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指導者が変われば国とはこれほど変わるものなのか。
変わりゆく周囲の環境に、ランスはそう思わずにはいられなかった。
先王の崩御により、その弟君が即位したのがひと月前。
たったひと月の間に、国はめまぐるしく変化していた。
税制の見直し、市場の開放、王室儀礼の簡素化と、それら変革の多くは国民の生活を直接的に豊かにするもので、大きな反対もなかった。
エギルが危惧していた神官の待遇見直しも、少なくともまだ行われていない。
安堵するエギルを尻目に、ランスは打ちひしがれていた。
異界勇者による魔王討滅任務の凍結。
新国王が下したその決断は、決して看過できるものではなかった。
転移結晶を地中深くに埋め、『間の海峡』を維持したまま、魔界からの転移を防ぐ。それが新国王の考えた策だという。
それは同時に、魔界にひとり取り残された彼女――異界勇者を見捨てることを意味していた。
彼女はまだ生きている。この世界で唯一、召喚主であるランスだけが、そのことを感覚として理解しているのだ。
ひと月もの間、魔界に潜伏し続けているとは考えにくい。あるいは魔王の手のもと、幽閉されているのかもしれない。
これまで即日で異界勇者を殺めてきた魔王が、今回に限ってどうしてそんな手段に出たのかはわからない。知る必要もない。
ランスの願いはただ一つ。
彼女を救い出す。それだけだった。
だからこそ新国王の決断にも異を唱えた。説き伏せてくる同僚の声も振り払い、上役に何度となく意見具申を試みた。
転移結晶を埋めてしまえば、万が一異界勇者が帰還を試みても叶わない。絶対にすべきではない、と。
これまで築き上げてきた信頼、神殿内における居場所を失ってなお、ランスは声を上げ続けた。
そんなある日、王宮から召喚命令が下った。
神官の職を追われることを覚悟し王宮に参上したランスが通されたのは、国王との謁見に使われる玉座の間だった。目の前には、玉座につく壮年の男。
これは夢だ。そうでなければ、ランスごとき下級役人ごときに、新国王との謁見が叶うはずがない。
「お主か、わしに反抗しているという神官は」
男の声は低く、まるで玉座の間の空気そのものが震えたような感覚に陥った。
声量や声質の問題ではない。
その存在感に、ランスは確信する。
いま目の前にいる人物こそ、この国の新国王に他ならなかった。
「おい返事くらいしたらどうだ」
「はっ……い、いえ! たしかに私がランス・フローレンゲンではありますが、陛下に反抗などという不義は決して」
「む、違うのか。しかしお主、わしの決定に不服なのだろう?」
「不服、という表現は正確ではありませんが……」
「追従はよい。わしはお主の本心が聞きたいのだ。そうでなければこの忙しいときに、わざわざ呼びつけたりせぬわ」
耳を疑った。まさか今日の召喚は、新国王自らが望んだというのか。
ただの一神官であるランスと対面することも厭わない度量。
目の前の男は、紛れもなく王と呼ぶに相応しい器を持っている。
「陛下。無礼を承知で、ご進言申し上げます」
「許す。話せ」
「は。魔界、そして異界勇者に関する陛下のご決断は間違っております」
思いの丈を力強く、しかし冷静に吐き出すランス。
長きに渡るそれを遮ることもなく聞き終えた新国王は、
「……それでお主の主張は終いか?」
「はい」
「ふむ。まず最初に結論から言っておくが、わしの考えに変わりはない。決定通り転移結晶は埋める。異界勇者を救いにはいかん」
「――っ」
全身の血液が上気し、考えるより先に立ち上がり、叫んだ。
「なぜっ!?」
ランスの剣幕に衛兵が動きかける。それを新国王は手で制した。
「その大義がない」
「大義? 彼女を救う以上の大義が要りますか」
あなたならそれが出来るのに! あなたにしか出来ないことなのに!
「ならば逆に問おう」
手を振り熱弁するランスに対して、あくまで新国王は静かに言った。
「そもそもあの島に異界勇者を送り、かの王を殺害せんとする試みの大義とはなんだ」
「それは……っ」
「神官ならば歴史は知っておろう。かの地を統べる王とは、祖先をわしと同じにする、正真正銘の王家だ。かの王は百年ほどの間、じっと島に留まり、一度として弓を引いてきたこともない。それほど従順な王を殺す大義があるのか」
この任務の大義。それはランス自身これまで何度となく考え、苦悩してきたことだった。
しかし王の決定は絶対だ。先王がこの任務に執心する限り、ランスごとき役人はそれに従うほかなかった。
それをいまさらひっくり返すというのか。
「ならば先王はなぜこのような任務を始められたのですかっ? なにか私ごときには想像もつかない深いお考えがきっと――」
「ない」
虚を衝かれるほどにあっさりと新国王は即答した。
「ないのだ、そんなものは。にもかかわらず、どうして先王がこんな任務に固執したか。それはな、やつのちっぽけな虚栄心だ」
「虚栄心?」
「かの王を殺し、領土を取り戻した名君として自らの名を歴史に残したかった。ただその一心でやつはこんな馬鹿げたことを始めよった」
ランスは言葉を失った。
名を残すため?
たかがそんな理由で、数多の異界勇者の命が失われてきただと?
そんなことのせいで、彼女はいまだ囚われているというのか。
「かの地にとって我らは、完全な敵国と認定されていよう。もはや和睦を結ぶことすら容易ではない」
「しかし、先王の命により魔界に送られた異界勇者もまた被害者でしょう! いまだ幽閉されている彼女を救うことこそ大義ではないのですか!?」
「……そうであろうな」
新国王の表情に陰が差した。それから彼が取った行動に、思わずランスは目を瞠った。
「その異界勇者には、そしてお主にも申し訳ないと思う。すまぬ」
深く頭を下げる新国王。ランスごとき下級役人に国王が謝るなど、ありえない。あっていいはずがない。
「わし個人の考えとしては、その娘を助けてやりたいと思う。しかしそれを実現するには、多くの兵を犠牲にする必要がある。両者を天秤にかけ、それでもなお娘を助けることを、わしには選択できん」
「っ……」
転移結晶による術式では、一度に一人しか魔界に送り込めない。しかし異界勇者ですら敵わない魔王を相手に一人乗り込むなど、もはや自殺行為だ。
ならば残された方法はただ一つ。転移結晶を破壊し、大軍をもって魔界に上陸するのみ。それに伴う犠牲は甚大なものとなるだろう。
その犠牲を払えないと、新国王はそう言っているのだ。
ランスは新国王の目を真正面から見据えた。不敬極まりない行為だが、新国王はたしなめることもせず、受け止める。
彼の意志は固く、梃子でも動かないことは明確だった。
ならば、もうこれ以上の問答は無意味だ。
「理解いたしました。度重なる非礼、誠に申し訳ありません」
「よい、下がれ。これからも職務に励めよ」
「は」
恭しく頭を下げ、玉座の間を後にする。
非礼を働いたランスを処分しないのかと疑問に思ったが、もうどうでもいい。
今日、神官としてのランス・フローレンゲンは死んだのだ。
軽蔑する先輩神官の言葉が脳裏をよぎる。
――決まりなんてものはな、破るためにあるのさ。
その夜、転移結晶とともにランスは姿を消した。




