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大きな要求を断らせてから小さな要求を出す、と言うよくある交渉術にまんまと引っ掛かった私は分かっていつつも次の登城の機会を心待ちにしてしまっていた。
馬と触れ合う下心を隠さず、当日は乗馬の妨げにならない作りのドレスを選んでしまう。王妃様本人と顔を合わせるわけではなく、王妃様の筆頭侍女と衣装を管理する専用の女官長と、次の刺繍の打ち合わせと進捗報告をするだけだから問題は無い。
もし予告なく王妃様が現れたとしても、ハルフォード殿下とくっつけたがっているのは王妃様なのだから何も言わないだろうと思っていたのだが……それどころか「王宮侍女とメイドを呼んで乗馬服にお召替えになりますか?」と王妃様の筆頭侍女に言われてしまって変な顔をしそうになった。
ちょっとあからさますぎではないか? と。
「ロゼリア嬢、またお会いしましたね」
「ハルフォード殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
ドレスの型紙に合わせた刺繍の図案の調整を終えた私は普段通らない順路で王宮侍女に案内されていた。案の定そこをハルフォード殿下が通りかかり、周りにアピールするように偶然を装って話しかけてくる。
王妃様の指示を受けたこの侍女は事情を察していそうだが、一緒に乗馬に伴う設定だったらしいハルフォード様の側近も、護衛もいる。どこまで話が通っているかわからないため迂闊な受け答えはできない。
王宮の侍女には貴族令嬢しかなれない、当然守秘義務もある。使用人達もだ。しかしこの邂逅が偶然として認識され、時が来ればそう広まるのは彼ら彼女らの背後がそう望んでいるから。
王妃様の意にそぐわない事をした時点で私は「王子の予定に合わせて待ち伏せをしていたはしたない令嬢」にされてしまう。今はハルフォード殿下の婚約者探しを表沙汰にしたくないという理由があって相性の確認をこうして密やかにおこなっているのだろうが……これが周知の事実になるか、公式な申し入れが入る前に私の計画を進めないと。
「まぁ、ハルフォード殿下が遠征されていた北の地の馬はそんなに体格が違うのですね」
「ああ、雪深い地域も多いせいで、俊足さではなく荷を運ぶための体躯と幅広い蹄、太い脚を持つんだ」
「ではこの子よりもずっと大きいのですか」
「体高はそこまで変わらないのだが、体重は倍近くになるんだ」
「想像もつきませんわ……きっととても勇ましい子達なのでしょうね」
「そうですね、脚は我が国の軍馬の方が速いが……ふふ、」
「いかがなされましたか?」
「いや、今馬の事を『子』と呼んだでしょう。北の馬の実物を知っている身からすると、そんな可愛らしいものでは無いのにとちぐはぐさに笑いが込み上げてしまって」
「まぁ、ひどいですわ」
「ロゼリア嬢を笑ったのでは……」
「いいえ、馬とは私にとってどんな子もおしなべて可愛らしい存在です。そんな素敵な馬達を……」
相性が悪いと思って話が消えたら都合がいいとばかりに不敬にならない程度の盾付きを会話の端々に散らす。
とは言っても演技ではなく、元々私は気が強く性格も悪い。普段の淑女の顔をやめて、周りくどい言葉選びをせず思った通りに口に出せば貴族の男性が嫌厭するような「生意気な女」と思ってもらえるだろう。
嫌われすぎるのはまずいが、最大限好かれるようにと常に気を張らなくても済むなんて滅多にないから楽だった。
馬にも詳しく、本でしか知らない外国の文化の話もとても興味深い。
お母様と話す時は別の方向で気を張ってしまうから……あの人と話していると、子供の頃の自分が顔を出して、気に入られよう、愛してもらおうと顔色を伺う言葉を口にしそうになってしまう。しっかり意思を持って拒絶をしないと、自分を見失いそうになるのだ。
未だに呪縛から逃れられないなんて、愚かすぎて我ながら哀れで滑稽だ。
馬に夢中になって鼻筋を撫でて、その長いまつ毛に縁取られた瞳と語り合っているといつの間にか「なら、次は遠征から連れ帰った実物をお目にかけてさしあげよう。実際に前にしてまだ可愛いと言えるか楽しみにしていますよ」
と、次の約束を取り付けられてしまった。
てっきり「ではまたいつか」と再会を濁して今後それきりになると思っていたので思わず驚いてしまう。
……口答えする気の強い女が好みのはずは無いだろうから、余程シェンロット侯爵家がハルフォード殿下にとって都合が良いのだろう。
私はそう納得すると、その辺りの事情を調査する事を忘れないように強く意識をした。
だって私は殿下の馬の趣味に難癖をつけて、再度誘われた劇場の観覧についても遠回しに断ったのだもの。最初は、降婿に都合の良い家から相性の良い相手を探してるのかと思ったが……政治的な意図があるに違いない。でなければ私に関わる理由なんて無いはずだ。
……はっきり言って、会話は楽しかったし、誘われてうっかり了承してしまうくらいには嬉しかった。親から自己肯定感をもらえなかった私は、人から求めてもらえる事にとても弱い。自覚はあっても中々直せないのが嫌になる。
きっと性根がずっと愛情に飢えているからだろう。王妃様やそのご友人のメトキサール伯爵夫人も私を可愛がってるという話になっているが、それだって事情があるから目をかけているように見せてるだけだと理解していたはずなのに。
その頃からハルフォード殿下の降婿にちょうど良い家を探していたという事だろう。周りの婦人達に「王妃様はロゼリア嬢の事をまるで娘のように可愛がってる」なんて言われて、ほんの少しでも真に受けて喜んでしまっていた自分がすごく惨めだった。
誘われて軍部に預けられた馬を見に行った後も非公式にハルフォード殿下とお会いする機会は設けられた。初対面の時に決めつけて失礼な態度を取ったことも誠実に謝罪されて、随分居心地の悪さを感じもしたが。
周りから埋めていくつもりなのかと思ったら、きちんと情報統制されているらしく噂にものぼらない。やっと、ハルフォード殿下が帰国されて次のシーズンでは夜会に参加されるだろう、とかその程度。
婚約の打診が来る前に避けられるように動こうと思っていたのに、お父様は無反応な上いくら調べても我が家自体にも何も接触はない。
ハルフォード殿下の普段の態度も違和感しかない。マリアの横取りを警戒していた私が男性に慣れていないのを差し引いても、とてもお優しいように感じる。
私の話した事をちゃんと覚えていて、次に会った時はそれを反映させてくれる所も、紅茶には砂糖をティースプーン半分だけ入れるとか、そんな些細な事まで覚えていて……私に向ける笑顔や、馬の話に熱中した時の呆れ顔もどんなに注意して見ても演技には見えなくて不安になる。
これではまるで政略なんて関係が無い好意を向けられているのでは、そう思ってしまいそうになっていた。
ちがう、勘違いしてはいけない……
私は、自分に都合の良い思い込みをしそうになった心に改めて重石を乗せる。
「ロゼリア嬢。前に話していた王都で公演される『春の王と暁の姫』の話を覚えてる?」
「ええ、シャンベリー劇団が公演すると話題の」
「もし君さえ良ければ、改めて誘わせてくれないかな」
「え……」
そんな、普通のお付き合い前提のやり取りなんてしなくても、家族なんて仕事の駒くらいにしか思っていないお父様に話を持ち掛ければ喜んで受けるだろうに、何が目的なの……?
「まだきちんとした話にはしていないし、戸惑う気持ちも勿論理解している。良かったらただの友人として、観劇に行って欲しい。当然護衛はつくが、変装をするから噂になる事は無いだろう」
「それは、」
「本当はロゼリア嬢のお父上に話を持って行くべきなのだが、そうなると大事になってしまうから……君を誘う事は、義母上には許可を得ている。当日は、茶会の相手をしていた事にしてくれるとも。……どうかな?」
「……もったいないお言葉です……私で良ければ、喜んで」
「はは、良かった。また避けられたらどうしようと内心思ってたんだ」
周りの知るところにならないのなら、マリアには伝わらないはず。変装に気付くめざとい方がいるかもしれないが、王族の変装は「今は身分を隠している」と言うことだ、気付いても言いふらせるものではない。
私の方に気付く身内はいるかもしれないが、それをお母様やマリアに教える者はいない。
もう3回目、さすがに断るのは不自然だとか、自分に言い訳をしながら私は頷いてしまっていた。
あれからいくら調べても「本人の意思」以外に背景が出てこない事が更に私を警戒させている。
絶対そんな訳ない、そんな訳はないはずなのに何も理由が見つからない。
シェンロット侯爵家をわざわざ選んでこんなに時間をかける意味はどこにあるのか。マリアの話は社交会中の婦人達がほぼ全員知っているのを考えるとむしろ我が家はまともな家からは避けられそうなものなのに。分からないからこそ怖くなっていた。
前倒しで動こうと思っていた元々の計画は止まっていた。
元々は、うちより立場の弱い家から都合の良い婿を取る予定だった。
婚姻を機に王都の屋敷の実権を私が握る、絶対にそのうちマリアはいつもの「病気」が出るから、その不貞を理由に二人まとめて叩き出す。お母様はマリアを庇うだろうけど領地に押し込んで……叩き出した後の二人がお母様のところに逃げ込もうと、視界に入らない場所だからと放っておくつもりだった。
お父様は今までマリアを諫めないでいたのだからこれにも口は出さないだろう。妻の妹との不貞、それで夫の実家の弱みを握れると、それをメリットとして伝えておけば十分だろうと計算している。これが私が計画していた、「一番マシな未来」。
私の婿になる人が我が侯爵家よりも強い立場……王族ではこんな未来は望めない。逆に実権を握られて、私はお飾りの妻にされるだろう。成人して、結婚して社会的立場を得られればマリアを排除できると思っていたのに。
そしたらやっと、私は私の大切なエマとミモザとリリエ達と心安らかな日々が過ごせる。そう思っていたのに、そんなささやかな幸せすら手に入らなくなってしまう。
候補者はすでに絞っていた。まだ婚約の打診など言葉にされた訳ではないから、すぐ本来の予定に戻るべきだと分かっているのにそれが出来ない。
あれだけ頭では「分かっているでしょう」と言い聞かせておいたのに。私の感情は、随分と愚かだったようだ。




