第三章(四)
第三章(四)
一瞬の出来事だった。
巨大な前足を振りかざし、今にも襲い掛からんとしたカマキリが不意に目の前からいなくなっのだ。
まるで、何かに絡み取られたかのように、その姿は大きな葉の森の中に吸い込まれるように消えてしまった。
え・・・?
ほんの一瞬の出来事に何も理解出来ず、呆気に取られたように息を呑んでいたが、向方の方で、バタバタと物凄い勢いで暴れるような音と、バリっバリっ と何かを砕くような音に、皆凍りついたように視線が釘付けになってしまっている。
見たくはない、と思っても怖い物見たさとでも言うのだろうか、向方で何が起こっているのか、司は思わず視てしまった。
想像もつかないような大きなカメレオンが、あの巨大カマキリを噛み砕いていた。
傍目から見ても、サーっと、顔が青ざめて行くのが分かる。
「司」
一番近くに居た晃一が、恐る恐る声を掛けた。
支えていないと、今にも貧血で倒れてしまいそうな司にどうしていいか分からない。
「司っ」
声を振り絞るように怒鳴ったが、かすれるような声しか出ない。
「バケモンだ ・・・」
司は一言呟くとごくりと唾を呑み込んだ。
そして、目を閉じて大きな息を一度吸って、それをゆっくり吐いて目を開けると、気を取り直したように晃一に向いた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ、何とか」
晃一は司が普段と変わりない事にホッとすると、同じように息を吐いた。
「とにかく、ここからすぐ離れよう」
司は落ちていたロープを拾うと、木の根元まで行き、解かずにナイフで切った。
そして、それを丸めて木村に渡した。
「何だったんでしょうね、さっきの」
あれから休まず歩き続け、陽も傾いて来た頃、一晩過ごせそうな岩場を見つけると、そこに荷物を下ろし、途中で拾った薪を積み上げながら西村が言った。
「俺には何が起こったのか分からないな」
司に留守を任された晃一が、平たい岩の上に横になって空を見上げている。
微かなオレンジ色をした雲がゆっくりと流れていた。
さわさわと風が木の葉を揺らすが、今はその音も不思議と怖くはない。むしろ、一時の安堵感さえ覚える。
キーキーと、鳥なのか獣なのか分からない鳴き声にも慣れていた。
「晃一さん、一つ訊いていいですか?」
「ん?」
「司さんって、こういうとこ、慣れてるんですか?」
「・・・」
「すみません。 立ち入った事お聞きして、でも・・・」
「さあな。 ただ、俺は司を信じてるし、あいつの言う事聞いてりゃ、間違いねぇって思ってるだけだ。 こういう危機的状況に、あいつと紀伊也はヤケに強いからな。 自分で考えるよりもあいつらに任せときゃ安心だ。 それに、あいつらすっげェ頭イイからな」
晃一は苦笑したように鼻で笑うと起き上がった。 ちょうど向方の方から司と紀伊也が戻って来たところだった。
二人共胸に何か抱えている。
「ホラ、今日の夕飯だ」
持って来た物をゴロゴロと地面に置いた。
赤やら黄色やら、色鮮やかな果物だった。 見た事もないものに全員が目を丸くしてじっと見つめている。
「心配すんな。これ食っても腹を壊したりはしないさ。 ちゃんと食えるモンだけ探して採って来たから」
司は苦笑すると、一つを取って晃一に投げて寄こした。
「じゃあ、俺が毒味してやるか」
おどけたように言うと、ぱくりとかぶりついた。
うっ・・・、 ぐぐっっ ・・・
とたんに喉元を押さえると苦しそうにのた打ち回った。 スタッフは目の色を変えて立ち上がったが、司と紀伊也は、くっくっ・・・と笑いを噛み殺している。
「ぐはっっ ・・・、んだよっ これっ!?」
口に入っていた物を一気に吐き出すと、ペッペッと唾を吐いた。
「あははっっ・・・、 そのまま食うなよっ、 皮くらい剥けっ バカっ」
二人は顔をしかめている晃一に笑い出すと果物を手に取って、歯で回りの皮を剥いて中の白っぽい実をかじった。
「くーっ、すっぱいけど美味しいなぁ。 疲れてる時にはサイコーだな」
それに安心したように皆も同じように手に取ると、皮を剥いてそれを頬張った。
一瞬レモンをかじったように顔がくしゃっとなったが、その後に広がる甘酸っぱさに何とも言えない笑みを浮かべた。
他に見た事のない木の実や果物に目を奪われながら、未知なる世界への恐怖から解放されたような時を過ごしていた。