ後、ヒナタは後退し、距離を取った。反撃のためルークが距離を詰めようとしても、疾さではヒナタに分があり、届かない。そして再び、牽制を交えつつ距離を詰め、斬撃を放つヒナタ。
延々と繰り返されるこの攻防、圧倒的に不利なのはルークだ。
防戦一方というわけではない。ヒナタの連撃に対して、反撃を加える場面もあった。
しかし手数の差は明らかであり、なにより攻防を繰り返すたびに反撃する場面が減ってきていた。
「っ!?」
ヒナタの剣先がルークの上まぶたを掠った。眼球こそ無事だが、おびただしい出血に視界の半分が朱に染まる。
「おおおっ!」
槍を回転させ、柄による殴打をヒナタの肩目掛けて放つ。これまでの経験から命中を確信したその反撃を、しかしヒナタは躱した。離れ際、ヒナタが放った下段蹴りを膝に受け、ルークの顔が苦痛に歪む。
――疾くなっている。
闘いはじめた当初と比べて確実に、格段に、ヒナタの疾さは上がっていた。
これでもまだ、彼女の強さは発展途上ということであり、もはや恐ろしさすら覚えた。
傷を負ったまぶたから熱を伴った痛みが走る。回復魔術を施せば傷を癒すことは容易いが、そんな隙を与えてはくれないだろう。
現状、ほぼ全ての魔力を身体能力並びに動体視力の強化に費やしている。そこまでして、ヒナタの動きに付いていくのがやっと、という状態だ。回復魔術も、大規模な攻撃魔術も発動できない。
せめて視界だけは確保しようと、傷口を塞ぐ魔術を発動。ほんの一瞬、身体強化の魔力が弱まる。
その一瞬をヒナタは見逃さなかった。
彼女の姿が視界から消える。即座に魔術を停止、動体視力を強化するが、それでもなおヒナタの姿を捉えきれない。
上空を影が走った。
「――っ!?」
反射的に頭を逸らすことができたのは奇跡と呼んでもいい。
神速の疾さでルークの頭上高くに跳んだヒナタは、彼目掛けて剣を投げ下ろした。
その刃はルークの右肩深くに突き刺さり、彼の顔を激痛に歪ませる。
唯一の武器である剣を投げるという奇襲。しかしその代償はあまりに大きい。
ルークは左手に槍を構え、頭上を見据える。そこには無手のまま、ただ地面に落下するばかりのヒナタ。
左手一本であろうと、その無防備な姿を貫くことなど容易い。
そう思った瞬間、空中のヒナタが両手を頭上に掲げた。訝る間もなく、閃光が迸る。
ルークの右肩深くに突き刺さっていた剣が消失し、ヒナタの両手に握られていた。
――この距離で武器召喚!?
「っ……おおおっ!」
驚愕に目を見張りながら、それでも槍を突き上げるルーク。
落下の勢いそのままに剣を振り下ろすヒナタ。
刹那、二人の刃圏が交錯する。
鮮血が舞った。
ぽつぽつと頬を叩く雨粒に、ルークの意識は引き上げられた。
雨粒が目に入る。いつのまにか夜空を覆った雨雲に、月明かりが遮られている。
身動ぎすると、両肩から激痛が走った。その痛みに自らの敗北を知る。
――負けた。
弱者と信じて疑わなかったヒナタに敗れ、そして生かされた。
あごに残る鈍痛。記憶にはないが、おそらくヒナタに殴られたのだろう。
ヒナタはルークを昏倒させ、そこから彼に回復魔術を施した。
斬りつけられた両肩の傷が塞がっている。もちろん断たれた筋肉や骨まで治ったわけではないため激痛は残っているが、こうして意識を取り戻すことができたのは、傷口を塞ぎ、止血がされたからにほかならない。
「……無様だな」
見下していた者に打ち負かされ、あまつさえ命を救われるとは。
これほどの恥辱がほかにあろうか。
「仰るほどではありませんの」
雨粒と一緒に振り掛かった声に、傍らに立つその存在に初めて気が付いた。
「……ひょっとして回復魔術を施してくれたのはお前か、ソフィア」
「いいえ」
即座に否定された。ソフィアにこれほどの回復魔術を施すことができるとも思えないため、驚きはない。
「手をお貸しいたしますの」
「……ああ、頼む」
ソフィアに手を引かれ、起き上る。全身が軋み、痛みが走った。
「大丈夫ですの?」
「見ての通り、まだ生きてる」
引いた手をつないだまま訊ねてきたソフィアに、ルークは苦笑して答えた。
どうしてここにいるのかと一瞬思ったが、あれほどの激しい戦いを繰り広げたのだ、騒音は城内に響いたに違いない。異変に気付き、様子を見に来たのだろう。
すでに休んでいたはずだが、ソフィアはいつもの給仕服姿だ。わざわざ着替えてきたところが彼女らしいとも言えた。
「状況を訊いても?」
「ヒナタが陛下を人界へ連れ出そうとしている。それを阻もうとし、返り討ちにあった」
「そうですの」
「……もう少し驚いてみせたりはしないのか」
「ルーク様を打ち倒せる可能性のある者は、彼女だけですの」
驚いた。ソフィアはヒナタのことを、ルークを倒し得ると評価していたのだ。彼女のことを圧倒的な弱者と見下していたのは自分だけかと、もはや自嘲すら浮かばない。
「それでこれからどうされますの?」
「無論、ヒナタを止める」
正々堂々と立ち合った末に敗れておきながら、それでもルークは諦めていなかった。
魔王を渡すわけにはいかない。
たとえ魔王自身がそれを願っていたとしても。
ヒナタは強い。想像をはるかに超えて強かった。あるいは彼女ひとりならば、人界を相手に立ち回ることもできるかもしれない。
しかしそこにわずかでも危険があれば、魔王を行かせるわけにはいかない。
「俺は城内に戻り、ヒナタを探す」
「わたしも手分けをして探しましょうか?」
「そうだな……」
仮にソフィアがヒナタと遭遇した場合、どうなるか。魔人といえどソフィアは非力だ。いまのヒナタに襲われれば瞬殺を免れないだろう。ヒナタがそんな暴挙に出るとは考えにくいが、城内にいれば戦いに巻き込まれる恐れは十分にある。
彼女が傷つく事態だけは避けねばならない。
「いや、いい。足手まといだ。モーゼフを連れ、城外に避難していろ。万が一、道中ヒナタと遭遇した場合、一切の手出しはするな。あいつなら、無抵抗な者はきっと見逃してくれるはずだ」
「かしこまりました。それにしても……ずいぶんと彼女を信用するんですの」
ソフィアの指摘にルークは一瞬面食らったものの、すぐに合点がいった。
信用。たしかに、そうかもしれない
主張は相容れなくとも、魔王のことを第一に想っているという点においてルークとヒナタは一致している。だからこそ、彼女は不要な暴力を振るわず、そして絶対に魔王を連れ出すことを諦めないと、確信できた。
魔力を両肩の治癒に集中させ、槍を杖代わりにふらふらと覚束ない足取りで中庭から城内に戻る。
異臭が鼻を突いた。城内通路のいたる所に撒かれた油によるものだ。
だれが? なんのために? 疑問が脳裏をよぎる。が、そんなことに頭を悩ませている余裕はなかった。
まとまらない思考を必死に働かせる。
ルークを打ち負かし、ヒナタはどこに行ったのか。
人界へ行くと言っても、ことはそう容易ではない。間の境界がある限り、両界間の渡航は困難であり、それはいまのヒナタとて同じことだ。
ルークを生かした以上、追ってくることは百も承知だろう。悠長に海を渡るとは考えにくい。
念のためヒナタの部屋を確認するが、当然もうそこに二人の姿はなかった。
残された選択肢はひとつだ。
転移の間の扉は閉まっていた。
ヒナタが来てから一度も開けることのなかった扉を開け、ルークは足を踏み入れる。
部屋の中央、転移結晶が埋め込まれた場所に立つ。転移魔術の発動直後であれば、術式が光の残滓として残るが、その形跡はない。
かつてルークが解析したところ、転移魔術にはいくつかの制約がある。
一度に転移できる人数はひとり
発動後は、再発動までに丸一日の時間を要する
これらの制約を考えれば、魔王とヒナタがともに人界へ転移することは不可能だが、その考えを盲信はできない。
転移結晶を創り、転移魔術を構築した者――初代魔王はイヴやルークの先祖だ。たとえば王家の血を引く者は制約の対象とならない、という例外があるかもしれない。
あるいは異界勇者であるヒナタには、術式を書き換える能力があるのかもしれない。
すべては憶測であり、なんの根拠もない。
しかしそのどれか一つでも正しくて、二人がすでに人界へと転移していたら?
その結果、魔王の身に危機が迫っていたら?
たとえどれほど低い可能性でも摘むしかない。
魔王を守る。一年前から今日まで、そのためだけにルークは生きてきた。
我が身を犠牲にしても。
それ以外の全てを犠牲にしても。
一切の迷いなくルークは術式に魔力を注いだ。
床に埋め込まれた転移結晶が呼応し、眩い輝きを放つ。
ルークを中心に円状の魔術式が光となって展開された直後、視界が暗転した。
視界が晴れる。
そこは狭い部屋だった。
質素な部屋だ。家具と呼べるものはベッドと小さな書棚、床一面に敷かれた絨毯とその上に置かれたテーブルと椅子程度。
足元に広がる術式の残滓は、転移魔術の成功を示している。
人界の神殿とはかくも慎ましやかなのかと、ルークは思った。
思い込もうとした。
が、そうではない。
目の前の光景。そこは何度となく訪れたことのあるモーゼフの私室にほかならなかった。
「馬鹿な……」
呟きが誰もいない部屋に響いた。




