第37話 ~彼を変えたのは~
強い意思を抱く、揺るぎない灰色の瞳。
そうか……彼を変えたのは……
オーレンは顔を引き締めてギルバートに問う。
「……エメラルドの魔力を背負うことはリスクが大きい。もしも悪魔に狙われ、抑えることが出来なければ、ユリナだけでなく君の命も脅かすかもしれない」
「覚悟の上です」
「ベリンガム家には、魔力を背負わせる代わりにユリナの風の魔力を子孫に残すというメリットを与えられる。だが、君の家にはメリットがない」
「それは違います。両親も私の為にユリナ様を望んでおります。先日、母の口からはっきりと聞きました」
「君は……君自身は、ユリナのことをどう思っている?」
「私は……」
ギルバートは一瞬下を向き、そして再び上げるとこう答えた。
「私はユリナ様と居る時、不本意な自分になります」
「不本意?」
「はい。苛々したり、苦しくなったり、笑ったり……面倒な自分が沢山出てきます。それが愛だと、以前皇太子妃殿下に教わりました」
「シェリナに?」
「はい」
ふっ……
オーレンは笑う。
「そうだな。そうかもしれないな」
私も未だにシェリナの前では……
「話は分かった。あとは私が事実確認をする為、君の方からはコレットに接触しない様に。また、ユリナにも今日話したことは言うな」
「はい、分かりました」
「護衛長から報告を受けたが……昨日成人の儀で、君の方からコレットに絡んだらしいな。何故だ?」
「以前向こうから絡まれましたので、やり返しただけです」
「絡まれた?」
「ユリナ様を自分の物のように、偉そうに。だから……嫉妬したのです」
「君が、嫉妬」
「はい。先程シェリナ様からお借りした本で、あの猛烈な感情こそが嫉妬であると判明し、目から鱗が落ちました」
シェリナは一体彼に何を読ませたんだ……
「今まで読んだ本の中で、一番私の向学心を刺激し、新たな知識を高めてくれる本でした」
「ギルバート……それは一体何という本だ?」
「『不器用姫が王子の心を結ぶまで』です。殿下もお読みになりましたか?」
至って真面目な顔のギルバート。
駄目だ……
オーレンは必死に何かを堪える。
「……もうよい。今夜は一緒に夕食をとろう。支度が出来るまで休んでいなさい」
「ありがとうございます。失礼致します」
執務室の外では、ボイが気を揉みながら立っていた。
「ギル! 何か失礼なことを言っていないだろうな?」
ギルバートは少し首を傾げて考える。
「……恐らく、問題ないと思われますが」
次の瞬間、
はははははっ!!
執務室から聞こえてきた、オーレンの盛大な笑い声に、二人は目を見合わせる。
殿下にお仕えして早二十四年────こんな気の触れた笑い声を聞くのは初めてだ。
ボイの顔がみるみる青ざめていく。
こいつ……何をやらかしたんだ。
それはなかなか収まることなく、廊下の端まで響き続けていた。
夕方になり、学校から帰宅したユリナとモニカは、いつもとは違う屋敷の雰囲気に気付く。
「お客様?」
「はい。ギルバート様がお見えです。ご夕食をご一緒されるそうですよ」
二人は目を見開いた。
急いで着替えて食堂へ向かうと、そこには既にシェリナとギルバートが座っていた。
「ユリナ、モニカお帰りなさい。ギルが来ているのよ」
ギルバートは立ち上がると、ユリナへ向けて礼をする。
「みんなで成人のお祝いをしましょうね」
にっこり微笑む母に、戸惑うユリナ。
何故こんな状況に……
ユリナを見下ろす彼の胸元には、あのタイが結ばれている。
今日も着けてくれている……
嬉しさに顔を赤く染めるユリナを見て、モニカはニヤニヤと笑った。
モニカら親子は普段は自分達の屋敷で食事を摂るが、セノヴァやユニが仕事で忙しい時は、モニカもこちらでユリナと共に食事をする。
今日がその日で良かった……これは面白いものが見られそうだわ。
モニカはわくわくしながら席に着いた。
暫くすると、一本のワインを手にしたオーレンと、ボイがやって来る。
ボイもオーレンに勧められ、今日は特別にギルバートの隣で共に食事をとることとなった。
給仕係がギルバートのグラスにワインを注いでいく。
「十八年もののワインだ。君と同い年だよ。我が家は何かと祝い事が多いからね、毎年いつかの記念になればとワインをストックしてあるんだ。飲んでもらえたら嬉しい」
ボイは、昨日全く同じ様にワインを勧められたコレットの反応を思い出す。
『初めて口にする酒が、皇太子殿下から賜るワインであるなど、この上ない幸せにございます』
100点満点の答えだった。さあ……お前はどうする?
ごくりと唾を飲み、又甥の顔を見る。
が、ギルバートが答える前に、オーレンが楽しそうに一言付け加えた。
「昨日コレットにも同じものを出したんだ。彼はなかなか味の分かる男だった」
それを聞いたギルバートの顔が、みるみる挑戦的なものに変わっていく。
「私にアルコール耐性がどのくらいあるかは分かりませんが……心して挑みます」
ああ……0点だ。
ボイはがっくりと項垂れた。
乾杯をし、一口含むギルバート。
初めての味にむせ返りそうになるも、何とか飲み込む。
「どうだ?」
「未知の味です。口と喉をねちねちと刺されました」
……もう、ボイはワインの味など全く分からない。
シェリナはふふっと楽しそうに笑う。
「ギルバートは本当に表現が面白いわね。案外小説家に向いているかもしれないわ」
「小説家か……ふ……ははっ」
オーレンは思い出し笑いをしそうになり、ゴホンと咳払いで誤魔化した。
ふとシェリナを見ると、皆をにこにこと眺めるばかりで、あまり食事が進んでいない。オーレンは顔をしかめ、フォークにケールのソテーを乗せるとシェリナの口元に運ぶ。
「さっき頂いたわ」
「身体に良いから、もう一口食べろ」
その後もあれこれ食べさせては、口元を拭いたりと甲斐甲斐しく世話を焼く。
「もう、貴方が全く食べてないじゃない。はい」
シェリナが千切って差し出すパンを、何の躊躇いもなく……指まで加えそうな勢いで、パクリと口に入れる。
何だこの光景は……ワインの酔いも回り、ギルバートの耳が、かあっと熱くなる。チラリと向かいを見るも……
「あっモニカ、これ美味しいね」
「ほんと、ケールなのに全然苦くないです」
「今度料理長さんに作り方教わろうっと」
ユリナとモニカは皇太子夫妻を気にも止めず、淡々と食事をしている。隣の大伯父も……
さっき読んだ小説でも、確か食事を食べさせ合うシーンがあったな。食べさせて……その後は王子が寝室に姫を運び……
折角治まっていた鼻に、再びドクドクと血が集まる。
まずい……このままでは……
咄嗟に、手元のグラスをごくごくと呷る。
ガシャン!
突如響いた食器の音に皆が一斉に目を向けると、アッシュブラウンの頭がテーブルに突っ伏していた。
「ギル様!? ……失礼します」
ユリナが立ち上がり傍に寄るも、ギルバートは何やらヘラヘラと笑っている。
「ギル様……?」
「ああ、ユリナか」
「お顔が真っ赤です。ご気分でも?」
「別に、なーんとも」
ギルバートは、自分を覗き込むユリナの頬をギュッと摘まむ。
「ユリナ……可愛い」
えっ?
「ユリナ可愛い、結婚して」
ええっ!!
ユリナの顔が、ボンと噴火する。
「けっこん……けっ……こ……」
呆気に取られる人達を置き去りに、ギルバートは心地好い夢の中へ落ちていった。
その後……顔面蒼白のボイの制止を振り切り、オーレン皇太子自らギルバートを背負い客間に寝かせた。
長い手足を伸ばし、真っ赤な顔で心地好さそうに寝息を立てるギルバート。
18か……
オーレンはふっと笑うとタイを解いてやり、サイドテーブルに置き灯りを落とした。
全く味の無かった食事が済むと、ボイはふらつきながらセノヴァの屋敷へ向かう。
「ボイ様、どうされたんです? ああ……あれですか?」
セノヴァはテーブルに広げられた山程の求人広告や雑誌のなかから、ボイにシニア向けを数冊差し出す。
「丁度俺も見てたんですよ。モニカが何やら余計なことをしてくれたみたいでね」
「はあ……まさかこの年齢で職探しする羽目になるとは」
頭を抱えるボイに、セノヴァが手を振りながら言う。
「ボイ様は独身だからいいでしょう。俺なんか妻と子を養っていかなきゃならないんですから」
「君の所は奥さんがしっかりしているから大丈夫だろ。はあ……私はもう65だぞ」
皇太子の恐ろしさを熟知する二人の、嘆きの夜は更けていった。
◇
翌朝、ガンガンと痛む頭を押さえ、ギルバートは皇太子夫妻の前に立つ。
「どうやら君にはアルコール耐性があまり備わっていないらしい。気を付けなさい」
「はい……」
「ギル、またね。これ二日酔いに効くから良かったら飲んでね」
シェリナから黄色い液体の入った水筒を渡される。
「……ありがとうございました」
外へ出ると、強い日差しが容赦なく頭へ照り付けるも、その刺激は何故か清々しく感じた。
「ギル」
馬車へ向かおうとするのを、ボイが呼び止める。
「昨日殿下はお前とゆっくり話をされる為に、帰宅後にされる予定だった政務を全て馬車の中で終えられたんだ。感謝しなさい」
大伯父の言葉にギルバートは、屋敷へ向かい再度丁寧に礼をした。
「じゃあ、また後でねっ」
モニカは何故か皇室の馬車ではなく、ギルバートが手配した貸馬車の方へ乗り込む。
「えっ何で?」
「二人で話したいこともあるでしょ。私、課題の提出で急ぐから丁度良かったわ。じゃあごゆっくり~」
無情にも馬車の扉がバタンと閉まる。
こうしてユリナとギルバートは、意図せず一台の馬車へ乗り込むこととなった。




