第三章(六)
第三章(六)
っくしゅんっ・・・
思わずむずがゆくなってくしゃみを一つすると鼻をこすった。
「大丈夫か? カゼ?」
「ううん、ちょっとかゆかっただけ」
紀伊也に心配されると司は首をすくめてしまった。
こんな所でカゼをこじらせたら大変だ。 特異体質な司が最も苦手とするものがこのカゼというヤツだ。熱が出たら最後、一気に高熱が続き挙句の果てに持病の心臓発作を起こし兼ねない。
この状況の中で、体調だけには最善の気を遣わなければならない。
「で、司、俺達これからどうすんだよ」
一息つけると晃一は落ち着いたのか、諦めたように気を取り直していた。
「うん、さっき紀伊也とも話してたけど、とりあえず今は水も食料も何とか確保出来ているから生きる事は出来そうだ。けど問題は、どうやってこの森から抜け出すかだ。 ただオレがさっきむやみに歩き回ってるだけじゃないと言ったのにはちょっとした訳があってさ。 それが現実の部分ってヤツなんだけど」
司は少し腕をめくって腕時計を晃一に見せて、何やらいじるとふたが開いた。
「実はこの部分がコンパスになってるんだ。 で、ある場所に居るとこいつは通常に動くんだが、別のある場所に行くとこいつが全く反応しなくなる。で、オレ達が歩いてる道は何とか動く場所を通ってるらしく、方向的にはまあ合ってるかな」
「方向って?」
「とりあえず最終的にゴールしようとしてた村。 ホラ、最初に行こうとしてた村は、あの偽ガイドのせいで分かんなくなっちまったから、何となく覚えてる限りの地図では合ってる筈・・」
「偽ガイドっ!? 何だそれっ!?」
司の言葉を遮って晃一がすっとんきょうな声を出した。
「怪しいと思ったんだ。 あの時道をわざと上に行ったろ。一週間前に大雨だなんてオレ、そんな情報もらってなかったからさ。 それにあいつ、あのサーベル・タイガーに殺される前に、話が違うって叫びやがった」
一瞬、その瞳に冷酷な光を放ったが、チッと吐き捨てると呆れたように息を吐いた。
「話が違うってどういう事だろうな」
今まで表情一つ変えずに黙っていた紀伊也だったが、タバコに火をつけるとボソッと言った。
「恐らくあの通訳もグルだろう。 パニックになった時、一番最初に奥に逃げて行ったからな。 ・・・、 あれ? そういや、誰かもついて行ってたな」
不意に思い出すと首を傾げた。
「なぁ紀伊也、そういやお前、そのリュック途中で拾ったって言ってたけど、何処で拾ったんだよ? で、ところで、誰のだよ?」
今まで誰も気にも留めていなかった。 が、しかし今これがとても重大な問題だという事に、司と紀伊也は気付いてハッとしたように顔を見合わせた。
「そう言えばこれ、オンちゃんのだよな。だって、この食料の数」
「うん、確かに」
西村と岩井が頷いている。
「誰だ、それ?」
晃一が言った。
「恩田さんって言って、ちょっと大きめの人ですよ。荷物運びの。 あ、ホラ、司さんがクマさんみたいだって言ってた人ですよ」
西村の言葉に司は思い出すと、「ああ」と頷いたが、次の瞬間紀伊也に視線を投げる。
「俺が拾ったのはあの場所からかなり奥だ。 でも、道らしい道もなかったから、人の足跡とか気にも留めなかったな。こっちは彼を背負ってたし、それどころじゃなかったから」
「マズイな、一人か? ・・・、 でも通訳が一緒なら大丈夫か」
「って、ヤツもグルなんだろっ!?」
晃一が不安気に見つめるスタッフに代わって言った。
「まぁ、ヤツが何者か知らんが、金目当てのテロリストなら殺しはしないな、大事な人質だから。 まぁ、さっきのバケモノみたいのに遭いさえしなけりゃ生きてるだろ」
「でも・・・」
「他人の心配なんかしてる余裕はねぇだろ。 とにかく今は自分達がどう生き延びるかを考えろ」
確かに司の言うとおりだ。
自分達はこうして皆と一緒で心強いかもしれないが、実際には現実とかけ離れたこの不思議な世界で、これからどうなるのか皆目検討もつかない。
明日、いやもしかしたら今夜中に何か起こるかもしれない中で、どう生き延びるか、それを考えなければならなかった。
「今日は疲れた。 お前らも寝ろ」
司は少し冷めた口調で言うと、右手の平を広げて皆に向かって振り払った。
自然と皆の瞼が閉じて行く。
何の騒音も聴こえない静かなこの暗闇の中、赤々と燃える炎を囲んで、誰かに守られているという安心したような表情で皆眠りについていた。