痴れ者の愛の行方
ロイル侯爵邸に向かう馬車の中で、レシュマは先日の夜会でのことを説明してくれた。
ヘイマーに宝石を融通して欲しくて踊っただけだと。
隣国の賓客が相手でもあるし、頼みごとをしたかったから愛想を振りまいただけで、好きになんてならないと、必死に弁解していた。
イアン公子たちのこともあって態度を改めたらしい。それが裏目に出てしまったと萎縮しているレシュマは、年相応の令嬢で、私よりも五才も下なのだと思い出させる。
「ごめんなさい、ルパート。嫌いにならないで……」
「なるはずがないでしょう」
私は、自分がレシュマにとって用無しになったのだと思った。
愛を捧げる相手は、新しい相手の手を取ったのだと。
「もう愛想笑いはしない」
「さすがにそれは……」
「大切な人にだけする」
「愛想笑いをですか?」
「違うわ! ルパートの意地悪!」
会えなかった間にあったこと、思ったことを話しているうちにロイル邸に到着してしまった。
レシュマは離れたくないと言ったけれど、また来るからと約束をした。
次につながる約束。
安堵と、歓喜と、レシュマへの想いなどが複雑に絡み合って、私の心を満たした。
私の想いは砕けずに済んだが、絶対などはないのだと今回のことで身をもって知った。
彼女の気持ちを信じないということではなく。
自分の、レシュマへの想い。
愛への渇望から始まった私たちの関係は、歪と言えるが、それでいいのだと思う。
私の望むもの、レシュマの望むものが、同じなら。
ジョージ・ヘイマーは夜会後、早々に帰国した。
手ぶらで帰ることになる。あの家では叱責を受けるだろう。
野心家で、その野心に見合うだけの能力も容姿も、地位も財力もある。ひとえに、選んだ相手が悪かった。レシュマでなければ上手くいったことだろう。
レシュマは貴族たちから買い上げたヴァイオレットサファイアで装飾品を作らせては、私に身につけさせる。
私には過ぎたる物なのだが、レシュマが身につけろというので仕方なく。それに、私がレシュマの物だと主張できるのは、純粋に嬉しい。
ストーン公爵家からは正式な謝罪と謝礼がなされ、それはすべて私の個人資産となった。おかげでヒスイとアクアマリンの支払いを済ますことができた。……両親は酷く残念がっていたが。
ジョナサンが家内を完全に掌握しているようで、安心した。
あのような騒ぎを起こしたことを、閣下とグリエルマ様には叱られたが、二人とも本気で怒っているのではないようだった。
レシュマは真剣に謝罪していた。その表情は前より少し大人びていた。
家族の中でどのようなやりとりがあったのかは分からないが、どのような失敗も受け入れてくれるだろう閣下とグリエルマ様の、レシュマへの愛情を感じて私も嬉しくなる。彼女は愛されるべき人だ。
呼び出された王城で、私は第二王子とストーン公爵家のゴードン公子と顔を合わせている。
「直接会って礼をしたかったのでね、このような機会を設けられて感謝している」
招待状は第二王子から。閣下を通して渡された。
ジョージ・ヘイマーの生家がメレディス王家を凌ぐ力をつけてきていることを、王家も懸念していたという。レシュマとの婚姻を望んだのも、その布石である可能性が高かった。
隣国の政争に巻き込まれるわけにはいかない。とはいえ、正式な要請でもって入国したジョージ・ヘイマーを拒絶する理由もない。
「レシュマが狙われることは分かっていた。とは言え、ジョージ・ヘイマーを選ぶことはないと思っていた。……が、手段を選ばずに関係でも持たれたら困る。取り急ぎ誰かと婚約を結ばせようとしたのだが、思った以上に難航した。そこに現れたのがそなただ」
にやりと笑い、紅茶を口に運ぶ殿下を、少し複雑な気持ちで見てしまう。
「悪い意味でなく、そなたは申し分ない。アトリントン家はどこの派閥にも属しておらず、家格は伯爵位。問題も起こさず、国内で力をつけてきているサザートン商会の会長の子息と学院時代に級友であり、現在も懇意にしている。イアン公子の計画についても正しい手順を踏んでくれた」
「その件は本当に感謝している。貴兄の口添えがなければ頭の固い父は己を恥じて爵位を返上したに違いない」
「それは王家として困る。公爵家の弱みは握りたいがね」
茶化した殿下の言葉にゴードン公子が苦笑いする。
「私は、レシュマの身を案じただけですので」
新たな恨みを買いたくなかっただけだ。
私が守れないところで彼女が傷つけられるのが許せなかっただけで。
だが、私が思うよりも彼女は大人なのだと今回のことを通して知った。
「それでいい」
言ってから、言葉足らずだと感じたのか、殿下は話を続ける。
「そなたは正しく要点を押さえている。我らなどは小賢しくも余計な策を捏ねるものだから事態が複雑化する。ストーン公爵のような実直な相手にそのようなことをすれば関係は終わりだというのにね」
「有能さが争いのためだけに使われるのであれば、それは災いの種にしかならぬものだ、アトリントン卿」
ゴードン公子はヘイマーのことを言っているのだろう。
父である公爵よりは濁を受け入れる度量があるように思う。
「それにしても」
殿下はまじまじと私を見つめる。
「あのワガママなだけと思ったレシュマに、男を見る目があったとは」
「昨今は男女共に容色ばかりに目がいっておりましたからね」
これは、お褒めいただいている……のだろう、多分。
「……お褒めの言葉、ありがたく頂戴します」
二人は苦笑する。
「その様子だと先日の夜会がどのように噂されているのか知らぬようだな?」
「噂、ですか?」
「全てを持つ令嬢が求めたのは虚飾ではなく、真実の愛、だそうだ」
真実の愛や運命の愛だなどと、高尚なもののようにいわれるのはどうも落ち着かない。
「風向きが変わってきたんだよ」
ゴードン公子がいうには、これまでは容姿の優れた者が令嬢にもてたと。それは私も知っている。
あの夜会以降、自分だけを愛してくれる人が人気らしい。
……なんだそれは。
「くだらぬとは思うが、才能のある者、気持ち良い気質の者たちが見た目だけで袖にされるのを見てきていたからね、正直良い傾向だと思っている」
「……そういうもの、ですか」
なんとも言えない気持ちでいたら二人に笑われたが、レシュマが悪く言われないのであればいいと思うことにした。
その後は他愛もない話をして、会は終わった。
私とゴードン公子は殿下に礼をし、王城を後にする。
馬車に乗る直前に、ゴードン公子は私に握手を求めた。手袋を外して。
「これからもよろしく頼む」
「こちらこそ」
笑顔で去って行った公子を見送ってから、私も馬車に乗る。行き先はロイル家だ。
ロイル家に到着した私にレシュマが抱きつく。
「レシュマ、淑女がこのようなことをしてはいけません」
「それよりも、お従兄さまたちに虐められたりしていない? 何もされなかった?」
「よくしていただきましたよ」
答えながらレシュマを身体から引き離す。
あの夜会以降、レシュマの甘えは以前よりも増したように思う。
呆れているのか諦めているのか、グリエルマ様はなにも言わない。閣下は父親であるが故の苦悩があるようだ。
あれからもレシュマは言葉で想いを告げてはくれないが、私とレシュマはこれでいいのだと思う。
愛を表現するのはなにも言葉だけではない。言葉なら嘘も可能だ。ただ、言葉には力があると思うのだ。
たったひと言が心を強く揺さぶり、私の人生は変わった。
私は愛するほうが向いているように思う。私はどこまでも愚直に愛を捧げる痴れ者だ。
それでも、レシュマは喜んでくれる。
私の歪んだ愛を欲してくれる。愛を返してくれる。
「レシュマ、私の最愛」
破顔したレシュマは、そっと耳元で言って私から離れる。
「私も」
じんわりと熱を持った耳を、手で押さえる。
熱が逃げぬように。
私の数歩前で立ち止まり、振り返ったレシュマが手を差し出す。
その手を掴む。
「私たちが、運命の恋だの真実の愛だのと呼ばれているのを知っていますか?」
「知っていてよ」
レシュマが悪戯をした子供のように微笑む。
「私が流したのだもの」
予想もつかない言葉に驚いていると、楽しそうにレシュマが笑う。
「運命は与えられるものじゃないわ。自分の手で掴みにいくものよ」
「……驚いた」
「幻滅した?」
少しだけ不安そうな顔をするレシュマの額に口づけを落とす。
「あなたならきっと、運命の女神も振り向かせられますよ、レシュマ」
「違うわ、ルパート。私が振り向かせたいのはいつだってあなたしかいないのよ」
そう言って笑った。
この命尽きるまで、私の全てをあなたに捧げることを誓います。
私の女王。
私の女神。
私の運命──。




