愚かな娘の過ち
レシュマの母 グリエルマ視点です
一人娘のレシュマは不機嫌さを隠しもせず、苛々とした様子でカウチの肘掛けを指先で叩く。
「ルパートが会いに来ない。もう良くなったと聞いたのに」
それはそうだろう。
私が彼の家族なら同じことをする。
娘は気付いていないようだけれど、レシュマが婚約者に送った手紙は全て弟が握り潰しているのだろう。
複雑に見えていた兄弟の関係は、ルパートの寛大さで改善していったのは明らかだった。傷つけられたにも関わらず、弟を慮っていた兄。愚かではないが拗らせていた弟は兄に依存するようになったのだろう。
その大切な兄を傷つける存在を、あの弟は許すまい。あの時の目はそういうものだった。
彼はジョージ・ヘイマーと楽しそうに踊る娘を、酷く傷ついた顔で見ていた。それはとても悲しそうで、見ているこちらの胸が痛むほどだった。
確かにルパートは弟より劣るのかも知れない。けれど誠実で、接するうちに思うのだ。信用に足る、と。信用できる人間のそばは、居心地が良い。
その兄が、話しかけられても上の空になるほどに傷ついた姿を見て、ジョナサンが怒るのは当然だ。
抗議の手紙が翌日に届いたぐらいだ。私も夫も頭が痛くなった。その手紙には間違ったことは何ひとつ書かれていなかった。
王妹と宰相の間に生まれた子ならば、国益を第一に考えるのはおかしなことではない。しかしながら正しい手順は踏んでいただきたいと。
……そう勘違いさせるだけの態度を、レシュマはしていた。
ヘイマーを目で追っていた。疲れたと言って婚約者とのダンスを切り上げておきながら、婚約者以外の男性と楽しげに踊ったのだ。
一目で恋に落ちたと思われてもおかしくない。実際私もルパートもジョナサンも、そう思った。
それなのに、違ったのだということを娘の態度で知った。踊り終えて戻った娘はルパートが体調が悪いから先に帰ったと聞いて青ざめていた。
病気だろうかとずっと口にした。見舞いに行きたいとそればかり。
レシュマはルパートにしか関心がなく、ルパートに会えないと不満を募らせている。
では、あれはなんだったのかという話になる。
「……レシュマ、私は貴女に、己の立場をよく考えて行動しなさいと言いましたね」
不機嫌な顔のまま頷く娘。
自分が何をしたのか分かっていないのだ。
自分がどういう立場なのかも。
その血筋の意味を正しく理解していない。
「誰と婚姻を結ぶことになっても、貴女がロイル家の当主となるのです」
「誰とでもではありません! 私はルパート以外とは婚姻を結ぶ気はないのです!」
「ならばなぜ、あのような態度をしたのです」
責めるような私の言葉に、レシュマの眉間に皺が寄る。
「あの夜の貴女は、どう見てもヘイマー卿に恋に落ちたようにしか見えなかった」
「そんな!! ありえません!」
「貴女が本当はどう思っていたのかなど、他の者には分かりません。どのようなつもりでヘイマー卿に笑顔を向け、婚約者以外と二曲も続けて踊ったのか」
そこにきてようやく、レシュマの顔色が悪くなる。
レシュマがジョージ・ヘイマーに一目惚れしてしまったとなると、面倒なことになる。どうしたものかと考えながら踊る娘を見ていた。
「伯爵家とはいえ、ルパート様は両親から不遇な扱いを受けています。彼から話を聞く前から知っていました。……有名でしたからね」
いけないと思いつつもため息を吐いてしまう。
「アトリントン伯爵夫妻は夜会で弟のジョナサン様のことばかり褒め称えていましたから、後継はジョナサン様だろうと思われていたのです。本人たちがどう思っていたとしてもね。その長男がロイル家の一人娘の婚約者となった。話題になったわ。貴女は社交を嫌がってまともにお茶会も開かないから知らないだろうけれど」
愚かなアトリントン夫妻はきっと、優秀な弟を高く売りつけたかったのだ。長男が跡を継ぐことに疑問など抱いていなかった。優秀でありながら、道具として外に婿として出されることにジョナサンは苛立っていた。
しかし兄は見切りをつけられる前にと己の将来を己で決めてきた。
国内で力をつけてきているサザートン商会で働いていた。平民となっても生きていけるようにと、努力していた。己の立場に固執せず、己が力量に合わせて生きていくことは、人が思うほど簡単なことではない。貴族として傅かれて生きてきたなら尚更。
それが、レシュマに見初められたことで彼の立場は一変した。
嫌味を言う人間は少なくなかったはずだ。弟も当たり散らしたという。弟は己を高く売りつけなくてはいけなかったのにも関わらず、レシュマに傲慢さを突きつけられ、その自尊心を傷つけられた。さぞかしルパートを責め苛んだろう。
それなのに、彼は弟の今後を憂いていた。
ただのお人好しとも違い、冷静に己と弟を見ていた。
娘の相手として相応しいのかを調べさせても、ルパートには何も出てこなかった。埃ひとつ。
彼を知る者は一様に、ずば抜けて優れた人間ではないが、信用に足る人物だと評した。人柄も穏やかで、決して他者を貶めるようなことを言わない。口にしたならそれは事実だった時だと。
有象無象が娘を狙うことは分かっていた。その娘が選んだ相手が悪人でないことが分かって安堵した矢先に、あの企てが発覚した。
大人しいルパートではなにもできないだろうと思っていたが、彼はきちんと己の力量に合わせた行動をした。
頼るべきところに頼り、己がすべきことはした。
サザートン商会長の息子の協力も大きかったし、和解した弟が率先して助けてくれたこともあり、最小限に食い止めることができた。
公爵家との間に溝などできたらタダでは済まない。
分かっていても小手先に走ってしまう我らに、ルパートは正論を説いた。
それが常に正しいわけではないことも分かっている。評価すべきは、あの成功をもってしても、ルパートは己の価値を変えない。
レシュマの婚約者となっても、先日の件についても、ルパートはそれによって増長しなかった。
己の能力を過信する者、周囲を軽んじる者は、優秀であっても恨みを買う。
何もかも持つ者などいない。大事なのは正しく己を理解し、感情を制御できること。完璧でなくてもいい。その努力をすることが大事なのだ。
「自分があの時、どのように見られていたのか、正しく知ってきなさい。その不始末をどうつけるのか、私もお父様も見ていますよ」
「私はルパートしかいりません、ヘイマー卿など!」
「先ほども言ったでしょう。社交界において、真実などどうでもいいのです。貴女がどう見えたか、貴女は常に値踏みされているのです。王妹の娘、宰相の娘、ロイル家の後継者として。多くの者が忖度して動きます。甘い汁を吸うために」
既成事実という言葉があるように、噂を真実にしようとする人間はいる。
傷ついた顔で私を見るが、これは変えようのない事実であり、娘を甘やかしてしまった私たちの責任でもある。
「最愛の人を失いたくないというのなら、自分で証明なさい。貴女のために懸命に行動し、貴女を守った婚約者のために」
たとえ穢れても愛し続けると誓った彼の気持ちに偽りはないだろう。たとえレシュマになにがあっても、ルパートなら愛してくれたはずだ。
けれどそれは、レシュマが彼を必要とし、愛した場合だ。愛しはしないが愛して欲しいなどと望むなら、私たちが全力でもって引き離す。
彼にはそれだけの恩を受けた。
もし理不尽な要求を彼につきつけるなら、娘だとしても許しはしない。
……けれど、もしまだ間に合うならば、娘と彼を添い遂げさせたい。すれ違い、二人の間の溝が深まる前に。




