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嘘を吐く者

 ロイル嬢の婚約者になることが正式に決まり、ジョナサンが荒れた。

 お茶会の後にあんな高飛車な女、顔と家柄だけの女と、散々罵っていたが、見下していた兄がその婚約者となり、自分よりも立場が上になることが許せないようだった。

 何度も辞退しろと迫ってきた。両親は弟の機嫌を損ねたくはないものの、侯爵家と縁続きにはなりたいという欲と、ロイル家の怒りを買いたくないという思いで落ち着かないようだった。

 以前は私に一切の関心を払わなかったのに、侯爵令嬢と婚約した途端に機嫌を取ってくるようになった。

 ずっと両親に見てもらいたかったのに、不快感しかない。


「辞退しろと言っているだろう!」


 これまで私の部屋に寄り付きもしなかったのに、毎日毎日、婚約の解消を求めにやって来る。

 既に婚約は結ばれており、婚約を解消するとなれば違約金を払うこととなる。両親は弟に何度も言っているが、それぐらい払えと無茶を言う。

 そんなことをすればロイル家との関係が悪くなる。金銭的な問題だけではない。社交界でも痛くもない腹を探られることだろう。


「……おまえも飽きないな」


 呆れながらそう言って部屋を出る。背後から叫ぶ声と何かが壊れる音がしたが、気にしない。


 婚約を解消して欲しいなら、自慢の頭でそれらしい理由でも捻り出せばいいのに。こうして喚き散らし、物に当たり、使用人に当たっていないで。

 もっとも、いくら良い案が浮かんだとしても、私は婚約を解消するつもりはない。


 弟も分かっているはずだ。そう簡単に解消できないことは。ただただ、気に入らないからとあぁやって子供のように駄々をこねている。あと半年もすれば学院を卒業し、成人となるのだから、いい加減現実を受け入れてしまえば楽になるのに。

 これまでなんでも成功してきた弟には、失敗の経験がない。ままならぬものがあるということを知るには少し遅かったかも知れないが、すべては自分次第だろう。

 弟に情は持ち合わせていないが、人として他者の幸福を願う気持ちぐらいはある。




 ロイル家のタウンハウスにお邪魔する。案内されたサロンでレシュマが来るのを、茶を飲みながら待つ。約束された時間に行っても大体待たされる。

 淑女の身だしなみには時間がかかるのは知っていたが、そんなものかと興味もなかった。だがレシュマが自分と会うために身だしなみを整えてくれているのだと思ったら、嬉しかった。いくらでも待てる気がしている。

 ノックする音がして、扉が開く。入ってきたのはレシュマ。私の女王だ。

 立ち上がり、彼女の前に跪く。

 レシュマが目配せをすると、侍女たちは皆、部屋を出て行った。婚約者とはいえ、お互いに未婚。本来なら許されない。けれどレシュマが望む。屋敷の者は誰も逆らわない。


 両手を広げたレシュマを、立ち上がって抱きしめる。強く抱きしめたいけれど、細い彼女を潰してしまうわけにはいかないし、せっかく整えてきてくれたのだから崩してしまってもいけない。


「お会いしたかった」

「名を呼んで、レシュマと」

「レシュマ。愛しい人」


 愛しい人の名を呼ぶ。


「もっと言って」

「愛しています」

「もう一度」

「愛しています、レシュマ」


 レシュマはこうやって、私に愛の言葉を捧げさせる。己の気が済むまで。何度でも。

 それが嫌じゃないのは、愛する存在がいるということが、単純に嬉しいからだ。

 全身全霊をかけて愛していい存在。


 彼女は身分も美貌も富も、すべて持ち合わせている。それらに群がる男は多かった。多くのものを持つレシュマだが、彼女は自身を心から愛してくれる存在を求めた。それは全てを持っているからこその望みだったのかも知れない。


 知り合って間もないが、私の知る彼女はとても人の機微に聡い。

 多くの者が自分に傅くが、それは侯爵令嬢だから、宰相の娘だから、王妹の娘だから。

 レシュマとして大切にしてくれるのは両親のみ。

 多くの者、贅を尽くした物に囲まれてはいるが、時折孤独を感じるのだと言う。

 その話を聞いて、愛せるかと問われたのが分かった。彼女は愛されたいのだ、私と同じように。


 私は愛が分からない。愛されたことがほんのわずかな期間しかないから。それも昔のことで記憶も朧げだ。そんな私だからあなたの望む愛を捧げられるかは分からないと言ったら、それでもいいから私を愛せとレシュマは言った。全部捧げればいいのだと。

 無茶苦茶だとも思ったが、私の愛を受け入れてくれると言われて嬉しくもあった。

 きっと私の愛は美しくない。不恰好でみっともないに違いない。それでもレシュマなら、受け取ってくれる、そう確信している。


 名残惜しいが、レシュマを抱きしめるのをやめて、カウチに並んで座る。


「愚弟はまだ文句を言っているの?」

「そうですね。まだ飽きてはいないようです」

「私のルパートを困らせるのは許せない」

「大丈夫、困ってはいません。私が屋敷を出れば少しは落ち着くでしょう」


 婚姻は来年。

 短い婚約期間だが、レシュマだけでなく、私も、彼女の父である宰相も望んでいる。

 宰相の職務のために王都を離れることができず、領地にも行けない。代わりの者がいるとはいえ、あまりに任せきりにすれば腐敗を生む──義父となる人物はそう言った。


 カントリーハウスはとても美しいのだとレシュマは言う。私を連れて早くカントリーハウスに帰りたいと。

 侯爵家のカントリーハウスだ。さぞかし立派なことだろう。王都のタウンハウスは狭いとレシュマはこぼす。


「馬がたくさんいるの。ルパートは馬に乗れる?」

「残念ながら」

「じゃあ私が教えてあげる」


 私としたいことがたくさんあるのだと、目を輝かせながら話す彼女を見るのは楽しい。こんなにも胸が躍るのはいつ以来だろう。それぐらい忘れていた。


「ルパート?」


 私の反応が薄かったため、自分の話を聞いていないと思ったようだ。少し不満そうな顔をする。

 そんな表情すら可愛らしい。


「ちゃんと聞いています。あまりにレシュマが可愛いから見惚れていました」


 父である宰相も母である王妹もレシュマを愛している。しかし二人は王都から離れられず、レシュマは幼い頃からカントリーハウスで一人だった。

 他の令嬢に比べれば王都のタウンハウスで過ごした期間は長いだろうが、それでも寂しかったろう。


「今から楽しみです。あなたが過ごしたカントリーハウスに行けることが」

「行くんじゃなくて、私と住むのよ」

「そうですね、レシュマと離れなくて済む」


 私の言葉がお気に召したようで、頰を染め、嬉しそうに微笑む。この姿だけ見れば美しく愛らしい女性と口を揃えて言うだろう。

 けれど皆、彼女を傲慢だ、気難しいという。

 それはきっと、あなたがたがそうだからだ。

 レシュマを侮る態度を取れば、同じようにレシュマも相手を侮る。それだけだ。


 レシュマは私に愛の言葉を囁かないが、声、表情、仕草、その全てで私に好意を示してくれる。

 好きだと表現してくれる。

 愚かで心根の弱い私は、五才も年下の少女が向けてくれる愛情に溺れている。

 出会って、婚約をして、まだ三ヶ月足らずなのに、私は彼女のいない毎日が想像できない。彼女と過ごす未来ならいくらでも考えられるのに。


「ルパート、商会はもう大丈夫なの?」

「えぇ、来週挨拶を済ませたら終わります」


 婚約が決まり、商会を辞めることになると伝えに行ったら、友人は我がことのように喜んでくれた。

 彼は私が家でどんな扱いを受けているか知っていたから、私を商会に受け入れてくれるよう商会長にかけあってくれたのだ。

 せっかく席を用意してくれたのに申し訳ないと謝れば、今度はロイル家として付き合いを始めてくれると嬉しいと言われた。ちゃっかりしたものだ。

 けれどその逞しさが好ましい。


 義両親となる二人とレシュマには、私の置かれた状況を伝えていた。

 私は伯爵家の厄介者だから、婚約をしてもなんのメリットもない。それでもよければ婚約したいと、素直に話した。

 問題ないとの答えをもらい、私とレシュマは婚約した。両親はロイル家を後ろ盾として新しい事業に投資したいようだったが、聞かぬふりをした。

 薄情な私は彼らを親だと思えない。

 私が親だと思えたのは、親であって欲しかったのは、執事長と侍女長の夫婦だけだ。


「私にとって親は彼らだけ。いつか親孝行をしたい」

「執事長も侍女長も、侯爵家に来ればいいわ」

「閣下がお許しくださるならば」

「優秀な人間はいくらいてもいいと思うの。だからお父様はきっとお許しになるわ」


 私が子供の頃から世話になったと話したのもあって、レシュマは彼らに好感を抱いている。


「ありがとうございます、レシュマ。あなたは優しい。私の気持ちを大切にしてくれる」


 伯爵家の長男として生まれながら才能がなく、両親は早々に私を見捨てた。弟が優秀だったことが拍車をかけたようにも思う。

 今更ではあるが、そんな私でも持っていたものはあるのだと思った。

 父、母と慕う執事長と侍女長の存在。友人。美しく優しい婚約者。こんなにもたくさんのものを持っているのに、私の中の小さな私が寂しい、愛して欲しいと泣く。なんて強欲なのだろう。あれも欲しいこれも欲しいと泣くなんて。


「ルパート、辛い気持ちは伝えて」


 己の世界に入り込んでしまった私を、レシュマの声が呼び戻す。


「……多くのものを、自分は持っていたのだと気づいたんです。でも」


 私のものよりも小さく、細い手が私の頰を撫でる。


「ルパートが欲しいものは代わりのきくものじゃないの。だから仕方がないのよ」


 欲しかった。

 両親に愛されたかった。

 才能がなくとも、ほんのわずかでいいから私を見て欲しかった。

 レシュマとの婚約で彼らは私を見るようになった。でも、そうじゃない。それではない。


「なんて煩わしい……自分の弱さが嫌になります」


 己の心なのに、ままならない。


「いいのよ、だから私が付け入る隙があるのだもの」

「付け入るだなんて、そんな」


 ふふふ、と楽しそうにレシュマは笑う。


「私の周りには、富も、美しいものも、なんでもあったわ。離れていて、寂しさはあったけれどお父様もお母様も私を愛してくださる。なんでもいるのよ、嘘を吐く者もたくさん」


 嘘を吐く者。


「ルパート、あなたは初めて会った時から私に嘘を吐かない。嘘を吐かないことは、人が思うより難しいことなの。自分を守るために人は簡単に嘘が吐けるのだから」


 大なり小なり、嘘を吐く者はいる。


「相手に好かれるために嘘を吐く者も、誰かを傷つけるために嘘を吐く者もいるわ」


 確かにそうだと思いながら頷く。


「他の人に嘘を吐いてもいいわ。でも私には駄目よ」

「あなたに嘘は吐きません。そんなことをしてあなたに嫌われたくない」


 嘘を吐いたことがほとんどないのは、嘘を吐いてまで守りたいものが私にないからだ。

 でも、今はある。だからといって私の拙い嘘はすぐにバレてしまうだろう。だから嘘を吐くだけ無駄だ。


 なんて無様なのだろうと思う。

 不器用で、満足に愛を囁くこともできない。

 それなのに、拙い私の愛を、レシュマは喜んでくれる。受け入れてくれる。それがとても嬉しい。


 彼女のそばでなら、息ができる。


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