私の女王
伯爵家の第一子として生まれた私が両親から愛されたのは、弟のジョナサンが生まれ、その利発さが判明するまでの間。
両親はジョナサンを溺愛し、不出来な私に冷たく当たった。それを見た弟も私を見下した。
悔しくて、苦しくて。
両親の笑顔が自分に向けられないことが悲しかった。どれだけ努力しても弟のようにできない自分が嫌でたまらなかった。
不幸中の幸いなのは、侍女長は私の乳母で、彼女とその夫である執事長が私を大切に扱ってくれたことだ。何度この二人の実子であったらと思ったことか。
私を抱きしめてくれたのも、頭を撫でてくれたのも、褒めてくれたのも、両親ではなく彼らだったのだから。
この国の後継者が長子と決められていなくてよかった。次男である弟が家を継げるから。
弟の成人を待ってこの家を出るつもりだ。市井でも生きていけるようにと、乳母に頭を下げて色々と教えてもらった。
平民になるつもりでいた私は、学院では平民と過ごすことのほうが多かった。貴族の友人もいたけれど、数でいえば平民のほうが断然多い。
……弟には、それすら馬鹿にされた。でもそれも家を出て、貴族籍を抜けるまでの辛抱だと自分に言い聞かせた。
侯爵が一人娘のレシュマ・オブ・ロイル嬢の婚約者を探している──その噂はあっという間に社交界に広がった。
父はこの国の宰相を務め、母は王妹。大層美しいが、気位の高さも並ではないと聞いた。
自分には関係のないことだ。いずれ市井に下りる私には。そう思っていた。
その日ロイル嬢の婚約者を決めるお茶会に呼ばれていた弟は、顔を真っ赤にさせて帰って来た。
怒りを抑えきれず、使用人にも酷く当たり散らしていた。
ジョナサンの機嫌の悪さに両親はオロオロと狼狽えるばかりで、家の空気は悪かった。
お茶会について行った者から聞いた話では、ジョナサンはロイル嬢に「つまらぬ男」と言われてしまったそうだ。
どうやらいつものように、いかに自分が優れているかを令嬢に話したらしい。結果が「つまらぬ男」という烙印。
これまでその才能を持て囃されてきた弟は、そのように蔑まれたのは初めてだったのだろう。
怒りたいけれど相手が悪い。必死に我慢して、帰ってきたのだそうだ。
ほんの少しだけ、ざまあみろと思ってしまった私は性格が悪い。
弟以外にもロイル嬢と顔合わせをしたようだったが、宰相が認めなかったり、母である王妹が認めないこともあって難航したようだった。
もう一度顔合わせをしてみたらどうだ、一度目はおまえの良さが分からなかったのではないかと両親はジョナサンに言った。
弟は断固として拒否し、コイツに行かせればいいと私を指差した。
そうして私とロイル嬢は顔を合わせることになった。
「冴えぬ見た目」
顔を合わせ、挨拶をした直後の発言がこれだ。
父が宰相で母が王妹。さぞかしわがままに育てられたことだろう。蝶よ花よと育てられたのだろうことは想像に難くない。
噂どおりとても美しい。
「生まれつきです。令嬢が美しく生まれたのと同じように」
時間になれば終わるだろう。
それまでは適当に機嫌を取っておこう。そう思っていた。
「……怒らないの?」
「怒らせたいのですか」
ロイル嬢の視線が私の手に注がれる。
「貴族の令息とは思えぬ手」
令嬢が言うように、私の手は他の令息とは違う。
弟の成人まであと半年。
学院を卒業してから、友人になった商会長の息子に頼んで働かせてもらっている。両親には秘密で。
書類仕事を主にしているため、私の手はインクで汚れている。商会では多量の書類を速やかに捌く必要があるから。手が汚れるのに構ってられないし、両親は私が屋敷にいないことも気づいていない。
「インクです」
貴族とて書類にサインもする。インクも使う。
けれど多くの作業は下の者がする。己の手が汚れることはしない。
労働は平民がするものであって、貴族はしないのが普通だ。
ロイル嬢はまじまじと私を見つめ、言った。
見透かすような目で見てくる人だと思いながら、見つめ返す。
「私を愛せる?」
あまりに突拍子もない発言に戸惑っていると、令嬢が言った。
「私を愛しなさい、ルパート・バリー・アトリントン」
思考が止まった私に、彼女は言った。
「私もおまえだけを愛してあげるわ」
おまえだけを愛してあげる──。
……私だけを、愛してくれる。
その言葉は私の胸の奥にしまった、私が諦めていた願望を揺さぶった。
私は跪いた。
彼女は手袋を外し、手を差し出した。白く、細く美しい手。
そっと手に取り、手の甲に口付けた。
この日から、彼女は私の女王となった。